阿佐ヶ谷神明宮にみる、現代における神社の役割回帰

木村 龍巳

1.はじめに
文化庁の統計によると、神社の数は明治12年(1879年)から明治39年(1906年)にかけて20万社近くで推移していたが、明治末期に減少し、大正期から昭和13年(1938年)までは11万~12万で微減傾向であった。近年、東京は大きく変わらないものの、全国では直近10年の減少が顕著であり、2023年は前年より138社減り80,709社である(*1)(資料1)。2040年には3分の1の神社が消滅するという試算もある(*2)。
東京都杉並区には約30の神社がある。その中で「阿佐ヶ谷神明宮(資料2)」を取り上げ、地域に根差した神社像について述べ、現代における神社の役割について考察する。

2.基本データと歴史的背景
2-1.基本データ
・名称:阿佐ヶ谷神明宮
・所在地:東京都杉並区阿佐谷北1丁目25-5
・敷地:約3,000坪
・主な建造物:本殿(御垣内三殿)、拝殿、降臨殿、能楽殿、儀式殿、神明殿、大鳥居、瑞祥門(神門)(資料3)

2-2.歴史的背景
阿佐谷神明宮は旧阿佐ヶ谷村の鎮守様であり、祭神は天照大御神である。1836年に刊行された『江戸名所図会』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(「お伊勢の森」と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが始まりといわれている。建久年間(1190~1198年)に土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝した際、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っている。 その後、江戸時代後期に現在の地に移転した(*3)。
2009年に「平成の大改修」が竣工し、神明造りの御殿・神門、新しい祈祷殿や能楽殿などが誕生した。約3,000坪の境内はうっそうとした森をなしており、都内最大級の伊勢神宮勧請の神社である(*4)。
また、全国で唯一「八難除(*5)」を行う神社としても知られている。

3.積極的な評価点
地域との繋がりの観点から3つの評価点を述べる。
第一は、古くからの地域との共存である。阿佐ヶ谷神明宮が登場する書籍には、地域との深い繋がりを伺えるものが多々ある。上林暁が著した随筆を集めた『上林暁全集 第14巻』には祭りの様子が記されており、人々の気持ちの高ぶりや神輿の華やかな様子が描かれている。村尾嘉陵は『江戸近郊道しるべ』に「阿佐谷村神明宮道の記」と称する一節を著しており、道中に住民と交わした会話などが記されている。いずれも、阿佐ヶ谷神明宮が地域住民から古くから親しまれていることを伝えている。
第二は、能楽殿(*6)(資料4)における地域行事との連携である。能楽殿では本格的な能や狂言の上演が行われるとともに、江戸時代から伝わる郷土芸能であり区の無形民俗文化財に指定されている「阿佐ヶ谷囃子(*7)」や神楽など、さまざまな伝統芸能の奉納が行われる。そして、阿佐ヶ谷の大きなイベントである「阿佐ヶ谷ジャズストリート(*8)」の際はジャズの演奏会場となり、普段の厳かな能楽殿とは全く違う顔を見せる。
第三は、時代に合わせた工夫による参拝者増大である。そのひとつは、「神むすび(*9)(資料5)」である。レースブレスレット型のお守りであり、ファッション性に富み、手首に巻いたり、カバンやハンドバック、携帯電話につけて使用できるとして雑誌等にも多く取り上げられており、定期的に新しいものが提供される。また、刺繡入り御朱印の発祥の神社(*10)であり、時々に応じた特別な御朱印(*11)(資料6)を頒布している。地元で大きな人気があり、早々に頒布終了となることも多いとのことである。
このように、伝統に胡坐をかくことなく様々な工夫を凝らし参拝者の増加に努めるとともに、地域コミュニティの活性化を図る役割を果たしているのである。

