碌山美術館 Rokuzan Art Museum -草創期建築群の空間造形とその担い手-
はじめに
北アルプスの麓、安曇野に位置する碌山美術館(資1)は、日本近代彫刻の先駆者とされる彫刻家・荻原守衛(以下、碌山とする)(1879~1910)の現存する彫刻作品15点(内2点が重要文化財)と絵画、資料等を主に保存・公開する。本稿では草創期建築群である「碌山館」「グズベリーハウス」「美術の倉」の空間造形に注目し、その意匠が美術館全体の創造的かつ親和的な雰囲気に影響している点と、建築、及び意匠を制作実行した担い手が実に多様であった特殊性を明らかにし、評価・考察する。
1. 基本データと歴史的背景
名称:公益財団法人 碌山美術館
所在:長野県安曇野市穂高5095-1
設立:1958年(昭和33年)4月22日
碌山館(本館)建築面積:109.3平米
同設計:今井兼次
同施工:清水建設
本美術館は安曇野はじめ全国の人々から寄せられた民間寄付によって設立された。寄付にとどまらず地域の教師や学生、住民が美術館建設の奉仕労働に加わったという類稀な歴史的背景がある。
2. 評価
2-1.「 碌山館」の建築空間
本館「碌山館」(資2)は碌山の彫刻展示室として本美術館で最初に建てられた建物で、2010年に国の有形文化財(建造物)に登録されている。現在美術館内には数棟の建物があるが、碌山館は最も中心的な建物で、まさに美術館の顔と言える。穂高の町中には碌山館の尖塔を模したと思わせる建物がいくつか見られ、如何に碌山館が地域に親しまれ地域のシンボルになっているかが推し量れる。
設計は今井兼次(1895~1987)だが、今井を招いたのは「碌山館建設委員会」の中心的人物だった彫刻家・笹村草家人(1908~75)である。笹村と今井が設計構想を相談し、碌山が信仰したキリスト教に因み教会の様な外観で、明治の彫刻作品を展示するにふさわしく、信州の厳しい冬に耐えられる堅牢な建築を目指す(註1)とした。
外壁には「焼き過ぎレンガ」と呼ばれる焼成時に変形した規格外のレンガが深い目地で貼られている。その不均質性が環境にふさわしい柔らかな印象の建物に仕上げた、と今井の息子で建築家の兼介も後年の講演で述べている(註2)。
側面外壁は半円アーチ窓が連続し、各窓の下には小さく四角いコンクリートに十字が彫られ、碌山の信仰を表現する意匠とみられる。
碌山館の正面外庭には水場が設けられており、砂岩の水槽に木の水路から水が流れ落ちるしくみで、石組も周囲の敷石もきっちりとした積み方でなく,外壁レンガと同じく画一的ではない。本館建設時には地元中学校生が瓦や石やレンガをリレー式で運び(註3)手間のかかる作業を大いに担った。
2-2.「碌山館」の空間意匠
教会風の外観となった碌山館の屋根には尖塔と鐘楼が設けられ、尖塔の先端には彫刻家・基俊太郎(1924~2005)作・鳥の像「フェニックス」(不死鳥)が碌山の芸術の普遍性を象徴する(註4)と共に、避雷針をも兼ねている。鐘楼には碌山の芸術を支えた相馬黒光(1875~1955)ら5人の名が刻まれ、現在も定刻には入口にある鎖で鳴らされ美しい音色を周辺に響かせている。
碌山館入口の木製大扉は、その重量感によって「堅牢」さを表しているかのようである。無垢材の両開き扉を両脇の蝶番で吊りながら、黒塗りの鉄製開閉ガイドに滑車を走らせて上からも重さを支えている。よく考えられた機能的な仕掛けが、意匠としても効果的であることが観察できる。大扉の鏡板は幅の広い無垢材で、上框は入口のアーチに合わせて曲線なので、手間のかかる木工仕事だったことが察せられる。
この大扉のハンドルは合掌する天使像で左右内外に計4個が、右扉にはキツツキ像のドアロッカーが取り付けられており、いずれも笹村作である。長年触られて手で磨かれた感じや、キツツキにノックされて扉の木が窪んでいる跡などがほのぼのとした温かさを訪問者に感じさせてくれる。
大扉の中は前室と呼ばれる小部屋で、正面の砂岩の壁に碌山の言葉「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY」(愛は芸術なり、相克は美なり)が刻まれている。この部屋には小さな暖炉があり、レンガの黒く煤けた跡や古い鉄製の暖炉道具、薪入れなどが、訪問者を暖めるために実際に使われてきた年月を示している。
前室を過ぎると展示室(資5)で、碌山の彫刻作品が中央に並ぶ。床はレンガ、壁はグレー、切妻天井は高く白塗り仕上げだ。高窓カーテンの開閉はリールで操作され、低い窓は金属製の蛇腹で遮光する。これらは建物使用上の必然的工夫であろうが、造形の楽しさが表れている。部屋の隅には律儀な文字で「寄付金箱」と赤く彫り込まれた木の小箱が下げられ、寄付で建てられたこの館の歴史を想起させる。その他室内の重厚な本箱や長椅子、展示台も全て木製で長年の使用による古色を帯びている。
2-3「グズベリーハウス」(資6)
開館10周年の1968年に付属館「グズベリーハウス」が笹村の設計により休憩室兼展示室として、地域の住民や学生が再び施工を協力して建造された。払い下げの鉄道枕木を建材に使用した校倉造で、外壁の一部は鱗型の木片が重ね貼りされ、窓は四つ葉のクローバーを表現している。木製の扉は鉄製のオリジナルな蝶番で吊られ、鉄格子の小窓がつき、ヤモリ型のドアノブが付いている。屋根には学生が集めた小石を敷きつめ、小石や鱗壁の木片の裏には生徒の名が記され、協力の記録となっている(註5)。
構造材は丸太の梁、角材の束、彫刻された筋交が見られ、きちっと揃えた材でなく、集め寄せた様な材が色の濃淡の違いも出て、構造材自体が造形性を発揮している。室内の達磨ストーヴを中心に木製のテーブルや特大ベンチ、オルガンなど使い込まれた調度がこの休憩室を構成している。
2-4「美術の倉」(資7)
やはり笹村の設計と住民の奉仕によって1969年に作品収蔵のため建設された「美術の倉」は現在は倉庫として使用されている。レンガによる高床の上に枕木の校倉造りで、切り妻屋根の極く小
さい小屋が載っている。破風板には木製の十字の意匠が隙間なく連続して並ぶ。
以上の草創期の建築群は大きさも形も全く違う建物だが連なっているかの様な一体感がある。細部の意匠一つ一つに意味と創意工夫があり、よって独特の空気感が生まれ、それが美術館全体にも及んでいる。また空間造形の制作を担った多くの人々に共通する碌山への敬愛が、本美術館の親愛的雰囲気の源である事も推察でき、美術館の空間造形として稀少な例である事を評価する。
3.特筆
個人彫刻家の作品を紹介する同様の例として、長野県原村の八ヶ岳美術館の空間造形と比較し、異質の建築や意匠ながら、根底に宿る思想の共通点を特筆する。
八ヶ岳美術館(資8)も郷土出身の彫刻家・清水多嘉示(1897~1981)の作品を紹介するために、1980年に開館した村営の美術館である。設計は村野藤吾(1891~1984)で外観は森の中にドーム型が連続する一体の建物である。特徴的内部意匠は非常に明解で、天井に張り巡らされた白いドレープ、つまり布だけである。
全く違って見える両館だが、両設計者の今井も村野もストックホルム市庁舎を実際に見て深く感動した共通点がある。設計のエストベリ(1866~1945)を今井は「諸芸術家を統率し、それらの諸芸術を自己の作品の母体の中に糾合していく優れた力量」(註6)を持つとし、市民に真心を捧げた人とも評している(註7)。一方村野は同じ市庁舎を見てこれだなと感じたという(註8)。同時代に生きた2人はいずれも当時主流の機能・合理主義よりもヒューマンな建築を志していた。両美術館においてその心情を今井は素朴な建物と職人的意匠で、村野は異端の外形と有機的な内部意匠で表現した。
4.展望・まとめ
今井による碌山館の設計案は当初、白いコンクリートの外観で屋上に展望台のあるモダンな建物だった(註9)。しかし建設実行委員の笹村達の意見で現在の教会風にあっさり変更し、また多様な意匠や地域民による制作参加も受容し、それら全てを破綻させずに碌山館の個性として包み込んだ。今井がエストベリを讃えた評価は、そのまま碌山館建設における今井の姿勢にも当てはまる。碌山美術館草創期の空間造形を担った人々のヒューマンな創作態度は本館の歴史に残り、他にはない独特の雰囲気を今後も伝えていくと期待する。
参考文献
参考文献 <註 >
(1)武井敏 執筆担当、『三つの碌山館ー荻原守衛顕彰110年のあゆみー』、公益財団法人 碌山美術館、2023年、59頁。
(2) 今井兼介、「開館五十周年記念講演 建築家 今井兼次の世界ー碌山美術館設計者のこころー」、碌山美術館編、『碌山美術館報』第29号、公益財団法人 碌山美術館、平成21年、3頁。
(3) 碌山美術館編、「碌山館の建設記録映像」、碌山美術館公式サイトhttps://rokuzan.jp/,最終閲覧2024年1月23日。
(4) 武井敏 執筆担当、『三つの碌山館ー荻原守衛顕彰110年のあゆみー』、公益財団法人 碌山美術館、2023年、67頁。
(5) 同上、74頁。
(6) 佐々木宏編、『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年、92頁。
(7) 同上、92頁。
(8) 村野藤吾、「想いだすことども」、『新建築』、新建築社、1961年1月号。
(9) 武井敏、「碌山の顕彰に尽くした三人の彫刻家」、『碌山美術館報』第41号、碌山美術館、令和3年、12頁。
参考文献、参考URL、参考動画
・田中清光/文・栗田貞夫/写真、『安曇野・碌山美術館』、クリエイティブセンター、1982年。
・武井敏 執筆担当、『三つの碌山館ー荻原守衛顕彰110年のあゆみー』、公益財団法人 碌山美術館、2023年。
・碌山美術館編、『愛と美に生きる 彫刻家 荻原守衛』、公益財団法人 碌山美術館、2015年。
・相馬黒光、『碌山のことなど』、公益財団法人 碌山美術館、2008年。
・武井敏、「碌山の顕彰に尽くした三人の彫刻家」、『碌山美術館報』第41号、碌山美術館、令和3年。
・佐々木宏編、『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
・碌山美術館公式サイト、https://rokuzan.jp/,最終閲覧2024年1月23日。
・八ヶ岳美術館公式サイト、https://yatsubi.com,最終閲覧2024年1月23日。
・八ヶ岳美術館解体新書「建築家村野藤吾の世界」、https://www.youtube.com/watch?v=khqcsrcHAIg、最終閲覧2024年1月23日。
・松隈洋、「村野藤吾の建築講義」2020年12月5日、https://www.youtube.com/watch?v=h3-pvS12AwA、最終閲覧2024年1月23日。