文化遺産としての移情閣と孫文記念館としてつなぐ文化交流

畠田裕子

文化遺産としての移情閣と孫文記念館としてつなぐ文化交流

■はじめに
移情閣は外観が六角に見えるところから地元では「舞子の六角堂」として長く親しまれている。この建物が文化資産として特筆すべき価値をもち、さらに日中の文化交流の拠点となっている事実について評価し報告したい。

■概要と歴史
移情閣(孫文記念館)
所在地 兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051 舞子公園内
木骨コンクリートブロック造 八角三階建

明石海峡のある舞子浜は古くから白砂青松の風光明媚な景勝地として知られ、明治期には別荘地として旅館や別荘が建ち並び賑わいをみせていたと伝えられる。その一角に神戸の中国人実業家・呉錦堂(1855〜1926)が別荘を設けたのが19世紀末。「松海荘」(別名松海別荘)と名付けられた別荘は彼の事業の拡大とともに拡張されていった。1913年国賓待遇で来日した孫文を迎え、神戸の華僑や財界人がここで歓迎会を催した。以来、松海荘は孫文ゆかりの建物として神戸の人々をはじめ、日本人に広く知られることとなる。1915年呉錦堂は自らの還暦と実業界からの引退を記念して、松海荘の東側に三層の楼閣を建て、故郷中国への思いを込めて「移情閣」と命名した。移情閣の始まりである。昭和期に入ると、舞子浜は交通の要所へと変貌していき、1928年神明国道(現国道2号)の拡幅工事が行われた。旅館群は撤去されることになり、松海荘本館も解体されたが、移情閣は残され、現在の形状に改築された。戦時中一時期、軍に接収されたが、終戦後、呉家に返還され、神戸中華青年会の研修所として活用される。1964、1965年の台風により、移情閣は大きな被害を受けた。附属棟は屋根・テラスが倒壊し、移情閣本体も壁紙・灯具などの大正期の貴重な内装材が失われた。当時、建物の保存を望む孫文ゆかりの関係者が孫中山(※1)記念館として修理し開館しようと資金を募ったが、資金不足から暫定的な補修にとどまった。1966年孫文生誕100周年を記念して呉家が移情閣を孫文の記念施設として神戸華僑総会に寄贈した後、1982年12月日中国交正常化10周年を記念して神戸華僑総会から兵庫県に寄付された。県はこれを修復し恒久的に保存していくこととし、孫中山記念館として1984年11月12日から一般に公開された。1991年12月明石海峡大橋の建設に伴った周辺整備が行われ、移情閣は明石海峡大橋のアンカレイジ東側海岸近くに移転することになる。1992年移転のための調査で建物の文化的価値が認められ、1993年兵庫県の指定重要有形文化財とされ、歴史的価値を損なうことなく移築されることになる。解体工事中の1995年、阪神・淡路大震災に遭うが、解体作業中だったこともあり、被害は一部のコンクリート製の外壁ブロックの損傷にとどまった。復原工事は2000年3月に終了し、4月22日から一般公開された。その年の10月17日朱鎔基中国国務院総理が視察に訪れ中国の有識者層にも日本の孫文記念館の存在を大きく知らしめることとなる。2001年11月文部科学省が国の重要文化財に指定。2005年10月「孫文記念館」と改称され現在に至る。
※1 孫中山は中国近代の革命家であり、中華民国の「国父」の称号を与えられた孫文(1866〜1925年)の別号である。

■特筆すべき点
1 建築
移情閣は西洋のデザイン・日本の職人技・中国の精神で構成された建物といわれる。
・構造
移情閣は木骨コンクリートブロック造3階建。木で柱梁構造を作り、外観をコンクリートブロックを使って建てた非常に珍しい建物である。移情閣のコンクリートブロックは明治後期から大正4年までのものであり、石造建築の派生として生まれたコンクリートブロック造としては現存する国内最古の居住用建物であるといわれる。外壁に使われた様々な形状のコンクリートブロックは5018個。復原工事の調査では鉄筋でなく木骨構造だったため海の側に建築されたにも関わらず塩の影響を受けず経年劣化により破損しなかったことが判明した。またその調査時、採取検証されたコンクリートブロックやセメント系タイルはすべて呉錦堂が経営する東亜セメント製であったことが判明。このことから移情閣は自社製品を使ったモデルルームとして作られた可能性も指摘されている。
・建築様式
八角形の外観の移情閣だが、この八角形については中国の風水や八卦思想に基づくものであるという説とゴシック形式であるという説がある。ゴシック形式であるという根拠は
1 19世紀以降のヨーロッパでは中国趣味が盛んに流行した時期があり、この頃建てられ、現在世界遺産となっているイギリスのキューズガーデンにある建物(Pagoda)もこの八角形の形であること
2 細部が19世紀末、最新のデザインであるセセッション(分離様式)で作られていること
であり、このことからイギリスや欧米を経由してきたものだと推定されている。移情閣の設計者は断定されていないが、明治時代、工部大学校(現・東京大学工学部)で教鞭をとったイギリスの建築家ジョサイア・コンドルの影響を受けた日本の建築家がゴシック形式と中国趣味を併せたものとしてデザインしたのではと考えられている。コンドルは伝統的なゴシック復興運動の推進者であった。
・内装
移情閣の内装は日本の左官技術の粋が結集されたものといわれる。
金唐紙ー壁紙には金唐紙を使用。金唐紙はかつて鹿鳴館や国会議事堂を飾り、海外ではバッキンガム宮殿にも用いられていた。本来は革を型押しした後、彩色して作られるヨーロッパの技法であるが(正式には金唐革紙)日本の金唐紙は中国伝来の唐紙をヨーロッパの革の代わりに用いて作られた。
天井周りの装飾ー大正初期に流行したセセッションの特徴を示していることで高く評価されており、模様は「漆喰蛇腹びき」という洋館特有の高度な技法が用いられている。また、移情閣の天井中心部分には中国の吉祥の象徴である龍、鳳凰、牡丹の意匠が施されている。
装飾タイルー解体・復原時に床や暖炉に使われた装飾タイルが発見された。ビクトリア=アルバート博物館での調査後、英国製と判定されたためレプリカ作成についても英国で歴史的タイルの復元を手がける2社により「神戸ローズ」と呼ばれるタイルが復元された。

