明朝体から学ぶ日本語フォントの秘密
はじめに
文字は様々な情報を与え、言葉の知識さえあればそれらを理解することができる。言葉を覚え、読み書きを学習するという教育は我が国では一般的なカリキュラムであり、教育を受ければ誰でも扱える文字は情報を表す形であるとも言える。生活の中で必ず目にする文字の形は、現在までどのような進化を遂げてきたのか。文章として扱われる文字を違和感無く読むことができるのは何故なのか。その絡繰りを明確にする為、代表的なフォント〈明朝体〉に焦点を当て進化過程に注目し、文字という形を研究する。
1.明朝体誕生の基本データと歴史的背景
中国の宋時代に宋朝体が使用され、後に日本式の明朝体と呼称されるようになったのは清時代(明治時代)のことである。1844年、キリスト教伝道用の印刷物を扱う出版所である華花聖経書房が清国に設立された。後に美華書館へと改名された1858年、アメリカ人のウイリアム・ギャンブル(William Gamble,1830-1886)が六代目館長として着任し、1869年まで印刷技術の発展に貢献。この間彼が残した最大の功績は、複雑な漢字という活字彫刻を金属材から木材に切り替えたことである。画数や種類が多く、形が複雑な漢字を金属材に彫刻することは至難の技であったが、木材に切り替えることで完成度が高まり、文字の小型化も実現させた。美華書館をはじめ、数々の伝道会印刷所から発行された大量の漢訳聖書や布教用小冊子には、書籍の大半に明朝体活字が利用されていることが判明している。彼が美華書館を辞任した同年1869年、活版伝習所を長崎に設立した日本人の本木昌造(1824〜1875)からの招聘によって印刷技術者としての来日が決まる。来日後、約4ヶ月に渡り活字鋳造法と印刷術を日本人へ教えることとなり、この時期に日本人が受けた講習と複製により明朝体の歴史が動きはじめたのである。受講後、日本の職人達は東京築地活版製造所と大蔵省印刷局の二手に分かれ、我が国の活字を支える柱となり明朝体を育ててきたのだ〔資1〕。
2.日本語フォントの特筆される点
日本語は主に漢字・ひらがな・カタカナの3種類(ルビを含めると4種類)で構成される。それらが混合される事を踏まえ、3種類のトータルバランスを操る必要があると言える。明朝体を基に他フォントやアルファベットと比較し、視覚的なバランスを交えてその複雑さをレタリングの視点から考察する。
視覚バランスの構成は、文字の大きさ・線の太さ・空間・様式の4点で成り立つとされ、それらを揃えることで視覚的に安心感を与える形が完成する。日本語フォントの漢字・カタカナは基本的に正方形の枠内へ収める形式で作られるが、画数が少ない文字は大きく見える傾向がある為、複雑な文字よりも小さく成形されている〔資2-1〕。線の太さを調節し、枠内の空間バランスや文字の様式を整えることも同じ大きさに見せる為のポイントである。縦横両方の調節が必要なゴシック体と比べ、横線の細さが統一される明朝体は太さの調節が縦線のみとなる〔資2-2〕。様式に関しては明朝体の特徴でもある、うろこやはらいの形に統一感を持たせることが重要である〔資2-3〕。
一方ひらがなは漢字の明朝体と区別する為に〈ひらがな明朝〉と呼ばれ、曲線で構成されることから正円の枠を基にバランスを調整する。スペーシングの際には隣接する文字により空間の微調整を行うが、この方法は曲線が多いアルファベットの構成と類似していることがわかる〔資2-4〕。このような事例から、日本語フォントの成形は文字数の多さに加え、細かい調節が必須であり特筆すべき点と言える。
3.最多数の漢字見本誕生とひらがな明朝誕生に対する評価
明朝体成立について軌跡を辿るには、活字サイズと分合活字、ひらがな明朝を掘り下げる必要がある。活字の大きさ基準を示す活字サイズは、美華書店の活字販売広告によると1号から6号まで定められ、これらは1号から6号にかけてサイズが小さくなる法則である〔資3-1〕。この活字サイズが基になり、後に本木昌造により初号と7号が追加(正式には新6号追加により元6号が繰上げ)され、1872年には日本の活字サイズとして周知された。現在はJIS規格に基づく活字サイズが使用されている〔資3-2〕。美華書館の活字サイズのうち2号と3号は分合活字が使用されており、ウイリアム・ギャンブルが来日した際にその手法が伝来したと推測される。分合活字とは、偏・旁・冠・脚の四種を予め制作し、組み合わせで1字になる活字のことを指す〔資3-3〕。組合せを賢く利用した分合活字総数見本帳には23,758字に昇る漢字が掲載されており、この数は最も多い漢字数とされている。 当用漢字表が存在しない時代にこれだけ多くの漢字サンプルを制作できたのは、分合活字法を取り入れた成果であると言える。
一方、日本独自の存在であるひらがなは手書きの文字として連続して綴られることが前提であり、初期のひらがなフォントは斜めであったりエレメントが繋がっていたりと連綿体の名残が見える〔資3-4〕。明朝体のフォントとして成形するには、字の癖と先入観を取り払った上で一字種多字形から一字種一字形に変換する難しさがある為、様々な工夫を凝らして我が国独自のひらがな明朝を確立させたことは大きな評価に値すると言える。
4.今後の展望
フォントは主に発信側である印刷会社が扱うものであったが、現代は個人でフォントに触れる機会が増えてきたと言える。個人ベースでデジタル機器を扱うことが主流となった今、私達は発信側にもなれるのである。デジタル化が進んだフォントは〈デジタルフォント〉と称し歴史を継承し、その進化に注目すると今後の展望が見えてくる。
一つは文章作成時のスペーシングの進化についてである。日本語は主に3種類の字を組み合わせると述べたが、文章作成の際に隣接する文字はランダムである為、スペーシングが視覚的に均等になるとは限らない〔資4-1〕。また、外国語などが混合するとスペーシングと書体の違いから文章の視覚バランスが崩れる〔資4-2〕。レタリング目線からの指摘になるが、これらの問題はデジタルフォントの普及により、日本語・外国語のフォントバランスが相互均等に変換される可能性が期待出来る。
もう一つは新しい基本フォントが生まれる可能性である。昔と違い紙に記された文字よりも、デジタル機器を通してフォントを見ることが多いと仮定する。大きい用紙を広げ一面を見渡して読むのではなく、スマートフォン等の小さな画面で切り取られた文字を読む機会が多くなり、フォントも多様化している。その為、小さな画面や動画を前提とした見やすいフォントを選択しているとも考えられる。この事例から、近い将来スマホ体やYoutube体のように細分化されたメインのフォントや、目に優しいブルーライト軽減体などが研究され、視覚の健康に寄り添ったフォント誕生の可能性も考えられるのではないか。
5.まとめ
日常の中へ当たり前に溶け込んでいる文字を観察すると、違和感を与えずに存在していることに気が付く。違和感を与えないという違和感に焦点を当てていくと、フォントのバランスに秘密が隠されているという考察に辿り着いた。同時に昔の資料や文字を目にした時のぎこちなさを感じる現象も、発達途中であるフォントの視覚バランスによるものでは無いかと研究結果から考察できる。そんな未熟なフォントさえ、名も無き職人達の手によって形が育てられてきたことを感じられ、フォント誕生までの歴史の深さを思い知る。様々な工夫を凝らして完成された明朝体の存在は、日常生活において意識されない存在であることが、ベーシックなフォントとしての役割を完全に果たしていると言えるのではないか。
参考文献
・小宮山博史『日本語活字ものがたりー草創期の人と書体ー』、誠文堂新光社、2009年
・吉田佳広『ベストレタリング』、日本文芸社、1992年
・日本産業標準調査会HP『活字の基準寸法』 https://www.jisc.go.jp/pdf2/Viewer/bffa2316-8223-4bc8-a3a4-ab531042b81d/2908f9a0-8a61-4bde-9abf-67f650beec5a(2023年1月15日閲覧)