下村 泰史 (准教授)2020年9月卒業時の講評

年月 2020年10月
卒業研究は、芸術教養学科の学びの到達点です。芸術教養講義、芸術教養研究、芸術教養演習といった科目で学んだ、ものの見方、方法論等を活かすことが求められます。
人間の創造的営み全般を取り扱うこの学科では、いわゆる作家が作り出す芸術作品以外のものについても幅広く考えます。一方で、一見普通の意味で芸術作品とは考えられないようなものであっても、そこに人間精神の創造的な働きを読み取っていくことが大切になります。

私の専門は、地域のランドスケープです。ですから、緑地や町並み、それを支えるコミュニティについてのものを担当することが多くなります。今回私が講評を担当したものには、次のような主題のレポートがありました。
・横浜山手の景観保全を扱ったもの
・広島の原爆スラムと基町高層アパートの空間構成の関係を論じたもの
・大阪舞洲の特徴的な外観をもった清掃工場を扱ったもの
・福岡の天神地下街の意匠を扱ったもの
・青森県弘前市の建築群についてのもの
・神戸市北野の異人館等についてのもの
・福岡の大濠公園の歴史と民衆性について検討したもの
・長野の古い映画館相生座とアーケード商店街を扱ったもの
・大阪府枚方市の人形劇活動と地域の社会教育思想の関わりについて検討したもの
・東京の中野サンプラザのコンセプトとこれからについて論じたもの

それぞれ異なる主題を異なる目つきで眺め、異なる手つきで捌いています。それぞれに個性的なレポート達です。とは言え、そこにはやはりなるほどと説得させられ、心を動かされるものと、どこか遠くから眺めている感じのするものとがあります。その差は一体どこにあるのか。
やはり、感銘を受けるレポートには特徴があります。当たり前のことですが、自分の目でその対象に向かい合っていることです。これは現場に行って写真を撮ってきた、ということとは全く異なります。現場に行けていなくても、そういう目で見たレポートというのはあるし、現場で写真を撮ってきたけど、何も見えていない、というのもあるのです。言い換えれば、対象との対話があったかということ、その吟味の中で、方法が選ばれたかということです。この過程を経ていないものは、「単なる調べもの」に終わっていることが多いように思います。
よいレポートのもう一つの特徴は、そういう方法的な視線があるので、他事例との比較が適切になされ、考察に活かされているということです。そうでないレポートでは、漫然と他の事例に触れ、一言二言何か言うものの、それが何の考察にも繋がっていない、というものもあります。
このweb卒業研究展には、すべての提出作品が公開されているわけではありません。とは言っても、優秀作品が並んでいるわけでもありません。本人が公開を希望し、取材先からも応諾の得られたものが掲載されているのです。この中には、優れたものも、そこまででもないものも、一緒に並んでいます。また、優れていたのに載っていないものもあります。

今回「卒業研究」レポートを書いたみなさんは、ここで学友たちの作品に触れることで、この課題の意味を再確認するのではないでしょうか。そしてここに書かれた私たち教員の総評と、学友たちのレポートの間を行ったり来たりして、この卒業研究という科目が何だったのか、ここまで来るまでに何を学んだのかを、改めて反芻していただければと思います。その過程を経て、卒業研究という科目は完結するのではないかと思います。

みなさんのこれからのご活躍を期待しています。