下村 泰史(教授)2021年9月卒業時の講評

年月 2021年10月
卒業研究は、芸術教養学科の学びの到達点です。これまでの学科専門教育で学んだ、ものの見方、方法論等を活かすことが求められます。

人間の創造的営み全般を取り扱うこの学科では、いわゆる作家が作り出す芸術作品以外のものについても幅広く考えます。一方で、一見普通の意味で芸術作品とは考えられないようなものであっても、そこに人間精神の創造的な働きを見出すことができれば、それを取り上げることができます。

私の専門は、地域のランドスケープです。ですから、緑地や町並み、それを支えるコミュニティについてのものを担当することが多くなります。今回私が講評を担当したものには、次のような主題のレポートがありました。

松戸に存在する明治期の特異な庭園/岡山に作られた二つのユニークな英国式庭園/大阪の多岐にわたる親水空間づくり企画/全面リニューアルされた京都の劇場/姫路の保護猫カフェ活動/名古屋の近代初期から存在する公園の歴史性と今日的な利活用展開/広島の歴史博物館のユニークさ/マレーシアジョージタウン市の景観と多民族共存。

それぞれに個性的なレポートであり、楽しく拝読しました。いろいろな地域の景色が取り上げられているので、ちょっとした旅行気分になります。とは言え、そこにはやはりなるほどと説得させられ、心を動かされるものと、どこか遠くから眺めている感じのするものとがあります。その差は一体どこにあるのか。

やはり、感銘を受けるレポートには特徴があります。当たり前のことですが、自分の目でその対象に向かい合っていることです。これは現場に行って写真を撮ってきた、ということとは全く異なります。コロナ禍でなかなか現場に行けなくても、そういう目で見たレポートというのはあるし、現場で写真を撮ってきたけど、何も見えていない、というのもあるのです。

言い換えれば、対象との対話があったかということ、きちんと方法的な吟味が行われたかということです。この過程を経ていないものは、「単なる調べもの」に終わっていることが多いように思います。いや、厳しい言い方になりますが、今回は調べ物にすらなっていないものもありました。対象とあまり関係のない思いが書き連ねられる一方、肝心の対象についての視線が感じられないというようなものです。そうしたレポートに対しては、厳しい講評文を返しました。

よいレポートのもう一つの特徴は、方法的な視線があるので、他事例との比較が適切になされ、考察に活かされているということです。そうでないレポートでは、漫然と他の事例に触れ、一言二言何か言うものの、それが何の考察にも繋がっていない、というものもあります。

このweb卒業研究展では、本人が公開を希望し、取材先からも応諾の得られたものが掲載されています。この中には、優れたものも、それなりのものも、一緒に並んでいます。また、優れていたのに載っていないものもあります。この総評を併せ読み、それぞれのレポートを吟味していただければと思います。

今回「卒業研究」レポートを書いたみなさんは、ここで学友たちの作品に触れることで、改めてさまざまな気づきを得るのではないでしょうか。そして、ご自身が受け取った講評と、学友たちのレポートと総評の間を行ったり来たりして、この卒業研究という科目が何だったのか、ここまで来るまでに何を学んだのかを、改めて思い返していただければと思います。

そうして初めて、卒業研究という科目は完了するのだと思います。