六本木アートナイトについて
六本木アートナイトについて
1:基本データ 所在地 構造 規模
「六本木アートナイト」は、生活の中でアートを楽しむという新しいライフスタイルの提案と、大都市東京における街づくりの先駆的なモデル創出を目的に2009年より開催している一夜限りのアートの饗宴である。
「六本木アートナイト2015」では、2013年、2014年に続き日比野克彦氏がアーティスティックディレクターを務め、東京の強み、六本木の魅力、アートの多様性をさらに広範に発信していくための様々なプログラムを企画をした。さらに、現在の東京・これからの都市を考察するうえで外せない“テクノロジー”や“メディアアート”についての可能性を探るべく、メディアアートディレクターとして株式会社ライゾマティクス代表取締役の齋藤精一氏を迎え、日比野氏とともに「六本木アートナイト」の新しい形を生みだした。
様々な商業施設や文化施設が集積する六本木の街に非日常的な体験をつくり出し、アートと街が一体化することによって、六本木の文化的なイメージを向上させ、東京という大都市における街づくりの先駆的なモデルを創出している、東京を代表するアートの祭典である。
開催場所
六本木ヒルズ、森美術館、東京ミッドタウン、サントリー美術館、 21_21 DESIGN SIGHT、国立新美術館、六本木商店街、その他六本木地区の協力施設や公共スペース
2:事例の何について積極的に評価しようとしているのか。
六本木という町は戦後、日本の占領にあたった連合国軍に接収される。そのため、外国人向けの商店や飲食店が少しずつ出来るようになる。また、1950年代後半にはNET(日本教育テレビ、現・テレビ朝日)が開局し、この頃に六本木族が登場する。
1960年代に入ると日本料理の瀬里奈を始めとして中華料理の香妃園や魯山、イタリア料理のアントニオなどが芸能人やファッションモデル、来日した海外のスターらが出入りする店として徐々に知られるようになった。1960年代後半からは高台以外の住宅街へ押し入るように外国人や日本人向けの飲食店、若者向けのサパークラブ、ゴーゴークラブなどのオープンが続き、結果として住宅街から繁華街へと姿を変え、1975年(昭和50年)以降は赤坂に代わる人気プレイスポットとして有名になっていく。
1980年代後半からのバブル経済期には六本木スクエアビルを中心としてディスコだけで数十軒が立ち並び、大衆化が進むとともに活況を呈したが、その後バブル経済の崩壊とともに1993年(平成5年)以降は多くの店が閉店し、カラオケ店やキャバクラなどに衣替えした。
現在、平日は昼夜を問わずサラリーマンやOLの姿が目立ちオフィス街としてのイメージも強くなった他、六本木一丁目にはスペイン大使館、スウェーデン大使館などの外国公館や、六本木七丁目のアメリカ軍施設(ヘリポート、星条旗新聞社ほか)などもあり外国人の姿も目立つが週末の金・土曜夜になるとバーやクラブ、キャバクラなどが林立する繁華街の様相を呈する。クラブ目当ての若者や外国人のほか、キャバクラ嬢や外国人の客引きが街頭に出ている姿が見られる。また、傷害事件やカジノ賭博・麻薬密売等の違法行為も存在し、時折検挙等により明るみに出ることがある。
これらの影響で六本木地区はアメリカ国務省、イギリス大使館、オーストラリア大使館によって旅行者向けの危険地域として警告されていた。
このような夜の街という文化的イメージをかえようと、アートを通じて積極的に街づくりをしようと六本木アートナイトが始まった。
六本木アートナイトは六本木の街全体を六本木にある美術館と連動して、巨大な美術館に見立て、街と人とをアートで結んでいる。それにより、一夜という特別な非日常を体験し、今まで、敷居の高い現代アートが街に降りてきて、人々も鑑賞するだけでなくアートに積極的に関わり、参加することにより人びとの生き方までも変えていく装置である。
六本木と言う街に対する目的が夜遊びに来る街だけでなく、アートの体験する街という目的に変えた。
この様に街にアートが溢れることにより、今までゴミなどで汚れていた街が綺麗に変わり、街づくりとしてもいい変化が生まれ、人びとの生活にも変化が生まれたのではないかと思う。
3:歴史的背景は何か
アートナイトの発祥はフランス・パリである。
陽が長くなる季節の夜、街に出てアート作品と触れあおうと始まったプログラムが『Nuit Blancheヌイ・ ブランシュ』である。
日本でも、作品を美術館だけでなく、屋外の場の持っている魅力を生かした作品が 風目され始め、芸術祭が各地で開催される様になった。
そのため、東京でも夜の街に作品を展示する、地域を生かした芸術祭をやろうとなったのである。
もともと夜のカルチャーシーンがあった六本木だったがこの10年の間のに、森美術館や国立新美術館、サントリー美術館、21ー21美術館などができた事が大きなきっかけとなった。
20年前には無かった、六本木=アートという概念が今の若者にとっては、アートの文化というイメージに変わってきている。
4:国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか
2013年からアートナイトのアーティスティックディレクターを務める日比野克彦さんは、ラジオの番組(Arts Council Tokyo Creative File)でこう語っている。
「ここ15年くらい、瀬戸内の島々を巡りながら作品を観るとか、新潟の棚田の多い地域で古民家をステージに作品を鑑賞するというように、場所の持っている力、土地の魅力をアートで発信していこうという動きがある。では、東京の魅力って何? 六本木の魅力って何? と考えると、六本木はやっぱり夜の魔力、魅力、パワーだろうと。それとアートをつなげていこうというのが六本木アートナイト。多くの芸術祭は短くても1週間、長いと3カ月も開催している。でもアートナイトは一晩だけ。特に日の入りから日の出までという短い時間に、本当に一晩だけしかやらないの? というような贅沢なコンテンツがぎゅうっと濃縮されている。情報がカオスのように錯綜するなか、自分で取捨選択して、自分なりに街を編集して歩いて発信していく。それが都会の六本木ならではの魅せ方、アートナイトの一番の魅力ですね」
アーツカウンシル東京で広報を担当する森隆一郎さんは、「あれだけつくりこんで一晩で撤収する贅沢さと、それでも人が大勢集まって作品がしっかり鑑賞されるところは、東京だから成立することなのかもしれないですね。連日数えきれない数の催しがある東京では、観る側にとっても、一晩に集中しているほうが一度に体験できてかえってありがたいという側面もあるかと。そういう意味では"東京らしさ"の詰まった催しなのだなと再認識しました」と、"東京"をキーワードに、一夜限りであることの意味を言っていた。
一夜限りだからこそ、普段は無理だと思うようなことも可能になっている。深夜バスの運行、美術館の深夜開館、周辺商業施設や店舗の延長営業や各種サービス、膨大な数にのぼる関係者間の連携など。難しいことにも挑戦してよく運営しているなあと、素直に感心してしまう。
このように六本木アートナイトはいろいろな都市で行われている芸術祭とは違い都会の真ん中で、一晩だけ行われる、非日常的なイベントである。
また、回を重ねるごとにアートナイトは着々と進化している。たとえば今年は、新しい取り組みとしてコンピューターやテクノロジーを駆使した「メディアアート」を導入。この分野の最先端を走るライゾマティクス代表の齋藤精一さんをメディアアートディレクターに迎えて、これまでとはまた少し違う趣向で街なかにアートを展開し、観客とアートとの新たな出会いを探った。これは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて準備が進む「オリンピック文化プログラム」のコンテンツの実験という側面もあったようだ。また、六本木のいたるところで上演された「六本木アートナイトスイッチ」や、アートナイト初のガイドツアー「六本木アートナイトをもっと楽しむガイドツアー」(所要時間45分)など、これまで以上に"街なか展開"を意識したプログラムが増えてるのである。