文化的景観近江八幡水郷地区 地域資産の活用と協働について

黒田香

文化的景観近江八幡水郷地区 地域資産の活用と協働について

はじめに

本研究では、湖国の原風景が残る滋賀県近江八幡市の水郷地区の地域資産を活用した白王町、島町と主に「おうみ未来塾」※1で結成された「ひょうたんからKO-MA」※2(以下KO-MA)との恊働活動について説明する。また、社会の変革の中で見落とされてきた地域資産がどのように活用され、地域住民主体の自発的な村づくりにつながったかを報告し、考察する。

1 基本データ 水郷地帯の歴史と景観の特徴

旧近江八幡に広がる水郷地帯は、市域の北東部に広がる八幡山と西の湖に面した場所にある。1585年に豊臣秀次が八幡山城下に掘削した八幡堀は、内湖や琵琶湖へと繋がっており、在郷町となった後も東西の物流と人流の要衝として人々の暮らしと密接に関わってきた。※3西の湖から琵琶湖に繋がる長命寺川河口付近は「水路とヨシ地、水田、集落を包み込む里山」が連続して構成されている。(図1)西の湖をはじめ大中の湖、北の庄沢や津田内湖の湿地帯では、水運を利用した半農半漁の生活が昭和初期まで営まれていた。また、全国的にも有数の陸ヨシの生産地で「すだれ」などの加工業が盛んであったが、戦中の人手不足からヨシ原の管理が難しくなり、一部は当時の食糧事情から水田に転地替えされた。昭和40年以降、県は手労働的農業経営から近代農業経営を推し進め、水郷地区のすべての水路を埋め立てる大規模な圃場事業を行った。西の湖に隣接していた大中の湖と水路でつながっていた津田内湖(図6)は広大な干拓地に、点在していた浮田も陸続きとなり生活環境の整備と経済的発展によって農家の暮らしは大きく変化した。地理的な条件で埋め立てが難しかった白王町の「権座」も湖上堤の建設計画が打ち出されたが、2005年、日本で最初となる「重要文化的景観」(文化庁)※4に近江八幡の水郷地帯が選定され、長い歴史の中で築かれてきた農村の暮らしや湖水漁業、また、灌漑や豪雨対策としても貴重な水環境の保全に乗り出し、湖上堤の計画は廃止された。その後、「景観農業振興地域整備計画書」の策定のため東京大学大学院新領域創成科学研究科の横張真氏、農村開発企画委員会の落合基継氏、ナウスジーアシステム研究所の小野邦雄氏が国から派遣され、全区民を対象に地域の持つ魅力を再認識するためのワークショップや話し合いが幾度も重ねられた。これをきっかけに先人から受け継がれてきた自然の営みとともにある暮らしを顧み、白王町は日本で唯一浮田として残った「権座」(図2)を、島町は農村集落の里山の風景(図3)を景観保全活動の中心に据えた。

2 ひょうたんからKO-MAと地域との協働

2−1 白王町「権座」
湖上提の計画が廃止され、労力のかかる権座を残すことを疑問視する住民もいるなか、権座を代々受け継ぎ「景観農業振興地域整備計画書」にも関わった大西實氏は、2006年同じ島学区出身でKO-MAに所属していた中川豊一氏と権座の存在をアピールする「権座・水郷コンサート」を企画した。ミュージシャンによる演奏の他に管弦楽団と地元の小学生とのコラボレーション、黒豆や野菜など特産品の販売など農営組合や区民も積極的に関わった。田舟で湖を渡りコンサートに参加する企画は準備段階から話題となり、マスコミも含め約800名が訪れた。単発のイベントで終る予定であったが、内外からの想像以上の反響に大西氏など地元住民が活動に乗り出し「水郷・権座を守り育てる会」※5を発足させ、毎年収穫祭とともに開催されている。

2−2 酒米「滋賀渡船6号」と地酒「權座」の誕生
権座への関心や可能性を実感した住民は、2008年権座のブランド化に向けて栽培が難しく半世紀途絶えていた酒米「滋賀渡船6号」(以下渡船)の耕作に取り組んだ。100年以上藻を積み上げてできた特徴的な土壌に渡船は幸いにも適し、農業試験場にわずかに残っていた種籾の作付けに成功した。その後、営農組合や地元の経営者らと共に、地酒『權座』プロジェクトを企画し、「赤字は困るが、営利目的でなく農家が元気になる活動を支えたい」という喜多酒蔵※6の協力によりスタートした。県内各地の慈善事業に積極的に携わり、地元で信頼関係を築いてきた喜多酒蔵だからこそ実現できたプロジェクトだといえる。また、幻の酒米渡船の復活は県内各地の老舗酒蔵の商品開発を後押しし、現在12の酒造メーカーが蔵の特色を生かした地酒を販売している。今年で純米吟醸酒「權座」の仕込みは6年目を迎えるが、毎年瓶詰めされる4000本は年を越す前にはすべて完売し、黒字経営が続いている。

2−3 島町 ドキュメンタリー映画「ほんがら」
白王地区に隣接する島町は、かつて島と言う名の通り周囲を長命寺川と水路に囲まれ、稲作を生業としてきた。60戸あまりの小さな農村でドキュメンタリー映画が撮影されるきっかけとなったのは、50年以上も前に途絶えていた島町独自の「ほんがら松明」※7の制作工程を、記憶のあるうちに写真に残したいという老人会からの依頼であった。2006年KO-MAの藤田知丈氏は知人であった映画監督長岡野亜氏※8の協力のもと、AAF※9の支援を受け農村再生ドキュメンタリー映画「ほんがら」のプロジェクを立ち上げた。ヨシや菜種殻、稲藁など自然の営みのなかで材料調達(図4)に勤しむ老人たちの姿を追いつつ、時間をかけたインタヴューから青年団時代の厳しくも楽しかった思い出や村の歴史、若者に託したい未来が語られ、島町のアイデンティティに迫る作品となった。2008年地元の完成試写会には約300名が集り、祖父母の思いにふれた若者たちは老人会とともに翌年以降もほんがら松明の制作を決定した。映画をきっかけに、春の例大祭で神輿の担ぎ手が不足していたが、若衆が声をかけに回るなど横の繋がりも活性化している。全国での自主上映会がツールとなり、県内外から大勢の人を呼び寄せ、祭りを活気づけている。

