ゆるやかな都市祭礼を持続させるもの〜雑司が谷鬼子母神御会式の考察〜
はじめに
都市の祭礼には、どのような特質があるのか。稲葉陽二は、村の祭礼と都市祭礼との違いとして、「自発的なつながり」「ほどよい閉鎖性」「定時性」の3点をあげた*1。雑司が谷鬼子母神(ぞうしがやきしもじん)*2の御会式(おえしき)*3は、これらの特質をすべて備えている。都市住民の多い雑司が谷という地域内でほどよい閉鎖性を持ち、参加を強制されない自発的なつながりと、決まった日に固定された定時性で、希薄になりがちな都市の人間関係を繋いでいる。以上を踏まえたうえで、本稿では御会式をデザインの観点から「時間」と「コミュニティ」の二つの視点で評価する。また、他の祭礼と比較し「自発的なつながり」ゆえ「流動する参加者」を明らかにする。最後に関係者へのアンケートやヒアリングを基に、この祭礼の持続可能性を検討する。
1.御会式の概要と歴史的背景
日本最大級のターミナルであるJR池袋駅からほど近い場所に、江戸時代創建の日蓮宗法明寺がある。鬼子母神堂*4[図1]は、法明寺の飛び地境内にあり、古くから地域に親しまれてきた。鬼子母神堂の年中行事として、毎年10月16日から18日に御会式大祭*5(以下御会式)が執り行われる。祭礼のメインとなる万灯練供養(まんどうねりくよう)*6では、柄のついた太鼓[資料1]を手にした参加者が日没後に集合し、独特のリズムで叩きながら夜11時まで地域を練り歩く。地域図と練り歩きのコースは[資料2]に示す。講社*7の先頭には[資料3]に示す露払いの纏が舞い、最後尾には花飾りがついた万灯が夜空に揺れる。地域人口約9000人に対して延べ5000人以上が参加する盛大な祭礼である*8。
秋の季語*9ともなっている御会式の歴史は、江戸時代にさかのぼる。当時、江戸の郊外であった雑司が谷鬼子母神は池上本門寺、堀之内妙法寺とともに、多くの参詣者で賑わった*10。その後、万灯練供養は明治~大正期に再興したと伝えられている*11。戦中戦後の混乱期に中断されたものの、1950年には、地域の有志が集まって御会式復興会を結成し、戦火を逃れた鬼子母神堂で万灯練供養を再開した。1975年、宗教や法明寺に関係なく友人を集めて、自主的に設立する講社が増えた経緯から、各講社の代表からなる「鬼子母神御会式連合会」が結成される。結成当時の参加講社は9講社だったが、2000年以降は21講社に増えた*12。
2.デザイン性の評価
一見すると宗教行事に見えるこの祭礼を、【時間のデザイン】と【コミュニティ運営】について評価する。
2-1 時間のデザインの評価
多くの祭礼が担い手や見物客の減少に伴い週末に日程を変更する中*13、雑司が谷の御会式は日程を変えていない*14。これは日蓮の命日を弔う祭礼であることが理由である。平日開催でも参加者が維持できるのは、交通利便性の高い都市祭礼ならではの特性である。中西紹一はキリスト教を起源とする日曜日やイスラム教のラマダンの例をとって「ある一定の時間や期間に特別な行為を行うことで、その時間に特別な意味を与えている」*15とし、それを「時間のデザイン」とした。御会式は信徒のためだけの祭礼ではないが、西洋から伝播した時間の概念を超えた、日蓮の忌日に対する宗教的な意味を持つ。見方を変えれば、日程が変わらないことで参加者は予定を組みやすいうえ、曜日が毎年変わることで、都市を利用する様々な属性の人に認知されることは、この祭礼に埋め込まれた時間のデザインといえる。
2-2 コミュニティ運営の評価
本来は、日蓮宗の行事であるが、雑司が谷の御会式は参加の間口が広く、信仰する宗教にとらわれない。その理由について住職の近江氏は「鬼子母神の氏子の祭礼であるから16」と語っている。地域住民を中心とした「講社」というコミュニティは、新住民のみならず地域に縁のない人も積極的に受け入れている。講社は御会式連合会に所属し、法明寺、警察、消防と協議を行って、祭礼の安全な遂行に努めている。また、御会式は「遠征」という他地域への参加が特徴である*17。遠征は、関東近県の日蓮宗の寺に広がり、雑司が谷の講社が、ひとつにまとまって参加することもあるという*18。この時は、地元の御会式では運営にあたっていた役員が、気兼ねなく太鼓を叩き、純粋に祭礼を楽しんでいる。また、地元の御会式ではできなかった講社や世代を超えての交流ができる貴重な機会となっている。
以上のように、本来の宗教的な意味やルーツを残しながら、そこに埋め込まれたデザインを生かして、現代につながる都市祭礼として発展してきたことを評価する。
3.組織運営から見る特質
都市祭礼の類似事例として岸和田だんじり祭*19を取り上げ、その組織運営について比較を行う。当祭礼の組織運営に関しては、多くの研究がなされており、山田浩之は「ソーシャル・キャピタルの塊」*20と表現し、その年齢階梯組織を評価している。また当祭礼は、タテとヨコの組織で強固に結ばれている。タテの組織(町内の祭礼団体)は、町会長の下に世話人、若頭、組、青年団、少年団という年齢別で構成している(図2左)。ヨコの組織(祭礼運営の組織)は、年番を頂点とする町内の各組織の代表者からなる連合組織というネットワークを構築している(図2右)。連合組織に派遣される者は、「祭りのエリート」*21として、その後、各組織を横断しながら、螺旋状にキャリアを形成していく*22。このように幅広い世代で統制のとれた組織を有している点が、岸和田だんじり祭の大きな特質である。
御会式には、年齢階梯組織や世代ごとの連合組織が存在しない。講社では、責任者である講元の下に運営役員と、祭礼当日、講の半纏を着て参加する講員で組織される(図3左)。万灯や纏など危険が伴うものは、講元から認められた経験者が担い、纏や太鼓は、大人や地元小中学校の先輩が練習会に参加して教えることで、ゆるやかな年齢階梯を構成している。ただし、その拘束性は弱く、御会式の参加者(特に若い世代)は、自由で流動的である。太鼓ひとつあれば参加できるため、子供は、もらえるお菓子や友達付き合いで参加する講社を移動する*23。大人も、講社にいる友人や、当日の練供養の順番で流動する*24という性質があり、地縁にこだわらない特定の講社に多く人が集まる傾向がある。200人以上集まる講社が「不思議と人が集まる」*25というのは、そうした紐帯の”ゆるやかさ”から生まれる「流動性」であり、御会式の特質と言える。
4.今後の展望
講社へのアンケート*26[資料4]によれば、コロナ禍以降も参加者は減少していないという回答が63%を占めた。そのためか、74%の講社は新規参加者の獲得に積極的に取り組んでいない。しかし講元や役員は高齢化*27が進んでおり、役員や若手の育成に関しては苦慮している姿が明らかになった。ヒアリング*28した講元Aは「若い時に目一杯楽しんだ者の中から、次の担い手が育っていく」と語った。しかし、必ずしも自分の講社の担い手になるとは限らない。「講社の法被を買ってくれたら、まず他所に行かない」という講元Aの言葉が、その流動性を表している。
連合会という組織が立ち上がり、時代に合わせてルールを作る中で開催の持続性は担保されたが、講社を横断して次世代を育成する仕組みはなかった。御会式連合会も岸和田だんじり祭を参考に青年部(図3右)を組織することで、互いに親睦を深め、御会式の未来を語り合う、責任と役割を持った担い手が育つのではないだろうか。ただしそれはあくまで若い世代の「自発的」な取り組みが必要である。年長者が決めた仕組みでは「封建的な地縁の桎梏(しっこく)を突破できない」*29ことであろう。
おわりに
豊島区は2014年に消滅可能性都市に指定されたが、区の努力もあって2024年に脱した*30。豊島区の人口はコロナ禍以前に戻りつつあり、小学校の児童は近年増加傾向*31である。雑司が谷は地域祭礼において恵まれた状況であり、危機感は少ない。しかし、一部の講社の活動休止など、運営の世代交代において岐路に立っている*32。そのような御会式が「流動性」という自由を享受しつつも、地縁に基づく伝統を継承する組織をどのように構築していくのか。ゆるやかな都市祭礼を持続させている、この4つ目の特質が、今後御会式をどのように変えていくのか。この先も御会式のコミュニティを観察し、研究していきたい。
- 図1:雑司が谷鬼子母神堂(2023年10月8日筆者撮影)
- 資料1:両面太鼓と団扇太鼓(御会式連合会写真コンテスト第40回入選作 小池基夫氏が2018年撮影)(資料:筆者作成)
- 資料2:地域図、練り歩きのコース(国土地理院 地理院地図Vectorより筆者作成)
- 資料3:纏(まとい)と万灯(まんどう)(御会式連合会写真コンテスト第41回最優秀賞作 小池基夫氏が2019年撮影)(資料:筆者作成)
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図2:岸和田だんじり祭の組織図
(樽谷幸頼(2013)大阪市立大学大学院 都市系専攻修士論文概要集 図1、2 を基に筆者作成) -
図3:御会式の組織図
(御会式連合会WEBサイト、講元へのアンケート・ヒアリング を基に筆者作成) - 資料4:「講社の新会員募集のための意識調査」 アンケート実施方法:御会式連合会定例会(2024年5月24日)にて、19講社がアンケート用紙に回答 (資料:筆者作成)
参考文献
註:
*1 参考文献[1]p29において稲葉陽二は、新たなコミュニティ政策のあり方研究グループ(2009)で指摘されたこの3点の特質を「無尽」の優れた仕組みとして引用し、「村落と都市の祭礼との違いにもそのまま当てはまる」としている。
*2 雑司が谷の鬼子母神は「鬼」の字の角(つの)が取れているのが正式である。
*3 本来の「御会式」の意味は「法会の儀式」の略語であり、日蓮宗に限ったものではないが、ここでは、日蓮を祖師とする諸派の寺において、日蓮の命日に行われる法要と万灯練供養のことを指す。※筆者演習1レポート「雑司が谷における御会式万灯練供養の継承について」の註より引用。
*4 法明寺鬼子母神堂(東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20)本殿は寛文4年(1664)10月20日に上棟、広島藩2代藩主の浅野光晟の正室、満姫の寄進で建立した。参考文献[2]上野勝久「雑司が谷鬼子母神堂の建築について」p169
*5 法明寺では13日に「宗祖御会式」として法要を行なっており、16日~18日は鬼子母神の年中行事の「御会式大祭」として区別している。本地域では一般名として「御会式(おえしき)」と呼んでいる。※筆者演習1レポート「雑司が谷における御会式万灯練供養の継承について」の註より引用。
*6 万灯練供養は、檀信徒が万灯と呼ばれる造花で飾られた塔を模したものを中心に、鉦や太鼓を叩いて練り歩く行事のことである。※筆者演習1レポート「雑司が谷における御会式万灯練供養の継承について」の註より引用。
*7 「講社」とは、ここでは万灯練供養に参加する地域住民からなる組織。参考文献[3] p67 で望月は日蓮を祖師とする法華信仰においては、講の信仰活動として「1.寺院への年中行事への出仕、2.身延山久遠寺や祖師ゆかりの寺院へ巡拝、3.講中で信仰活動を行い、講員の廻向・祈願を行う」と分析している。本稿の「講社」に関しては、この「講」とは違い、信仰的な機能はないものとする。※筆者演習1レポート「雑司が谷における御会式万灯練供養の継承について」の註より引用。
*8 参加人数について正確に集計されたデータはないため、参考文献[4]のp100表[3]を参考とした。地域人口に関しては、参考文献[4]のp101表[4]で記載された主要4地域(南池袋3丁目、南池袋4丁目、雑司が谷2丁目、雑司が谷3丁目)の人口を、2024年の豊島区住民基本台帳より集計した。2010年は8020人であったが、2024年には8957人に増加している。※筆者演習2レポート「雑司が谷の御会式コミュニティに対する評価と提案」の註より引用。
*9 秋の季語「御命講(おめいこう/おめいかう)」 句例:御命講や油のやうな酒五升 芭蕉『小文庫』
*10 史料に残る記録では、参考文献[5] 「御会式の歴史」p6で、「文政12年(1829)の序をもち天保5年から7年に出板された『江戸名所図会』巻4は、「鬼子母神堂」の項に「十月八日 御衣替へあり。今日より十八日まで参詣群衆す。これを会式詣といふ。近世は二十三日まで参詣あり」と記載がある。また参考文献[2]「御会式と練供養」 p272で斉藤月琴の『東都歳時記』に多くの人を集める寺院として、堀之内妙法寺と雑司が谷法明寺が紹介されている。
*11 参考文献[5] 「御会式の歴史」 p7に「明治期については『高田町史』(昭和8年刊)は明治26年(1893)に万灯を復興し、御会式が10月12日から18日までになったと記している。」とある。
*12 筆者演習1レポート「雑司が谷における御会式万灯練供養の継承について」より引用。参考文献[2] 「御会式の今」 p277-278
*13 近年では、神奈川県の真鶴貴船祭りが毎年7月27日、28日から「7月最終土曜日及び、その前日から」に変更された。https://kibunematsuri.jp 2024年7月20日閲覧
*14 御会式万灯練供養の日程について、日蓮入滅の地である池上本門寺(東京都大田区)は、お逮夜の10月12日、雑司が谷鬼子母神では、10月16日〜10月18日が御会式大祭となっている。ほかにも堀之内妙法寺(東京都杉並区)は10月13日、練馬区の本覚寺(東京都練馬区)は11月22日など日程が決まっているが、寺によっては人が集まらない理由から週末に変更を余儀なくされるケースもある。10月以降、関東を中心に90を超える御会式のスケジュールが「お会式ネットー池上本門寺お会式ほか御会式総合サイトのお会式カレンダー」に記載されている。https://oeshiki.jp 2024年7月20日閲覧
*15 参考文献[6]p16より引用。
*16 法明寺住職 近江正典氏は『音鳴りやまぬ-ドキュメンタリー映画-』で次のように語っている。「江戸時代には鬼子母神さんがこの地域の氏神だったんです。明治になって神仏分離がされてから別れましたけれども、それまでは鬼子母神さんがこの地域の氏神だったんです。ですからこの地域の人たちって鬼子母神の氏子なんです。なので、この地域の人たちがこぞってお参りをする。」
*17 参考文献[3]p65に古くは日蓮宗の題目講が起源であり、都市部では、祖師の遠忌や年中行事の折に、盛んに江戸市城の法華寺院への参詣が行われていたとある。現在、日蓮が入滅した池上本門寺(東京都大田区)は、お逮夜に当たる12日の夜、遠征講社が全国から集まり、参詣者は30万人とも言われている。雑司が谷の講社は、池上本門寺の他に、堀之内妙法寺(東京都杉並区)、練馬区の本覚寺(東京都練馬区)などに遠征する。
*18 「車で乗り合って遠征に行く。遠征時は万灯を持って行かずに、纏と太鼓で参加することが多い」講元Aヒアリング(2024年1月29日実施)
*19 「岸和田だんじり祭」については岸和田市のWEBサイトが詳しい https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/ 2024年7月20日閲覧
*20 参考文献[1]p36より引用。山田浩之は本書p20 で、ロバート・パットナムのソーシャル・キャピタルの定義を「協調的行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる信頼、規範、ネットワークなどの社会的仕組みの特徴」と紹介したうえで「人と人との間の絆をソーシャル・キャピタルという」としている。
*21 参考文献[7]p32より引用。
*22 参考文献[7]p32より引用。
*23 「小さい頃は地元講社で参加していた子が、中学・高校生になって別の講の友人の所で一緒に太鼓を叩いたり纏を振ったりしているのを見かける」連合会役員からのメールより。
*24 「仕事で間に合わないと、出発の遅い講社に混ぜてもらって(太鼓を)叩かせてもらった」講元Aヒアリングより。
*25 講社へのアンケート設問8「新規募集をしていない理由」の自由記入欄から。
*26 講社へのアンケート「講社の新会員募集のための意識調査」(2024年5月24日実施)
*27 講社へのアンケート設問1、2を見ると、講元は60歳以上が69%(うち70歳以上が16%)を占め、講社役員は40代以下がゼロであった。
*28 講元Aへのヒアリング(2024年1月29日実施)
*29 参考文献[1]p29~30から引用。
「地域はある意味で個人を拘束し、その行動を制限する。近隣のつきあいは、相互に助け合う面を持ちながら。同時に監視しあう面もある。それが『むら』的組織の関係として固定し てしまうと、おたがいに足を引っ張り合い、嫉妬しあう陰湿な集団になりかねない。かつてそのことは、伝統的集落に潜む差別構造として指摘され、封建的な遺制として批判の種になってきたものである。封建的な地縁の桎梏(しっこく)を突破できないと、いわばアリジゴクに落ちたように地域にからめ捕られてしまう面がある。それを逃れるために、人々は故郷を捨てて都市に向かい、都市の自由な空気をもとめてきたという面のあることも理解すべきであろう。」(米山1999:15−16)
*30 人口戦略会議 令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート
https://www.hit-north.or.jp/cms/wp-content/uploads/2024/04/01_report-1.pdf 2024年7月20日閲覧
*31 豊島区の住民基本台帳によると豊島区の総人口は291650人(2024年1月1日現在)で10年前から2万人増加している。祭礼地域の中心に位置する豊島区立南池袋小学校では、この10年で児童数が27%(122名)増えている。(南池袋小学校の「学校だより」より平成26年度(2014)と令和6年度(2024)を比較)※筆者演習2レポート「雑司が谷の御会式コミュニティに対する評価と提案」の註より引用。
*32 2024年、講社役員の高齢化により1講社が活動休止となった。
参考文献:
[1] 山田浩之編『都市祭礼文化の継承と変容を考える』、ミネルヴァ書房、2016年。
[2] 威光山法明寺・近江正典編『雑司ヶ谷鬼子母神堂開堂三百五十年・重要文化財指定記念
雑司ヶ谷鬼子母神堂』、勉誠出版、2016年。
[3] 望月真澄『江戸の法華信仰』、国書刊行会、2015年 。
[4] 奥井 麻子ほか「雑司ヶ谷研究 その 2― 御会式開催支援における人の繋がり―」、日本女子大学、2012年。
https://zoshigaya.org/pdf/zoshigaya-study/zoshigaya-study2.pdf 2024年2月27日閲覧
[5] 豊島区教育委員会『豊島区文化財調査報告 8 雑司が谷鬼子母神御会式調査報告書』、2014年。
[6] 中西紹一、早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く―』、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年。
[7] 有本尚央「岸和田だんじり祭の組織論 祭礼組織の構造と担い手のキャリアパス」、ソシオロジ 57 (1)、 21-39、181、 社会学研究会、2012。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/57/1/57_21/_pdf/-char/ja 2024年7月20日閲覧
[8] 樽谷幸頼「岸和田だんじり祭りと地域生活に関する研究-岸和田市大北町を対象として-」、大阪市立大学大学院 都市系専攻修士論文概要集、2013年。
https://www.i-repository.net/contents/osakacu/kiyo/111G0000009-2012-031.pdf 2024年7月20日閲覧
[9] 野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐもの-コミュニティ・旅・学びの歴史-』、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年。
[10] 長岡参監督『音鳴りやまぬ-ドキュメンタリー映画-』、公益財団法人としま未来文化財団、2022年製作。
付記:アンケートやヒアリングに多大なご協力をいただいた、御会式連合会会長川井誠氏と各講社の講元に感謝したい。