文化資産としての「別府竹細工」

田邉 薫

1.はじめに
 源泉総数・総湧出量ともに日本一を誇る別府温泉[註1]の歴史は古く、貝原益軒の『豊国紀行』(1694)[註2]には「およそこの地の温泉はよそに増さりて清く和なり」と記されている。この湯煙の町は温泉同様に豊かな竹資源にも恵まれ、伝統的工芸品「別府竹細工」を営々と育んできた。
 この研究では「別府竹細工」[資料1]の歴史とその発展の背景を整理することによって、伝統的工芸品としての文化資産評価を行い、現代に求められる伝統的工芸品の在り方について考察する。

2.伝統的工芸品「別府竹細工」の基本データ

2-1.指定に関する法律
伝統的工芸品産業の振興に関する法律

2-2.指定日、技術・技法、原材料、地域
[資料2]

2-3.伝統工芸士
16名[註3]

3.「別府竹細工」の歴史的背景

3-1.口伝による発祥エピソード
 別府市では各地域で古くから竹細工が盛んに作られてきており、その起源について日本書紀に登場する人皇12代景行天皇、あるいは室町時代の木地師新吉のエピソードが伝わる。いずれも地元に伝わる古い言い伝えであり本稿では言及しない。[註4]

3-2.豊富な原材料
 九州を中心とした西日本に多く分布する竹林面積について、大分県は鹿児島県に次いで第2位である。しかし「別府竹細工」の主たる原材料であるマダケに限れば、大分県は全体の8割ほどをしめ、他の追随を許さない。[註5]

3-3.温泉観光都市別府
 古くから湯治客の訪れる別府ではあったが、別府港開港(明治4年)、別府駅開業(明治44年)と海陸交通が発達し、地獄めぐりの開発[註6]等によって別府温泉郷は一大温泉観光地へと発展していった。
 その勢いに伴って湯治客が自炊に使用する竹製の飯籃や味噌こしの重要が高まり、土産品としても人気となったため、竹製品の生産量が右肩上がりとなった。

3-4.工業徒弟学校竹籃科の誕生
 政府の殖産興業政策により明治35(1902)年に別府町浜脇町学校組合立工業徒弟学校が開校し、指物科・挽物科・鬆漆科・蒔絵科・竹籃科の5科が設置された。このとき、竹籃科の実習担当として先進地である有馬温泉から末田新吉氏を招聘し、京都や道後温泉と同様に茶の湯用の花籠系統の竹細工の製作技法が別府に伝わった。[註7][註8]

3-5.大分県立竹工芸訓練センター
 大分県立竹工芸訓練センターは日本で唯一の竹工芸職業能力開発校であり、竹工芸産業の後継者を育成するために大分県により設置された。
 2年間の職業訓練を通して、竹材の材料加工全般から竹製品製作の各分野の技術習得、並びに販売まで行える知識を習得することで、即戦力となる人材を育成する。[註9]

3-6.竹工芸初の人間国宝 生野祥雲齋(1904~1974)
 くしくも工業徒弟学校が設置された明治35(1902)年に文人角物・花篭・白物の分野の先駆者である室澄小太郎が愛媛から別府に来た。その教えを受けた佐藤忠の弟が高級花篭の名手佐藤竹邑斎(1901~1929)である。
 別府に生まれた祥雲齋は19歳のときに三歳年上の佐藤竹邑斎に弟子入りし、わずか二年後に独立。別府工芸指導所の商工技手の傍ら新文展に出品し続け、昭和15(1940)年の紀元二千六百年奉祝美術展覧会において櫛目編の技法を取り入れた盛籃で初入選した。「別府竹細工」の伝統を継承しながら独自の世界を切り開き、「竹細工を芸術の域まで高めてやろう」[註10]という強い思いで邁進した祥雲齋は、昭和42(1967)年に竹工芸初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

3-7.別府市竹細工伝統産業会館[資料3]
 伝統的工芸品「別府竹細工」に代表される別府の竹工芸の振興を図り、情報発信を担うために平成6(1994)年に別府市によって設置された。展示室にはくらしの中の竹製品から芸術作品まで、数多くの竹工芸品が並ぶ。研修室では若手竹工芸家を対象とした竹の教室や、一般や学生を対象とした体験学習などが実施されている。

