福岡県那珂川市「岩戸神楽」~地域民俗文化の継承

森 義大

1.基本データと歴史的背景
1-1はじめに
福岡県那珂川市は、新幹線博多南線の開通などにより、福岡市との利便性向上や、豊かな自然を求める人たちの移住、定住により人口が5万人を超え、平成31年に那珂川市制施行を迎えた。那珂川市には「岩戸神楽」などの文化財を中心とした様々な資源が多くあり、博多南駅前から岩戸神楽が奉納される伏見神社のある山田地区までの散策ルートを整備した。(資料1)
この報告では、岩戸神楽の伝統と継承を評価し、地域社会への関わりと貢献、民俗芸能、地域コミュニティーの在り方における今後の展望について言及する。
1-2伏見神社岩戸神楽とは
昭和29年12月13日に福岡県無形民俗文化財に指定され、伏見神社に奉納されている神楽で、毎年7月14日の祇園祭の夜に奉納される。伏見神社は天正十四年(1586年)島津・秋月連合軍が五箇山の筑紫広門方の一ノ岳城を攻撃した際に消失したが、黒田二代藩主忠之の頃、当時の領主津田市ノ尉平朝臣茂貞が慶安元年(1648年)に社殿を再建した。(資料2)
1-3歴史的背景
岩戸神楽は、元々は各神社の神官たちが集まり奉納する社家神楽で、出雲の佐田神楽の系譜を引き三百年近い歴史を持つ神楽で天の岩戸開きを中心として神話の世界が展開される。神楽は他の神事芸能と異なり、江戸期までは、神職以外には舞うことを許されない社家神楽(神職神楽)であった。明治の新政による神職世襲制度の廃止に伴い、神職の指導によって氏子組織による神楽座「珍楽社」が構成され現在まで継承されてきた。
2.岩戸神楽の地域民俗文化としての評価
2-1 岩戸神楽の特徴
奉納活動は関連地域奉納、民俗芸能イベント、養護施設や老人福祉施設での訪問活動、特に子供神楽や学校教育での郷土授業や神楽クラブへの指導を行い地域文化伝承に貢献している。岩戸神楽では、神の降臨を願い里人などの無病息災、家内安全と舞人の安全を願う舞、曲芸的な神楽や神話を再現する天の岩戸開き「岩戸」はアマテラスオオミカミを導き出す。また、悪疫を清祓し五穀豊穣を祈念する神楽としてアクロバット的な舞や、能の形式をとる神楽があり、所々には観客と一体となって進行するバラエティに富む構成となっている。その中でも「荒神」「問答」の舞は鬼が拝殿を駆け回る勇壮な神楽であり、この鬼に抱かれた赤ちゃんは元気に育つと伝えられ、多くの子供連れの参拝者が訪れる。後継者育成のためにも子供神楽を積極的に推進し、親たちや周囲の人々にも広がっている。(資料3)(資料4)
2-2 岩戸神楽の積極的評価
神楽には御幣など切り紙の祭具としての飾り物、美しい彩りをみせる五色の紙飾りや、祭壇、幕や面のアートがある。岩戸神楽古道具一括として、古面、太鼓とその台座、装束箱があり(資料5)、岩戸神楽の古面は10面とも神楽面として分類されているが、この内7面が能面を参考にして製作されたもので、特筆すべきは一つの神楽座の中で能面系の面の占める割合が7割と多いのは非常に珍しく、格式の高さを窺わせ、神楽面と比べると能面は小さく、正面から見た時と、面の上下角度傾きにより表情が変化し喜怒哀楽が表現される。(資料6)
これらの道具を保存会の人々により脈々と受け継がれ、行政と協力し地域振興に活用しながら、地域民俗文化として自分たちの神楽に誇りをもって地域内外の人々に積極的に広めている。また、他の文化財と併せて観光ルートを整備することで、多くの観光客や地元の人々に集いの場を作り、民俗神楽として地域の人々に、その役割を果たしている。
地元の神社で行う地元の人々への神楽は、派手さはないが、祭りとして老若男女や子供たちが楽しみながら参加し、岩戸神楽が持つ地域社会の中にある民族性、わがまち、自分たちの「里神楽」として、地域コミュニティー、郷土芸能としての役割を担い、那珂川に住んで良かったと思えるような地域文化の継承がここにある。
3.九州神楽との比較
「豊前神楽」は福岡県豊前市で行われている神楽6団体で国指定重要無形民俗文化財となっている。荒神とも猿田彦ともいえる鬼神が出てくる御先神楽を中心に、大蛇退治や岩戸開きなど多彩な演目があり、岩戸神楽と呼ばれることがある。