2 震災後の復原工事
移情閣は明治・大正期の舞子浜の別荘文化の名残をとどめる最後の建物であり、兵庫県における日中交流の歴史を語るうえで欠かせない貴重な文化遺産である。復原工事は単に県指定文化財の保存工事のレベルに留まらず現在の最高水準を目指すことになった。学識経験者からなる「移情閣復原工事指導委員会」が組織され、
1)阪神・淡路大震災の教訓を生かした耐震対策・安全確保の検討
2)文化財としてのAuthenticity(真実性、本物)を追求し、建物本体の価値を損なうことなく後世に継承すること
を基本方針とし、きめ細かい検証が行われた。さらに神戸華僑総会からの資料提供や英国総領事館からの国際協力を得て、より高い精度での復原が実現された。
※復原には元ではなく原の文字が使用されているが、これはただ“元にもどす”のではなく、“オリジナルに近づける”という意気込みを表現したものとされる。

3 日中交流の文化拠点
孫文記念館は孫文を顕彰する日本における唯一の記念館である。孫文を顕彰する施設は海外にも多く存在するが、海外の施設との大きな違いは海外の孫文関連施設が中国人のみの設立・運営であるのに対し、移情閣は中国人と日本人が共同で設立・運営している点である。孫文と交流した多くの日本人が孫文との間に築いた絆、信頼が時を越え、生き続けているのである。現在、記念館では扁額をはじめとした孫文と神戸の関わりを表す展示や情報発信が行われており、また、日中の有志から成る移情閣友の会が日中友好の交流拠点として活動している。昨年30周年を迎えた友の会は中国語講座や二胡など10部門にも及ぶ同好会を有し、日中の文化交流、地域との交流、海外の孫文関連施設との交流に積極的に取り組んでいる。

■評価を終えて
本報告をまとめるにあたり、孫文記念館研究員蒋海波氏と移情閣友の会企画運営委員長後藤みなみ氏に協力をいただき、孫文記念館では多くの貴重な資料を見せていただいた。調査する過程でこの歴史的価値のある、日中両国の多くの人に愛され、親しまれてきたかけがえのない財産がどのように継承され、発展していくのかにも興味をもち、このたび個人的に友の会にも入会させていただいた。記念館の今後をこれからも見続けて行きたいと思う。

  • 987383_fa3753c81ad34cceb8a195dcf2fe1dab 移情閣全景と明石海峡大橋
  • 987383_ea32251b53344b1d8066accf3a1e7845 移情閣前の孫文銅像
  • 987383_81dddc088ddc44f5b9bc11898a9f3254 世界中の孫文顕彰施設(移情閣内パネル展示)
  • 987383_212892768bfe4368a162dd2d92fa361e 移情閣1階の様子 上部には扁額
  • 987383_d8ff1841d46a4e68b0f37f0396e8038c 復原された金唐紙
  • 987383_c59c86ec67c94f5a8a96cb9304292f20 復原された暖炉と装飾タイル〜神戸ローズ
  • 987383_e3ca3c525a934999a4da330aecb4ecb0 移情閣天井中央の鳳凰の意匠
  • 987383_3380f06ea9d84b8a9833ff36eee08370 移情閣独特の複雑な階段

参考文献

孫中山記念会編『日本と孫文:日中の心の架け橋』孫中山記念会 2007年
安井三吉、蒋海波編集 『孫文記念館30年の歩み』孫中山記念会 2015年
孫中山記念会編『孫中山記念館(移情閣)概要』孫中山記念会 2001年
中村哲夫著『移情閣遺聞:孫文と呉錦堂』阿吽社 1990年
陳 徳仁、安井三吉著『孫文と神戸』神戸新聞総合出版センター 2002年
ビジュアルブックス編集委員会編『失われた風景を歩く』神戸新聞総合出版センター 2002年
「ニューひょうご」編集室『ふるさと再発見 ひょうご紀行』神戸新聞総合出版センター 1989年
移情閣だよりNo.110 移情閣友の会編集 2016年1月
呉錦堂を語る会通信 No.12、No.19 呉錦堂を語る会編集 2013年10月、2015年7月
孫文記念館館報「孫文」No.15 (公財)孫中山記念会編集 2015年7月