名勝 金平成園 ~大石武学流庭園 保存継承の可能性~

三上 順子

Ⅰ.はじめに
津軽地方には、江戸時代の末期頃から宗家制度により伝承された、独特の作風を有する庭園が作庭されている。「大石武学流庭園」と呼ばれ、弘前市、黒石市、平川市に約450以上の庭園が確認されている。私が居住する青森県黒石市(資料1)には、20を超える庭園が存在し(資料2 )金平成園は、大石武学流庭園の特徴を良好に伝えており、敷地全体が概ね良好に保存されていることから、国の名勝に指定された。(資料3)
本稿は、名勝 金平成園が「大石武学流庭園」として作庭された経緯や技法を観察し、「地域に根付いた庭園文化」として保存継承の可能性を考察するものである。

Ⅱ.基本データ
【名称】金平成園(澤成園) [1]
【種別】名勝
【名称指定】 平成18年1月26日
【所在地】 青森県黒石市大字内町2番地1他 (資料1)
【面積】5662.32㎡(約1772坪)
【様式】池泉鑑賞兼回遊式
【所有管理】 黒石市[2]
【主な建物】庭園の西側には、主屋、離れ、茶室と建物3棟が並ぶ。(旧加藤家住宅)
【主な植物】 景観を構成する主景木であるクロマツの髙木が園内各所に植わる。茶室同辺や、敷地南部の庭門周辺には、様々な種類のモミジ他、イチイやチャボヒバ、サワラなどの常緑樹を配し、ハイビャクシン、しんばく等の低木が添えられ津軽独特の景観を作り出している。

Ⅲ.歴史的背景
津軽地方の大地主で貴族院議員でもあった加藤宇兵衛[3]の依頼で、明治25年(1892)に大石武学流宗家 三代高橋亭山が作庭に着手し、弟子の小幡亭樹、池田亭月らが後を継ぎ、明治35年(1902)に完成した。当時の東北は、凶作、飢きんで大変な時期であった。そのため加藤宇兵衛は、冬場の小作人の失業対策として庭を造った。庭石は、夏に花巻村(黒石市)で見定め、冬に小作人の救済事業として、石を切り出しソリで運んだ。 そして、日銭と握り飯を与え地域の人々の生活をつないだ。
作庭された庭は、「万人に金が行きわたり平和な世の中になるように」という願いから「金平成園」という名称がつけられた。

Ⅳ.積極的に評価する点
金平成園は、大石武学流三大名園[4]の一つである。旧加藤家住宅の東側に位置しており、敷地の形状を生かした奥行きのある、かつ平明な庭園である。大石武学流庭園は、定型化した空間構成や築庭技法(資料3-②)が用いられており、金平成園は、そのような流儀に沿って作庭されているのも評価できる点である。(資料4)基本的には座鑑式庭園のため、庭園と住宅から成る空間構成に特徴がある。本庭は、庭前、池、築山で形成され、築山の南側、旧加藤家住宅の離れと茶室の前に平場を設けている。庭前には、奥座敷の縁側にある沓脱石から飛石がV字状に二方向に延びている。中央の飛石の一番奥の庭前には「礼拝石」という平らで大きい石が据えられ、もう一方の飛石は蹲踞に延びている。
また、奥行き深い庭園を成している為、様々な角度から景観を周遊できる回遊式でもある。奥座敷の南側の沓脱石から池の中島に向かっている飛石は、池の中島を通り薬医門まで延びている。この飛石の途中に二神石が配され、庭前の奥に設けられた池は、上段、中段、下段の3か所から成る。上段の池の東側に築山、枯れ滝と深山石が配され、周辺に3個の大きな石が配されていることから三神石とも呼ばれている。この奥にあまり大きくない石が配されており守護石と言われている。沓脱石から中央の飛石、枯れ滝、深山石が金平成園の基準線である。(資料6-②)築山の南側に野夜燈が配されこの位置から岩木山を望むことができる。野夜燈の「たま」の部分には、月の形に開けられた箇所があり、それを正面に向けておくのも特徴の一つである。さらに岩木山と旧加藤家住宅が並んだ構図は美観的に優れている。築山の南側は平場になっており、奥には、金平成園を見守るかのように「遠山石」という岩木山を形どった大きな石が配置されている。
以上のことから、名勝金平成園は、「大石武学流庭園」の特徴や石組みが良好な状態で保存されているため初期の大石武学流を知るには重要な庭園である。
また、庭を維持していくには継続した管理が必要となる。整備担当の地元造園代表は、「歴史あるものだから元の状態に復元維持が基本。お金をもらってみせるということは、どこを見せてもいいという意識で整備している。」と語っている。(資料8-④)

Ⅴ.同様事例の比較と特筆される点
大石武学流庭園は、宗家継承の流派であるが、発祥、由来などまだ謎に包まれている。その背景は、継承の手段は、口伝が基本であった為、宗家代々に伝わる「築庭極意伝書」等が、宗家 五代池田亭月宅の火災ですべて焼失したことで全て不明になってしまったことにある。
そこで、宗家 三代高橋亭山が作庭した「名勝金平成園」と同じく大石武学流庭園を代表する庭園である「名勝瑞楽園」を比較し、作庭していくための技法や精神について考察する。

Ⅴ-1 様式と石組み
瑞楽園[5]は、藩政時代、高杉組の大庄屋をつとめていた豪農・對馬家の庭園である。宗家 三代高橋亭山が、明治23年(1890)から明治38年(1905)に西側部分を作庭し、高弟である池田亭月とその弟子である外崎亭陽が、昭和3年(1928)に書院庭園の中央部分と東部分を増改庭して昭和11年(1936)に完成した。庭園の正面奥に滝石組を組み、枯れ流れにした枯れ滝を構成し、手前に自然石による橋を掛け主景としている。
また、右背後には低い築山が造られており、段差のある枯れ滝を設けクロマツが配植され主景を構成している。枯れ滝の奥には目立たないように遠山石が置かれ、蹲踞の延長上に八幡鳥居と野夜燈が配されており、さらに稲荷神社の祠が置かれている。東側には、春日燈籠や雪見燈籠の他に四阿、その左手奥深くに五重塔が配されている。また、瑞楽園には、飛び跳ねなければ渡れない大きな2筋の飛び石が存在し、廻遊できる飛石が存在しないことから、当初から美観的な役割を果たしており座鑑式庭園として作庭されていたと考えられる。(資料5)
特筆する点として、金平成園の大規模な作庭に対し亭山は、黒石市の庭や旧家の庭の作庭書を参考にしたと言われている。金平成園は座鑑式庭園でもあるが廻庭式庭園でもあるため、中央に打たれた飛石の他に、落差のある枯れ滝石組みが組まれ水源の確保とともに池がつくられ中島が配置された。そして築山の南側から北側には飛石を配し回遊できるようにしている。この飛石は下段の池にある木橋まで打たれており、旧加藤家住宅の座敷まで行くことができる。そして、座敷から庭園を眺めた後、外側からも庭園を鑑賞することができるようになった。(資料6)
もう一つは、遠山石である。多くの大石武学流庭園では、富士山や岩木山の形に似た比較的大きな山型の石が枯れ滝の奥に目立たないように置かれる。金平成園では、南側奥の平場に置かれており、大石武学流庭園の中の最高の傑作と評判が高い。(資料4-⑧)

