青森県津軽地方の「こぎん刺し」―農民女性の知恵と工夫が繋ぐもの
はじめに
藍染の麻の野良着に白い木綿糸でびっしりと刺された、緻密で複雑な幾何学模様が特徴の「こぎん刺し」は、青森県津軽地方の一部に伝わる刺し子(刺繡)の一種である(資料1)。その細かさから織物にも見えるこぎん刺しは、藩政時代の貧しい農民女性たちの生活の知恵によって生み出されたものである。
本稿では、こぎん刺しの技術面に着目し、歴史を通して現代に繋がる理由を探るとともに、文化資産として未来へ繋ぐ意味を考察する。
1.歴史的背景
1-1 基本データ
こぎん刺しは、藩政時代の文献に存在を確認することができる(資料2-1、2-2)。農民たちが着用していた麻布の単衣の短い仕事着のことを全国的に「こぎん(小巾・小衣)」と言い、津軽では身頃に刺し子が施されたことから「こぎん刺」または「刺こぎん」と言われるようになり、現在では技法も含めて「こぎん刺し」または「こぎん」と呼ばれている(1)。
麻布は保温性が悪く、また布目(布の織り目)が粗く冷たい風が抜けやすいため、雪深く寒さの厳しい津軽地方の冬には不向きな布であった(2)。その粗い布目に麻糸を通して穴を埋め、衣服の保温性と農作業時の擦れによる耐久性を高める目的で刺されたことが、こぎん刺しの始まりと考えられている。
嫁入り道具の1つでもあったこぎん刺しは、主に冬の農閑期の仕事として刺され、母から娘へと伝えられていた(3)。娘たちは刺すことを楽しみ、夢中になって刺したという(4)。刺すことが苦手な人のために、得意な人が代わりに刺すという救済措置もあった(5)。
1-2 藩政時代の農民の衣料事情
麻布に比べ、木綿は暖かく肌触りも良いが、綿花はもともと温暖な地域の植物であり、津軽地方では寒さ故に育てることはできなかった(6)。弘前藩では、木綿は他地域から仕入れるしかない貴重品であり、農民は使用が制限され、自由に着ることはできなかった(7)(資料3)。
寛政2年(1790年)以降は、農民にも麻布と木綿の併用が認められるようになり、麻糸で刺されていたこぎん刺しは、木綿糸で刺されるようになっていったと考えられる。しかし、併用が認められたとはいえ、貧しい農民にとって木綿は自由に手に入れられるものではなかった。そのため、麻布も無駄にすることなく、大切に使われ続けていた(8)。
1-3 こぎん刺しの隆盛
明治時代に入り、廃藩置県によって藩の規制がなくなるとさらに木綿糸が手に入りやすくなり、こぎん刺しは農民の間で隆盛を極める(9)。しかし、明治中頃の東北本線の開通により、農民にも木綿の衣服が行き渡るようになると麻布の衣服は着られなくなり、こぎん刺しは急速に衰退する(10)。一時姿を消すものの、その間にもこぎん刺しの価値を見出していた人々によって積極的に収集されており、それが柳宗悦の目に留まる(11)。柳が昭和7年(1932年)雑誌『工藝 第14号』の中で「こぎんの性質」を発表したことにより、こぎん刺しは再び見直され、注目されるようになる(12)。
戦争が終わり、物資がいきわたるようになった昭和30年代以降、津軽の人々の間で再び刺されるようになり(13)、また手芸ブーム(14)も後押しして全国的に広まり、今に続いている。
2.こぎん刺しにみる評価点―現在に繋がる理由
2-1 シンプルな波縫い
こぎん刺しは一見、その細かさから複雑な技法を用いているように見えるが、実は波縫いの要領で刺されている。麻布の横糸に沿って、縦糸を奇数本ずつ針ですくったり飛ばしたりしながら(15)、粗い布目を埋めるように刺していく(資料4)。当初は点線のような柄を刺していたものが、段が変わるごとに、糸を通す布の目の数をずらすことで違う柄が現れることに気づき、幾何学模様に発展したものと考えられる(16)(資料5-1)。横糸に沿って真っすぐ細かく刺すことで糸が麻布に馴染み、隙間ができにくくなるため、保温性と耐久性を高めることに繋がる(資料5-2)。
波縫いの要領で刺していく方法は、初心者でも比較的取り掛かりやすいことから現在に続く要因となっているものと考えられ、評価できるものと考える。
2-2 モドコ
こぎん刺しの幾何学模様は、大きな幾何学模様が小さな菱形や線に分解され、整理されている。それらを「モドコ(基になるものの意)」と言う(17)(資料6-1)。モドコは「豆コ」や「花コ」など、自然から付けられた親しみやすい名前となっており、伝承のしやすさに繋がったものと考えられる。
現在に繋がる要因として考えられることは、モドコ一つで小さな作品を作ることができるため、初心者でも形になりやすく、成功体験をすぐに実感できることである(資料6-2)。さらに、小さなモドコを組み合わせることで、大きさをいかようにも変えることができ、また、様々な柄にアレンジできることから、自身の技術が上がる感覚を味わうことにも繋がる。
モドコは成功体験から成長に繋げることができるようにデザインされている点が優れていると言える。
3.アイヌ刺繡との比較による特筆点
曲線と直線を用いた幾何学模様として特徴がある刺繡に、北海道のアイヌ刺繡がある(資料7)。
家の木の柱の虫食いの跡を美しいと感じた昔のアイヌの人々が、衣服の柄にしたという伝承にあるように(18)、刺繡が曲線や直線が縦横無尽に広がり、のびのびと描かれている。また、素材、色、技法全てにおいて種類が多く、それらを使い分けることにより大らかな中にも繊細さが見え、装飾性が意識されている。
一方、こぎん刺しは直線的であり、余白のない緻密な模様が特徴的である。藍色と白という限られた色彩が鋭角的な模様を印象付け、静謐さを醸し出す。緻密さは保温性と耐久性という必要に迫られた状況から生まれたものである。柳は、「色々な束縛があるために、むしろ美しさが確実になってくる場合がある」と述べている(19)。装飾性が意識されたアイヌ刺繡に対し、こぎん刺しは必要性という「束縛」から、美しい幾何学模様が生み出されたことが特筆点と言える。
4.今後の展望
4-1 今後の課題と可能性
保温性や耐久性という機能が必要なくなった今、布や糸の種類や色は豊富になり、こぎん刺しは楽しめるものへと変化した。そのため、「伝統的なこぎん刺しとは何か」が問われていることも事実である(20)。しかし、色や形は変わっても、今もなお刺し続けられている要因となっているのは、シンプルな技法とモドコによるものであり、その技術自体が伝統と言えるのではないだろうか。
野村朋弘は、「伝統とは新たに創出されたものが、普遍的な価値を持ち、永く後世に伝わることです。」と述べる(21)。技法とモドコによるアレンジのしやすさは、野村の言う「普遍的な価値」と言え、確実に現代に伝わっている。
現在、ハンドメイドのインターネットサイトにおいて、創意工夫された作品が数多く出品されていることからもわかるように(22)、これからさらに広がりを見せる可能性を秘めているものと考える。
4-2 こぎん刺しを繋ぐ
弘前市にある佐藤陽子こぎん展示館の佐藤陽子氏は、「昔のこぎん刺しが生活の一部であったように、これからも普段使いで使われることが大切。たとえ小さな作品でも、刺していくことでこぎん刺しは残っていく」と述べる(23)。
昔のこぎん刺しがシンプルな柄から複雑な柄に発展していったように、変化を楽しみ、刺し続けてきた人々がいたからこそ、こぎん刺しは残ってきた。技術を歴史と共に伝えていくことが、こぎん刺しを意味あるものにし、さらなる発展に繋がるものと考える。
まとめ
こぎん刺しは、農民の厳しい生活から生まれたものである。寒さの厳しい冬に、囲炉裏の火を灯りに布と糸に向き合い、緻密な幾何学模様を刺していたことを想像すれば、改めてその凄さを知ることができる。松田朋春は、創作活動には「時間そのものからも解放される可能性」があると述べる(24)。布目を数え、一本の糸をひたすら横に刺していく行為は、辛い生活から逃れるための現実逃避であったかもしれない。しかし、津軽の農民女性には、美しい幾何学模様を生み出す豊かな創造力と工夫があった。波縫いという一見単純な作業でありながら、実は様々にアレンジすることが可能なこぎん刺しは、松田の言う「生きていることの証」であり、自分たちの生活を心豊かにするデザインでもあった(25)。
こぎん刺しを通して、農民女性の知恵と工夫を、文化資産として未来へ伝えていくべきであると考える。
参考文献
【註】
(1)横島直道編著『津軽こぎん』、日本放送出版協会、1974年、P.37-38
(2)資料1「こぎん刺しで使われた麻布」参照
(3)横島前掲書、P.11、P.73
(4)田中忠三郎「津軽こぎんと南部菱刺し」
LIXILギャラリー企画委員会『津軽こぎんと刺し子 はたらき着は美しい』、LIXIL出版、1998年第1刷、2018年第4刷、P.62
(5)こぎん刺しの出来栄えが良い嫁の条件の1つであったため、刺すのが苦手な人は得意な人にお願いをし、対価を払って刺してもらうことが多々あったという。
横島前掲書、P.150、P.155
(6)湯原公浩編『別冊太陽 日本の自然布』、平凡社、2004年、P.127
(7)木綿の使用制限について
農民の木綿使用について、以前は弘前藩の命により「禁止」されていたと伝えられており、数多くの書籍にその記述が残る。しかし近年の研究によって、木綿の使用は禁止されていたのではなく制限されていたものであったことがわかっている(資料3参照)。
刈田均「津軽藩在方の衣服事情」
