韓国・釜山の「愉快な復讐」を名乗る人々

谷口 美和

1、基本データと歴史的背景
釜山に「チェミナンボクス(재미난복수)」という団体がある。金井区にてオルタナティブ・スペースを運営しながら、アートや音楽を軸としたさまざまなイベント、展示、ワークショップなどを企画している。正式名称は、有限会社「代案文化行動チェミナンボクス」。日本語の資料もほぼなく、名前を見てもよくわからないその実態を探るため、代表キム・コヌー氏へインタビューを行った(註1)。
チェミナンボクスが誕生した釜山大学は、金井区長箭洞にある1946年設立の国立大学である。保守のイメージが根強い釜山であるが、釜山大正門前通りは学生・市民運動が盛んであったことは特筆に値する。1979年釜馬民主抗争という反独裁・民主化要求デモを代表とし、デモや集会などが2000年代初頭まで頻繁に行われていたという(註2)。
2003年にコヌーら当時の釜山大生達は正門前でのフェスティバルを企画し、その運営のための自発的な集いをチェミナンボクスと名付けた。日本語に訳せば「愉快な復讐」となるこの名前は、村上龍『69』のあとがきに登場する「唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きること」という文章に由来する。
子どもの頃からなにかを企画するのが好きだったというコヌーは、高校時代に労働者の気持ちを知ろうと、いくつもの労働のアルバイトを経験し、家族のために日がな一日働き、趣味に費やす時間もお金もない「自分が主人公でない人生」を歩む人のあまりの多さに驚愕した。そのように生きざるを得ない「既存の社会システム」とは別の生き方を模索し実践するために、社会の「隙き間(틈/トゥム)」を探り、また自ら作っていく必要性を痛感したという。
チェミナンボクスは08年まで代表者を定めず平等な関係を維持していたが、自分たちの空間を作る上で責任者を決める必要に迫られ、コヌーが代表となる。
そして完成した「独立文化空間アジト(以下AGIT)」(註3)は、旧保育園の三階建て約250坪の空き物件を再生した施設で、ギャラリー、レコーディングスタジオ、リハーサルスタジオ、ゲストハウスが併設され、08年から2014年までの7年間運営された。多種多様なイベントが行われ、出版物・CD制作、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)プログラムにも注力していた。筆者も2013年にシンガーソングライターとしてAIRプログラムに招待され、AGITに約3週間滞在した経験がある。

2、評価
前述のように正門前フェスティバルを定期的に行っていた彼らだが、07年に大学敷地内に大規模商業施設が入ったことで状況は一変する。運動の聖地であった正門通行路は駐車場入口へと様変わりし、2012年に経営権が百貨店に移行してからは、正門前通りで行われる運動や行事が、道路占拠と騒音による百貨店への営業妨害にあたるとして警察に申告されるようになった。彼らは地域文化団体や釜山大の学生会らと合同で正門前の使用権に関する記者会見を開いたが、自治体や大学側からの後援を得られず退陣するほかなかった。
さらに、過度な再開発と人口流出が止まない釜山の不釣合いなジェントリフィケーションの波がAGITを襲う。家賃高騰に抗うものの、2014年に立ち退きを余儀なくされたのだ。
しかしその後も、長箭洞にあるジャンソン市場の空き店舗を再生した店や、近所にはゲストハウスや事務所、同区の五倫洞には創作空間と、新たな場作りに精を出した。同時期にコヌーは釜山市青年文化委員会の委員長を兼任し、地元紙である釜山日報ではコラム連載も抱えていた。
このようにチェミナンボクスは、店や施設というハード面、イベントなどのソフト面の双方からのデザイン・アプローチを約20年間続けてきた。活動資金として行政から支援助成を受けつつも、抗議行動やデモをしたり、行政事業の欠陥や不備を批判し、「国からのお金で活動しながら国を困らせることをする」というユニークなスタンスを貫いてきた。
コヌーはインタビューのなかで、マキャベリやスピノザが提唱しネグリが展開した「マルチチュード(multitude)」を強調した。「多数」「民衆」を意味するこの概念については議論の余地があるが、百木漠によると「現在のグローバルな主権と資本主義の支配下にいるすべての人々」のことを指し、グローバルな<帝国>に対抗する主体となる、対抗的ネットワークであるという。彼らは、このマルチチュードに基づいた共同体、自律性に基づく代案的生き方を模索してきたのである。

