ヴィクトル・オルタ のアール・ヌーヴォー建築 ータッセル邸を例にー

菅原 明美

1 はじめに
 ベルギーの首都ブリュッセルのタッセル邸(1893年)(資①)は初のアール・ヌーヴォー 建築とされる〔1〕が、それはなぜか。なぜアール・ヌーヴォー建築はブリュッセルで始まったのか。建築家ヴィクトル・オルタVictor Horta(1861-1947)(資②)のアール・ヌーヴォー作品誕生の背景とその特性を当物件を例に改めて確認し、その意義を考えてみたい。

2 アール・ヌーヴォー
 アール・ヌーヴォーは、アーツ&クラフツ運動に強い影響を受けて、19世紀末から20世紀初頭の欧州各地に広まった。造形は様々で各地で個性も違うが、その源泉は主に植物などの自然や異国趣味等に由来する。建築分野では、レンガ、石材、木材に加えて、新たに大量生産が可能となったガラス、そして鉄がその湾曲性や強度の特性を生かし、装飾と構造どちらにも用いられた。〔2〕

3 世紀末前後のベルギーとブリュッセル
 様々な支配を受けたベルギーは、1830年にオランダから独立した。フランスとドイツの障壁に位置するベルギーの建国は周辺国に認められたが、単一民族の国ではなく、現在もゲルマン系のオランダ語圏とラテン系のフランス語圏が存在する。イギリスに次いで産業革命に成功し、近代ガラスの製造に優れ〔3〕、石炭鉄鋼業など工業国として繁栄し、植民地コンゴも手にした。また、イギリスとフランスとの狭間で、建国以前から双方と関係が深かった。〔4〕(資③④)
 19世紀後半、首都ブリュセルは繁栄を迎えた。万国博覧会やパリ大改造にも刺激され、近代化と拡大が進む〔5〕。都市計画で新古典主義の建物が増える中、ブルジョワは旧支配階級の真似ではない自分達のスタイルを求めた〔6〕。また、国際都市ブリュッセルは、アカデミズムに同調しない国内外の芸術家を積極的に受け入れ、前衛的な空気があった〔7〕(資⑤)。


4 オルタ とその影響
 オルタ は生地ゲント(オランダ語圏)で音楽と建築の基礎を学んだ。パリで内装の仕事を経験後、ブリュッセルで 王家の建築家A・バラAlphonse Balat(1818-1895)のアシスタントとして、王宮温室(資⑥)などで鉄やガラスの使い方も実践する。初期作品のタッセル邸は、国内外の建築家にインスピレーションを与え、アール・ヌーヴォー建築到来の口火となった。
 オルタ の影響はいわゆるアール・ヌーヴォー第二世代の建築家の作品〔8〕(資⑦)に見て取れる。また、彼の助言はパリの地下鉄のデザインで知られるH・ギマールHector Guimard(1867-1942)にも影響を与えた〔9〕(資⑧)。(資⑨) さらに、ブリュッセルのアール・ヌーヴォーの成功は他国への刺激となった〔10〕。

5 アンカール邸との比較

 ブリュッセルには、アール・ヌーヴォー第一世代〔8〕のポール・アンカールPaul Hankar(1859-1901)(資⑩)による同年建造の自邸(資⑪)があるが、タッセル邸の方がより重要視されるのはなぜか。2つの物件を以下に検討する。


5.1 ファサード
 タッセル邸のボウウインドウの特徴は、「通常の巨大なブロックとは全く異なる湾曲」と、「出窓の開口を可能にする金属製の胸部(中略)小柱の率直な主張」〔11〕だという。つまり、単なる弓形の出っ張りではなく、石が自主的に盛り上がるかのような表現や、お互いを掴むような表現等で、硬い素材に生きているかの様な表情が与えられている。(資⑫⑬)
 一方アンカール邸では、オリエルが幾何学模様の鋳鉄の装飾とともに繊細な存在感をみせる。異なる色のレンガと石材の組み合わせと、鳥や花などの具象的なスグラフィート〔12〕の装飾には自然主義的な要素が表現される。(資⑭⑮)
 具象を用いず淡い限定された色使いのタッセル邸と具象的で多色性のあるアンカール邸は、デザインの表現は対照的であるが、どちらも強度を保ち開口部を広く取るためのリンテル〔13〕と装飾に鉄を繊細に利用している。また、この三階を通した優美で独特な各々の窓は、約幅7.2mと高さ15m〔14〕という制限〔15〕の中で、ファサードそのものを際立たせる。

