「大ゴッホ展」は福島で創られた

酒井 万里子

はじめに
人間の創造的営み全般を扱う芸術教養学科にあって、昨年来の「大ゴッホ展」という美術展【図1】に注目し、その制作的な契機や文化資産としての価値について評価報告を行う。今や美術的価値がきわめて高いゴッホ作品を総覧でき、来場者という点でも空前の規模となる大ゴッホ展は、なぜ福島県主導で実現に至ったのか。東日本大震災で津波だけでなく原発事故により甚大な被害を受けた福島県が、大ゴッホ展を主導しようとしたのはなぜか。その経緯や意義を調査によって浮かび上がらせてみたい。

基本データと背景
大ゴッホ展は2025年9月~2028年1月の長期にわたり2期制で巡回開催され、世界屈指の美術品を所蔵するクレラー=ミュラー美術館から、約100点にのぼるゴッホ作品が来日する。第1期は神戸市立博物館(2025年9月20日~2026年2月1日)、福島県立美術館(2026年2月21日~5月10日)、上野の森美術館(2026年5月29日~8月12日)とまわり、2027年2月から同じ3会場で第2期が始まる【1】。東京在住の私は、東京会場で鑑賞した【図2】。
会場に福島と神戸が含まれたことには、東日本大震災から15年に加え、阪神・淡路大震災から30年という節目にそれぞれの被災地で開催するという契機があった。3会場ごとに主催者が異なっており、福島で開かれた大ゴッホ展にのみ、13の組織からなる実行委員会が置かれている。この実行委員会は、福島県を筆頭に県の教育委員会、県立美術館、県立医科大学、福島市、福島民報社、テレビ局5社、ラジオ局2社という県内の組織のみで構成された【1】。日本での大規模な展覧会の場合、新聞社やテレビ局、大手の広告代理店が主催の筆頭に来ることもあり、今回の福島のような事例はとても珍しい。
2011年の東日本大震災から10年を経た5年前から、ハタインターナショナル、県立医大理事長(当時)、福島民報社事業局の3者によって、「福島の県民のために展覧会を開催したい」という思いが共有されていたという【2】。福島第一原子力発電所の事故から15年経ってもなお、いまだ自宅に戻れない人々や、風評被害の影響を受けている人がいるのが実情である【3】。復興の途上にある福島県が震災からの節目の年に、「本物の芸術を福島に呼んで、芸術でみんなを元気にしよう」【2】という取り組みを立ち上げ、「大ゴッホ展」の実現に至ったのである【図3】。

展覧会の事例間比較で特筆されること
ここで、類似した展覧会の主催について、3段階で対比してみたい。
まず第一に、同じ大ゴッホ展である福島会場と東京会場を比較すると、前者が実行委員会の主催に対して、後者は産経新聞社が筆頭でテレビ局のTBSが続き、会場である上野の森美術館が最後に来る。主催の記載は主導権の順に並ぶと考えられるので、東京展は美術館が催すというよりメディア主導となっている。
第二に、最近開催された他のゴッホ展はどうだろうか。2019年10月~2020年1月に上野の森美術館で開催された「ゴッホ展」では、産経新聞社を筆頭にテレビ局のBS日テレが続き、美術館は最後に名を連ねるにすぎない【4】。
第三に、「メガヒットとなった展覧会(1945-2020年)」【5】である61の展覧会のうち、ほとんどの場合で美術館が主催の筆頭だった。しかし、実行委員会が置かれたものは一つもなかったのである。
主催社がメディアや広告代理店によって主導される場合、何よりも宣伝に力を入れられる。あらゆる媒体で宣伝をかけることで入場者数が膨れ上がり、展覧会は成功したかに見えよう。だが実際は、多数の来場者がひしめき合う会場に作品が並び、芸術を鑑賞するにふさわしい空間になっているとはいいがたい。それに対し「大ゴッホ展」の福島会場は、福島県立美術館を含む実行委員会の主導で開催の意義を明確化して実現させた、稀有な例なのである。

福島会場の優れた点
この福島会場について積極的に評価できるのは、主催者側が鑑賞者を地元の県民として明確に定めたことである。まだ復興の実感を持てない人々や、将来を担う子どもたちに対して、「ゴッホ作品の持つ芸術の大きさを見せたい」【2】という力強いメッセージがあった。その理想の実現のために高校生以下を入場無料とし、小学校5年生から中学2年生までを校外学習として学校ごとに招待した。料金を無料にしたことで、何度も来館して絵を存分に鑑賞した子どもたちがいたという【2】。
「〔美術鑑賞の〕経験から何かを感じた彼らが、将来子どもや孫たちにその感動を引き継いでいってくれるかもしれない」【2】という実行委員長の言葉が深く印象に残っている。この理念は、大ゴッホ展の確かな精神的支柱となったのだと私は考える。また、放射線で傷みやすい絵画を福島で展示することによって風評被害を払拭し、福島のイメージを改善することへ繋がるとの期待もあったのだ。
このように地域に根ざした機関が集結して実行委員会を立ち上げ、地域住民のために美術展を開催したことはたいへん意義深い。異分野の機関を巻き込んでの誘致活動をまとめあげるほどの熱意があったからこそ、福島の大ゴッホ展は文化資産としての新たな価値を持ったと言えよう。

日本で美術展を伸長させるには
美術展の設営で苦心するのは、充分な鑑賞時間と混雑のバランスのとり方だ。近年、美術展のチケットは日時指定の予約制のところが多く、人気の美術展は当日券の扱いがなかったりもする。福島会場でも日時指定が行われたが、地域に高齢者が多く予約のやり方の問い合わせが頻出する事態となった【6】。美術館としては混雑をコントロールするべく予約制を取り入れるのだが、来場者の利便性も重要で、その両立が悩ましかったそうだ。今後の解決策として、比較的すいている平日の午後早く【図4】に、高齢者が予約なしで入場できるようにするなど、工夫できる余地があるのではないか。
さらに、今回の福島会場のような取り組みで美術展を実現していくと、主催者の原点が自然と美術館に移っていくだろう。美術展は、チケットが売れればよいという実利主義から一線を画さなくてはならない。なぜなら、本当に美術鑑賞をしたい人ができなくなるからだ。来場者は、主催者によって鑑賞自体が左右されるとは思わないだろうが、宣伝ありきで企画の規模と合わない会場に押し込められるのが現実なのだ。美術館が置き去りにされるような日本の美術展のあり方は、鑑賞者だけでなく芸術そのものを軽んじることの表れではないか。
日本では1980年代のバブル景気以降、「日本独自のマスコミ主導型の展覧会開催スタイルがより色濃く強固になっていく」【7】こととなった。ゴッホ展のように大規模な美術展ともなれば、「経済学をも援用し、市場という視点からのより大掛かりなアプローチが必要になるだろう」【8】との指摘の通り、「フェルメールをパンダにせなあかん」【9】といった「客寄せ」を最優先とするような商業主義が支配的になってしまった。日本における展覧会の長蛇の列を招いた元凶は、経済至上主義なのである。しかし、福島の大ゴッホ展はそれとは一線を画し、芸術作品と鑑賞者が主役とされた。これは美術館が美術展を主導する本来の開催のあり方と捉えられよう。

まとめ
人はなぜ美術展に足を運ぶのか。それは時や場所を超えてやって来た本物の絵画に出会いたいと思うからこそだろう。今回のインタビューから私が強く感じたことは、オリジナル作品でしか得られない芸術の力を伝えたいという、大ゴッホ展実行委員会の熱意であった。実際、大手のマスメディアが主導しなくとも、実行委員会を立ち上げて開催することで、福島県立美術館の企画展の最多入場者を大きく上回る来場が実現したのである。この優れた取り組みを全国の美術展に広げていけば、美術館が主体となった運営を取り戻し、美術愛好家だけでなく市民の真の啓蒙となるような美術展の実現が期待できよう。

謝辞
本レポートの作成にあたり、取材を快く引き受けてくださった大ゴッホ展実行委員長の関根英樹様(福島民報社 取締役)、大ゴッホ展福島会場主担当の濱田洋亮様(福島県立美術館学芸員)、大ゴッホ展担当部署の長沢秀光様(福島民報社 事業局事業部長)の三氏に厚く感謝したい。また、議論を支えてくれた家族に感謝する。

  • 678834_1 図1「大ゴッホ展 福島会場」:福島県立美術館 インスタグラム (fukushima_kenbi), 2026年2月21日(転載許可済み)
  • 537462_1 図2「大ゴッホ展・福島会場のチラシ」(転載許可済み)
  • 678834_3 図3「福島会場の鑑賞風景」:福島県立美術館 インスタグラム (fukushima_kenbi), 2026年2月21日(転載許可済み)
  • 678834_4 図4「福島会場の混み具合」: X【公式】大ゴッホ展 福島展 (@gogh_fukushima), 2026年3月11日(福島県立美術館内、転載許可済み)

参考文献

脚注と引用文献
【1】 ハタインターナショナル発行『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』図録, 2025-2026年
【2】 大ゴッホ展実行委員長の関根英樹氏へのインタビューによる
【3】 新生ふくしま復興推進本部編「~ふくしまの現在(いま)~ 復興・再生のあゆみ 第19版」, 2026年
【4】 産経新聞社発行『Vincent van Goghゴッホ展』図録, 2019-2020年
【5】 古賀太著『美術館の不都合な真実』新潮新書, 2020年, pp.101-108
【6】 福島県立美術館の濱田洋亮氏へのインタビューによる
【7】 高橋明也著『美術館の舞台裏-魅せる展覧会を作るには』ちくま新書, 2015年, p.41
【8】 圀府寺司著「ファン・ゴッホ展覧会史」西洋美術研究 No.10 特集「展覧会と展示」三元社, 2004年, pp.52-63
【9】 秦新二・成田睦子著『フェルメール最後の真実』文春文庫, 2018年, p.10

参考文献
• 圀府寺司著『ファン・ゴッホ 生成変容史』三元社, 2023年
• 淺野敞一郎著〚戦後美術展略史1945-1990』求龍堂, 1997年
• 並木誠士・中川理著〚美術館の可能性』学芸出版社, 2006年
• 福島民報デジタル「大ゴッホ展/夜のカフェテラス 県都のにぎわい実感 県民の声」, 2026年5月22日(https://www.minpo.jp/articles/-/138241)
• 福島県立美術館ホームページ(https://art-museum.fcs.ed.jp/)

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