4.同様事例との比較および特筆点
阿佐ヶ谷神明宮は全国で唯一「八難除」を行う神社であるが、杉並区には全国で唯一の神社がもうひとつある。気象の神様が祀られている「高円寺氷川神社(気象神社)(*12)」である。
両神社の共通点は、全国唯一でありながら地域に溶け込んだ神社であるということである。阿佐ヶ谷神明宮は、地域行事との連携や授与品の工夫により地域との繋がりを深めている。気象神社は、映画「天気の子」に登場し“聖地巡礼”の場として人気を博し 一時参拝客が急増したが、日頃祈願に訪れるのは、天気が商売に関わる人や結婚式等の大切なイベントを控えた人などの地元の方がほとんどである。
また、両神社とも、最寄駅から数分という利便性の良い場所にある。通勤・通学や買い物の序に訪れる機会が増え、地域との繋がりを深くしている。
次に、相違点について、2つの視点から述べる。
第一は、参拝者の層の広さである。阿佐ヶ谷神明宮は、初宮、七五三、成人式などの人生儀礼だけでなく、地域行事との連携を通じて参拝者の層を広めている。一方、気象神社は地域行事との連携は無い。気象神社では、家族イベントを控えた地元住民の他に、気象予報士試験受験者や晴天祈願するスポーツ関係者などが集う。気象に特化した神社であるため目的が明確である参拝者が多く、広い層に受け入れられているとは言い難い。
第二は、授与品の工夫のレベルの差である。気象神社では、御朱印のデザインを毎月替え参拝者の再訪を促しているが、同月のテーマは似ているものが少なくない。しかし、阿佐ヶ谷神明宮は、時々に応じた御朱印や神むすびなどのオリジナルの授与品を定期的に領布し人気を博しており、その工夫の差は大きい。
以上のように、全国唯一という看板をもつ両神社であるが、阿佐ヶ谷神明宮は地域行事との連携や独自の授与品の提供により、地域のコミュニケーションの場として広く親しまれている。住民との関係を深めることによって、日常の中で参拝者を集め、地域の活性化に繋げていることが最も特筆すべき点である。

5.今後の展望
阿佐ヶ谷神明宮は、様々な工夫で参拝の機会を増やしているが、地域行事との更なる連携によって、地域との結びつきをより深いものにすることができる。
阿佐ヶ谷には、「阿佐ヶ谷ジャズストリート」と並ぶ大きなイベントとして「阿佐ヶ谷七夕まつり(*13)」がある。そこで、広大な境内を活用した七夕飾りを行うとともに、能楽殿において七夕にちなんだ音楽の演奏を行うことが考えられる。七夕という伝統行事と神社の融合により新たな空間をつくることができ、今まで縁が薄かった人々が訪問する契機となる。
また、地域産業との繋がりも重要である。地元の大手工務店が区と提携し、クラシック音楽を中心としたロビーコンサート(*14)の開催をサポートしており、毎回立ち見が出るほどの賑わいである。この工務店と連携し、能楽殿をロビーコンサートの会場に使用することで、ジャズストリートとは違った層の拡大を図ることができる。経営事情の違う神社と地域産業との協力により、今までに無かった視点で地域のコラボレーションを広げることができる(*15)。

6.まとめ
2000年代初頭にパワースポットが話題になり御朱印ブームが広がった。その後、伊勢神宮の「式年遷宮」や出雲大社の「平成の大遷宮」も重なり、一部の神社は大勢の観光客を集めた。しかし、多くの神社は参拝客の減少が続き、神社の数は減り続けており、コロナ禍が拍車をかけた。
かつて、神社は地域のコミュニティ活動を活発にし地縁を深めるとともに、地域のアイデンティティを形成する役割を担っていた。しかし、近年、地域コミュニティの核としての機能が失われつつある。
「ソーシャル・キャピタル(*16)」という概念が、世界的に注目を集めている。一般的に社会関係資本と訳され、人と人との繋がりから生みだされる価値を指し、ソーシャル・キャピタルが高まると幸福度・健康度が高まるとする研究が多くある(*17)。現在、神社には地縁や地域コミュニケーションというソーシャル・キャピタルを高める機能が求められている。そのためには、地域に根差した活動が重要である。阿佐ヶ谷神明宮は、八難除を全国で唯一行っていることや歴史の長さに驕りをもたず、地域行事との連携、時々に応じた御朱印や神むすびといった様々な取り組みを行い、地域との融合を図ることを続けている。
「変わらない本質」と「時代への呼応」との両立により、地域コミュニティの核となり、地域の絆を深め、地域力を高めるという役割が、現代の神社に再び求められているのである。

  • 81191_011_32383060_1_1_(資料1)神社数推移_page-0001
  • 81191_011_32383060_1_1_(資料1)神社数推移_page-0002 (資料1)神社数の推移(全国、東京)(文化庁統計資料『宗教年鑑』より筆者作成)
  • 81191_011_32383060_1_2_(資料2)阿佐ヶ谷神明宮 (資料2)阿佐ヶ谷神明宮正面(2025年1月5日筆者撮影)
  • 81191_011_32383060_1_3_(資料3)境内地図 (資料3)阿佐ヶ谷神明宮境内地図(「阿佐ヶ谷神明宮 参拝のしおり」より筆者撮影)
  • 楽殿 (資料4)阿佐ヶ谷神明宮能楽殿(2025年1月5日筆者撮影)
  • 81191_011_32383060_1_5_(資料5)神むすび (資料5)神むすび(2025年1月5日筆者撮影)
  • 81191_011_32383060_1_6_(資料6)刺?入り御朱印 (資料6)刺繡入り御朱印(JR東海との共同奉製「三貴神とドクターイエロー」)(2025年1月5日筆者撮影)