5.2 構造
 どちらも隣の建物と密着し、窓が全後面の二面にしか取れないというベルギーの典型的な町屋の環境〔16〕に建つ。タッセル邸は、道路側と庭側にいわば別々の建物を建て、双方を繋ぐような階段室を作り、そこにガラスの天井からのトップライトで建物の中央に光の井戸を作り出す。アンカール邸は、裏庭側に1、2階通しの部屋を設ける事で採光の問題に対処している。
 しかし、全体の構成としては、三つの続き部屋と壁側に廊下と階段というほぼ伝統的な間取りを踏襲するアンカール邸よりも、二つの屋根の間で天光を取り入れつつ、各室へのイントロダクションとしての存在感も見せる階段室を中心に、全体に斬新で流麗な空間を作り出したタッセル邸の方がより革新的であるといえる。(資⑯⑰)

5.3 装飾
 全てに言及すれば膨大となるが、ここではオルタの特徴となる「鞭のライン」(資⑨⑱)が森や海をも連想させる幻想的な表現、そして、その後もアンカール作品の個性となる植物や動物等の具象的なモチーフと幾何学的な装飾(資⑲⑳)のみに言及する。どちらも全く違った表現でありながら、その源泉は自然界に求められるものが多いと感じられる。


5.4 両者の比較まとめ
 アンカール邸には、絵画的、木工的な要素など伝統技術の尊重が見受けられ〔17〕、これはまさにアーツ&クラフツ運動の目指したところである。この点には自身の工芸技術の訓練や、師であったH・ベイヤールHenri Beyaert(1823-1894) (資⑩)のアトリエでアーティストとの共働が重要視されていた影響が考えられる〔18〕。一方、オルタ のガラスと光の扱いには、ベルギー王宮温室の経験が生きていることは想像に難く無い。各々の建物には、自然を感じさせるモチーフが鏤められる。どちらも几帳面な手仕事による様々な素材、光と空間を柔軟に扱った自由な建築表現で、限られた空間を有機的で独創的なものにした。二人とも、アール・ヌーヴォーの建築家として評価されるが、アール・ヌーヴォーの最も重要な意味が、旧習打破であった〔19〕とすれば、タッセル邸の革新性がより評価されたという事なのであろう。

6 保存の状況と展望

 オルタ のブリュッセルの作品群は文化遺産〔20〕、さらにタッセル邸を含む4件は世界遺産に指定(資②)されている。モニタリングに関しては、差向き安心できる状況である一方で、オルタ邸〔21〕以外は私有であり、特に内部の保存には不安も残る。また、広くその存在価値を共有することは保存の為にも肝要と考えるので、現在行われている官民双方の観光資源としての活用を兼ねた活発な活動(資㉑)の継続を期待する。加えて、常に同時代の一般の人々にアピールする最新の方法の模索と取り入れは必要となろう。そこで、将来に向けてオルタ 物件所有者の横断的な組織化と将来的な公営化を提案する。(資㉒)

7 まとめ
 タッセル邸からオルタ 作品を紐解くことは、欧州世紀末と若い国ベルギーのエネルギーを感じる考究となった。オルタ 作品の背景と意義を以下にまとめる。
 アール・ヌーヴォー建築がブリュッセルで始まった理由は、新しい素材と技術の充実、そして地域性と共に当時の芸術の新しい動きの受容に積極的であったことがあった。また、ブルジョワの台頭で、彼らのためにデザインされた建物が必要とされた。そこに、先達らの技術と前衛的で自由な発想を持った建築家が登場した。その中でより革新的であったのがオルタ のタッセル邸であった。古典の研究と当時の新しい芸術、ブルジョワの生活嗜好、磨かれた技術が、若い国の首都ブリュッセルで、オルタ によって統合された作品がタッセル邸として表現された。
 オルタ の作品はその存在感のみならず、国内外へ影響を与え次世代をも生み出した〔22〕。そうして、アール・ヌーヴォー作品群全体としてヨーロッパ建築の旧習打破の役割を担った。その始まりとなったタッセル邸の意義は重要と考える。
 さらに、ベルギー特有の問題として2つの地域の不協和〔23〕がある。世界的な評価を受けたオルタ作品の存在は、ゲルマン系文化圏出身の建築家による主要作品の所在がラテン系文化圏のブリュッセルであり、ベルギーを統合する要素としての側面においても重要であると考える。プロパガンダの方法としての作品には異論はあるが、これはあくまでも附与された価値であり、芸術の、つまり人間の価値ある活動の持つ一つの力と言える。

