
受け継がれる日本の伝統技術「からくり」の進化と発展 ー江戸から未来へ、時を刻むからくり人形時計ー
Ⅰ.はじめに
2022年に30周年を迎えた、からくり人形時計『白浪五人男』は、老朽化に伴い「令和の大改修」と言われる全面リニューアルが行われ、現在は建設当時の外観と動きを取り戻している。日本独自の伝統的な機械的仕組み「からくり」の変遷を辿ると共に、この修復に携わった「はまなす団」の活動を通して、からくり人形時計とその基盤であるからくりの今後の可能性について考察する。
Ⅱ.台詞付きからくり人形時計『白浪五人男』
Ⅱ‐Ⅰ.基本データ
1992年、愛知県名古屋市中区御園通商店街が御園座*¹の南西角に建設した、高さ12M.横約6Mの、歌舞伎の代表作『白浪五人男*²』の日本初の台詞付きからくり人形時計である(資1)。毎日10時半・12・13・15時半・17時の一日5回、5つの扉が回転して五人男の台詞付きの名場面「稲瀬川勢揃いの場*³(資2)」が7分間にわたって上映される(資3)。 音声は昭和4年当時の歌舞伎役者*⁴の貴重な肉声の復刻となっており、人形の表情や仕草、豪華な衣装と精密なからくりの動きは、本物の歌舞伎さながらの臨場感を味わえる。
Ⅱ‐Ⅱ.からくり時計
時計の有無に関わらず、特定の時刻(0分が多い)に、組み込まれた機構(からくり人形等)が光・音・水などを用いたパフォーマンスを行う、特殊な動きの機能を持たせた時計のことである。江戸時代に大衆化され、公共物として製作された、原則一点ものである「設備からくり時計」と、量産品として広く流通し、主に一般家庭での使用を目的とした「家庭用からくり時計」の2つに分かれる。
Ⅲ.歴史的背景
日本書紀に「指南車」というからくりが記載され、「山車からくり」として現在に伝えらえている。電力を用いず、人の手を離れても歯車の仕組みで作動する自動機械「からくり」の技術は、1551年にフランシスコ・ザビエルによって西欧からもたらされた「自鳴鐘(機械式置時計)」を修理のために分解したことが始まりとされる。
江戸時代のからくり技術者・発明家である、からくり半蔵(細川頼直)*⁵は、独学でからくりの研究を重ね『機巧図彙*⁶(資4)』を執筆、死後の1796年に出版・一般公開された。
この機巧図彙に傾倒した、からくり師・発明家の、からくり儀右衛門(田中久重)*⁷も独学で時計の修理を行い、1851年には不定時法*⁸を用いた機械式和時計「万年時計(万年自鳴鐘)(資5)」を製作するなど、日本の近代技術の発展に貢献した。
鎖国から開国への激動の時代に、最先端を行く西欧の科学や技術を受け入れ、より高度な技術へと深め、日本の生活文化・伝統と融合し、人々や社会に役立つ、西欧の産業・工業化とは異なる、日本独自のユニークな造形へと発展してきたのである。
Ⅲ‐Ⅰ.愛知県・名古屋市との関係性
1623年、徳川家康が登用した、尾張藩(愛知県)御時計師・津田助左衛門政之*⁹が、江戸末期に和蘭(オランダ)から伝わった時計を参考に国産第一号の機械式時計を製作した。 1734年には、尾陽木偶師(びようでぐし)初代玉屋庄兵衛*¹⁰が名古屋に移住し、遊興や祭りを奨励する七代尾張藩主徳川宗春のもと、山車からくり人形の製作や修復に携わり大いに発展した。 明治時代には近代的な機械産業へと展開し、鉄道車両・動力織機の誕生、昭和初期には鉄材の普及に伴い、ヤマザキマザック、愛知時計電機、トヨタ自動車といった、多くの企業が勃興し「愛知モノづくり文化・産業」の源流となった。
Ⅳ.はまなす団による取り組みと評価
「はまなす団*¹¹(資6)」は、全国各地のご当地からくり時計を調査・研究し、からくり時計の最新情報や魅力を情報発信している。調査の一環として、故障しているからくり時計の修理サポートや廃棄されるからくり人形の保全、現在動いているからくり時計を写真や動画で撮影し、それらの記録を行っている。
Ⅳ‐Ⅰ.活動の評価