Ⅴ-2 神仏習合としての大石武学流庭園
大石武学流庭園は、神仏習合の庭園である。そのため礼拝石、二神石、三神石、遠山石などは神様に関わるものであり、特に礼拝石は庭園の中で最も良い場所に据えられ、神様が宿っているため上がることや腰掛けることは許されない。
また、遠山石は、岩木山を模した石とされており、大石武学流庭園は、岩木山が庭園のどこからか眺められるように作庭されているとも言われている。[6]金平成園では、築山から岩木山と旧加藤家住宅を眺めることができ(資料7‐⑤)瑞楽園では、四阿の丸い窓から岩木山眺めることができる。(資料5-⑤)岩木山の左側には鳥居が置かれており、御山信仰を現しているものではないかと考える。
岩木山は、津軽地方では太古の時代から崇拝されている山であり、江戸時代には岩木山信仰として津軽藩だけでなく、津軽地域の民衆の中にも浸透されている神の山である。現在も、「お岩木様一代記」、「御山参詣」という習俗で継承されている。
宗家 三代高橋亭山が、作庭において継承したかった大石武学流庭園は、岩木山信仰が大きく影響しており、その心と精神は弟子達によって現されていたのではなかろうか。

Ⅵ.今後の展望とまとめ
宗家 六代外崎亭陽は「大石武学流築庭の基本として、石と木の調和への心配りこそが天地の神々への感謝に繋がるものとなる」と説いている。[7]
整備担当の地元造園代表は、次世代に繋ぎたいものは「心、津軽人としての精神だ。武骨ではあるが厳しい風土の中、神である御岩木山に守られている。入ったら心洗われる庭園であるという思想」(資料8-⑤)と話していた。宗家 六代外崎亭陽と重なる内容でもあり、謎といわれる「大石武学流」の真意は継承されている気がした。
大石武学流庭園は、調査研究が進められている。この大石武学流庭園を継承することは、津軽地方の歴史と文化をつないでいくことに繋がる。そのためには、津軽の風土を知る若い庭師たちが宗家から大石武学流庭園の作庭技法を学び、後世まで継承していくことが望ましい。それが金平成園や瑞楽園をはじめ、津軽地方に所在する大石武学流庭園を後世まで保存していくことに繋がるのではなかろうか。

  • 卒業研究大石武学流表―添付-1 - 訂正版 - PDF_page-0001 資料1 基本データ
  • 卒業研究大石武学流表―添付-2 - 訂正版PDF_page-0001 資料2 黒石市内の大石武学流庭園一覧
  • 卒業研究大石武学流特性―添付 -3 - 訂正版PDF_page-0001 資料3 大石武学流特性
  • 卒業研究‐添付-4 - 訂正版 -PDF -_page-0001 資料4 金平成園 名称挿入図
  • 卒業研究金平回遊図―添付 -5 - 訂正版PDF_page-0001 資料5 瑞楽園概要
  • 卒業研究金平回遊図―添付 -6 - 訂正版 - PDF_page-0001 資料6 金平成園 回遊順路・眺望軸方向
  • 卒業研究-添付-7訂正版 - PDF_page-0001 資料7 回遊式で見る、金平成園の四季
  • 卒業研究インタビュ―添付 -8 - 訂正版 - PDF_page-0001 資料8 インタビュー

参考文献

[註]

[1] 旧加藤家は、酒造を営んでいた時代があり、屋号「澤屋成之助」から、「澤成園」と呼ばれている。料亭だった経緯もあり、結婚式が行われたり、「子供のころ遊んで、大きい石に登って叱られた」「青森空襲で青森方面が真っ赤に燃えるのを、澤成の木に登って見たと聞いた。」などという声も聞かれた。このことからも地域の住民生活にも密着した場所であったことが伺え、現在も「澤成の(坪)ツボ」と地元民に親しまれている
(筆者所属 黒石こみせボランティアガイドから聴取2022年7月)

[2]廃園だった時期もあるが、平成18年~平成26年の修復工事を経て、かつての景観は取り戻された。所有者の意向もあり、翌平成27年度から期間限定で一般公開となった。寄贈後は文化財に相応しい使用法を基本とし、営利企業の委託は行わないという意向で、令和2年に、黒石市に無償で寄贈されている。
コロナ禍で休園時期もあったが、現在は再開されボランティアガイドが来客を案内している。
また、離れを貸館(有料)、市教育委員会による歴史講座を開催するなどの活用が行われている。
(黒石市教育委員会担当者から聴取2023年2月)

