熱田の杜と歴史的資源を活かして未来へと繋ぐ

後藤 宣正

地元の人達からは「あつたさん」と呼ばれ、皆さんに慕われる熱田神宮。最近は、コロナ禍の関係で年間の参拝客は減っているが、コロナ禍以前は700万人超えというデーターがある。これは、数値的な視点から見ても今後の名古屋の観光、文化事業という観点から見ると、もう少し分析して、整理しておく必要があるという事で作業に入った。

【熱田神宮界隈のいま】
熱田神宮は、ご存じの三種の神器の一つである草薙の剣を祀る神社として知られている。本殿建物は伊勢神宮と同じ神明造りである。1893年(明治26年)までは尾張造りと呼ばれる独特の建築様式であった。初詣には200万人以上が参拝される神社として歴史的に見ても大変重みがあり私たちは大事にして行かなければいけない歴史的な資源である。そして界隈の状況に視線を落としてみると、地理的には大変交通の便がいい所である。副都心である金山からJR、地下鉄、名鉄、市バスが通っておりますからそれぞれの交通機関で数分乗車すれば最寄りの駅に着く。 また添付Aの地図を参照してもらいますと、神宮の西側に国道19号線、南は国道1号線が東西に走っている。それらの国道は片道5車線でありこの道路脇の歩道を歩いていても大変騒々しい騒音を聞きながら「熱田の杜」へと参拝客は入っていく。実はこの国道1号線の南には旧東海道があります神宮の南門のところで旧東海道は西に向かって左に折れて南に向かい宮宿へ、宮の渡し舟に乗って伊勢国(三重県)の桑名へと旅人は京の都、伊勢へと向かう。現在、宮の渡し跡には常夜灯が復元され、時の鐘(鐘楼)が設置されている。先ほど左に折れた旧東海道を右に折れることにより旅人は熱田神宮の南門へと到達でき、そのまま真っすぐ北へ進みますと本殿へと通じている。

【界隈には多くの資源がある】
先の添付Aの地図を見ていただくと多くの歴史的資源が存在している。熱田神宮西に通っている国道19号線を上(北)へ上りますと左手に熱田神宮公園がある。公園内に、国の史跡の指定として前方後円墳の断夫山古墳、そしてその南には同じ前方後円墳の白鳥古墳がある。熱田神宮としては「白鳥御陵」、前述の断夫山を「陀武夫御墓」と称している。日本武尊妃の宮簀姫(みやずひめ)の墓として毎年5月8日に両古墳において御陵墓祭りを行っている。そして西には堀川という河川が南北に流れている。北にある庄内川から別れて名古屋城の西堀から市の中心部(繁華街)の納屋橋地区を通り熱田台地の西に沿って南下し「宮の渡し跡」の所で名古屋港へと注いでいる。(※1)堀川は1610年名古屋城築城の天下譜請に際して資材運搬を目的として造られたため名古屋港(当時は「宮の渡し」)から名古屋城、北にある猿投橋の落差工(段差)までは潮の干満の影響を受ける干潮区間となっている。現在、流通といえば道路、鉄道、航空であるが江戸時代は川、運河、海が重要な交通手段であった。
熱田がある尾張の西には木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川があり上流は木曽の豊富な自然資源があり名古屋城の築城に堀川は大切な役目を果たし名古屋のまちづくりに貢献をした。

【活かされない歴史的資源】
熱田神宮の南、国道1号線の一本南に並行して旧東海道がある。旧東海道を東から西に向かって右が熱田神宮、左が宮宿、宮の渡し跡へと別れる。現在は南北軸に走る国道19号線で宮の渡しへはこの国道で分断されてしまい、今は歩道橋で渡る。同じように先ほどの右に折れて正面は熱田神宮の南門であるが国道1号線が横たわり西寄りにある交差点の歩道橋(昇降機無し)を渡るという、納得できない光景を見てしまう。
名古屋は戦後の復興事業として(※2)100M道路、都市計画道路については、いち早く道路整備をして後のことも考えずに熱田神宮脇に国道を十字架に走らせたことが戦後70年経った結果である。 モータリーゼーション優先した都市計画としては、大成功と観ることができる。熱田神宮を境として南は中京圏の工業地帯が南へと広がっている。また神宮東には東海道線を境に東は戦後まで軍需産業の工業地帯が南へとつながり中京地区の経済発展に貢献した地域であり戦後の高度経済成長を支えた場所である。ここには現在もパロマ、ブラザー、日本碍子、日本特殊陶業といった一部上場会社の本社、工場が残っているがマンションが立ち並び緑豊かな都市公園もつくられJR熱田駅、名鉄神宮前駅の東は中高層マンションを中心とした住宅街へと変貌した。名鉄神宮前駅北のシャッター街商店の再開発を含め熱田神宮東全体の再開発を見守りたい。

【熱田のまちに期待する】
熱田のまちは先人たちが(※3)1900年以上積み上げてきた歴史、継続されてきた作法、風習は、私たちに適度な重さと責任というものを感受させ、それらの宝は今後も後輩たちに受け継がれていけるように期待する。宗教的な神宮に伝わる習慣、伝統行事は各人が理解することである。しかし伝わるものの習慣、伝統は後世に長く伝わっていくように行政と協力して全国から来訪される参拝者に喜んでもらえるような界隈のまちづくりの一歩にでもなればと思う。また私達の安心安全で幸せな生活を見守っていただければと思う。そして界隈が昔は宿場町であり門前町でもあった街並みの様子が今は、すっかり面影がなくなってしまい、もう少し痕跡をたどることができる旧道の整備を提案したい、国道を無くせとか、ではなく地域にある歴史的な資源を生かす熱田界隈の(※4)歴史記念館を宮宿界隈に造ることで参拝者は宮宿と熱田の杜の歴史と痕跡を体感しながら、旧東海道を確認して熱田の杜へと参拝者を誘導する。高齢者にとって10車線の道路2回歩道橋(近くに横断歩道無し)で渡ることは誰がみても酷な話である。神宮の参拝者の為だけでもなく地域の方の生活の為にも優しい参道型歩道橋(スロープ)の復活のまちづくりに期待したい。