  • 1_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a0_page-0001 資料①
  • 2_1_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a1%e2%88%92%e2%91%a5_page-0001 資料②−⑥
  • 2_2_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a1%e2%88%92%e2%91%a5_page-0002 資料②−⑥
  • 2_3_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a1%e2%88%92%e2%91%a5_page-0003 資料②−⑥
  • 2_4_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a1%e2%88%92%e2%91%a5_page-0004 資料②−⑥
  • 2_5_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a1%e2%88%92%e2%91%a5_page-0005 資料②−⑥
  • 3_1_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a6-%e2%91%aa_page-0001 資料⑦−⑪
  • 3_2_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a6-%e2%91%aa_page-0002 資料⑦−⑪
  • 3_3_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a6-%e2%91%aa_page-0003 資料⑦−⑪
  • 3_4_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a6-%e2%91%aa_page-0004 資料⑦−⑪
  • 3_5_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%a6-%e2%91%aa_page-0005 資料⑦−⑪
  • 4_1_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%ab-%e2%91%ae_page-0001 資料⑫−⑮
  • 4_2_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%ab-%e2%91%ae_page-0002 資料⑫−⑮
  • 4_3_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%ab-%e2%91%ae_page-0003 資料⑫−⑮
  • 4_4_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%ab-%e2%91%ae_page-0004 資料⑫−⑮
  • 5_1_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0001 資料⑯−㉒
  • 5_2_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0002 資料⑯−㉒
  • 5_3_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0003 資料⑯−㉒
  • 5_4_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0004 資料⑯−㉒
  • 5_5_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0005 資料⑯−㉒
  • 5_6_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0006 資料⑯−㉒
  • 5_7_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%99%e2%91%af-%e3%89%92_page-0007 資料⑯−㉒

参考文献

【註釈】

〔1〕当物件が世界初のアール・ヌーヴォー建築という評価は言継ぐ必要はないと思われるが、例えば以下のような言及がある。
①「最初にアール・ヌーヴォーが現れたのはベルギーのブリュッセルで、ヴィクトール・オルタの一連の都市住宅だった」
熊倉洋介、末永航、羽生修二、星和彦、堀内正昭、渡辺道治『カラー版西洋建築様式史』美術出版社、1995、p.156

②「1893年に建築家ビクトル・オルタによって設計されたブルジョア住宅は、ブリュッセルのアール・ヌーヴォーの創始作品とみなされている。」(筆者抄訳)
Région de Bruxelles-Capitale “INVENTAIRE DU PATRIMOINE ARCHITECTURALHôtel TasselRue Paul Emile Janson 6”

〔2〕アール・ヌーヴォー
①「1900年という世紀の変わり目をはさんで、(中略)「アール・ヌーヴォー」「ユーゲントシュテイル」「モダンスタイル」などと呼ばれる多彩な芸術工芸運動がヨーロッパを席巻した時期でもあった。それは、(中略)造形時芸術のみならず、建築、工芸デザイン、ポスター、挿絵など広くあらゆる分野にわたって相互に交流影響が見られた。華麗な曲線模様を主体とした斬新な装飾文法を中心に新しい美学を追求したという点で、共通するものを持っていた。」
青柳正規、太田泰人、鈴木杜幾子、高階秀爾、高橋達史、高橋裕子、西野喜章『カラー版西洋美術史』美術出版社、1990、p.154

②「アール・ヌーヴォーの最大の特色は、過去の全ての伝統様式から完全に断絶するという一点にあり、それゆえ伝統からの離反した点では美術工芸運動とは異なっていたが、入念な手仕事による優雅で豊かな総合芸術を目指した点では美術工芸運動と共通していた。事実、アール・ヌーヴォーの芸術は美術工芸運動から強い影響を受けていた」
桐敷真次郎『建築学の基礎5近代建築史』共立出版、2001 、p.74

〔3〕「フルコール法」の発明とベルギーガラス工業化の背景
窓ガラスの材料は、吹きガラスを開くなどしていたが、ベルギーのエミール・フルコールÉmile Fourcault(1862-1919)は板ガラスの製造方法を発明し「フルコール法」は一世を風靡した。ベルギーはガラスの工業化に成功するがその背景には、ベルギー東部がドイツとオランダという中央ヨーロッパのガラス生産地国境近くにありガラス工芸が定着していた文化的要因と、良質な鉱石や豊富な石炭が採掘されるという立地的要因が下地にあった。
参考:
val-saint-lambertウエブサイト
笹井淳「研究所紹介 AGCヨーロッパ研究所」『New Glass』 Vol.26、 No.2、一般社団法人ニューガラスフォーラム、2011年

〔4〕ベルギーは、歴史的にはブルゴーニュ家、ハプスブルグ家、スペイン、オーストリア、フランスなどの支配を受け、その間当主の婚姻や合意によってフランス、イギリスと同盟や敵対関係となった。一方で、重要な産業であった布地産業のためにはイギリスの羊毛を潤沢に輸入することも重要であった。

〔5〕19世紀後半英国に次ぐ世界第2の工業国として、ベルギーは、特に鉱業、製錬、織物に由来する繁栄を享受しており、インフラの整備で全国の通信が確保された。 ブリュッセルは、その中心部で、人々と投資の両方が集まった都市として成長を続け、1830年には14万人であった人口は、世紀末までには50万人以上に増加した。
参考:
Sefrioui, Anne. Musée fin-de-siècle guide, Hazan, 2013, pp.15-17.

〔6 〕以下を参照。

①「18世紀後半から19世紀初頭ヨーロッパの多くの都市の建築景観に見られる新古典主義への抵抗が起こり、均一性が広がっていくなか、街並みに多様性とバリエーションを求める声が、19世紀に強く主張された。ブルジョワ個人主義に共鳴し、街並みの多様性とバリエーションを求める声形成された。」(筆者抄訳)
Van Santvoort, Linda. “L’architecture Résidentielle Bruxelloise Métropole de la Bourgeoisie Triomphante Construction d’une Capitale 1860-1914”, Bruxelles Patrimoines, hors-série, 2013, pp.141-143.

②「公的な建物が歴史の栄光を示す古典的な様式で建てられていくが、急激に力をつけ増えたブルジョワは最新の「アール・ヌーヴォー」を受け入れる準備ができていた。」(筆者抄訳)
Sefrioui, Anne. Musée fin-de-siècle guide, Hazan, 2013, pp.15-17.

〔7〕べルギーはパリとロンドンの間に位置し、言語も、ラテン系のフランス語とアングロサクソンよりのオランダ語が存在する。19世紀の状況として、ラファエル前派とフランスのポスト印象派両方の影響の中にいた。また、フランスの政変、フランスとイギリス双方のアカデミーに反発する芸術家を積極的に受け入れる動き(「20人会Les Groupe des XX」(資20)、「モダンアートL’Art Moderne」など)もあった。
参考:
Aubry, Françoise, Christine Bastin, and Jacquesd Edvrar, Le Bruxelles de Horta, LUDION,
2007.

〔8〕アール・ヌーヴォー第一世代はオルタ、アンカールの他にアンリ・ファン・デ・ヴェルデHenry van de Veldeとオクターヴ・ファン・リッセルベルOctave Van Rysselbergheが上げられる。第二世代としては、エルネスト・ブレロErnest Blerot、ギュスターヴ・ストローヴェンGustave Strauven、レオン・スニエールLéon Sneye、ポール・ハメスPaul Hamesse、ジャン=バティスト・デュインJean-Baptiste Dewin、ポール・コーシーPaul Cauchie、ヴィクトル・タエレマンスVictor Taelemansなどがいる。
参考:
Dubois, Cécile. Brussels Art Nouveau, Lanno, 2018, p.8.

