開拓使の使命が生んだ、札幌冷製麦酒の価値

神尾 章子

はじめに
北海道の県庁所在地である札幌市は年間約1,500万人の観光客が来札する(1)。その殆どは北海道の食や食文化に興味がある(2)。とりわけ札幌には、明治9年(1876)に明治政府による官営工場「開拓使麦酒醸造所」の設立によりビール産業発展の歴史が存在する。本レポートでは140年以上の歴史を持つ「札幌冷製麦酒」にどのように付加価値を付けたのか歴史的、地理的、気候的背景から評価に値する点を挙げ、後世にも伝承できるかを考察する(3)。

1、基本データ
名称:「札幌冷製麦酒」(復刻版名称は札幌開拓使麦酒)(4)

製造場所名称:
a、「開拓使麦酒醸造所」第一工場(現サッポロファクトリーレンガ館)(5)
b、「旧札幌麦酒会社工場」第二工場 旧札幌製糖工場を買収しその後、麦芽製造所と
なる。(現サッポロビール博物館)(5)

構造:
a、 明治9年(1876)建築、木造2階建(6)、明治25年(1892)に煉瓦造りの建物となる。
サッポロビール煙突は大正4年(1915)に建設される(5、写真添付1)。現レンガ館は
仕込室、汽罐室(明治25年(1892)設立)、貯酒発酵室(明治42年(1909)
設立)で構成される(7、写真添付2、3)。
b、 イギリス積みを採用した煉瓦造り4階建て、煉瓦煙突(48.5m)(明治23年、
1890年建設)、煮沸釜がある(8、写真添付4)。煉瓦は北海道南部、渡島半島で生産
した煉瓦だといわれている。現在はサッポロガーデンパークと呼び博物館と
ビール園、その他の施設で構成されている(8)。
規模:
a、 敷地面積約、約126坪(明治9年、1876年完成当初)(6)
b、 床面積約3264㎡、煉瓦煙突高さ48.5m(7)

所在地:
a、 札幌市中央区北2条東4丁目1-2(9)
b、 札幌市東区北7条東9丁目1−1/2-10(7)

2、札幌冷製麦酒の歴史的背景

2-1、官営工場であった開拓麦酒醸造所の歴史
明治政府は明治2年(1869)、6月に「蝦夷地」から「北海道」と名称を変更し同年の7月「富国強兵」のスローガンのもと、「開拓使」を札幌に設置する。農業、勧業等の早急な近代化を目的にお雇い外国人、アメリカの農務長官ホーレス・ケプロン(1804-1885)を開拓顧問として招聘する。彼が札幌を訪れた5年後、明治9年(1876)9月に「開拓使麦酒醸造所」が完成する(10)。しかし明治15年(1882)2月「開拓使」の廃止により、官営の麦酒醸造所も民間払い下げの対象となる。その後は農務省商工務所管に移動、さらに北海道事業管理局札幌工業事務所の管理下に置かれ、名称を「札幌麦酒醸造場」と改称する(11)。明治19年(1886)1月には北海道庁が設置され道庁所管となり同年の11月、大倉喜八郎(1837-1928)の大倉組に払い下げられる(12)。加えて3年後の明治22年(1889)、札幌麦酒株式会社(現サッポロビール株式会社の前身)と名称を変更する(13)。

2-2、「札幌冷製麦酒」を札幌で完成するまで
北海道開拓使事業の第2代次官である薩摩藩士出身の黒田清隆(1840-1900)は同じ薩摩藩士出身である村橋久成(1842-1892)を開拓使麦酒の事業責任者として就任させる。その翌年、現在の外務大臣にあたる青木周蔵(1844-1914)が、ドイツでビール職人修業後の中川清兵衞(1848-1916)を村橋に紹介する(14)。村橋の努力のおかげで醸造所の札幌設立が決まる(15)。当初は東京、青山の官園では概ね米国産の農作物を育成する(16)。その農作物を北海道へ移動、生産、東京で醸造所を建造、日本人の手によるビール造りを企てたのである(17)。しかし村橋は醸造所の造設に必要な木材が、北海道には豊富にあり、寒冷な気候がビール造りに適し、水利運便を考え経費を落とすことが可能だと考える。よって上局に1年間で3通の稟議書を送る(18)。この願いが認められ札幌に「開拓使麦酒醸造所」が設置され、翌年に本格的産業ビール「札幌冷製麦酒」が完成したのである。

3、評価に値する点
中川の麦酒醸造と村橋の醸造所設置の成功要因にビールの原料である野生ホップの偶然的発見、北海道の地理と気候的好条件の3点が挙げられる。好条件が揃い北海道産の原料を使用、農業技術導入したばかりの札幌で本格的ビール産業として発展を遂げる(15)。
偶然的ホップ発見の機会が訪れた要因は、黒田がアメリカに出張しケプロンを開拓使顧問として向かい入れ、開拓に必要な技術者、技能者の人選をケプロンに任せた事にある。当時アメリカ農務省の科学技師トーマス・アンチセル(生没年不詳)と主任技術技師のA.G.ワーフィールド(生没年不詳)が北海道開拓の事前調査を行う(19)。地質、鉱物関係の調査技師として採用されたアンチセルは、調査中に北海道の西積丹にある岩宇地域の泊村で野生ホップを発見したのである。加えて、ケプロンは北海道の寒い気候が稲作ではなく麦(小麦、大麦)に向くとし麦育成の指導をする。従って輸入した大麦の種を札幌付近の農家に配布し生産させる(20、21)。
醸造技術主任の中川がもたらしたドイツ醸造方式では、ビール酵母の完全除去ができないのである。よって、ビールを変質させない為10度以下に保つ氷が大量に必要となる。札幌には豊平川の支流フシコサッポロ川が建設用地に面し水源が確保できる(22-a,22-b)。ビール原料のホップ、大麦、水の全てが北海道で手に入ることで日本人技術者、日本人の手による初の醸造所、国産原料のビール造りが「札幌冷製麦酒」に付加価値を付けたのである(23、24)。

4、国内における海外技術輸入例の共通点
ここでは海外技術の輸入により日本の伝統工芸として発展した有田焼と札幌冷製麦酒の登場における2つの共通点を特記する。1つ目は、朝鮮出兵に参加した佐賀藩主の鍋島直茂(1537-1619)が文禄・慶長の役(1592,1597)の際に朝鮮の陶工である李参平(生年不詳-1655)を日本に渡来、帰化させ有田焼を完成させている。開拓次官の黒田も麦酒の技術を得るためドイツ修業を終えた中川と、開拓顧問のケプロンを中心としたお雇い外国人を北海道に招きビール原料の取得を可能にした点である。2つ目は、初代李参平が17世紀初頭に「泉山磁石鉱」を発見し有田焼の発展に繋げたことである。麦酒においてもアンチセルが「野生ホップ」を発見しビールの完成に近づけた点が挙げられる。よって双方とも海外の技術を輸入し日本でその技術を醸成させ商品化の成功に導いたのである(25)。

5、今後の展望
140年以上の歴史を持つ「札幌冷製麦酒」の価値はビール文化の変遷を経て、後世にも伝わると予測する。例えば、市場や生活様式の変動からノンアルコールビール、発泡酒など様々な種類が登場する。その1つにクラフトビールも含まれる。現在、第三次ブームの渦中にあるほど人気がある(26)。時代の変化の中でもサッポロビール博物館の有料ツアー内、サッポロファクトリーレンガ館の札幌開拓使麦酒・賣捌所(うりさばきしょ)2ヶ所で1876年の文献を参考に原料を配合、1881年の醸造法で復刻させた「開拓使ビール」を飲むことができる(27、写真添付5)。よって140年以上経て市場の変化を受けても後世に伝えるべく当初の味をサッポロファクトリー内の醸造所のみで製造し(28)、伝承していると考える(24)。

おわりに
現在に残る味を後世に確実に伝える為に西洋の産物を輸入、分解する。その中で将来へ繋がる産物を抽出し、再構築した地場産商品「札幌冷製麦酒」の歴史的背景やその本質を消費者に伝える情報活動を広く行う必要があると考える(29)。その活動により、生活様式の変遷を直に受ける現代の消費者が「札幌冷製麦酒」の伝承すべき価値を認知し、さらに進化させた価値を創り「札幌冷製麦酒」は時代の変遷を経ても後世に伝承できると考察する(註30)。

  • 1_%e8%a1%a8%e9%a1%8c%e3%80%80%e9%96%8b%e6%8b%93%e4%bd%bf%e3%81%ae%e6%b0%8f%e5%90%8d%e3%81%8c%e7%94%9f%e3%82%93%e3%81%a0%e3%80%81%e6%9c%ad%e5%b9%8c%e5%86%b7%e9%9d%99%e9%ba%a6%e9%85%92%e3%81%ae%e4%be%a1 表題 開拓使の使命が生んだ、札幌冷製麦酒の価値(2019年4月29日筆者撮影)
  • 2_%e8%b2%bc%e4%bb%981%e3%80%81%e3%82%b5%e3%83%83%e3%83%9d%e3%83%ad%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%ab%e7%85%99%e7%aa%81 添付1、サッポロビール煙突(2019年4月29日筆者撮影)
  • 3_%e8%b2%bc%e4%bb%982%e3%80%81%e5%bb%ba%e7%89%a9%e6%b2%bf%e9%9d%a9%e5%9b%b3 添付2、建物沿革図 (2019年4月29日筆者撮影)
  • 4_%e6%b7%bb%e4%bb%983%e3%80%81%e7%8f%be%e5%9c%a8%e3%81%ae%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%ac%e9%a4%a8 添付3、現在のレンガ館(2019年4月29日筆者撮影)
  • 5_%e6%b7%bb%e4%bb%984%e3%80%81%e7%85%ae%e6%b2%b8%e9%87%9c 添付4、煮沸釜 (2018年11月4日筆者撮影)
  • 6_%e6%b7%bb%e4%bb%985%e3%80%81%e5%be%a9%e5%88%bb%e7%89%88%e9%96%8b%e6%8b%93%e4%bd%bf%e3%83%93%e3%83%bc%e3%83%ab 添付5、復刻版開拓使ビール(左下2018年11月4日、その他2019年4月29日、5月2日筆者撮影)

参考文献


(1)札幌市HP、観光統計データ、平成30年度版札幌の観光、平成29年度観光の概要、
PDF資料より、図2−1、来札観光客数の推移
http://www.city.sapporo.jp/keizai/kanko/statistics/documents/h30sapporonokannkou.pdf (2019年4月27日閲覧)
(2)資料:札幌市「来札観光客満足度調査(平成30年2月)、図2-13、21頁。」
https://www.city.sapporo.jp/keizai/kanko/program/documents/29houkokusyo.pdf
(2019年4月27日閲覧)
(3)札幌市教育委員会 著、札幌市 編『さっぽろ 文庫50開拓使時代』、札幌市、1989年、92-93頁。
(4)長岡市HP、中川清兵衛、 第5回頁。札幌冷製麦酒の販売、ドイツ流の醸造法
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/ijin/naka-column05.html (2019年6月25日閲覧)
(5) 二村悟 著、『これだけを見ておきたい 日本の産業遺産図鑑』株式会社平凡社、2014年、28-29頁。
(6)Nong WU,Takeshi KOSHINO, and Yukihiro KADO 「開拓使の葡萄酒および麦酒醸造所の建築施設について」、日本建築学会計画系譜文集、第535号、248頁、2000年9月
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/65/535/65_KJ00004224005/_pdf (2019年
6月25日閲覧)
(7) 歴史的建物研究会 著、『日本の最も美しい赤レンガの名建築』株式会社エクスナレッジ、2018年、11頁(イギリス積み)。63頁。
(8) 北海道文化資源データベースHP、文化施設・札幌、サッポロビール博物館
https://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/1021.html (2019年6月25日閲覧)
(9)大成建設株式会社HP、地図に残る仕事、Vol.27、1876年日本初の本格的ビール工場。
http://librarytaisei.jp/works/vol027/ (2019年6月25日閲覧)
(10)札幌市教育委員会文化資料室 編、「さっぽろ 文庫19 お雇い外国人」非売品、札幌市、札幌市教育委員会、1981年、16、17頁。
(11)Sapporo Factory HP、開拓者麦酒醸造所ものがたり、項目13麦酒醸造所のゆくえ
https://sapporofactory.jp/beer_museum/ (2019年4月28日閲覧)
(12)東京経済大学HP、大倉喜八郎の足跡をおう
https://www.tku.ac.jp/tku/founder/okura/footprint.html(2019年6月29日閲覧)
(13) 北海道史研究協議会 著、野澤緯三男 発行者、『北海道史研究協議会創立五十周年記念出版- 北海道史辞典』北海道出版企画センター、2016年、261頁。
(14)サッポロビール株式会社HP、サッポロを知る、ドイツで学んだビール醸造
http://www.sapporobeer.jp/story/1876/index.html (2019年4月28日閲覧)
(15) Sapporo Factory HP、開拓者麦酒醸造所ものがたり、項目7麦酒醸造所は札幌につくるべしhttps://sapporofactory.jp/beer_museum/ (2019年4月28日閲覧)
(16)札幌市教育委員会文化資料室 編、「さっぽろ 文庫19 お雇い外国人」非売品、札幌市、札幌市教育委員会、1981年、78頁。
(17) サッポロビール株式会社HP、札幌に麦酒醸造所建設を建白
https://www.sapporobeer.jp/company/history/1876.html (2019年6月29日閲覧)
(18) 中西出版株式会社HP、蘇る、村橋久成、村橋久成年譜ページより。
http://nakanishi-shuppan.co.jp/murahashi-00/murahashi-07/ (2019年4月29日)
(19) 札幌市教育委員会文化資料室 編、「さっぽろ 文庫19 お雇い外国人」非売品、札幌市、札幌市教育委員会、1981年、15-16、19頁。
(20) 北海道史研究協議会 著、野澤緯三男 発行者、『北海道史研究協議会創立五十周年
記念出版- 北海道史辞典』北海道出版企画センター、2016年、283頁。
(21) 岩宇地域とは、積丹半島西岸の岩内郡(岩内町・共和町)と古宇郡(泊村・神恵内村)の地域の総称である。経済産業省北海道経済産業局HP、平成30年2月1日付より引用。
https://www.hkd.meti.go.jp/hokic/20180201/index.htm (2019年6月26日閲覧)
(22-a) 長岡市HP、中川清兵衛、 第4回頁。醸造所の建設、失敗から改良へ
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/ijin/naka-column04.html
(2019年4月26日閲覧)
(22-b) 国土交通省、北海道開発局、札幌開発建設部、19-大友堀「札幌開発建設部」治水100年 https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/kasen_keikaku/kluhh40000000w42.html (2019年5月3日閲覧)
(23)サッポロビール株式会社HP、会社情報、歴史、道産原料でのビール造り。
https://www.sapporobeer.jp/company/history/1876.html (2019年6月23日閲覧)
(24)JR北海道HP、北海道命名150年記念、スペシャルインタビューVol.6、サッポロビール博物館館、長住吉徳文氏とのインタビュー。2つ目コラム(製麦工場から憩の場へ〜ビヤホール・博物館の誕生〜)2018年11月記事より
http://www.jrhokkaido.co.jp/hokkaido150/story05/interview01/ (2019年6月24日閲覧)
(25)陶祖 李参平のHP、https://toso-lesanpei.com (2018年6月28日閲覧)
(26) ニューズウイーク日本版HP、2017年2月28日付、シリーズ日本再発見記事より
https://www.newsweekjapan.jp/nippon/mono/2017/02/187226.php (2019年4月29日閲覧)
(27)サッポロビール株式会社HP、会社情報ニュースリリース2015年12月22日記事、
http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000021248/index.html (2019年6月26日閲覧)
(28) サッポロビール株式会社HP、札幌開拓使麦酒醸造所頁。
https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/(2019年6月29日閲覧)
(29)中川淳 著、『経営とデザインの幸せな関係』日経BP社、2017年、159-162、166頁。
(30)岡本太郎 著 『日本の伝統』 株式会社光文社、2017年、286頁。

参考文献
札幌商工会議所 編、『札幌シティガイド-平成30年度訂補版Sapporo City Guide』札幌商工会議所 発行、2018年
野村萬斎 著 『MANSAI-解体新書』朝日新聞出版、2008年

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