【熱田界隈のまちづくりに関連する団体の動き】
先ず先にあげなければならないのが名鉄(名古屋鉄道㈱)の神宮駅前再開発事業、百貨店が入居してた駅ビルは既に解体され、熱田神宮の東門にあたる、名鉄の西口の駅舎ほぼ出来、現在は木造平屋建ての商業施設「あつたnagAya」を今年9月1日開業目指して1期、Ⅱ期と作られる。今までこの場所は市バスの発着が多い場所であるから露店風の施設で交通との人の流れがうまく処理されるのか行政と開発業者の動きに注目したい。そして手作りのまちづくりをしている団体ですが「熱田神宮駅前地区まちづくり協議会」「熱田宮宿会」「熱田湊まちづくり協議会」等が名古屋市へ登録済みの市民団体である。他にもグループ、個人、NPOの集団がある。個人の方には都市センター主催の市民研究者を募集し研究発表を依頼するという企画があり、数年前には熱田界隈に門前町を作る研究発表があった。 他に熱田宮宿会(食の老舗、NPO、大学、区、市、熱田神宮:協力のまちづくり会)が中心となって熱田神宮の朔日参りで名古屋の食の老舗4社がコラボしたという「あつた宮餅」が限定販売されている、月一回の朔日市を境内の参道で開いている。彼らは他に「あつた紙芝居」、「名古屋あつたカルタ」等の活動を通して熱田の魅力を発信している。一方NPO堀川まちネットは毎月、堀川の清掃、堀川まつりで、まきわら舟の引き回しや山車の復活のため2007年(H19)に大山のイメージ櫓をつくり試し引きをした。各グループは互いに共有する部分もあり各イベントでは、互いに協力して熱田の界隈のまちづくりに貢献している。

【提案】
ここで提案したいのが旧東海道の再生させることで町の活力を元気にさせたい
のと宮の渡しエリアと熱田神宮南門エリアを結びつけることによって人の流れを変える。現在、参拝客にとって界隈に門前町らしき町があるわけでもなく東、南、西の門から入って本殿へ行くという事で参拝は終わってしまう感じである。
伊勢神宮の内宮、外宮、長野の善光寺のような参道筋のまちの賑わいはない。
界隈は国道により「まち」のストーリー性が潰れているからである。人の流れは簡単に変えられるものではないがバスなどで来られる団体客バス専用の駐車場を宮の渡し跡近くに設置し熱田神宮への参拝とリンクして(※4)東海道、二川宿にある歴史記念資料館に倣い歴史への想いを宮宿、七里の渡し界隈の旧東海道を散策しながらみやげ物屋に寄り蓬莱軒のひつまぶしを食べ、本殿へ参拝するのはどうでしょう。 資源を生かした、ストーリー性のあるまちづくりを期待する。

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  • 81191_011_32086156_1_3_E29786E786B1E794B0E7A59EE5AEAEE381AEE794BBE5838F_page-0001 熱田神宮の画像 自己撮影
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参考文献

参考文献 :

(増補版)尾張名所図会 絵解き散歩 著者 前田栄作 水野鉱造 2013年 風媒社 
     日本の古代遺跡 愛知 著者 岩野見司 赤塚次郎 1994年 保育社 
古地図で楽しむなごや今昔 著者 溝口常俊 2014年 風媒社

名古屋市HP  https:www.city.nagoya.jp>kurasi>category
今昔マップ  https://ktgis.net/kjmapw/
堀川まつりの歴史より https://horikawamachi.net/festival.html
躍動し愛されるナゴヤ研究会 報告書  2018年7月名古屋商工会議所



脚注
※1   地域環境論レポート設問3 2023.1.30提出 参照。
※2   芸術教養講義3レポート 2021.2.28提出 参照。
※3   熱田神宮の創祀、つまり草薙神剣の創祀は2013年に「創祀千九百年大祭」を執行
しているということで判断した。熱田神功の創建については時代が下がるといわれ
る。 創祀、創建とも説がいろいろある。
※4  同じ愛知県豊橋近くに東海道33番目の宿場町、二川宿の本陣に新しく設けられた
記資料館(一般の方に開放され、展示、講演、ワークショップ等に利用されている。)
※5  熱田界隈の画像㋩のコメントで指摘している南門あたりと近くに通っている国道一号線は
      3mの落差があり宮宿の七里の渡しに向かってアーチ状有効4.8m以上、幅広い歩道橋
を国道247号も含めて設置したら歴史探索を含めて熱田の杜に来られたら熱田の歴史
を体感することが出来る。 
     さらに、宮宿には※3で紹介しました「歴史記念資料館」を設置して宮宿と熱田
     すなわち宿場町と門線町についておもい描くことができ
  ※6  「宮 熱田浜の鳥居」広重の浮世絵に一部描かれている城郭のような建物は東浜御殿
である。初代藩主徳川義直が造営した。西浜御殿は1654年二代藩主光友が造営した。
東西36間、南北33間という豪壮な物であった。

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