〔9〕「1895年の春、兼ねてから親交があったアンカールを介してオルタ と出会い〜(中略)〜「花や葉を離れ、茎をつかめ」というオルタ の助言に勇躍帰国したギマールは、《カステル・ベランジェ》の設計変更に取り掛かる。〜(中略)〜かくて《カステル・ベランジェ》(1894〜98)はフランスにおける最初のアール・ヌーヴォー建築となった」
松尾秀哉『物語ベルギーの歴史−ヨーロッパの十字路』(中公新書2279)中央公論新社、2014、pp.42-43.

〔10〕例えば、ベルギーアール・ヌーヴォー第一世代のH・ヴァン・デ・ヴェルデは、ドイツに招かれ、1902年、後にヴァイマルに後にバウハウスとなる工芸ゼミナールを設立した。
参考:
Museum Kunst & Geschiedenis “Henry van de Velde de bewogen carrière van een europees kunstenaar”

〔11〕「ファサードの2つの傑出した特徴は、通常の巨大なブロックとは全く異なる湾曲した弓形の窓と、中央の大きな出窓の開口部を可能にする金属製の胸部、リンテル、アングル、柱の率直な主張である。」(筆者抄訳)
Aubry, Françoise, Christine Bastin, and Jacquesd Edvrar. Le Bruxelles de Horta, LUDION,
2007, p.29.

〔12〕スグラフィートsgraffito:壁画では、通常、異なる色の漆喰の2つの層をぬり、表面の層を削って、色やパターンを表す技法。

〔13〕リンテル(まぐさ):開口部に渡す梁で、抱き柱や柱で支える。

〔14〕以下に掲載の図をもとに筆者が概算。
Aubry, Françoise, Christine Bastin, and Jacquesd Edvrar. Le Bruxelles de Horta, LUDION,
2007, p.32.

〔15〕(19世紀のブリュッセル市内の住宅の)ファサードの高さは道路や大通りの幅に比例しなければならなかった。
参考:
Van Santvoort, Linda. “L’architecture Résidentielle Bruxelloise Métropole de la Bourgeoisie Triomphante Construction d’une Capitale 1860-1914”, Bruxelles Patrimoines, hors-série, 2013, p.144.

〔16〕幅7.2mx高さ14m奥行き15〜16mほどの区画(以下に掲載の図をもとに筆者が概算)
Loyer, Françis. Ten years of Art Nouveau, Archive d’ Architecture Moderne, 1991, pp.54-55.

〔17〕「二人の建築家のアプローチの違いは大きい。ポール・アンカールの建築は、フランドルの伝統に近いものがあり、師匠であるアンリ・ベヤールの教えを心に刻んでいる。」(筆者抄訳)
Van Santvoort, Linda. “L’architecture Résidentielle Bruxelloise Métropole de la Bourgeoisie Triomphante Construction d’une Capitale 1860-1914”, Bruxelles Patrimoines, hors-série, 2013, p.152.

〔18〕「 …しかし、アンカールが才能ある訓練生となったのは、何よりも建築家アンリ・ベヤールのアトリエでのことであった。ベイヤールのスタジオでは、アーティストとのコラボレーションが重要視されていた。」(筆者抄訳)
Van Santvoort, Linda. “L’art d’être artist chez soi -Les ateliers d’artistes de XIXE siècle à Bruxelles.” Bruxelles Patrimoines, No.026-027, 2018, p.17.

〔19〕「アール・ヌーヴォー建築は、歴史を安直にダビングする新古典主義を拒絶し、新しい時代の造形に挑戦した。(中略)この旧習打破の役割を果たしたことが、アール・ヌーヴォー建築の最も重要な意味であった。」
橋本文隆『図説アール・ヌーヴォー建築 華麗なる世紀末』河出書房新社、2007、p.10

〔20〕ベルギーの文化政策は各地域(フランデレン地方、ワロン地方、ブリュッセル首都圏)が各々権限を持っている。したがって、いわゆる国宝という概念がなく、重要文化財の指定も各々の地域が定めるものとなっている。

〔21〕アトリエを含むオルタ自邸として建てられた建物は、サン・ジルSaint Gills区が買い取って、博物館として公開されている。

〔22〕例えば以下の言及にアール・ヌーヴォーの波が見て取れる。
①「1893年以降のわずか15年間で、何百ものアール・ヌーヴォー様式の建物が首都中に建設された。それらは、 最初は偉大な革新者に、その後は20世紀初頭にウィーンの分離派やヨーロッパのアールヌーボーのその他の傾向によって刺激を受けた弟子や賛同者たちによってである。」(筆者抄訳)
Dubois, Cécile. Brussels Art Nouveau, Lanno, 2018, pp.8-9.


②L. Van Santvoortは、オルタ 、アンカール、ヴァン・デ・ヴェルデは、新世代の建築家にインスピレーションを与え、1893年から第一世界大戦の間に建てられた、数百件の家がアールヌーヴォーと結びついているという。次世代の建築家の名前としては、ギュスタフ・ストラウヴェン、アーネスト・ブレロ、ポール・コーシーなどをあげている。
Van Santvoort, Linda, “L’architecture Résidentielle Bruxelloise Métropole de la Bourgeoisie Triomphante Construction d’une Capitale 1860-1914”, Bruxelles Patrimoines, 2013, pp.153−159.

〔23〕過去に主な二つの言語間で対立が深刻になったことがあり、1993年の憲法改正で言語別の連邦制となった。しかし、現在でも対立意識は完全に無くなってはいないと言われ、選挙の度にフランデレンの独立を叫ぶ政党の動向と指示が注目され、ベルギー分裂かといった論調のニュースも流れる。2010年6月の選挙では1年以上新政府の発足ができない状態が続いた。
参考:
香山充弘 「ベルギーの地方自治」、『各国の地方自治シリーズ』 第32号、2010年



【参考文献】

●書籍
桐敷真次郎『建築学の基礎5近代建築史』共立出版、2001
桐敷真次郎『建築学の基礎3西洋建築史』共立出版、2000
熊倉洋介、末永航、羽生修二、星和彦、堀内正昭、渡辺道治『カラー版西洋建築様式史』美術出版社1995
栗原福也他『読んで旅する世界の歴史と文化 オランダ・ベルギー」新潮社、1995
後藤久『西洋住居史』彰国社、2005
高階秀爾、青柳正規、太田泰人、鈴木杜幾子、高橋達史、高橋裕子、西野喜章『カラー版西洋美術史』美術出版社、1990
松尾秀哉著『物語ベルギーの歴史−ヨーロッパの十字路』(中公新書2279)中央公論新社、2014

オーブリ、フランソワ著、Bastin&Evrards.p.r.l訳『オルタ美術館』Ludion、2001
デイヴィッドスン・クラゴー、キャロル著、鈴木宏子訳『建築物を読み解く鍵』ガイアブックス、2009
デュモン、ジュルジュ=アンリ著、村上直久訳『ベルギー史』白水社、1997

Aubry, Françoise, Christine Bastin, and Jacquesd Edvrar, Le Bruxelles de Horta, LUDION,
2007.
Dernie, David, Victor Horta: The Architect of Art Nouveau, Thames & Hudson, 2018
Dubois, Cécile, Brussels Art Nouveau, Lanno, 2018.
Loyer, François, Ten years of Art Nouveau, Archive d’ Architecture Moderne, 1991.
Sefrioui, Anne, Musée fin-de-siècle guide, Hazan, 2013.

●論文
香山充弘 「ベルギーの地方自治」『各国の地方自治シリーズ』 第32号、2010年
熊沢健「ヴィクトール•オルタ の建築作品における空間の連結に関する研究」『日本建築学会大会学術講演概要集(北海道)』2004、pp.763−764
笹井淳「研究所紹介 AGCヨーロッパ研究所」『New Glass』 Vol.26、 No.2、一般社団法人ニューガラスフォーラム、2011年
千足伸行「シニャックとベルギー : 20人会から「民衆会館」へ」、『成城大学文芸学部 美學美術史論集』18巻、2010年、pp.122-83

Burniat, Patrick, “BRUXELLES PATRIMOINES Architecture et construction Le type de la maison urbaine Bruxelloise”, Bruxelles Patrimoines, N°003-004, 2012.
Van Santvoort, Linda, “L’art d’être artist chez soi -Les ateliers d’artistes de XIXE siècle à Bruxelles.” Bruxelles Patrimoines, No.026-027, 2018.
Van Santvoort, Linda, “L’architecture Résidentielle Bruxelloise Métropole de la Bourgeoisie Triomphante Construction d’une Capitale 1860-1914”, Bruxelles Patrimoines, hors-série, 2013, pp.151−152.

●ウエブサイト
外務省 「ベルギー基礎データ」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/belgium/data.html 2021年1月8日閲覧
ARAU
https://www.arau.org 2021年1月8日閲覧
Art-info “Cercle des XX”
https://art-info.be 2021年1月7日閲覧

BALaT
http://balat.kikirpa.be 2021月1日4日閲覧
BE-monumen.be “BALAT Alphonse”
https://be-monumen.be 2020年12月28日閲覧
Britannica Academic “sgraffito”
https://academic.eb.com/levels/collegiate/article/sgraffito/67031 2021年1月8日閲覧
CRMSF(La Commission royale des Monuments, Sites et Fouilles)
http://www.crmsf.be/fr/ 2021年1月7日閲覧
FOUNDATION FRISON HORTA
https://www.foundation-frison-horta.be  2021年1月8日閲覧
Horta Museum
http://www.hortamuseum.be 2021年1月3日閲覧
Inside Art Nouveau “Maison personnelle de l’architecte Paul Hankar”
https://insideartnouveau.eu 2021年1月8日閲覧
Korei
https://korei.be/over-ons/ 2021年1月8日閲覧
La Terre est un Jardin “Les Serres Royales de Laeken"

https://laterreestunjardin.com 2021年1月7日閲覧
Les XX et la Libre Esthétique
http://users.skynet.be/pierre.bachy/libre_esthetique-XX.html 2021年1月7日閲覧
Museum Kunst & Geschiedenis “Henry van de Velde de bewogen carrière van een europees kunstenaar”

http://www.kmkg-mrah.be 2021年1月8日閲覧
OWHC(the Organization of World Heritage Cities) “Restauration des façades de la Grand-Place”
https://www.ovpm.org 2021年1月7日閲覧
patrimoine.brussels “Grand-Place - Plan de gestion”
http://patrimoine.brussels 2021年1月7日閲覧
Région de Bruxelles-Capitale “INVENTAIRE DU PATRIMOINE ARCHITECTURAL Maison Hankar Rue Defacqz 71”
http://www.irismonument.be 2021年1月8日閲覧
Région de Bruxelles-Capitale “INVENTAIRE DU PATRIMOINE ARCHITECTURAL Hôtel
Tassel Rue Paul Emile Janson 6”,
http://www.irismonument.be 2021年1月8日閲覧
The Belgian Monarchy “Royal Greenhouses in Laeken”
https://www.monarchie.be 2021年1月4日閲覧
The National Bank of Belgium Museum
https://www.nbbmuseum.be 2020年12月28日閲覧
UNESCO “Major Town Houses of the Architect Victor Horta (Brussels)”
https://whc.unesco.org/en/list/1005 2020年12月28日閲覧
UNESCO “WHC Nomination Documentation”
http://whc.unesco.org/uploads/nominations/1005.pdf 閲覧日:2020年12月28日
val-saint-lambert
https://www.val-saint-lambert.com 2020年12月28日閲覧
Wikipedia “Hector Guimard/Porte d'entrée du Castel Béranger”
https://en.wikipedia.org/wiki/Hector_Guimard#/media/File:Castel_Béranger,_February_16,_2013.jpg 2021年1月3日閲覧

Wikipedia ”Hector Guimard/Porte d'entrée du Castel Béranger, grand œuvre art nouveau d'Hector Guimard (1898).” ©︎Groume - Flickr: Castel 2013
https://en.wikipedia.org/wiki/Hector_Guimard#/media/File:Paris_Metro_2_Porte_Dauphine_Libellule.JPG 2021年1月3日閲覧

年月と地域
タグ: