江戸城内郭 ―人びとを触発し、みちびく日本最大の城郭―
はじめに
江戸時代の城とは、藩の領主が居住し、政をおこなう場所であった。領民は、容易に入ることが許されず、天守や櫓をながめ畏敬の念を抱いて暮らしていた。将軍の居住する江戸城は、権勢をふるう特別な場所であり、内郭はこの中心部分にあたる。当時の遺構が残る希少な城郭である江戸城内郭は、現代の人びとになにをもたらしているのだろうか。
1.基本データと歴史的背景
江戸城内郭は、東京都千代田区千代田・同皇居外苑・同北の丸公園にある国の特別史跡であり、主に国が所有している。約2.3k㎡の広さを有する(1)【図1】。皇居を除き、一般に公開、または開放されている。
康正3年(1457)、江戸湾から続く日比谷入江という浅瀬をのぞむ西側の丘の上に、太田道灌によって城が築かれた。天正18年(1590)、小田原攻めの後、関東を治めるため徳川家康が入城し、この古城の修築をはじめた。慶長8年(1603)、江戸幕府が開かれると天下普請により本格的な拡張がすすめられ、重厚な石垣、大きな水堀に囲まれた類のない日本最大の城郭が築かれた(2)。広大な敷地であった本丸には、大奥を含めた壮大な御殿が建っていた。天守は三度築かれたが、明暦3年(1657)、明暦の大火での焼失後、再築されることはなかった(3)。御殿は度重なる大火や失火による焼失・再建をくりかえし、幕末には西の丸御殿を残すのみとなっていた【図2】。
明治元年(1868)、西の丸御殿入りの行幸により、江戸城西の丸が皇居(宮城)となった(4)。明治21年(1888)、焼失した西の丸御殿跡に明治宮殿が建てられた。皇居正門石橋や皇居正門鉄橋の架け替えもおこなわれ、今に見られる「二重橋」の構図が生まれた【図3】。関東大震災などでは西の丸下(現:皇居外苑)に避難する人びとを受け入れ、空襲による明治宮殿の焼失も経験した。力強く復興を繰り返し、ビルが林立する大手町・丸の内・有楽町地区(以下「大丸有」)とは対照的に、江戸城内郭は自然をたずさえ悠然と構えている。
2.評価する点
2-1. 顕在化する堀の水辺
江戸城内郭は、広大な水堀を有している。内郭の西側には、水を湛えている千鳥ヶ淵、湧水や小川が多く存在した武蔵野台地の地形を巧みに生かした堀がつくられ、自然な曲線がみられる。東側には、海を埋め立てた人工的な直線状の堀が連なり、近代的な形相となっている【図4】。水位の一番高い千鳥ヶ淵から低い日比谷濠へ、棚田のように水の流れるデザインが、西から南に、北から東につくり出された。昭和に入り、玉川上水の廃止や上下水道の整備により水の流入が止まり、水質が悪化した。近年、浄化設備の導入や民間施設の参加により、元の水面が戻りつつある(5)。
堀は戦の拠点である城を守るものであり、従来、緊張した雰囲気をもたらす。しかし、河川の暗渠化により、貴重な数少ない水辺の景観として見直された。内郭は、人びとに癒やしとくつろぎを与える空間へと変遷したのである。
2-2. 調和する高石垣
石垣も城郭の構成要素のひとつである。内郭の北側にある高さ約15mの本丸高石垣は、横矢を放つための折りを幾重にも取り入れ、その堅牢さを見せつけている(6)。諸藩が造り上げた優れた「算木積み」は、江戸城の格式や品格を昇華させた(7)【図5、①②】。これらは幕府への恭順の表明ともなり、世の中が安寧に向かうことを示唆した。
水堀の延長線上に、アイストップとなる大手町の高層ビルが見える【図5、③④】。右の高石垣、左の樹木のファサードと相まって、時間の逆説的なヴィスタ景観が成り立っている。江戸時代初期の最高のデザインと現代建築の最先端のデザインが、時間の交錯、空間の調和を生んでいる。
2-3. 平和を感じるシーケンス景観
西の丸は「御隠居城」ともよばれ、家康が将軍職を譲った後、住む場所として普請された。内郭の南西側にある半蔵門から外桜田門に至る桜田濠は、緑の鮮やかな法面と鉢巻石垣や腰巻石垣、最大幅150mにおよぶ水堀で構成され、自然の地形が十分に生かされている(8)。空間は、視点を移動させると多様な優しい表情をみせ、自然に倣う見事なシーケンス景観を保っている【図6】。強固な高石垣などを必要としない、天下泰平の世の中のおとずれを告げていたのである。
3.特筆点:天守とランドマークの関係―姫路城との比較から
天守とは、政治や居住をする場所ではなく、城主の権威を内外に表象する建造物である。天守が現存する姫路城と、すでに失って久しい江戸城内郭をランドマークの観点から比較する。
江戸城と同じ時期に建てられた城のひとつが、姫路城である。兵庫県姫路市にある現存の天守・小天守と一部の櫓群は、国宝に指定され、平成5年(1993)、世界文化遺産に登録された(9)【図2】。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いで家康についた池田輝政は、この地に羽柴秀吉の三重天守をしのぐ五重の大天守を建てはじめた。大坂の豊臣や西国の大名をけん制する狙いがあった。天守の誇示と保全は、藩の役目として続けられた。登城する人びとを魅了する絢爛な天守は、周辺に高層建築物のない印象の強い「洗練」されたランドマークとなっている。この景観を守る気概を引き継いだ市民は、令和4年(2022)、姫路駅前から直線に伸びる大手門通りに、天守をアイストップとするヴィスタ景観を創り出した(10)【図7】。能動的なまちのアイデンティティを生んでいる。
江戸城は、城郭の性質を戦から政へと一変させた。枡形虎口に統一された城門は、その典型的なデザインである(11)。明暦の大火以降、穏やかな社会を反映し、天守は無用となった。その後、焼失や破却により、内郭に建物のない空間があらわれた。自然を感じる穏やかな佇まいは、石垣や堀の素材である石や土などの自然物と樹木が、長い時間をかけて融合し、育まれたものである。現代の本丸跡では、喧騒から離れた静けさ、見上げる大空、天守を待ちわびた天守台が、ゆっくりとした時を刻んでいる【図8】。追想し、今を思い、心地よさを感じながら未来を想像する空間となっている。
天守というシンボルを失った遺構に囲まれる内郭は、自然の力を借り、受動的に「包容力」のある広範なランドマークへと変容を遂げた。これが、他の城郭には見られない特筆すべき点といえる。
4.今後の展望
4-1. 萌芽する内郭
400年以上の長きにわたり、為政者などが居住している内郭は「生きている城郭」である。日本の文化や社会を知るうえで、大切な空間が存在する。令和5年(2023)、諸外国の人たちが、登城する人数の約5割を占めるようになった(12)。城という概念や先入観にとらわれることなく、「包容力」のある空間を自由に描きだし、発信している。多様な感性が共有され、新しい価値や意味が見い出されつつある。国際的な交流や相互理解を、ワークショップや市(マルシェ)などの人の集まりを通してかなえるとき、内郭は公共の芸術により萌芽するのである(13)。
4-2. Awe体験と内郭
大丸有では、江戸城内郭に広がる多くの緑に包まれた風景に癒やされ、安らいだ人びとが、協働や共創により社会や生活を豊かにしてきた。岩崎一郎は「大自然や大宇宙の悠久さや広大さを前に、自分の存在の小ささを感じる体験を、脳科学ではAwe(オウ)体験といいます」と説く(14)。岩崎のいう大自然が都心のパノラマ景観であるならば、内郭は、人びとにAwe体験をもたらしていることになる(15)【図9】。
歴史・文化遺産、ビオトープとして内郭は、これからも大切に保たれていく。いっぽう、大丸有ではビルの高層化がすすめられ、視点場と主対象の関係が変わりはじめた(16)。高くなる視点場からのAwe体験は、多様な発露、協調性や寛容性の向上をみちびき、持続可能な発想へとつながっていく。同時に、視界に人工的な建造物が増えることによる、この効果の減退も懸念される。
5.まとめ
江戸城内郭は硬と軟、厳と優のさまざまな顔を持っている。それは、脅威から平和への時の流れ、画期的な造成、焼失・再建や行幸などの空間利用の遷移、ことにランドマークを城郭とする日本特有のまちづくりのあらわれである。「包容力」のある「生きている城郭」は、新たな東京らしさを生み、育んでいく。唯一無二の空間である江戸城内郭は、発見や衝動を与え、人びとの生活や人生が愉快になるために存在するのである。
- 【表紙】江戸城天守台(写真:筆者撮影、2023年10月24日。)
- 【図1】江戸城外郭・内郭(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)を基に筆者修正・加筆、2023年12月10日。)
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【図2】江戸城・姫路城 年表(出典:加藤理文監修『知る・見る・歩く! 江戸城』歴史群像シリーズ、ワン・パブリッシング、2021年。萩原さちこ『江戸城の全貌――世界的巨大城郭の秘密』さくら舎、2017年。
「姫路城 年表」、兵庫県立歴史博物館。
https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/castle/himeji-chronology/ (2024年1月21日最終閲覧)
「宮内庁関係年表(慶応3年以後)」、宮内庁。
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/kunaicho-nenpyo.html (2024年1月21日最終閲覧)
を基に著者作成、2023年12月27日。) -
【図3】「二重橋」の構図(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)を基に筆者修正・加筆、 2023年12月10日。写真:筆者撮影、2023年8月11日。)
【図4】水堀の内郭(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)を基に筆者修正・加筆、 2023年12月20日。写真:筆者撮影、2023年8月11日。)
【図5】逆説的なヴィスタ景観、算木積み(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)を基に筆者修正・加筆、 2023年12月20日。写真:筆者撮影、①2023年4月8日、③同年10月14日。図:筆者作成、②④2024年1月3日。)
【図6】桜田濠のシーケンス景観(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院( https://maps.gsi.go.jp/) を基に筆者修正・加筆、 2023年12月22日。写真:筆者撮影、2023年8月11日。)
【図7】姫路城(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院( https://maps.gsi.go.jp/) を基に筆者修正・加筆、 2023年12月22日。写真:筆者撮影、2023年10月28日。)
【図8】江戸城本丸跡(出典:地理院地図(電子国土web)、国土地理院( https://maps.gsi.go.jp/) を基に筆者修正・加筆、 2023年12月22日。写真:筆者撮影、①②2023年10月14日、③同年4月8日。)
【図9】内郭でのAwe体験(出典:田村幸久「土構造物の景観設計 2.景観の予備知識」、『土と基礎 (地盤工学会誌)』49巻8号、2001年、p.47-48。
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10441962&contentNo=1 (2024年1月21日最終閲覧)、地理院地図(電子国土web)、国土地理院( https://maps.gsi.go.jp/) を基に筆者修正・算出、 2024年1月4日。写真:筆者撮影・合成、2023年4月13日。)
田村幸久は「対象が水面のように平面的な場合には、俯角10°付近が見やすい領域であり、8°~10°に最も視線が集中することが明らかにされている」という。俯瞰一般上限は-2°~-3°とされること、視点場から主対象までなだらかに登っていることから俯角3°を採用し、遠景の距離を算出した。地形に起伏があるため、実際の距離は短くなる。
参考文献
註
(1)地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)の面積計測ツールを使用し、筆者が算出したもの、2023年5月21日。東京ドーム(0.0468k㎡)の約49個分に相当する。(出典:「東京ドームとは」、東京ドーム。
https://www.tokyo-dome.co.jp/dome/about/ (2024年1月21日最終閲覧))
(2)天下普請とは、幕府が石垣や堀などの土木工事、または、切り出した石材の運搬や石材運搬船の造船などを、諸藩に分担させて行わせることをいう。各藩は自費で事に当たるため、有力大名の経済力・戦力を衰退させる狙いがあったとされる。
(3)江戸城天守は、慶長12年(1607)、家康により豊臣大坂城天守を凌駕する初代天守(通称:慶長天守)が建てられる。日本橋からながめるとアイストップとなっていた。元和6年(1623)、秀忠が2代目天守(通称:元和天守)を現在ある天守台の位置に建て直す。寛永15年(1638)、家光が元和天守を破却し3代目天守(通称:寛永天守)を建て直す。寛永天守は姫路城天守をしのぐ日本最大のものであったとされる。(出典:萩原さちこ『江戸城の全貌――世界的巨大城郭の秘密』さくら舎、2017年、p.81。)
(4)行幸とは、天皇が外出されることをいう。(出典:「お出ましに関する用語」宮内庁。
https://www.kunaicho.go.jp/word/word-odemashi.html (2024年1月21日最終閲覧))
(5)「皇居のお濠」、環境省皇居外苑管理事務所。
https://www.env.go.jp/garden/kokyonoohori.pdf (2024年1月21日最終閲覧)
「皇居外苑濠の水質改善に向けた取り組み」、三菱地所設計、2015年。
https://www.mjd.co.jp/smartcity/pdf/020.pdf (2024年1月21日最終閲覧)
(6)高石垣とは、高さ約10m以上の石垣をよぶ。高さは、地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)の断面図ツールを使用し筆者が算出したもの、2023年12月21日。直線状ではなく屏風のように折り曲げて石垣を積み上げると、登ろうとする敵の側面を矢や鉄砲で攻撃することができ、防御面で優位となる。
(7)算木積みとは、高石垣を積むために発展した石垣の隅石を頑丈にする築城技術である。ほぼ直方体の大きな石材を互い違いに積み上げ、力を分散させる。
(8)腰巻石垣とは、水堀から立ち上がる法面が崩れないように補強した石垣をいう。鉢巻石垣とは、法面上部を補強した石垣をいう。両者ともそれほど高くはない。桜田濠の普請を担当した伊達家などの東北の大名が得意とした工法である。法面全体を石垣にすると石材が大量に必要なことや、石垣の高度な技術を持ち合わせていなかったことにより、高石垣を積み上げることは困難であったと考えられている。堀の最大幅は、地理院地図(電子国土web)、国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/)の断面図ツールを使用し筆者が算出したもの、2023年12月21日。
(9)「世界文化遺産・国宝姫路城」、世界遺産姫路城、姫路市、2015年。
https://www.city.himeji.lg.jp/castle/0000007744.html (2024年1月21日最終閲覧)
「国宝・特別史跡の一覧」、姫路市、2014年。
https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/0000001645.html (2024年1月21日最終閲覧)
(10)「姫路大手前通り ほこみち R4.8 Start!」、大手前通り街づくり協議会。
https://www.himehoko.com/ (2024年1月21日最終閲覧)
(11)枡形虎口とは、徳川の城郭に多く用いられた城門構造であり、藤堂高虎の縄張り(設計)によるものとされる。高麗門と櫓門で構成される二重の門で、桝のような正方形状のスペースを設け、高麗門を通過すると進路がおおむね直角に折れ曲がる。高麗門を突破した敵を櫓門上部や側面の土塀から撃退可能な堅固なつくりとなっている。これにより、城郭の内部に大きな敷地を確保することが可能となり、政庁・住居の機能が拡充・向上した。
(12)「皇居東御苑 入園者数」、宮内庁。
https://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/pdf/nyuensya.pdf (2024年1月21日最終閲覧)
(13)現状、内郭での催事等の開催は、法令等の規制により困難である。
(出典:⑤ 新しい利用(日本の姿を世界に伝えるための利用)、(2)皇居外苑の利用の現状と課題、2.皇居外苑の現状と利用における課題、「皇居外苑の利用の在り方に関する懇談会 報告書」、環境省、2021年、p.14。
https://www.env.go.jp/garden/content/900463124.pdf (2024年1月21日最終閲覧))
(14)岩崎一郎『科学的に幸せになれる脳磨き』サンマーク出版、2020年、p.302。
(15)Awe体験は、絶景を観たときにおこる抑えきれない感動や衝動であり、被験者の人生に大きな影響を及ぼすものである。脳が活性化し、利他的になり、幸福度が増し、物質より体験から得られる満足度が高くなる。平日の昼休みに、パレスサイドビル屋上から江戸城内郭をながめた人たちがさまざまな感情を得て、戻っていく様子を観察した。
(出典:パレスサイドビル。
https://mai-b.jp/facilitys/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%AB (2024年1月21日最終閲覧))
(16)2.皇居周辺東側エリアにおけるボイド空間形成の考え方、Ⅱ 広域から見た本地区のアーバンデザインのあり方、「デザインマニュアル 2009」、『大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドライン』大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会、2009年、p.Ⅱ-4。
https://www.omy-committee.jp/contents/wp-content/uploads/2022/08/design_man_2009.pdf (2024年1月21日最終閲覧)
参考文献
・岩崎一郎『科学的に幸せになれる脳磨き』サンマーク出版、2020年。
・大月勝義『ランドスケープデザインの挑戦』文化書房博文社、2002年。
・勝城啓之「江戸城 ―特徴のあるものから生まれるモノ・コト―」、芸術教養演習2、京都芸術大学、2023年。
・加藤理文監修『知る・見る・歩く! 江戸城』歴史群像シリーズ、ワン・パブリッシング、2021年。
・カトリーン・サンドバリ、 サラ・ハンマルクランツ『Awe Effect』喜多代恵理子 訳、サンマーク出版、2023年。
・香原斗志『教養としての日本の城 どのように進化し、消えていったか』平凡社新書、平凡社、2023年。
・齋藤慎一『江戸――平安時代から家康の建設へ』 中公新書、中央公論新社、2021年。
・篠原修『篠原修が語る 日本の都市 その伝統と近代』彰国社、2006年。
・陣内秀信『水都 東京――地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』ちくま新書、筑摩書房、2020年。
・竹内正浩『最後の秘境 皇居の歩き方』小学館、2019年。
・田中元子『1階革命 私設公民館「喫茶ランドリー」とまちづくり』晶文社、2022年。
・谷口榮『都市計画家(アーバンプランナー)徳川家康』MdN新書、エムディエヌコーポレーション、2021年。
・團紀彦『共生の都市学』SD選書、鹿島出版会、2022年。
・寺林峻編『世界遺産 姫路城遊歩ガイド』神戸新聞総合出版センター、2005年。
・中元孝迪『姫路城 永遠の天守閣』神戸新聞総合出版センター、2001年。
・萩原さちこ『江戸城の全貌――世界的巨大城郭の秘密』さくら舎、2017年。
・松山恵『都市空間の明治維新――江戸から東京への大転換』ちくま新書、筑摩書房、2019年。
・岩崎一郎「大自然に触れた人の脳が驚くほど活性化する訳 ちっぽけな自分を感じ利他的に動きたくなる」、東京経済ONLINE、2020年。
https://toyokeizai.net/articles/-/384287 (2024年1月21日最終閲覧)
・田村幸久「土構造物の景観設計 2.景観の予備知識」、『土と基礎 (地盤工学会誌)』49巻8号、2001年、p.43-48。
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10441962&contentNo=1 (2024年1月21日最終閲覧)
・「江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図(えどじょうごほんまるおんおもておんなかおくおんおおおくそうえず)」、東京都立図書館。
https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/upimage/big/043.jpg (2024年1月21日最終閲覧)
・「皇居外苑の利用の在り方に関する懇談会 報告書」、環境省、2021年。
https://www.env.go.jp/garden/content/900463124.pdf (2024年1月21日最終閲覧)
・「二重構造の木橋がはじまり「二重橋」」、皇居外苑、一般財団法人国民公園協会、2017年。
https://fng.or.jp/koukyo/2017/01/15/post_229/ (2024年1月21日最終閲覧)
・「8. 明治天皇、東京へ再び行幸」、Ⅰ 東京と西京、変貌―江戸から帝都そして首都へ―、国立公文書館。
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/henbou/contents/08.html (2024年1月21日最終閲覧)