4.文化資産としての「別府竹細工」の評価

4-1.評価の視点
 竹産業は昭和30年代以降、プラスチック製品と安価な外国製品の流入によって斜陽化が進んだが、持続可能な社会への転換が国際社会において共通の目標となった今、土に還っていく自然素材からなる竹細工の可能性が見直されるのは必定であろう。
 「別府竹細工」の文化資産としての評価に当たり、「ブランド力」、「後継者育成」、「情報発信」の3点に注目した。同時期に伝統的工芸品の指定を受けた岡山県の「勝山竹細工」との比較を行い、「別府竹細工」の可能性を明確にする。

4-2.伝統的工芸品「勝山竹細工」の概要
 「勝山竹細工」は岡山県真庭市(旧真庭郡勝山町)周辺で、真竹を原材料として作られてきた竹細工である。伐採した真竹の汚れを落とす程度の製竹とし、青竹の素材を活かして加工する。「編み」はござ目編みを基本としており、素朴な味わいを特徴とする。[註11]
 伝統的工芸品の指定を受け一躍脚光を浴びた「勝山竹細工」だが、わずか18年後に法人解散している。[註12]伝統工芸士の資格保有者も高齢化により現在は不在となっているが、勝山町並み・体験クラフト市等にて竹細工ワークショップが開催されており、若い移住者による竹細工の継承が実現しつつあるようだ。[註13]

4-3.ブランド力についての評価
 別府市では平成27(2015)年度から「別府竹細工ブランド化推進事業」に取り組み、「別府竹細工」の認知度を高め、需要に結びつけていくべくブランド化事業を推進している。[註14]
 その一方で「別府竹細工」をインターネット検索すると、「別府竹細工」と表記しているサイトもあれば、「別府(スペース)竹細工」と表記に苦慮しているサイトも見受けられる。伝統的工芸品「別府竹細工」の規定、線引きが明確であるべきかどうかも含めて、一般の購入者にわかりやすい表記を検討しなければ、いったい何が「別府竹細工」なのかわかりにくいのではないか。

4-4.後継者育成についての評価
 大分県立竹工芸訓練センターにおいて、毎年10人程の少数ではあるが確実に竹工芸の後継者が育っている。大分県内外から竹工芸を生業とすべく志のある人が集まり、修了生のネットワークを活用して県内に定住する例も少なくない。地域の職人との交流も見受けられる。[註15]
 また池袋にて昭和55(1980)年から(財)伝統的工芸品産業振興協会主催別府竹細工東京教室も開講している。

4-5.情報発信についての評価
 別府市竹細工伝統産業会館は、常設展示により一年を通して「別府竹細工」の情報発信が行われており、事業内容には大分県立竹工芸訓練センター・別府竹製品協同組合との連携が随所にみられる。令和2(2020)年10月より指定管理者制度が導入され、SNS等を通じてきめ細やかな情報発信がなされている。
 竹細工の貴重な一次資料を数多く有する館として、技法解説など実践的な内容を動画サイト等を活用して国内外に発信して欲しい。

5.おわりに
 地方都市ならではの旺盛な研究意欲と競い合う仲間の存在のもとで受け継がれてきた「別府竹細工」の未来を思考するとき、竹細工に関わる様々な人々の交流・研鑽の場としての情報発信地を目指していくべきだと考える。4-5で述べた技法解説動画もその一つである。
 徒弟制度は過ぎさり、広く情報が発信される中で人々が研鑽する時代となった。確かな技術を培ってきた地域として、発信する情報の豊かさと信用度を積み重ねていくことが、竹に関わる人と物の流れに繋がると考える。別府は、アルゲリッチ音楽祭[註16]など国際的なイベントを得意とする土地柄であり、「別府竹細工」を旗印とした国際会議等に発展していけば、国内外の竹に関する情報交換が進み、竹工芸全体のレベルアップに貢献する可能性があると考える。