3、国内外の同類の他事例との比較
2005年に松本哉が友人らとリサイクルショップを始めたことが契機となり、店や場作りを主とした活動を展開する高円寺「素人の乱」がある。
松本は法政大学在学中に「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、割高な学食の前でカレーを作って売る「カレー闘争」、キャンパスにコタツを出して宴会をする「鍋集会」などのパフォーマンスを展開した。卒業後も「おれの自転車を返せデモ」「家賃をタダにしろデモ」など、「普通に生活をしていて腹立つことがあるとデモ」を起こしていたという。
哲学者の柄谷行人は、「(松本の常套句である)マヌケの特徴は、デモをやること」だとし、それは「国家に依拠することなく社会を変えようとする運動」だと指摘する。しかし松本は(東日本大震災以前は)自身の生き方を「社会に働きかけるための営み」ではないと明言していた。この点は、アートや音楽などと同様に社会運動を活動基盤のひとつとするコヌーとは対照的である。それは近年「音楽に政治を持ち込むな」という言葉が登場した日本という土壌ゆえの差異だろうか。
松本は「正しいかどうかは別に、面白いかどうか」を重視する。ただしデモなどは、普通の人が集まっているだけで、そうした人が過ごしやすい居場所を「まちなか」に作る手段なのだという点で、コヌーと共通している。その後、素人の乱は2011年4月10日「原発やめろデモ‼︎!!!」を主催、高円寺のまちに1万5千人が集まった。
松本の活動は、東アジアを中心に世界へと拡大する。彼は、独自のセンスで面白い場所を作っている世界中の仲間が、相互に繋がりのないことを嘆き、多様な国籍や人種のなかで意思疎通が円滑にいかずとも、松本とコヌー両者に共通する交流の基本ツールである酒を用いて、杯を交わすことで仲を深め、信頼関係を築いてきた。両者は世界中を飲み歩いては出会った人々をつなげる役目を果たしてきたのである。両者の周りには、交わる部分も少なくない自発的コミュニティが形成されている。

4、今後の展望と課題
コヌーが口にする「持続可能」な活動を行う上で、助成金に頼るこれまでの現状打破は不可欠ではないか。そう切り出す前に、コヌーから「今年はチェミナンボクスを株式会社にする」という言葉が出た。それは代表として、そしてパートナーとの間に子ども2人を持つ父親となったからこその、大きな変化であろう。
今年は新たなグループ会社を作り、五倫洞に購入済みの土地にコンビニ併設のゲストハウスを建てる計画がある。コヌーはこの20年間ではじめての新築だと嬉しそうに語った。
とはいえ、現在のCOVID‑19後の世界はマスクや画面を介した交流が新スタンダードとなり、交流の仕方や意義はそれ以前とは転変した。以前は有効であった酒での交流は、今後は変わらざるを得ないだろう。また、長く続けていると新しい風が入りにくい点も課題である。

5、まとめ
壁画は、旧石器時代に洞窟の壁などを引っ掻いたり削るという手法で描かれた。コヌーは、実際に見た光景や夢をなつかしみ、忘れないよう描き遺したのではないかという。韓国語で引っ掻くという意味の「긁다(グルタ)」が、「그립다(クリプタ/懐かしい)」に、名詞化「그리움(クリウム/懐かしさ)」に、そして「그림(クリム/絵)」に派生したのではないかという持論を展開した。
作ってはなくなってしまった場所をなつかしみながら、コヌーはここ釜山で歩みを止めない。はじめての人が訪れてもどこかなつかしく、しかし同時に新しくて刺激的な「新しい故郷」を作りたいと、常に人を、まちを、隙き間を、見つめている。
釜山で約20年「場」を作り続けてきたコヌーならびにチェミナンボクスだからこそ、この土地において地域共同体形成の一役を担い、アジアひいては世界で、場所と人、人と人とをつなげるハブであり続けることを期待したい。

