佐賀錦 お姫様が伝えたキラメキを未来へつなぎたい
はじめに
佐賀錦とは、江戸時代の鹿島鍋島藩より伝わる織物で佐賀県を代表する美術工芸品だ。着物の帯やバッグ、草履などの和装小物が有名であるが、現代では使用頻度も限られ県内でも商品を見かける機会は少なく馴染みが薄い。佐賀錦を未来につなぐためには何が必要かを考察する。
1.基本データと歴史的背景
1-1.佐賀錦とは
佐賀錦とは、金、銀、漆を貼った特製の和紙を細かく裁断したものを経糸に、絹の撚り糸を染色したものを緯糸に用いて折り上げる錦である。紙が縦糸の役割を果たしている例は佐賀錦を除いて内外を通じてどこにも見当たらない希少なものだ。
紋様は伝統的な網代、紗綾型、菱等がある。制作には現在でも手織り機が用いられており、大変根気のいる手作業で一日かけても1~2センチほどしか織ることができない。大きな作品を織ることは難しく量産性には乏しいが、織り機は持ち運びができるサイズで大きな音を立てないため時間や場所を選ばず制作が可能だ。
紙が用いられてるのは約300年前に京都公家の婦女子たちの間で和紙と和紙を組み合わせる紙遊びが流行し、これがさらに改良を加えられ変化していったと推測される。
1-2.佐賀錦のはじまり
江戸時代末期に鹿島藩鍋島家で制作された鹿島説と、それより以前に小城藩で作られていた錦を鹿島藩に伝えたという小城説の2つがある。
鹿島説は、江戸時代末期に肥前鹿島藩鍋島家の9代目藩主夫人柏岡の方が、病に伏せていた時に部屋の風雅な天井の網代組の美に感激したことが始まりだ。日常でもこの美しさを用いたいと思い、側近に相談し創意工夫の上に完成した。小城説は、柏岡の方が1798年に肥前小城藩から嫁がれたことからの推測ではないかとされる。
明治初期に生産は一時中断したが、佐賀県出身の大隈重信がこれを大変に惜しみ旧華族の間で再興されると評判になる。1910年にロンドンで日英大博覧会が開催された際、大隈重信の計らいで呼び方を佐賀錦と統一し名付け出品したところ、日本手芸の極致と称賛を受けその名を海外にまで広めることとなった。
鍋島藩時代は武家の婦女子たちの間で伝えられ、明治時代には佐賀に関連する旧華族社会の中で愛された豪華絢爛な織物は生活必需品としての織物とは異なりお遊び的要素を持っていたため、工業化されることなく手織りで今日まで伝えられてきたのだ。
1-3.現在の活動
平成5年に佐賀県伝統的地場産品の指定を受け、伝統的技法の継承と伝統的産業としての確立を目的として佐賀錦振興協議会が発足され初心者講習会や後継者育成を行なっている。作品は佐賀錦振興協議会の事務局のある佐賀市歴史民俗館の旧福田家、佐賀駅前の商業施設内の店舗「SAGAMADO」(一般社団法人佐賀市観光協会)や、九州佐賀国際空港内にある「sagair」(さが県産品流通デザイン公社)の3店舗で販売が行われている。
佐賀県鹿島市では鹿島錦保存会が設立され、祐徳博物館には柏岡の方が制作した作品が保存されている。作品は祐徳博物館、肥前鹿島駅売店、嬉野市にある旅館「大正屋」の3か所で販売している。
近年ではふるさと納税品や個々の作家によるEC販売なども行われている。
2.事例の評価点
手織りで制作されるため、産業としての発展には至っていない。呉服屋でも商品は販売されているが、佐賀以外の地域で機械織りされたものも多いそうだ。地元佐賀では、本物の佐賀錦は手織りであらねばならないという強い想いがある。
佐賀錦振興協議会が旧福田家で行っている手織り体験会に参加をした。手織り体験会では、縦糸は本来3cm幅を45本に割いて用いるとのことだが初心者向けには35本に割かれており、緯糸も本来は細糸を使うが中糸を使い作業しやすいようにしていた。基本の動作は竹べらを用いて、右から図案に合わせて上下にすくう。これは織り機でいう綜絖の役目をしている。単調で簡単に思えるが、慣れるまでは1本ずつを選別する過程で、紙がひっくり返ってしまったり、重なってしまったりと難しく細かすぎて竹べらを通すだけでも10分以上かかってしまった。竹べらを通し終えたら今までの織った部分を下にさげ並行にした後、奥に動かし縦に返し、緯糸を通す隙間を作る。あらかじめ糸を巻きつけた「あばり」を左から通し、ゆるめに下部に糸を調整したら、立てておいた竹べらを再び横向きにして下部に動かし糸を押し付ける。この時に力が均等にかかるように真っ直ぐに強く押しつけることが重要で、分散すると綺麗な紋様にならずズレが発生する。これでようやく一段が織れたこととなる。
細かな作業でスムーズには進まないが黙々と集中でき充実感を味わえる。ゆっくりとしたスピードとこの細やかさが、佐賀錦特有の金や銀の眩いキラメキを作りあげているのだ。
3.特筆されること
3-1.縦糸に紙を使用する
紙が縦糸の役割を果たしている例は佐賀錦を除いて内外を通じてどこにも見当たらない。和紙や紙糸を使用する織物も多くあるが、佐賀錦は、金や近年ではプラチナなど輝きの強い紙自体を割いて使用する。産業化されなかったからこそ、美しさの追求と自由な発想で生まれた織り方ではないだろうか。
3-2.幾何学柄
天井の網代組の美に感激したことが佐賀錦の始まりであることから、現在も幾何学柄の模様が受け継がれている。伝統的な網代模様を中心に、紗綾型、菱型など多種多様なものがある。伝統を受け継ぎながらも、大胆な色使いや現代的な組み合わせがなされている。
4.展望
4-1.情報発信とブランド力強化
作品購入できる場所が少なく、手織り体験についても積極的に調べないと分かりづらい。佐賀錦振興協議会と鹿島錦歴史保存会が一体となって、WEB上での情報の一元化や保存会の承認マークの普及など安心して購入出来る環境づくりが必要だ。
佐賀錦の魅力は絢爛豪華なキラメキにある。和装のハンドバッグは眩い光を放ち、パーティー会場などでは大変注目を浴びるそうだ。例えば有名ブランドとのコラボレーション商品を発表するなど、かつて日英大博覧会で注目を集めたように、世界に向けた商品戦略で価値や価格を落とすことなく、ブランド展開が期待できる要素は持ち合わせているといえるだろう。
4-2.手織りを活かした普及活動
手織りにこだわっている点は最大のメリットだ。近年、個人のハンドメイド作品をEC販売する人が増えている。佐賀錦は机一つあれば自宅で美術工芸品を製作できるという良さを活かし、ゆっくりと手間ひまかけて作る喜びと、希少な作品を手に入れる機会になると提案できるだろう。
また、佐賀を訪れた観光客に有田焼の焼き物体験と合わせて佐賀錦手織り体験をしてもらい、感動体験によるファンづくりや認知拡大に繋げられるのではないだろうか。
4-3.会社化
講習会に参加しても若い人はなかなか続かず高齢化しており、仕事を持ちながらの活動など佐賀錦の職人という仕事がないのが現状である。佐賀錦の材料は高額かつ1日にわずかしか織りあげられず作品が売れるまでの収支はマイナスとなり、あらかじめ金銭的な余裕がないと続けてはいけない。
長く伝えていくには仕事として成り立つ仕組みが必要だ。佐賀錦振興協議会で伺った限り、会社化している団体は無いようであった。産業としての佐賀錦の織り手を育てることが急務だ。
5.まとめ
旧福田家で販売されている商品は、アクセサリーや小物入れなど実用品も多く手軽な価格帯もある。現代に合わせた提案も積極的に行われているが、美術工芸品という敷居の高さやデザインから受ける印象からは年齢層の高さは否めない。
自由な発想や若返りを図れれば手織りであることや高級素材であることはプラスであり、モノが溢れるこの時代に逆行した非効率的なモノづくりは、オンリーワンの存在だ。かつて柏岡の方が自分を癒すための佐賀錦であったように、このキラメキは現代を生きるわたしたちの癒しにもなり、同じものはふたつとない独創的で魅力溢れる存在になるだろう。
参考文献
井出久美子 井出美弥子著、『佐賀錦の形-伝統に美を織り込んで-』、K&M IDE、2003年、
松野汀留子著、『佐賀錦 松野汀留子作品集』、株式会社芸艸堂、2002年、
佐賀錦振興協議会著、『佐賀錦解説書』、佐賀錦振興協議会、2007年、
佐賀バルーナーズHP、[お知らせ] 2023-24シーズン 新ユニフォームデザイン公開
https://ballooners.jp/news/detail/id=46670?nf=0(2024年1月29日閲覧)、
村岡屋HP、佐賀錦紹介ページ
https://www.muraokaya.co.jp/saganishiki/index.html(2024年1月29日閲覧)
取材協力
佐賀錦振興協議会 旧福田家にて佐賀錦講師、作家の皆さん(2023年8月2日)
佐賀錦振興協議会 旧福田家にて佐賀錦講師 岩田先生、作家の黒田さん(2024年1月14日)
祐徳博物館 受付ご担当者様