  • 1 添付資料1.別府竹細工
    左からコースター(工房HUTAN)、竹鈴、古布眼鏡置き(工房HUTAN)
    (2021.1.28 別府市竹細工伝統産業会館にて筆者購入)
    竹鈴は昭和30年代半ばに川上工芸社の川上きみ氏が発明したもので、意匠登録もされていた。昭和39年の大分国体ご臨席のために来県された皇太子妃美智子様(当時)が宿泊先の土産物コーナーにて購入された後、宮内庁からの許可を得て「美智子妃殿下お買上品」とラベルをつけたところ全国的に人気となった。
    [註17][註18]
  • 2 添付資料2.「別府竹細工」 伝統的工芸品産業振興協会『伝統的工芸品ハンドブック』伝統的工芸品産業振興協会、2003年185頁より筆者作成
  • 3 添付資料3.別府市竹細工伝統産業会館
    ※右側の白い建物は平成30(2018)年に増設されたカフェ兼ミュージアムショップである
    (2021.1.28 筆者撮影)

参考文献

引用文献

[註1]別府市HP「温泉百科温泉データ」、https://www.city.beppu.oita.jp/sangyou/onsen/detail4.html  2021.1.25
[註2]江戸時代の医学者である貝原益軒(1630~1714)の紀行文
[註3]日本の伝統工芸士 http://www.kougeishi.jp/list_by_kougeihin.php?kougeihin_id=113 2021.1.25
[註4]日本書紀に口伝に該当する記述は見いだせない。室町時代に木地師新吉が発明したショウケ(塩桶)が別府竹細工の起源であるというエピソードが、段上達雄著「竹細工の大分」(日本民具学会編『竹と民具-日本民具学会論集5-』雄山閣出版、1991年、45頁)に紹介されているが、日名子洋一著「元禄の筲器と古語への夢」(別府史談会『別府史談 No.6』1992年)に「塩桶説は昭和31年12月付地元新聞・文芸欄に『別府の木地師新吉と竹カゴ』と題して(中略)ショウケの起源というユニークな伝承を創作した」ものだと、塩桶説を否定している。筆者もこの記事を図書館のマイクロフィルムで確認したところ、後藤武夫氏(大分県民俗考古学会別府地区委員)が昭和31(1956)年12月6日付大分合同新聞「学芸」のコーナーに執筆していた。余談だが、明治35(1902)年に別府工業徒弟学校に有馬温泉から赴任した竹籃科の先生が末田新吉というお名前であることも興味深い一致である。
[註5] e-Stat政府統計 特用林産物生産統計調査 / 確報 平成21年特用林産基礎資料 「Ⅱ品目別資料 49:竹の生産量・面積」、竹の生産量_面積_2009_u008-21-157.xls
[註6]全国初のバスガイド付きの遊覧バス事業(1928)をはじめた油屋熊八(1863~1935)が地獄めぐりバスを定着させた。(中山昭則「別府温泉郷における地域資源活用の軌跡と課題」、『別府史談 No.23(2010.3)』別府史談会、55~56頁)
[註7]別府市教育会『別府市誌』(1933年、259頁)によると、「別府特産品」の項の最初が「竹籠竹製品」となっており、別府工業徒弟学校に先進地より教師を招いて、それまでの単純な青物細工から「著しき進歩向上を観たる」とある。
[註8]竹籃科があったのはトータルで9年と短いながらも、先進地である兵庫県から複数の教師を迎えて授業が行われていたことが学校の記録(学事報告)に残っている。(日本民具学会編『竹と民具』雄山閣、1991年、47頁)
[註9]別府市浜脇に昭和13(1938)年、大分県工業試験所別府工芸指導所が設置された。昭和23(1948)年に別府工芸指導所が分離独立、平成6(1994)年に再編されて大分県産業科学技術センター別府産業工芸試験所となる。同じく浜脇に昭和14(1939)年、大分県傷い軍人職業再教育所が設置され、竹細工の技術教育が行われた。昭和63(1988)年に大分県立別府高等技術専門校となる。平成13(2001)年に、大分県産業科学技術センター別府産業工芸試験所と大分県立別府高等技術専門校が統合再編されて、大分県竹工芸・訓練センターとして発足。平成28(2016)年に大分県立竹工芸訓練センターに改称された。
[註10]挾間久「生野祥雲齋」、『大分県文化百年史』大分合同新聞社、1969年 132頁
[註11]岡山県HP 勝山竹細工(国指定伝統的工芸品)https://www.pref.okayama.jp/page/342857.html 2121.1.28 
[註12]亀井典彦著「勝山竹細工 : 熟達の職人たちが挑んだ、産業継承への4つの壁」 http://www.npo-jibunshi.com/katsuyama_takezaiku.pdf 2021.1.25
[註13]勝山は出雲街道の宿場町・城下町として栄えた歴史のある地域である。
勝山町並み体験クラフト市 【勝山竹細工】平松竹細工店|Hiramatsu Bamboo Crafts(2020/10/12 YouTubeアップ) https://youtu.be/0B9q_DyRWVc 2021.1.25
[註14]別府市HP 別府竹細工ブランド化推進事業
 https://www.city.beppu.oita.jp/sangyou/sangyousinkou/bambooinnovation/brand.html 2021.1.25
[註15]コロナ禍により戸別の訪問は叶わなかったが、以前より存じ上げている修了生のお話からも、センター修了生の皆さんの繋がりの強さを感じる。
[註16]別府アルゲリッチ音楽祭 別府市在住のピアニスト伊藤京子氏の友人であるアルゼンチン出身のピアニスト マルタ・アルゲリッチを総監督に迎えて平成10(1998)年から毎年開催されている音楽祭。国内外から数多くのクラシック・ファンが集う。 https://www.argerich-mf.jp/
[註17]鬼塚英昭『豊の国の竹の文化史』(自費出版)、2003年 340頁
筆者は小学生のときにクラブ活動で川上工芸社に行き、川上きみ氏に会ったことがある。女性の社長は珍しいのでお話を伺おうということだったと記憶している。当時、竹鈴は誰の財布にも付けられているほど一般化していた。竹鈴が開発される過程はこの本に詳しいが、別府史談会の創立30年史に記録されている川上きみ氏の履歴に、昭和3年文化学院卒業、昭和5年旧制女子美術専門学校中退とあった。デザインや美術を学んだ方だったのだ。この研究に当たり、竹鈴や川上きみ氏の資料を探すべく川上工芸社を訪ねていったが残念ながら廃業されていた。
[註18]この竹鈴は、別府市竹細工伝統産業会館にて体験学習ができる。
近年、製竹業の事業継承や、地元大学の授業に「別府竹細工」が取り入れられる等、竹細工を取り巻く環境も変わりつつある。潜在的に竹細工を学びたいと思う人も多く、ニーズに合った環境を整備していくことによって、竹細工に関わる人口はまだまだ増えていく可能性があるのではないか。
大分合同新聞「製竹業の事業承継成立 別府市の竹本商店、湯山工芸に譲渡」(2020.06.25 03:00) https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2020/06/25/JD0059328688 2021.1.28
J-Net21 事業継承・引継ぎはいま「第7回:存続を望んだ他社が経営に参加『永井製竹株式会社』」 https://j-net21.smrj.go.jp/special/succession/19091801.html 2021.1.28
別府大学 「別府の伝統工芸・竹工芸を学ぶ授業がスタート」(2017.5.15)https://www.beppu-u.ac.jp/topics/course/linguistics/2017/006141.php 2021.1.28

参考文献

伝統的工芸品産業振興協会『伝統的工芸品ハンドブック』、2003年
日本民具学会編『竹と民具-日本民具学会論集5-』雄山閣出版、1991年
別府市教育会『別府市誌』、1933年
別府史談会編『創立30周年記念誌 別府の風土と人のあゆみ』、2017年
貞包博幸「第14章 生野祥雲斎と竹工芸」、大分学研究会『大分学検定』明石書店、2014
「生野祥雲齋講演会」(昭和45年11月)の記録、大分市美術館研究紀要第3号、2003年
大分県立竹工芸訓練センター『業務概要 令和元年度平成31年度』、2019年
大分合同新聞「指定管理者制度導入へ 別府市竹細工伝統産業会館」(2020.02.01 03:00)https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2020/02/01/JD0058923495 2021.1.26
大分県立竹工芸訓練センター https://www.pref.oita.jp/site/280/ 2021.1.25
別府市竹細工伝統産業会館 https://takezaikudensankaikan.jp/ 2021.1.25
別府竹製品協同組合 https://www.beppu-take-kumiai.com/ 2021.1.25

年月と地域
タグ: