「エレガントな三条通」〜車より人が強い通り〜

村上 裕美子

はじめに
三条通を寺町通から西に散策すると、1928ビル、家邊時計店、SACRAビル、TSUGEホテル、京都文化博物館別館、中京郵便局とレトロな建物を堪能することができる【図5】。改めて検証すると、車がクラクションを鳴らさず人の後ろをゆっくり走るのが恒常化していた【図1】。しかしこの現象について日本での他事例を見つけることができなかったが、景観工学の専門家から「人の圧に車が負けているのではないか」というヒントをいただいた。これを参考に考察する。

1.基本データと歴史的背景
1−1 歴史的都心地区
烏丸通〜四条通〜河原町通〜御池通の中を歴史的都心地区という【図4】(註3)。この中にはマス目状に狭路があり、縦の通りが東から西に御幸町通、麩屋町通、富小路通、柳馬場通、堺町通、高倉通、東洞院通があり、互い違いに一方通行となっている。また横の通りが北から南に姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通があり、互い違いに一方通行となっている。寺町通から河原町通の間は複数のアーケード街からなり、河原町通から車で入ることはできない。三条通は、東は旧東海道の山科から西は嵐山までつづく道であるが、当レポートではこの歴史的都心地区にある寺町通の西端〜烏丸通までの間の約640mを対象とする。幅は場所によって異なるが側溝と歩道と道路を合わせて約6.5〜7mしかない【図3】。また道路を挟んで左右に約1.3mの歩道がある。

1-2 歴史
三条通は元は三条大路といった。平安京では大路の規格は定められており、約24mの道幅があった【図2】。これが時代を経て道幅が狭くなり三条通と呼ばれるようになったが、河原町通の先にある三条大橋は江戸時代には東海道五十三次の終点となり、三条大橋が京の表玄関となった。明治時代になると日本銀行(現京都文化博物館:重要文化財)や、京都郵便局(現中京郵便局:京都市登録文化財)などが作られ、西洋建築物が建ち並ぶメインストーリートになった。しかし、これらコンクリート構造物があるために道路幅が拡張できず、拡幅できた烏丸通や四条通がメインストリートとなった。三条通は取り残されたことで歴史ある美しい建物【表1】が残ったのである。(註4)(註5)

1-3 京都独自の文化
通りが町の区切りとなることが多いが、京都では通りを挟んで町が成り立つのが特徴である。弁慶石町、中之町、桝屋町、菱屋町、梅忠町が連なり三条通を挟んで一つの町を形成している【図5】。町が通りを挟むことが三条通を中心とした歴史と文化を醸し出すこととなったのである。

2.評価
2-1.通りにおける空間の変化
2000年三条通は歩車混在型空間に向けて歩道と車道をフラットにした。その当時【図6】右側歩道に車が停まっているので、左側の歩道に人が溢れかえり、人は周りの動きや車を意識しながら歩いている。車道と歩道の認識が厳密に分かれていることから、通りは車を主とする空間であるといえる。フラット化は重要であるが、人間の認識を変えるには至らなかったのである。一方現在【図7】では歩道に車は無く、人は歩道からはみ出して自分のペースで歩いている。車が歩行者を避けているので、歩車混在型空間に変わったことがわかる。

2-2.どのように歩車混在型空間にしたのか
歩車混在型空間にするには、道路と認識させる要因を取り除く必要がある。要因としては車の量、路面のアスファルト、歩道と道路を分断する枠がある、信号機、駐車、速度制限、放置自転車がある。これを路面のアスファルトを除き逆にアプローチをしていった。具体的には、駐車場・駐輪場の設置や信号機の撤廃を行なった。また荷物の搬入を朝に集中させ、自転車や台車での配送化により業務車両の数を減らしており、烏丸通への流出をH22年とH28年を比べて1.7%削減させている。【図8】【図9】【表4】【資料1】

2-3.丁寧で希少な美しさはエレガントである
建物看板が景観の良いものに収まっている。歩道はゴミや放置されたものがなく清潔である。マンションの自転車が見えにくくして生活感を出さない工夫をするなど、町の佇まいとして、上品にまとまっている。日本の美しい和風の景観は他にもあるが、明治時代からのこる美しい赤レンガの建物など、100年に残る美しい西洋建物が並んでいるのは他にはないここだけの景観である。人はエレガントなものに対して、粗雑にできないという圧を感じる。(註4)

2-4.道路は誰のものか
【図7】では、車と人が相対しており、アイコンタクトにより車が歩行者を避けている。ところが車と人が相対しない【図1】では、これが成立しない。通りが狭く散策者が多いと、道路に対して人の密集度が上がる。車を動かすのも人である。車の台数が少なく、自分にとっての味方がいない。このような空間においては運転手は人として集団の人に対峙するので人の圧に運転手が負けてしまい【表3】、人の後ろをついて走るのである。これらのことから三条通は歩車混在型空間から次のフェーズである人が通りの主人となる通りにシフトしたといえる。【資料2】(註1)

3.四条通との比較
四条通は元は四条大路といった。時代を経て道幅が狭くなり四条通と呼ばれるようになったが、明治時代に道幅拡大されて京都のメインストリートとなった。この四条通に京都大丸百貨店が1912年に建てられた。その後増改築を繰り返して現在の建物となった。(註7)河原町〜烏丸通の少し手前まで歩道の上に屋根があるので、雨に濡れずにショッピングができる。歩行者は屋根で階上をみることはできない。百貨店にとって見えない階上は景観として気にしないということである。対して三条通には1902年旧京都郵便局が建てられた。1973年取り壊されるところ、保存運動が起こり、ファサード建築という方法で外観を残した。この建物を見るのに遮るものは無い。見たいものがみれる良い景観ともいえる。

この二つの建物は、そのまま通りの性格を表している。四条通は京都のメインストリートとしての役割やショッピングや、観光による産業振興という目的があるので、歩道と車道が分離していることが求められている。また個性をもった建物を維持するよりも、商業施設としてお客にアプローチしたいのである。一方旧京都郵便局は、100年に残るレトロ建築として地域や散策者に愛されながら、地域の中で郵便局としての活動をしているといった性格の通りであるので、歩車混在型空間が好まれるのである。(註1)(註7)(註8)【資料3】

4.今後の課題
三条通は、散策を目的に訪れる人が25%あり、ほぼ毎日から年1回までのリピータがいて、徒歩10分圏内のご近所の方は12%であることから、ご近所以外の方もよく通る散策するのに楽しい通りことがわかる【資料4】。現在は程よく快適な散策ができるが、オーバーツーリズムで人で溢れかえるようになると、騒音や混雑や渋滞など沿道住民の生活が脅かされる【図10】。また、三条通は人の圧が高いので、三条通りから道を折れて他の通りに流れるケースが見受けられた。人が強い道路から車が強い道に流れるのである【図11】。この地域は「職住共存地区」生活の場でもあるので、車を入れなくすることは難しい。関係者と歴史的都心地区全体の課題として議論を重ねて、解決策を探る必要がある。【図12】

5.まとめ
京都市は碁盤の目の町割りが広範囲に広がっており、平安京の条坊制を継承しているかのようである。しかし道幅の変更など都市計画事業として土地区画整理が行われてきたのである。通りの景観は眼に見える道路と沿道から成り立っており、三条通ではそこにエレガントという要素が加わる。散策者は文化や歴史に培われた、希少で丁寧な佇まいに触れて楽しみたいという気持ちである。車道や歩道、西洋建築を視てそれを受け止めるのは人である。車より人が強い通りに変化したように、人の認識を変えることは人に優しい世界を作り出す一つの方法となりえるのだ。(註9)

  • 81191_011_32286077_1_1_卒論三条1_page-0001 三条通Page1
  • 81191_32286077_1_1_E4B889E69DA1E9809AEFBC92_page-0001 三条通Page2
  • 81191_011_32286077_1_3_卒論三条3_page-0001 三条通Page3
  • 81191_011_32286077_1_4_卒論三条4_page-0001 三条通Page4
  • 81191_011_32286077_1_5_卒論三条5_page-0001 三条通Page5

参考文献

<参考文献>
・堀繁著『景観からの道づくり』財団法人 道路環境研究所、2008年8月3日発行(註1)
・原島広至著『京都大路散歩』学芸出版社、2022年10月22日発行 (註4)
・田口武一著『美しくなれる建築なれない建築』彰国社、1993年9月10日発行 (註6)
・森安正・生田誠・高田聡編集『集う京都20世紀ホテル・百貨店・四条通の絵葉書』京都絵葉書研究会、2018年9月1日発行(註7)
・郵政大臣官房建設部著『建設記録/中京郵便局』郵政大臣官房建設部、昭和54年5月発行(註8)
・丸山宏・伊従勉・高木博志編者『近代京都研究』思文閣出版、2008年8月20日発行(註9)
・京都府京都文化博物館『京都文化博物館別館 重要文化財建造物 旧日本銀行京都支店のいま・むかし・みらい」京都府京都文化博物館、2024年3月31日発行
・白幡洋三郎監修『京都市今昔写真集』樹林舎、2008年12月12日発行
・京都市都市計画局都市景観部 景観政策課発行・編集『京都の景観』京都市印刷物第253247号 

<以下は京都市中京区役所地域力推進室から入手した資料である>
・三条通車両走行スピード調査実施結果報告書、京の三条まちづくり協議会、平成27年3月
・京の三条まちづくり協議会と中京区役所地域力推進室連名での地域への回覧資料
 三条通(御幸町通〜烏丸通)における交通対策について、平成27年9月
・中京区役所地域力推進室の啓発チラシ(都市計画歩くまち京都推進室、高倉小学校PTAの連名)、平成27年11月

<以下は三条まちづくり協会から入手した資料である>
・三条まちづくり協議会検討資料 三条通に関するアンケート 2023年10月7日〜9日実施
・京の三条まちづくり協議会『京の三条まちづくり協議会20周年記念誌』2016年3月吉日発行(非売品)
・三条通エリアマネジメント検討会議『三条通未来ビジョン』三条エリアマネジメント検討協議事務局(京の三条まちづくり協議会)2023年3月


京都市HP  
・歴史的都心地区 (註3) 閲覧2024/7/29
https://www2.city.kyoto.lg.jp/tokei/trafficpolicy/machinaka/tosinchiku/tosinchiku.html
・都心部の歩いて楽しいまち推進のために (註10) 閲覧2024/7/29 
https://www.city.kyoto.lg.jp› contents › honnpenn
・「歩くまち・京都」総合交通戦略の推進について 閲覧2024/7/29
https://www.estfukyu.jp› pdf › kinki1
・国・登録文化財 (註12)閲覧2024/7/29
https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005984.html
・京都市情報館 HP 閲覧2024/7/29 
https://www.city.kyoto.lg.jp/index.html
・都市計画局歩くまち京都推進室 閲覧2024/7/29 
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/soshiki/9-5-0-0-0.html
・歩いて楽しいまちなか戦略 閲覧2024/7/29
https://www.city.kyoto.lg.jp/menu4/category/51-6-0-0-0-0-0-0-0-0.html
・「歩くまち・京都」憲章 閲覧2024/7/29
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000056806.html
・1-3-4 歩いて楽しいまちをつくる 閲覧2024/7/29
https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000035700.html
・2-1-1 美しいまちをつくる 閲覧2024/7/29
https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000035701.html

・文化遺産オンライン 文化庁HP (註11)閲覧2024/7/29
https://bunka.nii.ac.jp

・三条まちづくり協議会 (註5)閲覧2024/7/29
http://www.sanjyo-kyo.jp/index.html
・京の三条まちづくり協議会・景観計画書 閲覧2024/7/29
http://www.sanjyo-kyo.jp/_userdata/keikankeikakusyo_20180108.pdf

・公益社団法人 京都デザイン協会 閲覧2024/7/29
京都の通りをデザインする『三条通りを中心とした新たな京都観光の姿』2013年(平25)9月発行 
https://www.design.kyoto/archive/

・「信号機設置の指針」の制定について(通達)
警視庁交通局長令和3年3月24日 閲覧2024/7/29
https://www.npa.go.jp/laws/notification/koutuu/kisei/kisei20210324.pdf

・国土交通省、京都府道路交通環境安全推進連絡会議 閲覧2024/7/29
https://www.kkr.mlit.go.jp/kyoto/project/anzenmichidukuri/herasutorikumi/grt3670000002f1j-att/160523.pdf

・警視庁 交通管制課 信号機管理係 閲覧2024/7/29
信号機設置の指針について
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kotsu/doro/singoukisetchi/singoukisetchi.html

年月と地域
タグ: