徳島県、長谷川印刷所における活版印刷
徳島県、長谷川印刷所における活版印刷
1、はじめに
15世紀にグーテンベルクが活版印刷機を開発して以降、20世紀半ばまで活版印刷の技術は世界で広く使用されていた。日本でも今から40年ほど前までは、本や新聞の印刷は活版印刷の技術が使用されており、印刷といえば、紙に印刷された文字が凹む活版印刷での印刷が主流であった。しかし、1980年を過ぎる頃からパソコンやプリンタなどの技術が進歩し、素早く、きれいに、統一性のある印刷が大量にできるようになり、手間のかかる効率の悪い活版印刷は徐々に衰退していくことになる。現在では活版印刷の印刷物を目にすること自体がなくなってきている。その活版印刷の技術を現在でも伝えていこうと活動をしている人がいる。その人は、徳島県にある小さな長谷川印刷所の高瀬希望さんである。衰退していく技術の中に存在する、伝えようとしていることは何なのかについて徳島県にある長谷川印刷所の高瀬さんの活版印刷の活動を取り上げ、考察していきたい。
2、長谷川印刷所と活版印刷の工程(基本データ)
(1)長谷川印刷所
長谷川印刷所の設立は1967年、所在地は徳島県徳島市新浜町三丁目2-67である。設立当初から、3人という少人数で印刷所を始める。現在も、同じ場所で高瀬さんを含め、4人の少人数で経営をしている。この長谷川印刷所は、昔から地元の会社を中心に印刷の依頼があり、名刺やチラシやパンフレット、社内冊子や伝票や賞状など地域で使用される印刷物を中心に印刷しているごく普通の印刷所であった。今も地域密着の仕事をしているが、活版印刷の依頼は、印刷技術の進歩とともに受注が激減している。活版印刷を廃業していく印刷所が多く、長谷川印刷所も高瀬さんの祖父が亡くなられたのを期に活版印刷を休止していたのだが、高瀬さんは海外留中に活版印刷の技術が、今では貴重な存在であることを知る。帰国後、活字の良さを伝えるため、長谷川印刷所内に、活版印刷部を作り、一人でも多くの人に活版印刷の技術を伝えるための活動を開始する。先にも述べたように、高瀬さんが活版印刷を復活させる頃には、印刷所はオフセット印刷に移行しており、活版印刷は休止している状態であった。印刷所の片隅に置いてあった道具などが廃棄される寸前であったものを、高瀬さんが譲り受けて、現在の活版印刷の技術を残す活動を始めたのである。
(2)活版印刷の工程
活版印刷は、繰り返し使用できる活字と呼ばれる鉛でできた文字を並べて印刷する。鉛でできているのは、ある程度加工がしやすく、耐久性があるからである。日本での活版印刷の行程は、漢字の字種が多いために、効率をあげるために文選と組版を分業化している。まず、原稿に従って、大量の活字が並んだ棚から文字を拾う文選という作業を行う。活字が拾えたら、木枠の中に順番に並べて、文字間などを調整して組んでいく組版を行う。ここでは、活字を順番に並べるだけではなく、レイアウト、デザインを考えて、試行錯誤を繰り返しながら配置していく。そして、組版した印刷版を印刷機にセットして、インキをつけて圧力を加えて印刷をしていくという流れになる。印刷には試し刷りを行い、組版の調整、刷り位置の調整、印刷圧力の調整を行う。温度、湿度によってもインキの量を変更するなど、多くの労力がかかる。特徴は、紙に印刷した文字が凹むというところである。職人は印刷したときの文字がかすれるのを嫌うが、現在の顧客は、活版印刷の文字のかすれ具合などのアナログな手作り間に愛着を持つようである。
3、歴史的背景
グーテンベルクの活版印刷技術の開発より以前、7世紀頃、中国における木版印刷から印刷文化は始まる。アジア地域での印刷物は広めるためではなく、原本を活字によって正確に保存するために使用され、後世に残すために印刷されるものであった。このため、加工のしやすい木が使用され、やわらかい素材のため耐久性はなかった。これに対して、鉛を使用した活版印刷は、ヨーロッパで経典を広範に頒布することを目的としていた。できるだけ数多く刷るため、ある程度の耐久性があり加工のしやすい鉛を使用している。ヨーロッパで、この活版印刷が普及したのは、アルファベットの字数の少なさだけでなく、何枚も印刷をし、経典などを頒布するという目的があったからである。
そして、現在の主流はオフセット印刷に移っている。刷版につけられたインキを、ブランケットに転写してから、用紙に再転写する方式である。活版印刷に比べ、納期が早く品質も優れているため、現在の印刷方法の主流になっている。さらに今後は、電子データが普及し、印刷すらされないということが多くなっていく。しかし、パソコンのソフトが変わるとデータが見られなくなるといった道具側の変化で、今まで続いてきた文字の歴史が断ち切られてしまうことにもなるかもしれない。