神奈川大学日本常民文化研究所 横浜市歴史博物館編『布 うつくしき日本の手仕事』、公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団、2021年、P.120-122
(8)農民たちは農作業の合間に、麻を育て、糸にして、布を織るまでの作業を各家庭で行っていた。布にするまでには大変な時間と労力が必要であり、春に麻の種を撒き、布が出来るのは旧正月を超えた頃だったという。
横島前掲書、P.147-149
また、津軽には、「泣いてあやぐる(奪い合う)形見分け」という諺がある。亡くなった肉親の衣服を親族同士で泣きながら奪い合ったという壮絶な諺であり、貧しい農民たちにとっては、それほど布や糸は貴重品であった。
2023年10月17日、弘前市の「ゆめみるこぎん館」見学時に石田舞子氏より聴取。
田中前掲書、P.69
(9)農民女性たちは、出来上がったこぎん刺しの着物を着て、町や祝い事の場に出ることを楽しみに刺していたという。
田中前掲書、P.62-63
(10)横島前掲書、P.39-40
(11)横島前掲書、P.54-62
(12)雑誌『工藝』は、柳宗悦による民芸運動機関誌として1931年から発刊された。「こぎんの性質」は『工藝 第14号』に掲載されたものである。こぎん刺しの価値や美しさが柳らしい文章で綴られている。その中の最も有名な文をここに記す。
「名も無い津軽の女達よ、よく是程のものを遺してくれた。麻と木綿とは絹の使用を禁じられた土民の布であつた。だがその虐げれた禁制の中で是程の美しいものを産んでくれた。それを幸な不幸と云はうか、又は不幸な幸と呼ばうか。人々は生活に即して、ものを美しくしたのである。(原文ママ)」
柳宗悦、「こぎんの性質」、『工藝 第14号』、聚楽社、1932年、P.1-8 ここに上げた文はP.7に記載
(13)弘前市にある佐藤陽子こぎん展示館の佐藤陽子氏によれば、昭和30年代以降、こぎん刺しは津軽のいたるところで刺されていたという。
2023年10月18日、佐藤陽子こぎん展示館見学時に佐藤陽子氏より筆者聴取。
(14)手芸ブーム
山崎明子は、手芸には第一~三次手芸ブームがあったと述べる。1900年代から女子の学校教育制度が整い、女子の受ける授業に裁縫が入ってきたことがきっかけで第一次手芸ブームが起こる。ただし、この当時のブームは富裕層が主であった。
(13)の佐藤陽子氏の言う昭和30年代以降は、第二次手芸ブームに入る。戦後の高度経済成長の時代、布や糸が豊富に手に入るようになり、手芸は専業主婦の余暇として広がりを見せる。
第三次手芸ブームは2000年代以降であり、インターネットのハンドメイド販売サイトの普及により、個人で販売ができるようになったことが影響しているという。
山崎明子「論考1 「手芸」と技術―「つくること」に与えられた社会的意味」、P.30-46
木田拓也「論考4 商品化する手芸―「手芸」から「ハンドメイド」へ」、P.158-174
上羽陽子・山崎明子編『現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す』、フィルムアート社、2020年初版、2021年第3刷
(15)こぎん刺しがなぜ縦糸の奇数を基準として刺すようになったのか、詳しいことはわかっていないが、奇数本で刺すと細かく刺せるからではないかと考えられる。また、刺し手にとっては奇数本の方が糸を拾いやすく、刺しやすいと言われている。しかし、中には一部、偶数本で刺されているものもある。
現在の八戸周辺で刺されてきた「南部菱刺し」は、偶数本で刺されている。偶数の場合、拾う縦糸の数が多くなる分、幅が広がり、菱形が横長になるという特徴がある。
弘前こぎん研究所監修『基礎知識、基本と応用技法、モドコの図案を収録した決定版 津軽こぎん刺し 技法と図案集』、誠文堂新光社、2013年、P.58-59
「縦糸」、「横糸」の表記について、織物の場合は「経糸」、「緯糸」とするのが一般的であるが、ここでは織物に馴染みのない方でもわかるよう、「縦糸」、「横糸」で統一することとする。
(16)ハーバード・リードは、農民芸術の特徴として、織物や編み物には幾何学的な文様を生み出しやすい傾向があると述べる。その特徴が津軽のこぎん刺しにも表れていると考えられる。また、「農民は対象が派手になることのみを願い、ごくわずかの題材と色彩の結合から無限の変化をもった効果がえられることを本能的に知っているように思われる。」とも述べている。
藩政時代のこぎん刺しに色彩の自由はなかったものの、シンプルな波縫いによって複雑な幾何学模様に発展させたことは、津軽の農民女性たちがこぎん刺しから「無限の変化」を見出していたと言える。
ハーバード・リード著 滝口修造訳『芸術の意味』、みすず書房、1966年初版第1刷、1990年新装第1刷、1992年新装第3刷、P.59-62
(17)弘前こぎん研究所前掲書、P.72-73
(18)北原次郎太は、アイヌの文様について、「魔除け」や「家系」を説とするものが数多く存在するも、明確な根拠はないと述べる。「家の柱の虫食い」の説は、伝承としてはっきりと残っているとしている。
北原次郎太「【論文】アイヌ文様は「魔除け」か 衣文化に付随する通説を検証する」、P.1-18
『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要 第3号』
https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/study/publication/bulletin_acrc_vol3/
2023年12月21日閲覧
山崎幸治『もっと知りたい アイヌの美術』、東京美術、2022年、P.36
(19)柳は、生活のための用途から生まれたものは、自然に任せているものであると言え、ものの美しさが確実になると述べている。
柳宗悦『手仕事の日本』、講談社、2015年第1刷、2022年第4刷、P.241-245
国立国会図書館デジタルコレクション
日本民芸協会 編『柳宗悦選集』第2巻 (手仕事の日本)、春秋社、1954年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2475638、P.292-297、コマ番号156-158
2024年1月22日閲覧
(20)こぎん刺しの歴史を今に伝え、商品も販売する弘前こぎん研究所の取締役会長である成田貞治氏によれば、以前はよく年寄りから「紺色(藍染)の麻布と白い木綿糸で刺されていなければこぎん刺しではない」と言われたという。しかし、現代のこぎん刺しには様々な色を使うことも必要と考え、「麻布に木綿糸で刺す」ということを基本として、様々な商品を生み出している。また、現在津軽では麻布は織られておらず、他地域に依存しているため、それでも「津軽のこぎん刺し」と言えるのかというもどかしさを抱えているという話であった。
2023年10月17日、弘前こぎん研究所の取締役会長成田貞治氏より筆者聴取
弘前こぎん研究所ウェブサイト 商品カタログ
https://tsugaru-kogin.jp/item_slide
2024年1月22日閲覧
また、koginbankの石井氏は、こぎん刺しを日本民藝館展に出品したことで、こぎん刺しを民藝としてとらえた時に、伝統としてどのように伝えていくべきかが今後の課題であると述べている。
koginbank編集部 編集長 石井勝恵「こぎん刺し 日本民藝館展 に出品して」
https://koginbank.com/topics/202312-mingeikanten/
2023年12月24日閲覧
(21)野村朋弘編『芸術教養シリーズ22 伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2014年、P.51
(22)ハンドメイド作品を扱う国内最大級のインターネットサイトCreemaにて「こぎん刺し」を検索すると、約4000件の作品が出品されている。
ハンドメイド・手作り・クラフト作品の通販、販売サイト「Creema」
「こぎん刺し」で検索
https://www.creema.jp/listing?active=pc_home-leftside&mode=keyword&q=%E3%81%93%E3%81%8E%E3%82%93%E5%88%BA%E3%81%97
2024年1月18日閲覧
(23)2023年10月18日、佐藤陽子こぎん展示館見学時に佐藤陽子氏より筆者聴取
(24)松田は障害者アートにおいて、障害者にとっては集中して創作している時間に意味があると述べる。こぎん刺しでも同じことが言えると考えられ、農民女性にとって時間を忘れて刺している時が、自分と向き合える時間であったと考えられる。
中西紹一・早川克美編『芸術教養シリーズ18 私たちのデザイン2 時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を読み解く』、藝術学舎、2014年、P.95-98
(25)早川克美は、「デザインは、明確な目的をもって、モノやコトに新しい価値や意味を与える方法」であると述べている。保温性や耐久性のために「作らなければならなかった」ものから、美しい柄を生み出したいという目的となって、創作活動という「作る喜び」になったと考えられ、こぎん刺しを通して自らの生活を豊かにデザインしたと言える。
