下村 泰史 (准教授)2019年3月卒業時の講評
卒業研究レポート作成、お疲れ様でした。私は景観や場の運営に関わる事例を中心に拝読しました。昔住んでいた近所の懐かしい事例もあれば、まったく未知だったものもあり、いずれも興味深く読みました。
レポートの作成にあたっては、いくつかの条件が付されています。それは、
1: 基本データ(所在地、構造、規模など)
2: 事例の何について積極的に評価しようとしているのか。
3: 歴史的背景は何か(いつどのように成立したのか)。
4: 国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか。
5: 今後の展望について。
というものです。いくつかのレポートで、「4」に苦労しているように思いました。この比較検討は、事例の評価・考察に直接繋がるものであり、レポートの核を導くものでもあります。
比較事例がまったく挙げられていないものもいくつかありました。こうしたレポートは、事例についての観察あるいは文献調査による記述と、本人の思いだけになってしまい、客観性が薄れがちになってしまいます。よく調べられ冷静に書かれているのに、惜しいな、というレポートもいくつかありました。
また、比較事例が挙げられているものの、それらの紹介に終わってしまい、比較考察が欠落しているものも何点かありました。比較とは、共通点と相違点を何点ずつか抽出し、それらがなぜ生じるのかを考察することです。そしてこの共通点と相違点を見出すにも、創意点等の理由について分析するにしても、自身の「視点の設定」「方法的な意識」が求められます。これらがちゃんと文面に顕れていると、私たち教員としては、納得をもって読むことができるのです。
多岐に亘る対象について、ここで方法論について述べるのは難しいのですが、建築や景観については、ただ見たままの印象を連ねるのでは感想に終わってしまうことがほとんどです。空間のつながりや視覚的な構造をある程度の客観性をもって取り出す工夫が必要になります。このあたりは一定の専門性が求められるところなのかもしれませんが、都市美を語れる教養ある市民が増えるのはとても大切なことです。こうした点については「演習」のディスカッションの中でも適宜触れているので、ぜひ振り返っていただきたいと思います。
今回私が高評価を与えたものには、全くの新市街地での新しいお祭りのあり方について調査したもの、地元の市について丁寧に論じたもの、再開発地区の都市デザインについて緻密に整理したもの、などがありました。それ以外にも印象に残るものはいくつもありました。不完全ながら独自の評価軸を定め、それをもって対象と比較事例の検討を行おうとしたもの、河川の流域管理をとりあげたもの、ニュータウン開発が行われた地域に残る屋号について調べたものなど、独自の視点をもったものは、論じる筋道にやや難があっても読ませる力があるように思いました。
大学に入って最初のレポートで、自分の(無根拠な)思いを書き連ねて注意された方もいたでしょう。それで、今度は本やホームページに書かれていることだけを書いて、自分の考えはどうしたと言われた方もいるでしょう。そうした方は、自分というのをどう取り扱ったものか、悩まれたかもしれません。
この卒業研究はどうでしたか? レポートを読んでいくうちに、対象を見つめる目、それについて考える姿勢等が、客観的で筋道だった議論の向こう側に、その人らしさとして現れてくることが、そこに研究のオリジナリティがあるのだということが、見えてくるのではないでしょうか。
ここで学んだことを、これからも活かして活躍されることを期待しております。
レポートの作成にあたっては、いくつかの条件が付されています。それは、
1: 基本データ(所在地、構造、規模など)
2: 事例の何について積極的に評価しようとしているのか。
3: 歴史的背景は何か(いつどのように成立したのか)。
4: 国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか。
5: 今後の展望について。
というものです。いくつかのレポートで、「4」に苦労しているように思いました。この比較検討は、事例の評価・考察に直接繋がるものであり、レポートの核を導くものでもあります。
比較事例がまったく挙げられていないものもいくつかありました。こうしたレポートは、事例についての観察あるいは文献調査による記述と、本人の思いだけになってしまい、客観性が薄れがちになってしまいます。よく調べられ冷静に書かれているのに、惜しいな、というレポートもいくつかありました。
また、比較事例が挙げられているものの、それらの紹介に終わってしまい、比較考察が欠落しているものも何点かありました。比較とは、共通点と相違点を何点ずつか抽出し、それらがなぜ生じるのかを考察することです。そしてこの共通点と相違点を見出すにも、創意点等の理由について分析するにしても、自身の「視点の設定」「方法的な意識」が求められます。これらがちゃんと文面に顕れていると、私たち教員としては、納得をもって読むことができるのです。
多岐に亘る対象について、ここで方法論について述べるのは難しいのですが、建築や景観については、ただ見たままの印象を連ねるのでは感想に終わってしまうことがほとんどです。空間のつながりや視覚的な構造をある程度の客観性をもって取り出す工夫が必要になります。このあたりは一定の専門性が求められるところなのかもしれませんが、都市美を語れる教養ある市民が増えるのはとても大切なことです。こうした点については「演習」のディスカッションの中でも適宜触れているので、ぜひ振り返っていただきたいと思います。
今回私が高評価を与えたものには、全くの新市街地での新しいお祭りのあり方について調査したもの、地元の市について丁寧に論じたもの、再開発地区の都市デザインについて緻密に整理したもの、などがありました。それ以外にも印象に残るものはいくつもありました。不完全ながら独自の評価軸を定め、それをもって対象と比較事例の検討を行おうとしたもの、河川の流域管理をとりあげたもの、ニュータウン開発が行われた地域に残る屋号について調べたものなど、独自の視点をもったものは、論じる筋道にやや難があっても読ませる力があるように思いました。
大学に入って最初のレポートで、自分の(無根拠な)思いを書き連ねて注意された方もいたでしょう。それで、今度は本やホームページに書かれていることだけを書いて、自分の考えはどうしたと言われた方もいるでしょう。そうした方は、自分というのをどう取り扱ったものか、悩まれたかもしれません。
この卒業研究はどうでしたか? レポートを読んでいくうちに、対象を見つめる目、それについて考える姿勢等が、客観的で筋道だった議論の向こう側に、その人らしさとして現れてくることが、そこに研究のオリジナリティがあるのだということが、見えてくるのではないでしょうか。
ここで学んだことを、これからも活かして活躍されることを期待しております。