下村 泰史 (准教授)2016年10月卒業時の講評

年月 2016年10月
芸術教養学科の卒業研究は、比較的コンパクトなレポートの形を取っています。科目としての単位数も2単位と、他の科目と異なるところがありません。ですから、他の制作系の学科での卒業制作のように、一世一代の大作、というようなものにはなかなかなりません。

しかし、私たちはこの卒業研究という科目は重要なものだと思っています。それは、本学科の専門課程で学んだことを総合的に援用して書くことが求められるからです。作品規模の大小ではなく、やはりこれまでの集大成的なものだと思うのです。

芸術教養学科では、対象としてはいろいろなものを取り扱います。作家性のある作品はもとより、祭礼なり景観なり、人がかたちをあたえたものであれば、なんだって相手にする学科です。芸術教養学科的なものがあるすれば、それはそうした対象によってではなく、対象への関わり方とか、それへの視線の質によって特徴づけられるものなのかもしれません。さまざまな表現物に対し、率直に向かい合い、語ることができる、という構えなのだと思います。その構えを得ることができたか、というのがこの卒業研究では試されるのだと思います。

既存資料を精査して、ひとつの出来事のかたちを浮かび上がらせるのもいいでしょう。フィールドワークを行ってオリジナルな情報をつかむのもいいでしょう。その両方があれば、なお素晴らしい。いずれにせよ、単なる調べ物ではなく、報告者自身の視線なり手際なりといったものが感じられるものが、説得力を持つのだと思います。

卒業研究レポートで求められる項目のうち、「事例の何について積極的に評価しようとしているのか」、「国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか」は、報告者自身の見識が求められるところです。なんとなく世の中の常識からものを言っていないか、書き手自身が、いろいろ考えてなんらかの評価基準なり特筆性なりを発見しているか、というところがポイントなのだと思います。振り返ってみていかがでしょうか。

調べ物として書かれたレポートは、そのあたりがはっきりしないものが多いように思います。よく調べてあるのに、文献がまったく挙っていないレポートもありましたが、そうしたものは情報量の問題というよりは、筆者の立ち位置がよくわからない不安定感を与えます。逆にフィールドから発想しているレポートは、筆者の目と問題意識の存在がはっきり感じられることが多いように思いました。

何の学問でもそうですが、「なぜ自分はそう見るのか、そう考えるのか」という問いが、レポートを書く過程のなかでなされているかどうかが大切なのです。それが、対象をクリアに浮かび上がらせ、読み手を触発するキーになるのです。

卒業されるみなさんは今後、文化や芸術その他さまざまな表現についてのコミュニケーションの中を生きていくことになるでしょう。自分がどこから何を見ているのかを確かめながら、語り続けていただきたいと思っています。