参考文献

<注>
(*1)文化庁『宗教年鑑(令和5年版)』、文化庁、2023年
(*2)石井研士『神社神道と限界集落化』、神道宗教学会、2015年
 日本創生会議のレポート『地方消滅』に基づき、宗教学が専門の國學院大學石井研士教授が試算したもの。
(*3)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/yuisho-2/)2024年10月25日閲覧
(*4)伊勢神宮との深い関りは随所に見られる。
 本殿(御垣内三殿)には天照大御神が祀られ、東西の摂社には東に月読尊、西に須佐之男尊が祀られており、御垣内の鳥居は、2013年に行われた第62回伊勢神宮式年遷宮斎了後に譲り受けたものである。そして、降臨殿(祈祷殿)には、天照大御神の荒魂と豊受大神が祀られている。
杉並に鎮まる「お伊勢さま」とも呼ばれている阿佐ヶ谷神明宮は、境内の配置が伊勢神宮に似ており、さながら伊勢神宮のミニチュア版のようである。
(*5)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/yaku-2/)2024年11月2日閲覧
 八難除とは、年齢から来る厄年の災い(厄除)、方位や地相・家相を犯したことに起因する災い(八方除)、火や水や人の災い、因縁から来る災いなど、現世に数多ある災難厄事総てを取り除く御祈祷である。
(*6)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/keidai/)2024年11月2日閲覧
 能楽殿は、「平成の大改修」で旧神楽殿と旧社殿の木材を利用して改築されたが、鏡板の松の絵は、能画家・作面家の先生(狩野宗家系列)によるもので、伝統的な狩野派の構図を踏まえながら現代感覚を採り入れ、モダンな印象に仕上げられている。
(*7)杉並区ホームページ(https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/7579/131-1.pdf)2024年11月25日閲覧
 阿佐ヶ谷囃子は江戸時代末期の頃、横川初五郎、弁次郎の兄弟が師匠となって手ほどきしたものと伝えられている。この囃子は区内では最も早くから伝えられており、ここを源として井草をはじめ近隣の中野・戸塚・鷺ノ宮などにも流布していったという。編成は大太鼓(おおど)、小太鼓(しらべあるいはながれ)、笛(とんび)、鉦(よすけ)の5人で、テンポは中間の囃子である。
(*8)阿佐ヶ谷ジャズストリートホームページ(https://asagayajazzstreets.com/about/)2024年11月10日閲覧
 阿佐谷ジャズストリートは、「阿佐谷をジャズで明るく元気なまちに」を合言葉に1995年にはじまったイベントであり、地域の人々のボランティアによって運営されている。毎年10月末の2日間に渡って開催され、JR中央線の阿佐ケ谷駅を中心とする南北2キロの通りに沿って、駅前の広場、神社、教会、小・中学校の体育館、企業のロビー、喫茶店、レストランなど普段の生活空間がジャズの演奏会場となり、まち全体がジャズに染まる。「阿佐ヶ谷七夕まつり」と並んで、阿佐ヶ谷の2大イベントのひとつである。
(*9)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/kanmusubi-history/)2024年10月25日閲覧
 「神むすび」はレースブレスレット型のお守りであり、阿佐ヶ谷神明宮オリジナルのものである。2015年より領布を開始し、桜や紫陽花などの四季の花、七夕の天の川、お月見の月うさぎのように、時々に応じた特別な神むすびを提供している。
(*10)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/yamato-history/)2024年11月25日閲覧
 日本の伝統技術である美濃和紙と繊細で優美な刺繍を重ね合わせた御朱印であり、刺繍を入れた美濃和紙にお印をして授与されるもの。特別御朱印は阿佐ヶ谷神明宮が全国に先駈けて開発・頒布した飾れる御朱印である。
(*11)阿佐ヶ谷神明宮ホームページ(https://shinmeiguu.com/yamato-history/)2024年11月25日閲覧
 時々に応じて特別な御朱印を頒布しており、直近では、2024年9月に十五夜御朱印、11月に大和がさね御朱印、2025年1月にJR東海との共同奉製刺繍入り御朱印「三貴神とドクターイエロー」が頒布された。
(*12)高円寺氷川神社(気象神社)ホームページ(https://koenji-hikawa.com/kisho_jinja/)2024年11月21日閲覧
 神話によると、太陽神である天照大御神が天の岩戸に隠れて世の中が暗闇になった際、岩戸を開けて天照大御神を外界に戻す知恵を考え出したのが知恵の神様と言われる八意思兼命である。再び世界に「太陽」を取り戻し、世の中を救うことに成功したとして、気象の神様として祀られるようになったという。
(*13)阿佐ヶ谷商店街振興組合ホームページ(http://www.asagaya.or.jp/tanabata/tanabata.html)2024年11月20日閲覧
 阿佐ヶ谷七夕まつりは、1954年に始まった歴史ある祭りであり、2024年で68回目の開催となった。戦後の混乱の続く中、エアコンのない暑い盛りで客足が減る8月にも阿佐ヶ谷の街に人を集める目的で商店街が中心なって開催した。手作りの「はりぼて」やクス玉・吹き流し・提灯などが、700メートルに及ぶ商店街のアーケードに吊り下げられ、その下に屋台などが並ぶ。毎年8月初旬の6日間で行われ、アーケードだけでなく阿佐ヶ谷の街全体が七夕の装飾で彩られ、多くの観客を集める。
(*14)杉並区ホームページ(https://www.city.suginami.tokyo.jp/guide/bunka/kouryu/1005147.html)2024年11月20日閲覧
 杉並区は、1994年に日本フィルハーモニー交響楽団と友好提携を結び、区内公会堂でのコンサートや学校などへの出張コンサートを行い、音楽を通した区民の豊かな交流と地域文化の振興に努めている。さらに、2019年に地元の大手不動産業者である細田工務店がロビーコンサートのネーミング・ライツパートナーとなり、区役所等でのロビーコンサートのサポートを行っている。
(*15)栃木県真岡市ホームページ(https://www.city.moka.lg.jp/kakuka/pj_suishin/gyomu/jumin_katsudo/mokamachidukuriproject/machitsukuinterview/22527.html)2024年11月25日閲覧
 栃木県真岡市にある大前神社の禰宜である柳田耕史氏は、青年会議所に属し会長を務めており、その活動の中での地域の経営者とのコミュニケーションにより、考え方、立場、人間性を知ったという。
(*16)内閣府NPOホームページ(https://www.npo-homepage.go.jp/toukei/2009izen-chousa/2009izen-sonota/2002social-capital)2024年11月27日閲覧
 ソーシャル・キャピタルに関する世界的な研究者である米国の政治学者ロバート・パットナム(Robert.D.Putnam)は、ソーシャル・キャピタルとは「社会的な繋がり(ネットワーク)とそこから生まれる規範・信頼」であり、共通の目的に向けて効果的に協調行動へと導く社会組織の特徴であるという。
(*17)Putnam、HelliwellやPowdthaveeらは、ソーシャル・キャピタルが高まると幸福度が高まるという。また、市田行信、近藤克則、イチロー・カワチらは、ソーシャル・キャピタルが個人の健康を高める効果を有するという。

<参考文献>
・村尾嘉陵『江戸近郊道しるべ』、東洋文庫(平凡社)、1985年
・上林暁『上林暁全集 第14巻』筑摩書房、2001年(増補決定版)
・森泰樹『杉並区史探訪』、杉並郷土史会、1974年
・森泰樹『杉並風土記 中巻』杉並郷土史会、1987年
・『阿佐ヶ谷駅北東地区まちづくり 地域学習会 まちを知ろう ~阿佐谷の歴史と古道について~』、杉並区都市整備局市外調整課拠点整備係、2021年
・横溝良一「町づくりにおける寺院神社の意義」、中外日報、2017年
・森田椋也「地域社会の回復・持続に向けた社寺の運営に関する研究」、早稲田大学理工学術院総合研究所、2019年
・清水美砂「都市域における神社の緑の変容と保全に関する研究」、大阪府立大学、2007年
・藤本頼生「単なるパワースポットではなく地域のアイデンティティとしての神社」、國學院大學メディア、2020年
・要藤正任『ソーシャル・キャピタルの経済分析 「つながり」は地域を再生させるか?』、慶應義塾大学出版会、2018年
・伊藤高弘、窪田康平、大竹文雄、「寺院・地蔵・神社の社会・経済的帰結:ソーシャル・キャピタルを通じた所得・幸福度・健康への影響」、大阪大学社会経済研究所、2017年

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