「玖珠神楽」は大分県九重町の神楽で、日向系岩戸神楽の一つであるが、演目に「鬼」があるように豊前の要素が入っている。大分の神楽は九州の神楽の要素をベースにしながら中国地方でのお囃子も特徴であり、太鼓の叩き方も和太鼓のようなダイナミックな動きを見せる激しい神楽の影響を受けているものも多い。
「二目川岩戸神楽」は大分県大分市で神楽を奉納する深山流岩戸神楽で、鬼神が子ども泣き叫ぶ抱きかかえ無病息災を祈願し、柴引や大蛇退治で派手な花火で演出し勇敢優美に演じられ迫力満点である。(資料7)
ここで挙げた神楽座は毎月のように各地で公演を行い、その存在や文化を観光芸能として拡大させている。国や県から無形民俗文化財に指定され、練習や公演回数を重ね、技や舞などの完成度は高く演技演出も観客を魅了する。比較対象としたのは、神楽は本来、誰のためのものかである。積極的に公演を行い、観客を喜ばせ、魅せる神楽である必要はあるのであろうか。神楽はその地域や、そこに住んでいる人々のための神楽であるべきではないかと考えた。指定民族文化財として、地域の民族文化を観光芸能として発信する方向性が強いように感じた。しかし、それには神楽の後継者不足や運営の課題があり、観客に興味を持ってもらい、自らも神楽を舞ってもらいたいと思えるような取り組みでもある。郷土芸能の伝承を考えたときに魅せる神楽として、ひとつの在り方であり、本来の意義は同じであると考える。
4.地域伝承の意義
里神楽は四百年以上の歴史をもつものも多く、全国各地に伝承され様々な形や工夫で今日まで地域の人々によって伝えられてきた。自然と向き合う暮らしの中で生まれた神楽に祈願するのは、五穀豊穣、家内安全、無病息災などで、地域に生きる上での拠り所である。神楽は人々との結びつきや、その集いの場を作る大切な役割であり、地域の特色を生かした豊かなまちづくりにも貢献することで、先人たちが大切に守り継承してきた郷土芸能や文化財の伝統を、後世にも継承していく意義だと考える。
5.今後の展望について
地域の事情や伝統により方向性や地域戦略としても多様であるが、文化継承や運営に関しては、メンバーの高齢化や神楽単独運営の難しさは共通課題である。地域人口構成を考えたときに、一つの地域ごとでは著名性や有形無形を問わず文化財の保存継承にも限界が見えてくる。子供神楽と郷土文化の学校教育として定着させ、絶え間なく継承展開していくためには、行政や後援団体の支援が必要で、地域コミュニティー、文化財保存という観点からも対象範囲を拡大し、地域の協力と理解を得ることが大切である。行政と保存会で協議を重ね、文化財継承における一つの事業として計画し、神楽だけでなく地域文化や風土を大切にしている市としても展開していく。さらなる広域公演としても、関連するイベント(資料8)にも取り組み、地域コミュニティーの場や観光として活躍する機会を増やすことで、神楽の担い手としての魅力や意欲が沸いてくる。神楽民俗芸能と地元の人々の地域信仰文化とのバランスを取り、その地域情緒を損なわないよう行政と地域への「支援協力と貢献」の両立を図り、地域コミュニティーとしての「場」を作る機会を創造していく必要がある。
6.まとめ
今回、神楽保存会や市職員の方などに取材させて頂き、課題や展望を協議する機会を得たことで伝承の厳しさや未来への取り組みが見えてきた。近年、九州各地で豪雨による河川の氾濫、洪水、土砂崩れなどの自然災害や新型コロナ感染拡大など、神楽の在り方や、新しい生活様式に変化していく中、秋のイベントでは子供神楽を中心に、信仰と地域コミュニティーとしての役割を果たした。地域民俗文化は一度絶やすと復活は厳しくなると言う。今日まで、地域の郷土芸能、民俗文化財としても、その灯を消さないように苦境を乗り越え、弛まぬ努力と熱意や使命によって継承されてきた。その根幹には、神楽を守ることが「地域や人々を守ることだ」という意識と使命感を抱きながら、今後も経済観光と信仰文化を両立し地元の人々と自然の恵みの神々に感謝する心を忘れないことが大切であると感じた。

  • (非公開)
    資料1 文化財散策ルート、広報活動ほか小冊子やPVを作成し情報発信
    (那珂川市、那珂川市教育委員会、教育文化振興財団、岩戸神楽保存会)
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    資料2 岩戸神楽伏見神社
        ナマズが神様の使いとして崇められ、拝殿にはナマズの絵馬がたくさん奉納されている。
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    資料3 岩戸神楽曲目(命和理)、多玖佐、榊
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    資料4 岩戸神楽曲目 両刀、荒神
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    資料5 岩戸神楽古道具一括(那珂川市指定有形民俗文化財)
        那珂川市文化財保管倉庫(装束箱、太鼓、台座、装束、古面)
        太鼓の台座には「天保六年乙未四月吉日十五代祠官堺丹波守吉則」と記されている。
  • (非公開)
    資料6 岩戸神楽の古面「那珂川市 岩戸神楽古面展より」
    製作年代は江戸時代中期から後期と考えられ、岩戸神楽の成立を知る上でも貴重な資料となり、平成11年に那珂川町有形民俗文化財に指定されている。
  • (非公開)
    資料7 二目川神楽(大分県大分市 深山流岩戸神楽)
        深山流岩戸神楽は御嶽流・浅草流と並ぶ大野系神楽である。
  • (非公開)
    資料8 自治体、地域との協力「那珂川市イベント:裂田溝ライトアップ」
    裂田溝(さくたのうなで):日本最古の農業用人工用水路で、永い間、用水路として使われているのは全国的にもここだけといわれる素晴らしい史跡である。

参考文献

参考文献
三上敏視著「神楽と出会う本」、アルテスパブリッシング、2009年
三上敏視著「新・神楽と出会う本」、アルテスパブリッシング、2017年
川崎幹二著「那珂川町の歴史探訪」、海鳥社、2001年
高橋洋二編「別冊太陽No.115 お神楽」、平凡社、2001年
西和夫著「祝祭の仮設舞台~神楽と能の組立て劇場」、彰国社、1997年
渡部雄吉著「神話の世界~神楽」、株式会社ぎょうせい、1992年
高倉浩樹・滝澤克彦編「無形民俗文化財が被災するということ」、新泉社、2014年

参考WEBサイト
・裂田溝(さくたのうなで)の日本遺産認定について~那珂川市ホームページ(2020.11.20閲覧)
https://www.city.nakagawa.lg.jp/sosiki/36/mihonisansakutanounade.html
・二目川神楽~大分市観光協会ホームページ(2020.12.10閲覧)
https://oishiimati-oita.jp/spots/detail/12
・大分市ホームページ(2020.12.24閲覧)
http://www.city.oita.oita.jp/o205/documents/kagura.pdf

今回取材にご協力頂いた方:
・那珂川市教育委員会文化振興課(2021.1.5及び2021.1.8)
・岩戸神楽保存会会長(2021.1.8)
・二目川神楽保存会(2020.3.9)

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