[3] 加藤宇兵衛(1862~1929)、20代のころから政治家として活躍し、明治39年には貴族院多額納税者議員も務めている。黒石銀行頭取、津軽鉄道株式会社社長、東北水産株式会社などの取締役も務め、青森県の農工業の発展にも大きく貢献している。
(黒石市教育委員会 令和4年度歴史講座資料p14より)

[4] 高い文化財的価値から、瑞楽園(弘前市)、金平成園(黒石市)、盛美園(平川市)が、国の名勝に指定されている、
(大石武学流庭園サミット 2016)

[5]瑞楽園
種別 名勝 (昭和54年5月31日指定)
所在 青森県弘前市宮舘宮舘沢26-2
指定面積 4000㎡
様式 座鑑式
建造物 木造かや葺平屋建450.7㎡
園内 庭石約460個 樹木約270本
所有管理 弘前市
       指定管理業者 有限会社 三浦造園
  

[6]大石武学流の借景については、諸説があるため本稿では借景という言葉は用いていない。

[7]澤田忍『庭 NIWA 創刊45周年記念号』、建築資料研究社、2021年 p60より
  

参考文献

・『金平成園ガイドマニュアル』、黒石市教育委員会、2022年
・佐藤史隆『隔刊あおもり草子、津軽の庭園 大石武学流』、企画集団ぷりずむ、2016年
・辻本健二『大人の休日倶楽部会員誌 №179』、東日本旅客鉄道会社、2023年
・財団法人 観光資源財団『津軽の庭』、日本ナショナル・トラスト、1978年
・澤田忍『庭 NIWA 創刊45周年記念号』、建築資料研究社、2021年
・今井二三夫『大石武学流庭園シンポジウム~津軽の庭と継承~』(資料)、2015年
・園主 田村亮子 『金平成園(澤成園)調査報告書』、津軽新報社、2020年
・野村朋弘編 『風月、庭園、香りとはなにか』藝術学社、2014年
・上原敬二『築山庭造伝 前編 解説』、加島書店、1989年
・上原敬二『築山庭造伝 後編 解説』、加島書店、1989年
・龍居竹之介『庭・別冊⑰青森住まいの庭』、龍居庭園研究所企画室、1980年
・坂口昌明『安寿ーお岩木様一代記奇譚ー』、ぷうねま舎、2012年
・畠山篤『岩木山の神と鬼ー津軽の民俗世界を探求する』、22世紀アート、2022年
・弘前市・黒石市・平川市 教育委員会『大石武学流 庭園巡りガイドブック』、2020年
・名勝金平成園(パンフレット)、2020年


参考WEB

・黒石市市役所ホームページ
www.city.kuroishi.aomori.jp/shisei/about/index.htm(最終閲覧2023年5月24日)

・瑞楽園 公式サイト | 国指定 名勝 瑞楽園|大石武学流枯山水式庭園「瑞楽園」は弘前にある文化財の一つです (zuirakuen.com)(最終閲覧 2024年1月15日)

・金平成園 | 一般社団法人黒石観光協会 (kuroishi.or.jp)(最終閲覧 2024年1月 15日)

・国指定文化財 - 黒石市 (city.kuroishi.aomori.jp)(最終閲覧 2024年1月15日)

・瑞楽園 - 弘前市 (city.hirosaki.aomori.jp)(最終閲覧 2024年1月15日)

・大石武学流庭園サミットhttps://www.city.hirosaki.aomori.jp/oshirase/jouhou/ooishibugakuryuteien.pdf
(最終閲覧 2024年1月18日)


取材協力

 弘前文化財保存技術協会会員
 大石武学流研究会会員
 「金平成園」整備担当造園  代表 高橋 暎憙氏 
インタビュー日時 2024年1月5日(金)17時30分 場所 高橋造園事務室

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