早川克美『芸術教養シリーズ17 私たちのデザイン1 デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考術』、藝術学舎、2014年第1刷、2020年第2刷、P.24
【取材協力(取材日時順)】
2023年10月17日
弘前こぎん研究所 取締役会長 成田貞治氏、代表取締役 千葉弘美氏
ゆめみるこぎん館 石田舞子氏
2023年10月18日
佐藤陽子こぎん展示館 佐藤陽子氏
(いずれの場所も青森県弘前市)
【参考文献】
青木あすみ「こぎん刺しの美の特性と今後にむけて」
文化学園大学紀要、服装学・造形学研究46巻、2015年、 P. 13-23、
文化学園リポジトリ
https://bunka.repo.nii.ac.jp/records/544
2024年1月12日閲覧
石田舞子編『古作こぎん刺し収集家・石田昭子のゆめみるこぎん』、グレイルブックス、2019年
青森県編『青森県史 第1巻』、青森県、1926年
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1020285/1/239
2024年1月4日閲覧
青森県編『青森県史 第2巻』、青森県、1926年
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1020299/1/71
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1020299/1/126
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1020299/1/263
2024年1月4日閲覧
青森県史デジタルアーカイブシステム 県史テキストデータベース
30_青森県史文化財編美術工芸 、5章 工芸の展開 、2節 染織工芸 、P.448-466、2010年
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-520-01
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-01
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-02-1
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-02-2
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-03-1
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-03-2
https://kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp/il/meta_pub/G0000004txt_Bijyutu-521-03-3
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LIXILギャラリー企画委員会『津軽こぎんと刺し子 はたらき着は美しい』、LIXIL出版、1998年第1刷、2018年第4刷
【参考ウェブサイト】
弘前こぎん研究所
https://tsugaru-kogin.jp/
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ハンドメイド・手作り・クラフト作品の通販、販売サイト「Creema」
https://www.creema.jp/
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koginbank こぎん刺しの楽しい!かわいい!を発信 こぎんマガジン
https://koginbank.com/
2024年1月12日閲覧
kogin.net
https://kogin.net/
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【参考図案】
kogin.net「こぎん刺しで楽しむりんごと小さなツリー図案2種セット」
図案デザイン:山端家昌氏(kogin.net)
図案セット kogin.net商品サイト
https://shop.kogin.net/?pid=178143494
(2023年12月6日閲覧)
日本文芸社編『連続模様で楽しむ はじめてのこぎん刺し』、日本文芸社、2020年
図案デザイン:金子梢氏(promener avec)