①『白浪五人男』修復に際し、からくり人形を本物の役者に近付ける為の、専門の和傘店への依頼や、衣装の染めに拘り、《顔入れ》では「命を吹き込む事を意識する」ことで、より生き生きとした表情となっている。人形から命・魂や親近感、深い共感や感動、楽しさや充実感を得られることは、心身の安定と生活意欲の向上に繋がると考える。
②老朽化や部品調達の困難さといった経済的事情により、多くの時計が稼働休止・廃止、撤去される中、デジタル化によって今はもう見られないからくり時計の、貴重な映像の視聴・公開(発信)が可能となり、その結果、広く価値が認知され、地域の活性化に繋がると考えられる。
Ⅳ-Ⅱ.内面的評価
③からくり時計を、その空間を彩るもの、人々の時間の共有や記憶に内在するものと捉え、ただの機械ではなく人の心を動かすもの、心のゆとりや安らぎ、思い出に繋がる社会に不可欠な存在と考えている。
日本人独特の感性が、伝統技術と共に今も脈々と息づいており、今後のからくり人形時計の発展に資するものとして、以上3点を高く評価する。
Ⅴ.国内の他の事例と特筆すべき点
兵庫県神戸市のROKKO森の音ミュージアムでは、自動演奏楽器、日本のからくり人形や西欧のからくり人形であるオートマタ*¹²(資7)の展示や修理・保存を行っている。オートマタの機構の材料・動力のゼンマイ等は金属製で、小さく精巧な部品が多い為、非常に複雑な構造となっている。ミュージアムのスタッフは、オートマタの修復に関して「特に大規模な修理の場合、本場(ヨーロッパ各地)の専門の職人を招聘せざるを得ず、職人の確保や日本での長期滞在費用、代替部品の有無といった様々な問題が有る」と語っている。
日本のからくり人形は、修理を前提に作られ、自然由来の素材*¹³が用いられている為、発展途上国でも作ることが可能であり、修理を繰り返すことで100年200年と楽しめる持続可能な玩具となっている。
西欧オートマタが、合理性を重視し、動物や人間と同じ動作をするまでに機械が進歩した証として製作されたことに対し、日本のからくり人形は、人間をいかに楽しませ、喜ばせ、驚かせ、感動させるかを意図して作られており、人間主体の考え方、自然との共生思想は、日本独自の概念として特筆すべきである。
Ⅵ.今後の展望
「からくり」は、地球・環境にやさしい技術・技法として電力削減や二酸化炭素排出抑制が期待でき、全世界がよりサスティナブルな世界を実現する為に、また、災害大国である日本において電力使用が困難な大規模災害時等にも有益である。 はまなす団の白石廉は、「残すだけでは産業としても技術としても発展がされず廃れていってしまう、新しい技術や技法と融合させながら発展させていくことが必要だ」と述べている。 電力等の人工エネルギーに頼らない原始的な「からくり」の技術が、西欧の技術と融合し日本独自の技術として発展して来たように、その時代の文化・芸術・工芸・経済・風俗といった様々な分野と融合することで、今後の最先端技術や人に優しい人間主体のロボット開発等の新たな発明・発展、豊かな社会の実現に繋がるものと考える。
Ⅶ.おわりに
耐震や内部構造の老朽化といった長期的な課題を抱えながらも、からくり人形時計『白浪五人男』は、芸どころ名古屋のシンボルとして、過去・現在・未来を繋ぎ、行き交う人々の思いと共に時を刻み続けている。 先ずは、はまなす団の継続的な活動によって、からくり時計に対する認知度が高まり、興味を持つ人が増加することが重要である。 からくりの伝統技術が次世代に継承され、時代とともに融合・発展し、斬新でアイデア溢れるからくり人形時計が各地に作り続けられ、街や人々の生活にゆとりや彩りを与える芸術作品として存続することが大いに期待される。
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資1.[左]御園通商店街 からくり人形時計『白浪五人男』。5つの扉絵には役柄によってそれぞれ異なる隈取が描かれている。[右]時計の台座部分。「やっとかめ文化祭」に際し、臨時で時計を稼働させた為、中央に「臨時」の札が掛けられている。 (2024年10月26日 筆者撮影)