  • 81191_011_31981083_1_1_ryun_nayutakitchen 五倫洞にある創作空間「RyUN」、「ナユタキッチン」、チェミナンボクス事務所
  • 81191_011_31981083_1_2_hiddengem00 長箭洞ジャンソン市場にある日替わり店主のインフォショップ「Hidden gem」
  • %e5%9c%b0%e5%9b%b3 地図

参考文献

チェミナンボクス、https://linktr.ee/funnyrevenge(2023年1月11日閲覧)
2013 ZERO Festival動画、https://www.youtube.com/watch?v=pxEW14CjB6I(2023年1月11日閲覧)
2018 Future City Summit動画、https://www.youtube.com/watch?v=GL8VrNpEfoI(2023年1月11日閲覧)
2018 Future City Live動画、https://www.youtube.com/watch?v=eELl1tE-Zis&t=182s(2023年1月29日閲覧)
ナユタカフェ、https://nayuta.imweb.me/(2023年1月29日閲覧)

(註1)インタビューは1月10日、釜山広域市金井区五倫洞にある、空き倉庫を改装して作ったイベントホール「RyUN」内に併設された「ナユタキッチン」にて行った(資料1参照)。
(註2)(ハングル)ハンギョレ新聞 1979年の釜馬民主抗争はどう行われたか 当時の抗争の地図と日誌を発表、2015年、http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22784.html(2023年1月28日閲覧)
(註3)(ハングル)釜山歴史文化大典 独立文化空間アジト、http://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=01&contents_id=GC04212896(2023年1月28日閲覧)

参考文献:
清水敏行「韓国における政府と市民団体の相互関係(1) ―얨李明博政権以降の状況 ―」、札幌学院法学31巻1号、2014年、file:///Users/taniguchimiwa/Downloads/SG-31-1-047.pdf(2023年1月5日閲覧)
東京新聞 TOKYO Web 首都に集中、釜山は衰退 若者流出・産業低迷 政治へ期待薄く、2021年、https://www.tokyo-np.co.jp/article/96015(2023年1月11日閲覧)
日本経済新聞 韓国・釜山 「たそがれ」の街、万博誘致に再起託す、2022年、https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM03BPV0T01C22A0000000/(2023年1月11日閲覧)
オフショア 政治活動と政治的な活動、音楽を核とした場づくり仕事づくり-『パーティー51』上映後トーク:アサダワタル×HOPKEN杉本×Offshore山本、2015年、https://offshore-mcc.net/column/568/(2023年1月12日閲覧)
(ハングル)ソン・ジヒョン「サブカルチャーインキュベーティングプラットフォームによる都心内の遊休空間の文化的活用と適用に関する研究:独立文化空間アジト(AGIT)を中心に」、2018年、https://academic.naver.com/article.naver?doc_id=561806891(2023年1月10日閲覧)
(ハングル)チョン・ギョンファ「ダウォン芸術活性化方案研究 ーアジア文化まる?クンストハレ光州事例を中心にー」、2013年、file:///Users/taniguchimiwa/Downloads/%EB%8B%A4%EC%9B%90%EC%98%88%EC%88%A0%EC%9D%98%ED%98%84%ED%99%A9%EA%B3%BC%EC%A0%84%EB%A7%9D%EC%97%B0%EA%B5%AC%EB%B3%B4%EA%B3%A0%EC%84%9C(130430).pdf(2023年1月11日閲覧)
(ハングル)キム・ハンサン「韓国同時代の多元芸術の現況と展望 ー”創作主体”を中心にー」、2007年、http://www.riss.or.kr/search/detail/DetailView.do?p_mat_type=be54d9b8bc7cdb09&control_no=4cdb5c7625204ffcffe0bdc3ef48d419&keyword=(2023年1月11日閲覧)
(ハングル)中央日報 [単独]自治体85ヶ所30年以内に消える… 全南、消滅リスク地域初参入、2017年、https://www.joongang.co.kr/article/21902650#home(2023年1月11日閲覧)
(ハングル)ハンギョレ新聞 「多重」はどうやって新しい共同体を建設できるのか、2015年、
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/674872.html(2023年1月11日閲覧)
(ハングル)国際新聞 「アジト」まで… 釜山の代替文化空間、また閉鎖、2012年、http://www.kookje.co.kr/news2011/asp/newsbody.asp?code=0500&key=20121217.22020201027(2023年1月28日閲覧)

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