4、活動の比較
まず、長谷川印刷所の高瀬さんの活動を取り上げ、その比較として、一般財団法人ニッシャ印刷文化振興財団の活動をとりあげて比較していきたい。
(1)高瀬さんの活動
高瀬さんは、徳島県にある長谷川印刷所においてワークショップを行い、実際に活版印刷を体験してもらう活動を行っている。こうした活動をするのは、知識ではなく、実際に動いている所を体験してもらい、そこで感じるものを大切にしてほしいとの思いからである。活版印刷では徳島県で作られている紙を使用したり、実際に体験してもらうことで、徳島県のことや、インクのにおい、印刷の音といった雰囲気を感じ取ってもらえるようにしている。また、大阪に2、3時間で行ける立地であるため、大阪のATCや百貨店などで開かれるハンドメイドのイベントに参加して、印刷体験をしてもらえるように活動をしている。
(2)ニッシャ印刷文化振興財団の活動
ニッシャ印刷文化振興財団は、印刷文化、技術に関する資料の収集、保存および公開などを行っており、京都における印刷文化・技術の継承、振興および向上発展を目的としている。活版印刷の技術を残すために行われている活動が、日本写真印刷株式会社本館での、内部の工場見学、および印刷についての講演である。工場見学では、予約をすれば1人から案内をしてもらえる。工場内では、印刷技術の歴史をわかりやすく時系列に展示し、グーテンベルクの活版印刷の複製機や、その活版印刷機で印刷された42行聖書の復刻版などを、実際に見て、触れることにより、活版印刷を含めた印刷技術を知ってもらう取り組みをしている。
(3)2つの活動の比較
2つの活動における共通点は、活版印刷について伝えていくということがあげられる。相違点は、実際に体験できるのか、見ているだけなのかということである。長谷川印刷所では、実際に触れて印刷体験ができるので、湿度によるインクの調整や、インクのかすれ具合の調整などを体験することができる。ニッシャ印刷文化振興財団の見学では、実際に印刷体験はできないが、どのような過程でその技術が生まれ変化していったのかを知ることができる。
5、評価する点と課題
評価する点は、体験することで得られる相乗効果である。効率化されていく世の中において、効率の悪い技術は衰退していく。資本主義の経済では当然の結果であるし、経済が豊かになっていく過程では仕方がないことなのかもしれない。ここであげた活版印刷も衰退し、現在ではほとんど見かけなくなったのは上述の通りである。しかし、速さ、きれいさを優先するために、行程が省かれ、そこに関わる人が少なくなっては、できる作品は無味乾燥なものになってしまう。例えば、パソコンの標準化された文字は、同じ文字を様々に表現できる書道の個性は表現できない。筆者が12月に長谷川印刷所でワークショップを体験したときに、名刺を作るつもりが、高瀬さんとの会話の中で、もうすぐ年始だからと年賀状を作成し、思いがけない作品ができたのも、そこに高瀬さんという人が関わっていたからに他ならない。パソコンを使い、自分一人で印刷をしていたなら、自分の思っていた名刺がきれいにできただけだろう。効率が悪いからこそ人と人との関わりが必然的に起こってくるし、その関わりが多ければ、違うものが生まれ、そして手間暇をかけた分、紙に印刷された凹んだ文字に愛着がわくのである。
課題は、効率が悪く、経営的に厳しいということである。衰退していく技術を伝えていくには、利益を出していかなければいけない。活版印刷の価値の本質を伝えていく工夫が必要である。
参考文献
武田徹著 三重博一編 『新潮45』 新潮社 2015年8月18日発行
板倉雅宣著 『活版印刷発達史』 財団法人印刷朝陽会 2006年10月15日発行
樺山紘一著 『図書7 活版印刷2つの伝統』 岩波書店 2001年7月1日発行
當山日出夫著 『文字伝承と文字コード「伝統的字体」とは何か』 社団法人情報処理学会 2007年5月25日発行
川田久長著 『活版印刷史』 株式会社印刷学会出版部 1981年10月5日発行
大石薫編 『VIVA!!カッパン』 株式会社朗文堂 2010年5月2日発行
パピエラボ著 『紙と活版印刷とデザインのこと』 ピエブックス 2010年6月2日発行
長谷川印刷所、http://hasegawa-printing-factory.com/index.html(2016年1月18日アクセス)
ORGAN活版印刷室、http://organkappan.net/workshop(2016年1月18日アクセス)
ニッシャ印刷文化振興財団、http://www.nissha-foundation.org/(2016年1月18日アクセス)