
三鷹天命反転住宅「死なないための家」建築と身体論
はじめに
東京都三鷹市に、球体や立方体のカラフルなブロックを積み重ねたような、一際目を引く建造物がある。芸術家・建築家の荒川修作(1936~2010年)とマドリン・ギンズ(1941~2014年)が「死なないための住宅」として設計した集合住宅「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー」である。現在は一部が賃貸住宅として生活の場となっているだけでなく、数日滞在などのショートステイや見学会など多角的に活用されている。本稿では「天命反転=死なないための住宅」として設計された建築が、人体や精神にどのような影響を与えるのかを考察し、竣工20年を経た本建築の今後の保存や運用のあり方について展望したい。
基本データ(1)
名称:三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー
所在地:東京都三鷹市大沢2-2-8
建築設計:荒川修作+マドリン・ギンズ、安井建築設計事務所
建築施工:竹中工務店
竣 工:2005年10月
主要用途:共同住宅
構 造:壁式プレキャストコンクリート造、鉄骨コンクリート 造一部鉄骨造
建築面積:260.61㎡
延床面積:761.46㎡
1、歴史的背景
三鷹天命反転住宅は2005年10月に完成した。荒川修作とマドリン・ギンズの事務所は、名古屋市住宅供給公社の事業である「志段味循環型モデル住宅」(2)の基本計画と基本設計を担当したが、これとほぼ同時並行に進められたプロジェクトが本住宅である。(3)
荒川は1990年頃から、パートナーの詩人マドリン・ギンズと共に、人間の持つ本能的かつ動物的な身体感覚を目覚めさせ、「死=天命」という宿命を反転させるための「死なないための住宅」を構想し始めた。現代美術・哲学・身体論が結実した本建物は、岐阜県の「養老天命反転地」(4)や愛知県の「志段味循環型モデル住宅」などの試みを経て、実際の住居として完成した建築実験である。
拠点として三鷹が選ばれた背景については、荒川とギンズの「日常空間に日常生活の場としてつくろう」という強い意図があった。三鷹は「日常の住居」を建てるための土地探しにおいてほどよい生活感がある。そして予算などの条件も合致し、この地に建てられたのである。(5)
2-1、「天命反転」のコンセプト生命力を高めるアプローチとしての評価
「死なないための住宅」という斬新で大胆なコンセプトの背景には、既存の芸術に対する強い問題意識がある。人間救済に関する従来の芸術のあり方について、荒川は以下のように述べている。
「最近私は、今までの芸術ではとうてい人間救済は不可能の様な気がして来ました。まったくジャンルの違った所から科学芸術(物理、化学、生物等)というもう一つの答えの出る芸術が人間救済に立ち向かうのではないかと思い始めて来ました。」(6)
「建築する身体」の試みは、従来の芸術の域を超え、科学や生物学の領域に踏み込んで人間救済を目指す荒川の意思が感じられる。
2-2、常識を覆す内部空間の評価
三鷹天命反転住宅は3つの棟(A棟・B棟・C棟)で構成された全9戸の集合住宅である。[図1]部屋は非常にカラフルであり、入室すると早速ポップなビタミンカラーが目に飛び込んでくる。大人も子供もワクワクする空間であるが、各所には身体性を刺激する緻密な計算が施されている。床には2種類の凹凸があり、[写真3]土踏まずを通して全身の筋肉や神経へ刺激を与え、体幹や眠っていた身体感覚を強制的に呼び覚ます。さらに微妙に高低差のある床は、立つ位置によって景色が変わる設計となっている。
全14色のビタミンカラーで構成された空間は、一見すると人工的に思えるが、多様な色彩に溢れた自然界に近い環境を表現している。配色においてはあえて隣り合わせに補色関係を配置し、室内におけるどの位置に座っても視界に入る色数が6色になるようルール化している。人間は6色以上になると個別の色を背景環境として認識するため、色彩の効果を意図的に維持するための工夫をしている。
間取りについては、部屋の中央にダイニングキッチン[写真4]が配置され、その周りを囲むように四角や球体の洗面所や個室がレイアウトされている。
個室はそれぞれ個性的であり、部屋を構成するパーツは天井吊り下げ式のコンセントなど[写真5]、各所に遊びが見られる。[写真2]収納スペースがない代わりに、荷物などは天井のフックに吊り下げたりハシゴに置くことができる。このように室内には細部までさまざまな工夫が施されている。さらに特徴的なのは、玄関以外に扉が存在しないことだ。シャワーブースには仕切りとカーテンが付いているものの個室にもトイレにもドアがない。トイレは部屋の一番奥に位置し、[写真7]シャワーブースの陰に配置していることで目隠しされている。[写真6]このように、部屋同士の仕切りや壁と床の境界をなくすことで、従来の住まいに関する常識を劇的に覆す内部空間となっている。
2-3、ヘレン・ケラーへのオマージュという評価
本住宅は、身体の可能性を最大限に引き出して生きたヘレン・ケラーを「希望のひな型」として掲げている。バリアフリーとは真逆の、あえて身体に負荷をかけ精神や感覚を洗練させる試みがこの空間デザインの根底にあるのだ。
「ヘレン・ケラー経験の内実とは、想像力と類比関係によって、制限のある経験を超え出て、より時空的に広大な世界を、さらには時空を超越さえする世界を経験できるまでに成長し開かれる経験のことである」(7)
3、養老天命反転地との比較における特筆される点
比較対象として、岐阜県にある「養老天命反転地」を取り上げる。どちらも荒川修作とマドリン・ギンズが手がけた建築作品だが、養老天命反転地は約18,000㎡におよぶ広大なテーマパークである。敷地内にはすり鉢状の巨大な盆地の中に、水平や垂直な線が極力排除されたパビリオンが点在しており、自然の光や風、ダイナミックな高低差そのものが作品の一部となっている。
両者とも身体感覚を呼び覚まし、宿命を反転させるという共通の哲学に基づいているが、スケール、目的、空間の性質においては明確な違いがある。
三鷹天命反転住宅は人が生活する環境であり、日常の生老病死の営みを、居住を通じて人間の根源である「生命力」を少しずつ変革していくことを目的としている。
一方、養老天命反転地は、観光や体験を目的としたパブリックな施設である。日常を過ごす場所ではなく、訪れた者が急傾斜や迷路のような壁に挑み、一時的に迷子になることで、ダイナミックに身体のバランス感覚を揺さぶる。非日常的な空間において、知的ならびに身体的ショックを体感させる場として構築しているのである。
4、今後の展望について
三鷹天命反転住宅は単なる「過去の遺物の保存」ではなく、時代に合わせて機能を更新する動的保存へとシフトしていくべきと考える。
本建築は唯一無二の作品であり多くのファンが存在する。今後は単なる短期宿泊者や見学者の受け入れに留まらず、建物の維持や補修プロセス自体をイベント化やワークショップ化し、サポーターが自発的に維持管理に関わるような、共創型の運営モデルへの転換も、視野に入れるべきとではないだろうか。
5、まとめ
人間は一般的に年齢を重ねるごとに落ち着いた環境を好み、特に色彩に関してはビタミンカラーや色数の多い環境から遠ざかる傾向にある。これは過度な視覚刺激による疲労を避けるための環境順応だと考えられる。
しかし、三鷹天命反転住宅はこの一般的な傾向とは対照的なアプローチをとっており、実際に本建物を訪れると、強い色彩や独特の空間構造によって五感が強烈に刺激され、高揚感や生命力の高まりを体感させられる。
本建築の「天命を反転させる」という試みは、建物が滅びることで途絶えるものではない。それは、住む人や訪れる人の身体の中に一定のインパクトとして生き続ける芸術だからである。
竣工20年を超え、物理的な老朽化という現実に直面している今だからこそ、アートと建築、そして現代のヘルスケアやデジタル技術を融合させた新たな保存、運用モデルの構築が求められるのではないだろうか。
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図1:三鷹天命反転住宅の図面
提供:三鷹天命反転住宅 -
写真2:インターフォンなどのパーツにも遊びが見られる(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
写真3:凹凸のある床の様子(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
写真4:部屋の中央にあるダイニングキッチンの冷蔵庫(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
写真5:荷物を吊るすためのフックと吊り下げ式のコンセント(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
写真6:シャワー室(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
図7:部屋の奥のに設置されている敷居のないトイレ(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005 -
三鷹天命反転住宅 の外観(2025年5月6日 筆者撮影)
荒川修作+マドリン・ギンズ《三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー》2005
参考文献
註1:三鷹天命反転住宅 (In Memory of Helen Keller) 公式サイト 「建物について」
https://www.rdloftsmitaka.com/about/ (2026年7月29日参照)
註2:荒川修作+マドリン・ギンズ - ARAKAWA + GINS Tokyo Office 「志段味循環型モデル住宅」
https://www.architectural-body.com/?p=1260 (2026年7月29日参照)
註3:三村尚彦・門林岳史編著『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ──天命反転する経験と身体』フィルムアート社、2019年 P29-P30
註4:アートと歴史にふれる自然の地形を生かした観光スポット 養老公園(岐阜県) 「養老天命反転地」
https://www.yoro-park.com/facility-map/hantenchi/ (2026年7月29日参照)
註5:東洋経済オンライン「五感を刺激!「三鷹天命反転住宅」のスゴい内部 球体の部屋や砂浜の様な床。気になる間取りも」5/8 pages
https://toyokeizai.net/articles/-/828496?page=5 (2026年7月29日参照)
註6:荒川修作+マドリン・ギンズ - ARAKAWA + GINS Tokyo Office「HISTORY」
https://www.architectural-body.com/?page_id=197 (2026年7月29日参照)
註7:三村尚彦・門林岳史編著『22世紀の荒川修作+マドリン・ギンズ──天命反転する経験と身体』フィルムアート社、2019年 P169