金沢市が守る武家屋敷の薦(こも)かけ―存続と展望
1,始めに
金沢市長町の武家屋敷群の薦かけ。雪の季節を前に、土塀に薦をかけるのである。このテーマを卒業研究に選んだ理由は二つある。
一つ目は1963年の町名変更の10年余り前までは長町8番町と呼ばれる所に生まれ育ったという自分の郷愁が大きい。
二つ目は景観のひとつとして、土塀を含む屋敷の美観を保とうとした市の政策の経緯をさぐるというもの。加えて武家屋敷群の土塀の存続と展望について考察したい。
2,薦作り
薦とはマコモや藁で作った筵(むしろ)のことだ。薦は金沢市郊外の額谷町に住む70 歳代の男性S氏が一人で作っている。子どもの頃に両親が作るのを見様見真似で覚えたという。藁は能登から仕入れ下請けの専門業者を経ている。1枚編むのに1週間。1年中、時間を見つけて編んでいるそうだ。もともと作っていた人が高齢になり「作れなくなってきた」と知り合いの業者から頼まれて作るようになり10年余りたつ。彼は「武家屋敷の景観を守る為熱意をもって作っている」と誇らしい口調で語る。今年の薦かけ当日には長町近辺の子ども達に薦づくりを実演する会を持ったが、後継者がいないのが悩みだ。
3,長町武家屋敷群地区の景観(写真①・②)
繁華街の香林坊を後ろに一歩路地に入ると石畳の道が続く。この石畳は1986年に薦かけを始めるのと同時期に整備された。この地区は金沢城の南西に位置する。この辺りを含む一帯は慶長17年(1612年)頃には八家あった重臣の内、33000石の長氏や16500石の村井氏が治めていた。
島村昇によると延宝年間(1673~1681年)の城下には武家地が60%,町地20%、寺地10%、その他10%となっている。(『城下町金沢論集第2分冊』 2015年)
道筋は敵を迷わせるために入り組んでいる。1.2分歩くと中級武士が住んでいた武家屋敷群が連なる。藩政時代の名残のままの時代劇の舞台のような町並みだ。土塀沿いに金沢で最も古い大野庄用水が清らかな水をたたえて流れている。この流れは庭園内の曲水にも利用されている。(写真③)町中でありながら夏には蛍が見かけられる。正に清流である。このように川をきれいに保つためにも金沢市民は道路などにゴミ捨てをしない。
武家屋敷の特徴として、三角の妻壁が家の梁間いっぱいに広がるアズマダチの意匠があげられる。(写真④)庭は前庭と後庭がある。屋敷の正面には見越しの松が植わっている家が多く、庭園には植栽も多く緑豊かな町並みを提供している。これらの屋敷には今も人が住んでいるので内部を見ることはできない。
旧市街地には長屋門の形態を残す遺構が6棟あるがこの地区には新家家(あらいえけ)や550石の藩士高田家跡(註1)など3門が現存している。
近くに前田土佐守家資料館(註2)や足軽資料館(註3)(写真⑤)・老舗記念館(註4)などがある。足軽資料館は1990年に移築の清水家と1994年に移築の高西家が向かい合って建っている。平屋だが一軒家で庭もついている。両家とも移築まで住居として使われており、清水家には子孫が住んでいた。老舗記念館は天正7年(1579 年)創業の薬舗「中屋」を金沢市が譲り受け1989年に移築した。これらの建物の内部は見ることができ、往時の人々の生活がしのばれる。
4,薦かけの歴史的背景 (『金沢市の景観地区~長町地区』2014年)
毎年12月初めに2日間かけて行われる薦かけでは、多くの観光客を呼び込んでいる。薦は3月中旬までかけられている。 1986年から市が薦かけをするようになり、長町1丁目から2丁目の武家屋敷群を中心に兼六元町の越村邸や彦三(ひこそ)町の野坂邸、芳斉町の超雲寺などの薦かけも管理している。これらの武家屋敷も含めて980メートル60軒の屋敷が対象だ。
薦かけは金沢職人大学校の造園科と石川県造園組合に委託している。薦は土塀の高さに合わせて整然とかけられる。(写真⑥)薦をかける理由は降雪の多い土地柄なので土塀の凍結を防ぎ保護をするということだ。もっとも、市は冬季以外も土塀の保全に関わっている。土塀は土を押し固めて作る版築(はんちく)土塀(註5)と疑似土塀がありこの界隈では1対2で疑似土塀の方が多い。
武家屋敷群の存続に関しては以下の通りだ。武家屋敷群は1968年に「金沢市伝統環境保存条例」で保存区域に指定され、2014年には金沢市が「長町景観地区」に指定した。国の景観法制定は2004年だ。土塀の保全や建物の外観の修繕には色彩や形態・意匠・配置など細かな基準が指定されており改修などの時には市からの補助金が出る。行政も住民も一体となって武家屋敷を守っているのだ。(以上市役所景観政策課のA氏の聞き取りも含む)
5,武家屋敷の存続と課題
武家屋敷群は市民の誰もが郷愁と共にそこにあって当たり前のものになっている。歴史を守ろうとする行政と市民――どちらにも金沢らしいある意味での加賀百万石の誇りがある。加えて、土塀を含む建物を守ろうとしてきた屋敷の住民の心意気が感じられる。
冬季の土塀にかけられた薦が並ぶ景観は美しくすがすがしい。屋敷があたり全体に連なっている景観は、他に類例を見ないのではないだろうか。(写真⑦)通行人のいない早朝などに見に行くと時が止まっているような錯覚を覚える。主君のために一生懸命に活躍した武士たちの足音までが聞こえてくるようだ。
薦かけはこれからも土塀がある限り続くものと考える。それには、今後、地震などの災害があっても崩れることのないように、版築土塀の材質を強化する研究と対策も必要なことだ。できれば版築の技術を研究し職人を養成できればいい。同時に薦を作る人の養成も欠かせない。
しかし景観を守るために様々な規制がある中で、そこに住む人にとって、毎日観光客が自分の家の前を歩きプライベートがないなどの負の感情を持たないようにしなければならない。
同じく中級武士である石高450石の寺島蔵人邸(註6)の景観を見てみる。
金沢城大手門跡から東へ230メートルに位置する。現在では長屋門は失われ家屋も縮小(明治維新時)されているが、邸内内部と池泉回遊式庭園が公開されている。寺島邸は1974年に「金沢市指定文化財史跡」に指定され、1976年から一般公開され、1988年に市に寄贈された。1994年に「金沢市指定文化財歴史資料」となっている。(『武家屋敷寺島蔵人邸』1989年)
金沢市の管理になったことで観光と保存の両面でのメリットは大きい。
石段を数段のぼって邸内に入る形など外観が長町武家屋敷とやや異なる。『城下町金沢論集第2分冊』(2015年)によると周囲は背割(註7)の外は板塀だとある。しかし現在では1メートルほどの高さの石垣の上に土塀があり、やはり薦がかかっている。市に寄贈された時点で土塀にしたものと考えられる。
座敷からは庭が見え文人としての蔵人が客と一緒に眺めて遇したであろうことは想像に難くない。寺島邸や足軽屋敷は公的な空間と私的な空間がはっきり分かれている。おそらく長町の武家屋敷内部も寺島邸に準ずるものと考えられる。
6、終わりに
金沢市は冬季の薦かけを含め観光に力を入れている。内外からの観光客が街の中を歩いているのが日常の風景だ。
観光都市金沢としては戦略を立てる人材の発信力と地域の関心という連携が欠かせない。金沢市長は景観を守るためにまちづくりの考え方として「保存と開発の調和」という言葉を掲げている。金沢駅から中心地の片町・香林坊までは開発エリアでありビルが立ち並ぶ。一歩裏側の旧市街には建築・町並み・歴史伝統文化の3つの観点から「特定金沢町家」として登録された家が多い。また「こまちなみ保存区域」(註8)が10か所あり1950年以前の町家や武士系の建物を残す方針だ。(市役所景観政策課A氏への聞き取り)
伝統も文化も人がつくり感じ後世に伝え続ける営みだ。人々の暮らしがどんどん近代的になってゆく中でも、官民一体となって武家屋敷を中心とした伝統文化を地道に受け継いでゆかねばならない。
最後に本稿で調べた金沢市の武家屋敷を含めた景観に関する条例などをまとめて終わりとしたい。
1966年 全国に先駆けて「金沢市伝統環境保存条例」を制定
1968年 長町武家屋敷群が「金沢市伝統環境保存条例」に指定される
1974年 寺島家が「金沢市指定文化財史跡」に指定される
1976年 寺島家が一般公開
1986年 金沢市が市内の武家屋敷の薦かけを始める
1987年 中屋薬舗が金沢市に建物を寄付
1988年 寺島家が屋敷を金沢市に寄贈
1989年 中屋薬舗が老舗記念館として長町に開館する。
1990年 足軽屋敷の清水家が屋敷を金沢市に寄贈し早道町から長町に移築。
早道町(旧町名)は足軽の組屋敷が多い。
1994年 金沢市が「こまちなみ保存条例」を制定(10区域を指定)
〃 金沢市が「用水保存条例」を制定
〃 足軽屋敷の高西家が屋敷を金沢市に寄贈し早道町から長町に移築。
高西家は金沢市で最古の足軽屋敷。
2002年 前田土佐守家が開館
2004年 国が「景観法」を制定
2008年 「石川景観総合条例」を制定
2009年 『金沢の景観を考える市民会議』を発行(金沢都市美実行委員会)
2014年 武家屋敷群を「長町景観地区」に指定
2015年 北陸新幹線が開通(首都圏からの時間短縮で爆発的に観光客が増 える)
- ①武家屋敷の外観。薦がかかっていない季節の風景。(筆者撮影2022.11.23)
- ②武家屋敷地区の景観。早朝に雪が降り土塀の屋根が白い。(筆者撮影 2023.1.14)
- ③大野庄用水からの流れを土塀の下部から庭園の曲水に取り込む。(筆者撮影 2023.1.6)
- ④アズマダチ。市内のあちこちで見られるが特に長町ではよく見られる。修景基準にもなっている。(筆者撮影 2023.1.6)
- ⑤足軽屋敷 高西家ののどかな外観(筆者撮影 2023.1.6)
-
⑥薦かけの様子。1軒ずつ丁寧にかけてゆく。(筆者撮影 2022.12.3)
- ⑦邸の角に30〜40センチ位の「ごっぽ石」が置かれている。昔、下駄や足駄についた雪を石に打ち付けて払い落してから玄関に入った。(筆者撮影 2023.1.29)
- ⑧−3℃の早朝。薦に雪が積もる。融雪装置がはたらき石畳の道は歩きやすい。(2日後に18センチの大雪になった。)(筆者撮影 2023.1.26)
参考文献
1、註
(註1)長屋門
江戸時代に家臣を住まわせるために長屋をたて、建物の一部に扉をつけ門としたもの。
両脇に番所がある。金沢では長町1丁目の新家家(あらいえけ)や長町2丁目の高田家が
有名。馬で外出するのが一般的だったので厩を立てることが許された。高田家は550石
、長屋門には武者窓がついている。中に入ると仲間(ちゅうげん)部屋や厩、納屋、池
泉回遊式庭園などが見られる。それぞれに解説がついているが特に仲間部屋のすかし格
子の戸が残っており興味深い。部屋の中から、来た人の人相を見たという。1987年に金
沢市指定保存建築物に指定されている。1995年、金沢市に寄贈。
(註2)前田土佐守資料館
初代藩主の前田利家の二男で加賀八家の筆頭重臣。いわば前田家の分家。
10000石の禄高。現在は14代目。前田土佐守資料館として長町に2002年に開館。利家の
妻まつからの書状や江戸時代から明治期に至るまでの保存状態の良い古文書・書画・調
度品9000点などが展示されている。
(註3)金沢市足軽資料館観光都市として生き残るために移築した2軒の足軽屋敷。旧町
名の早道町(現幸町周辺)に現存していた。早道町は飛脚足軽の組屋敷地であった。武
家屋敷の流れをくむ庭つきの一戸建てだ。清水家は子孫が住み続けていた。高西家は足
軽の歴史をはじめ加賀藩の足軽について4つのテーマで解説。清水家は部屋の用途に合
わせた復元物を展示。
(註4)老舗記念館
一階には中屋薬舗の「みせの間」の様子を復元し、薬の製造道具類などを展示している
。2 階は市内の老舗に伝わるしきたりを知る品々や諸道具などが展示。中屋は15代目と
して金沢市片町で現在も営業している。
(註5))版築
中国の基壇や土壁の施工方法。玉石を敷いた上に粘土を棒で突き固めて重ねていく方法
。日本には飛鳥時代に仏教建築と共に伝わった。
(註6)武家屋敷 寺島蔵人邸
加賀藩中級武士 寺島蔵人(1777~1837)の屋敷。安永6年(1777年)蔵人
の祖父が邸地を拝領したと伝えられている。蔵人は藩の農政、財政の実務を歴任。前田
斉広(なりひろ)の死後、藩の重臣を批判したため対立し文政8年(1837年)、役儀指
除(やくぎしのぞき)、能登島流刑となりその地で没す。画家としても知られる。屋敷
内には蔵人の愛用した鐙(あぶみ)や画・加賀蒔絵の硯箱・古文書などが展示されてい
る。
(註7)背割
柱などに乾燥の為の割れを防ぐためにあらかじめ裏にノコギリで割れ目を入れる。
(註8)こまちなみ保存条例第 1 条に「この条例は、金沢の歴史的な遺産であるこま
ちなみを市民とともに保存育成し、これらのこまちなみと一体となった市民の生活環境
を良好なものとすることにより、金沢の個性をさらに磨き高めることを目的とする」と
ある
2, 聞き取り
① …金沢市役所景観政策課A氏
② …額谷のSさん(薦づくりをしている男性)
③ …Tさん(寺島蔵人邸)
3,参考文献
『長家上屋敷跡調査報告書』、 金沢市埋蔵文化センタ、 2015年
『金沢の景観を考える市民会議』、 金沢都市美実行委員会、 2013年
『かなざわ旧町名復活物語』、 北国新聞社、 2020年
『城下町金沢論集第2分冊』、 石川県教育委員会事務局文化財課
石川県金沢市 (文化・文政期製作の建物図面を含む) 2015年
『金沢市の景観地区~長町地区』、 金沢市景観政策課、 2014年
『武家屋敷寺島蔵人邸』、 金沢市、 1989年
『金沢市足軽資料館』、 金沢市
4,ウエヴサイト
・高田家長屋門 https://www.isitabi.com/kanazawa/takada.html
・前田土佐守家資料館 https://ja.wikipedia.org/wiki/
・金沢市足軽資料館 高西家 庭の配置に見る日本人の美意識
www.tanosimiya.com/blog/2020082302/
・金沢市老舗記念館 https://oniwa.garden/kanazawa-shinise-museum
・こまちなみ保存条例 https://www.city.kanazawa.ishikawa.jp
・寺島蔵人邸 www.kanazawamuseum.jp/terashima/residence/index.html
5,雑感
聞き取りの段階でそれぞれの人たちの金沢愛を強く感じた。四季折々の市内の風景が「金沢に生まれてよかった!」との思いを強くする。中でも長町の武家屋敷はいつでも筆者と共にあった。実家、勤め先ともに長町であり人生の大半を過ごした大事な場所だ。今回の卒業研究では更にその思いを強くした。同時に街を歩いていて古い町家を見つけたり、家老の名前そのままの町名だったりの金沢らしさの発見を多く経験した。この機会に少しでも金沢の歴史に触れられたことも良い経験だった。