3 総括
白王町、島町のどちらもKO-MAをはじめとするさまざまな人、場所、組織によって地域に埋もれた財産に価値を見出し、住民による自発的な活動につながっている。
白王町では、近代農業から孤立し地域の中でもネガティブなイメージを持たれていた権座に対する住民の意識を、KO-MAとの協働により「白王町の宝」という意識に大きく転換させた。サポーター制度や地域資産のブランド化と資源循環型のシステムを構築し、景観保全の教育活動も盛んだ。(図2)
また島町では、昭和初期に島小学校が『島村郷土読本』※10を制作し、全国の郷土教育のモデル校であったことやその取り組みが『村の學校』※11として映画化された歴史を、『ほんがら』の撮影によって掬い上げたことで島の誇りとなっている。これをきっかけに長年放置されてきた小さな棚田を住民総出で再生し、「箱庭の里」プロジェクトが始動した。(図3)
観光化や経済効果を追い求めるだけではなく、外部との恊働をきっかけに、文化的景観を維持しながら、自然と生業が共存した住み良い町づくりや多世代間コミュニティの構築を模索する二つの活動は、全国から視察が絶えず、同じ思いを持った各地の自治体に様々なヒントを与えている。
一方、水郷地区全体の景観保全事業に目を向けると、水郷の景観に欠かせないヨシ原は、人手不足により管理が行き届かず産業も低迷が続いている。その要因に、円山町はヨシ産業※11と漁業、白王町は稲作と漁業、島町は稲作、北の庄は畑と稲作という具合に、長年、集落ごとに生業が棲み分けされてきたことがあげられる。棲み分けは技術が代々世襲され独自の文化を形成できるが、職人の高齢化や後継者の不在、需要の減少によって急速に産業が衰退する恐れも孕んでいる。白王町や北の庄沢でヨシ焼きは行われているが水郷全体の広いヨシ原の管理には、地区全体の連動した活動やボランティアの受け入れなど外部との連携体制の強化が急務であると感じた。もちろん、景観は人との暮らしとともに変化していくものであり、良質のヨシが栽培できなくとも水ヨシのある風景は人々の拠り所となり心に残っていくだろう。だが、大きな観光産業の手漕ぎ舟による「水郷めぐり」の安全で円滑な運営に、風よけの役割を果たすヨシ原の存在も無視できない。また、白王町が「景観とともにある農」をスローガンに掲げ、地元の協力や外部の多様な視点を取り入れて「権座」をブランド化できたように、ヨシ産業も産業で終らないプロダクトとして付加価値を高めることや、技術の継承のために外部に開かれた仕組みが必要であると考える。

  • 987383_d99ba5494d1444e2858e3b486972580e 図1近江八幡水郷地域全体図
  • 987383_f5e8f91622f9413986074bbf687b485a 図2白王町マッピング
  • 987383_2f842ee2d3be4aa0bb283a7ff9090fd1 図3島町マッピング
  • 987383_b96b9ecba92a4c2b8068f025a7f484b8 図4島町ほんがら松明制作過程
  • 987383_00612ad01ff04dc6910ebb746130a92f 図5白王町・島町とひょうたんからKO-MAの恊働から見える外部とのダイアグラム
  • 987383_9549fd47c5e141e889bfbc5c50805f0c 図6大中の湖と津田内湖が残る干拓以前の近江八幡水郷地域の様子
  • 987383_58de090cbe67497588e63a4d2ad6a1d5 注釈

参考文献

八幡堀の歴史を残す編集委員会監修 『琵琶湖と人の暮らしをつなぐ八幡堀~写真にみる自然・治水・経済・再生・保全の歩み~』 一般財団法人ハートランド推進財団 2014年
ふるさと島編集委員会編 『島学区50年誌 ふるさと島』 島学区まちづくり協議会 2016年
近畿大学文芸学部文化学科・歴史文化コース編 『近江八幡 島学区の民俗』近畿大学文芸学部
2002年
水野馨生里著『ほんがら松明復活』新評論 2010年
近江八幡市総務部 市史編纂室 編集・発行 『水辺の記憶』近江八幡市 島学区の民俗誌 2003年


ホームページなど
文化庁(文化的景観)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/
農林水産省
www.maff.go.jp/j/nousin/noukei/binosato/b_maturi/pdf/h22_n_daizin8.pdf-2011-08-26
滋賀県(近江八幡水郷)
http://www.city.omihachiman.shiga.jp/kyouikubunka/bunsin/25.html
近江八幡市水郷地区(円山・白王・北之庄) 景観農業振興地域整備計画書http://www.city.omihachiman.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000000/208/keikannousin.pdf
近江八幡観光物産協会 http://www.omi8.com
近江八幡島町
http://www.zc.ztv.ne.jp/shimacho/top.html
権座・水郷を守り育てる会
http://gonza.jp/
ASAHI ART FESTIVALアサヒ・アートフェスティバル
http://www.asahi-artfes.net/#

インタビュー
『権座・水郷を守り育てる会』副代表 大西 實氏
『ひょうたんからKO-MA』代表 藤田 知丈氏
映画監督 長岡野亜氏