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資2.[左]『稲瀬川勢揃いの場』五人が次々と名乗りをあげる「つらね」と呼ばれる場面の台詞で、冒頭の「知らざあ言って聞かせやしょう」は弁天小僧の名台詞である。各台詞には掛詞や語呂合わせが多く使われている。
現代語訳は、歌舞伎の達人【白浪五人男とは?】 https://jp-culture.jp/shiranami/ を参照。[右]照明の演出もはまなす団がライティング設計しており、至る所に様々な工夫が施されている。(2024年10月26日 筆者撮影) -
資3.天候により上映が中止になることもある。動画URL https://youtube.com/watch?v=hNmwQvilVcM&si=DsKE-Vbbk3Jj0PCI (2024年10月26日 筆者撮影・録画)
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資4.[左上]機巧図彙は首・上・下の3巻から成る。[右上]茶運び人形の説明と構造(一部)。[左下]品玉人形の説明と構造(一部)。[右下]五段返り人形の説明と構造(一部)。
和楽web ロボット大国・日本の原点!? 江戸時代の「からくり人形」はとんでもない技術の結晶だった!2019.09.02 https://intojapanwaraku.com/rock/craft-rock/2503/ (2025年01月26日最終閲覧) -
資5.[左上]万年時計(万年自鳴鐘)西洋から伝わる新しい知識や技術を利用し、「時」と「暦」に関するあらゆる情報を、ゼンマイ仕掛けで一年間、自動的に表示する。全体が連動して動く機構の独創性やアイデアだけでなく、漆工や螺鈿、彫金などの美しい装飾を合わせ持つ。 セイコーミュージアム銀座 https://museum.seiko.co.jp/knowledge/inventors_04/ [上中]第1面 和時計表示部[右上]第2面 二十四節気書き込み部[左中]第3面 七曜・刻表示部[中央]第4面 十干・十二支表示部[右中]第5面 月齢・旧暦表示部[左下]第6面 洋時計表示部[下中]天頂 天球儀部 お江戸の科学 東京未来科学館(万年時計) https://www.gakken.jp/kagakusouken/spread/oedo/03/haiken2.html [右下]万年時計の広告 http://karakurifront.com/mannen/mannen.html (2025年01月26日最終閲覧)
(非掲載) -
資6.はまなす団 左から、白石.竹田.木村。『設備からくり時計100選』を毎年執筆・販売中。やっとかめ文化祭 2024年10月26日開催 名古屋のご当地からくり時計 in 大須・伏見〜街のシンボル今昔〜にて講師を務める。配布されたテキストには名古屋の中心部のからくり時計の位置.紹介.見学お勧めコース.稼働時間等が記載されている。(2024年10月26日筆者撮影) 同日に見学した中区大須の万松寺 からくり人形『信長』も素晴らしい。『信長』動画URL https://youtu.be/DP5jz8SjYcA (2024年10月26日筆者録画)
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資7.[左下]自動人形ピエロ・エクリヴァン エクリヴァンとは、フランス語で"手紙を書く人"という意味。夜遅く仕事から帰ってきたところ、ランプの灯りを頼りに羽ペンをスラスラと動かし手紙を書いていく。しかし、途中で睡魔に襲われ、羽ペンの動きが止まり、次第にランプの灯りも小さくなり、頭も傾き瞼も閉じて眠ってしまう…となった瞬間目を覚まし、灯りが小さいことに気付くと、ランプの芯を調節して灯りを大きくする。そして、また手紙を書き続ける…。(1986年 スイス ミッシェル・ベルトラン製作) 動画URL https://youtu.be/esoJuR-oKtg[右下]大型自動演奏楽器 ROKKO森の音ミュージアム (2024年10月19日筆者撮影)
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[上]ミニ茶運び人形キット(大人の科学マガジン 大江戸からくり人形の簡易版)工程が少なく、組み立ても前作(大江戸からくり人形)よりは容易だが微調整が必須で難しい。[下]ROKKO森の音ミュージアム オルゴール組立体験 一般コースと上級コースに分かれており、一般コースでは、約40曲の中から好きな曲を選ぶことが出来る。櫛歯のセット位置(髪の毛1本分の違い)によって音が変わる為、調整が難しい。 どちらも簡易版ではあるが、微調整が難しく非常に繊細な作業が必要とされる。([上]2024年09月10日筆者製作〔下]2024年10月19日筆者製作)
参考文献
【註釈】
*¹明治29年創業。2018年、名古屋市中区栄のタワーマンション内に、伝統と革新が融合する現
代的な劇場として新装開場した。歌舞伎やミュージカル、コンサート、歌手芝居、吉本新喜
劇、落語など多彩な演目が上演されている。 名古屋市公式観光情報「名古屋コンシェルジ
ュ 御園座」 https://www.nagoya-info.jp/ (2025年01月26日最終閲覧)
*²河竹黙阿弥作『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』の通称で、白浪狂言の代
表作。日本駄右衛門を頭とする五人の盗賊の物語で文久二年(1862)江戸市村座初演。
*³悪事がばれた盗賊団・白浪五人男が、桜咲く稲瀬川の土手で捕手に囲まれながら、頭目の日
本駄右衛門を筆頭に「志ら浪」と書かれた傘をさしながら、それぞれに堂々と名乗りをあげ
る二幕目第三場の名場面。五人の個性が現れた七五調の名台詞が聞きどころで、この場面の
みの上演の場合、タイトルが『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』とな
る。最後の一句を全員で言う「渡り台詞の演出」は、後の戦隊ヒーローものに影響を与えた
と言われている。 伝創館こども歌舞伎・若草歌舞伎【演目紹介】白浪五人男
https://kowaka-kabuki.sakura.ne.jp/wp/?page_id=4939 (2025年01月26日最終閲覧)
*⁴日本駄右衛門:七世松本幸四郎、弁天小僧菊之助:十五世市村羽左右衛門、忠信利平:六世
尾上梅幸、赤星十三:十五世市村家橘、南郷力丸:十三世守田勘弥。 名古屋市中区公式サ
イト中区内のからくり 白浪五人男より引用。
https://city.nagoya.jp/naka/page/0000096489.html (2025年01月26日最終閲覧)
*⁵〔4〕土佐藩出身で高岡郡葉山村の天文・暦学者片岡直次郎に師事し、天文学・理学・技
術・発明などに長じた万能科学者・技術者。からくり工学書ともいわれる世界に誇る『機巧
図彙』首・上・下の三巻を著した。 南国市公式サイト「からくり半蔵」として知られる細
川半蔵 https://city.nankoku.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnkey=274 (2025年01月26日最終閲覧)
*⁶江戸の須原屋書林から出版された三巻の書物から成り、機械仕掛の製作法を図解したもの
で、からくり時計・和時計に関する本である。4種の和時計、9種類のからくり人形の仕組
み、諸元寸法、製法が記載され、当時の世界最先端の機械工学書とされる。
*⁷〔2〕久留米出身でべっこう細工師の長男として生まれ、"東洋のエジソン"と呼ばれた発明家
で、からくり人形師として無尽灯や懐中燭台などの生活利器や万年時計などを製作した。幕
末には、蒸気機関や大砲の研究開発・製造に取り組み、近代日本の科学技術の先駆けとな
り、明治維新後、銀座に設立した店舗兼工場(田中製造所)は、日本初の民間機械工場、芝
浦製作所(東芝の重電部門の前身)となり、現在の東芝に至っている。 久留米市公式サイ
ト 田中久重ってどんなひと?
https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3030shuuzoukan/2013-1201-
0947-552.html (2025年01月26日最終閲覧)
*⁸〔6〕江戸時代の日本で用いられていた時間区分法で、太陽の動きに合わせて、1日を昼と夜
に分け、それぞれを6等分し、ひとつを「刻」という。季節により、また現在地の緯度によ
っても昼と夜の長さが変わり、時間の長さ(昼と夜の一刻の間刻)が一定しないことから、
不定時法と呼ばれている。現在は、1日24時間に分割して時刻表示を行う、定時法が用いら
れている。
*⁹京都の鍛冶師で、徳川家康の所有する舶来の機械式時計が故障した際に、修理に加え、複製
品を製作した。尾張藩の御時計師に登用され、以後津田家は代々藩の御時計師を世襲し、日
本独自の時刻制度である不定時法のもとに、時間を刻む和時計の製作に従事、名古屋にから
くりの技術を定着させていった。
*¹⁰尾陽木偶師とは、からくり人形師のことで、初代玉屋庄兵衛は京都で鶴などの動物のからく
りを得意とする細工職人であった。享保十九年(1734)に初代が名古屋に移り住み、現在
は、九代目(本名:高科庄次)まで承継されている。 九代玉屋庄兵衛後援会公式サイト
「からくり 伝統、歴史、技術。ものづくりを支える。」 http://karakuri-tamaya.jp/
(2025年01月26日最終閲覧)
*¹¹メンバーは白石廉・竹田翔悟・木村元輝の3名で、ポータルサイト「からくり時計@wiki」
の運営やメディアへの出演、同人誌販売も行っている。(白石廉は京都芸術大学美術工芸学
科総合造形コース卒業、現在は同大学大学院に在学中)からくり時計情報局はまなす団より
引用。https://hamanasudan.jimdofree.com/ (2025年01月26日最終閲覧)
*¹²〔3〕主に12世紀から19世紀にかけてヨーロッパで作られた機械人形や自動人形のことで、
ゼンマイ仕掛けのオルゴールの動力を利用して人形を動かす。18世紀には、フランスの発明
家ジャック・ド・ヴォーカンソンや、スイスの時計職人ピエール・ジャケ・ドローといった
からくり人形師が活躍し、19世紀にかけて上流階級の間で流行した。顔の表情を示すのに、
目や口を動かすものが多い。
*¹³〔1〕背美鯨髭(セミクジラヒゲ、現在は真鍮や銅で代用)・木・竹・糸(絹)・砂・水・
水銀等。
【参考文献】
〔1〕鈴木一義「江戸時代の「機巧」技術に関する実証的研究」国立科学博物館理工学研究部
1988.12.22,pp.41-61.
〔2〕「日本のものづくりの源流、田中久重を生んだ江戸時代再考」公益財団法人国際高等研
究所 IIAS塾「ジュニアセミナー」開催委員会 2017年VOL.02012,pp.3-30.
〔3〕鈴木哲郎「特集 からくり時計機構と美術」精密工学会誌 2000年66巻9号p.1348-1351
〔4〕堤一郎「江戸時代の「機巧」復元と継続技術教育用教材としての意義」職業能力開発総
合大学校 能力開発研究センター 2005年,pp.59-64.
〔5〕末松良一「からくり人形の匠に学ぶ」バイオメカニズム学会 2006年18巻p.1-10
〔6〕河本信雄「時計からからくり人形への技術の伝播~脱進調速機構を中心に~」
マイクロメカトロニクス(日本時計学会誌) 2013年57巻,208号,p.1-12
〔7〕韓三澤「からくり観点に基づくトヨタ生産システムの独創性と創発性ー仕組みと仕掛け
を中心にー」愛知工業大学大学院経営情報科学研究科 2017.09.05.