年中行事を継承するために―千葉県大網白里市池田上谷津のえびす[1]講の場合
はじめに
筆者は、地域に伝わる年中行事が存在しない団地のようないわゆる新興住宅地で生活してきた。本学で地域に根差す年中行事等について学び関心を持つようになった折、高校の同級生がその担い手となっていることを知った。彼女から地域に伝わる年中行事[2]の話を聞き、正月や節句のように日常生活の一部として家庭内で行われるえびす講のことを知り興味を覚えた。本稿では千葉県大網白里市池田上谷津に残る家庭内年中行事、えびす講について考察する。
1.基本デ―タ
1-1えびす講の歴史と概要について
えびす講はえびす神信仰に基づき、漁業・商業・農業など生業に関わらず全国で行われている[3]。えびす神は異境から幸をもたらす神としてまず漁村で信仰が始まり、中世に商いの神として町の商人たちへ、その後江戸時代に農村へ広がったと考えられている[4]。一般的に講とは「ある目的のために結ぶ集団」[5]を指すが、東日本のえびす講はもっぱら各家庭で行われ、春の予祝・秋の収穫を祀る農民信仰とえびす神が結びついた行事とされる[6]。昭和40年代には広く行われていた模様である[7]。
千葉県内では、新年1月20日と秋の10月20日(ところによっては11月20日)の年2回、若しくは秋に1回行われる。えびす・大黒の一対の像に魚や飯・蕎麦、汁ものなどの膳、お神酒、家族の財布などを入れた桝を供えて祈願するところが多い[8・資1]。
1-2千葉県大網白里市池田上谷津のえびす講について
千葉県のほぼ中央に位置する人口5万人ほどの大網白里市[9]は、東京駅から快速で1時間強の場所にある。大網白里市池田上谷津12世帯[10]のうち、現在では2世帯がえびす講を行っている。丘に囲まれた土地に田畑が広がる当地で[資2]、えびす講が開始された時期は不明である。江戸時代にはすでに講組織があったことから[11・資3]、東日本で一般的な農村のえびす講と同様江戸時代に始まり継承されてきたと推察するが、膳に含まれる天ぷら(後述)は江戸時代、家庭ではなく屋台で供されており[12]疑問が残る[13]。
平成30年(2018)に行われたえびす講2例を報告する[14]。
11月20日に行われたH家では行事当日の午後、生の尾頭付き鯛、海老と野菜のてんぷら、蕎麦の膳を準備した。次に、近所の用水路にエビガニ[15]を捕りに行き、大きめの8匹を器に入れ生かしておく。普段神棚裏の納戸に置いてある木箱[16・資4]に納めてあるえびすと大黒の木像を取り出し神棚に祀った後、膳を供え、お神酒、エビガニの入った器、家族それぞれの財布や貯金通帳を入れた一升桝を神棚に置く[資5]。当日の夕食は膳と同じである。行事当日の夜えびすと大黒の木像を木箱に納め納戸にしまい、翌朝エビガニを元の用水路に放すことで終了する。
S家では10月20日にえびす講を行った。行事内容は林家と同様であるが、膳に大根と人参の膾が加わる。また、えびすと大黒の像は金属製であり普段から神棚の前に置かれている[資6]。
それぞれの供え物が示す意味は伝わっていないが、H氏はえびす講を行う意味について「財産・健康・子孫など家の財を増やすため」と義母から聞かされたという[17・18]。
このように、同じ地区においても開催する日付やえびすと大黒の像の扱い、供え物の内容が若干異なるところが家庭内年中行事の特色ともいえる。
2.同様事例との比較
本稿のえびす講と比較するため、当地で行われている地域の年中行事「犬の供養」と一般家庭で広く行われている年中行事の節分行事を挙げる。
2-1犬の供養[19]
毎年6月に行われる犬の供養は、ヤド[20]手配の元、地区の経産婦(各世帯1名)が集まり題目を唱え犬の墓参りを行った後、会食を行うものである。動物供養と安産祈願を目的とし、地域女性の交流の場としても機能している。高齢を理由とした不参加は認められるが、原則参加は必須である。晩婚化・非婚化に伴い参加者の減少が進む中行事継承のために、開催日を参加者の都合に合わせる・会食の場を自宅からレストランに変更しヤドの負担を減らすなど工夫をしている。他者との関係が強い行事といえる。
2-2節分行事
節分行事は家庭内の年中行事として幅広く行われ[21]、豆まき[22]のほか最近では恵方巻の習慣も広がりをみせている[23]。節分が近くなれば小売店の店頭には豆まき用の豆や恵方巻の予約チラシ[24]が並び、商業的にも認知されている。また幼稚園などでは鬼の面を作り豆まきを行うなど、幼いころから親しむ機会も多い。現代の生活に溶け込んだ行事である。
3.評価―えびす講を継承すること
本稿のえびす講は2.で述べた事例に比べ他者との関係が弱いため個人の判断による中止が容易であり、現代の生活になじみの薄い行事であるといえる。にもかかわらず、継承されている点を評価する。
社会心理学者の井上忠司は「(核家族家庭の年中行事は)重い義務感をともなわず、(略)、家族の絆を確認しあうきっかけとして受け止められている」とし、併せて日常生活をとりまく自然環境や住宅事情などの変化について言及している[25]。ここから筆者は、継承のポイントを「家族」と「現代の環境・感覚に合うか」とし、この2点で評価する。
まず「家族」という点である。えびす講を続ける理由としてS氏は「家族の幸せを祈る行事であると考えるから」と述べ[26]、H氏は「義父母が大事に続けてきた行事であり、今は亡き彼らとの思い出の一部である」ことを挙げた[27]。行事継承の根底に、家族を思うという普遍的な気持ちがある。また行事当日の夕食は供え物と同一であり、「えびす講当日の夕食は、エビガニの捕獲や膳に供えた魚の話などで家族間の会話が弾む」など[28]、えびす講が家族全体で共有される行事であることが伺える。但し林家は次世代が家を出ており、行事継承者という点で不安が残る。
次に「現代の環境・感覚に合うか」という点である。当地は今も田畑が残り、供え物の一部であるエビガニが捕獲できる周辺環境が保たれている。また、エビガニの再放流は動物愛護の点からも支持できる[29]。しかし、高齢化が進む地域[30]であることに加えH・S両家が農業から離れている事実を考えると、田畑がいつまで残るかは不明である。
4.今後の展望と提案―まとめにかえて
大網白里市池田上谷津のえびす講は、江戸時代に農民信仰とえびす神信仰が結びつき始まったと推察され、当地が農業中心の地域であったという歴史を伝えている。また、家族を思うという普遍的な気持ちや、環境保全・動物愛護という現代に通じる視点を持つ行事である。しかし継承は、家族を思うという個人の気持ちに支えられており、行事継承者・周辺環境の保全という点で不安が残る。実施世帯が2世帯という現状では行事継承のみならず地域住民の記憶からも消える恐れがあり、次の提案をしたい。
まず、現状の行事内容を記録し保存することである[31]。保存先には、房総のむらのような博物館や市内図書館の他、インターネット上のホームページやブログなどが考えられる。特に情報に対するアクセスや発信を容易にするインターネット上の保存は、有効だと考える[32]。
次に、地域住民に対するえびす講のレクチャーや子供向けワークショップ[33]の開催である。これらは、えびす講の歴史や意義を他者と共有しつつ興味や親しみを覚えてもらうことを目的とする。
最後に、家庭内でのえびす講とは別に地域全体でえびす講を行うことを提案する。各家庭から持ち寄ったえびす・大黒像の前に、地域の子供たちと捕獲したエビガニや財布を入れた桝を供え、皆で蕎麦を打ちそれを共に食べる。このような他者との体験の共有は、行事を記憶し継承することに繋がるのではないだろうか。
筆者は地域に根差す年中行事に無縁であったがゆえに、それらが消えていくのを防ぎたいという思いが強い。また行事を通じ土地の歴史やその意義を知ることは、現在の自分の立ち位置を考え次世代に繋げる上で重要であると考える。
大網白里市池田上谷津のえびす講は、農村であった歴史を伝えるものである。現在では家族を思うという個人の気持ちで継承されているが、それだけでは今後の継承は難しい。地域全体がえびす講の歴史や現代にも通じる意義を知り、行事を楽しみながら記憶していく。このような他者との共有が継承に必要だと考える。本稿がその一助となり、当地のえびす講が継承されることを願う。
参考文献
【註一覧】
[1]:「えびす」の表記については戎・恵比寿・恵比須と様々であるが、本稿では「えびす」を用いる。
[2]:どんどっぴ(左義長)やおびしゃなどの年中行事の他、三夜さまと呼ばれる三夜講・子安講・三峯講などの講組織が残っている(2018年4月10日A.H.さんインタビューより)。
[3]: 十日戎や二十日戎といった神社で行われるものや、誓文払いに繋がる商店の大安売りなど、地域によってさまざまである。吉井良隆編『えびす信仰辞典』、戎光祥出版、1999年、p.120~177に詳しい。
[4]:中村ひろ子「民俗歳時記シリーズ10月 えびす講とえびす信仰」『文化庁月報』、文化庁編、1979年
[5]:野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐもの―コミュニティ・旅・学びの歴史』、藝術学舎、2014年、p.27 2行目
[6]: 吉井良隆編『えびす信仰辞典』、戎光祥出版、1999年、p.45 5~12行目
[7]: 宮田登著者代表『日本民俗文化大系 第9巻 暦と祭事=日本人の季節感覚
=』、小学館、1989年、p.74 5~7行目及びp.78~81 表1「六地区の年中行事の構造」より。
[8]:吉井良隆編『えびす信仰辞典』、戎光祥出版、1999年、p.133~135・「大網白里町史 第二部 郷土の生活と文化 一 村のくらし(1)年中行事」、最終閲覧:2019年1月5日・2019年1月8日千葉県立房総のむら職員平山誠一氏インタビュー及びS.M.さん書面インタビュー(2018年12月14日回答)から。
[9]:大網白里市公式HP「平成29年版データ大網白里 2.統計データ編 2)人口 人口と世帯数」より。最終閲覧:2019年1月5日。
[10]:大網白里市池田地区を上谷津・中谷津・下谷津の3つに分け各種講の活動を行っている。池田地区90世帯のうち講に所属するのは40世帯ほどである。(2018年4月10日A.H.さんインタビューより)。
[11]:犬の供養に用いる掛け軸に「文化十二乙亥」との文字がある。
[12]:昭和産業株式会社HP「~天ぷらの歴史~」より。最終閲覧:2019年1月8日。
[13]:千葉県立房総のむら職員平山誠一氏の指摘。
[14]:2018年11月20日A.H.さん宅にて現地調査とインタビュー。Sさん宅はK.S.さんに書面インタビュー(2018年12月24日回答)。
[15]:エビガニはいわゆるザリガニのようにみえるが確証はない。A.H.さんは亡くなった義父から「昔は茹でて食した。」と聞いたことがあるとのことである(2018年11月20日A.H.さんインタビュー)。
[16]:神社を模した宮形である。
[17]:2018年11月20日A.H.さんインタビュー。
[18]:同市内の砂田(いさごだ)地区では、「お金が貯まるようにお金を供えたり、家が永続するようにそばを供え」とある(千葉県立房総のむらリーフレット「恵比須講」)。
[19]:筆者は2018年6月14日、大網白里市池田上谷津で行われた犬の供養を現地調査しA.H.さん他参加者2名にインタビューを行っており、それに基づく。
[20]:供養で使う掛け軸の保存・日程調整・懇親会の手配・卒塔婆を寺にお願いするなど行事全体のとりまとめ。参加者全員による持ち回りで担当する。
[21]:真部真理子,橋本慶子「年齢層による年中行事の認知と実施状況の相異」図3「各年齢層における年中行事の非認知率と実施率」『日本家政学会誌 Vol.53』、日本家政学会,2002年より。
[22]:中国から遣唐使を通じてもたらされた「儺」を由来とし、宮中行事を経て民間に広まったとされる(小川直之著『日本の歳時伝承』、KADOKAWA、2018年、p.101~102)。
[23]:その年の恵方を向いて丸のまま太巻きずしを食べるという習慣は、平成8年(1996)ごろ西日本のコンビニなどで恵方巻の販売が開始され、平成12年(2000)ころから全国展開となり現在に至るという。小川直之著『日本の歳時伝承』、KADOKAWA、2018年、p.94~96に詳しい。
[24]:合同会社西友HP恵方巻予約チラシ画像。最終閲覧:2019年1月11日
[25]:井上忠司、サントリー不易流行研究所著『現代家庭の年中行事』、講談社、1993年、p.194 4~8行目
[26]:K.S.さん書面インタビュー(2018年12月24日回答)。
[27][28]:2018年11月20日A.H.さんインタビュー。
[29]:エビガニの再放流は、殺生を戒める放生会にも通じると筆者は考える。
[30]: 大網白里市公式HP「平成29年版データ大網白里 2.統計データ編 2)人口5歳階級別男女別人口(住民基本台帳)」より。最終閲覧:2019年1月5日。
[31]: 大網白里市の年中行事に関しては、1986年に刊行された「大網白里町史」以降調査は行われておらず、今後も予定はないとのことである(メールにて問い合わせ。大網白里市教育委員会生涯学習課より2019年1月18日回答)。
[32]:ホームページやブログを軸に、Instagram®やTwitter®を用い「#えびす講」などの展開も考えられる。
[33]:成人向けには、えびす講の概要・歴史のほかえびす講にまつわる個人の思い出を語りあう。子供向けには、えびす神が出てくる昔話の読み聞かせやえびす・大黒の塗り絵、紙粘土による膳の再現など。対象地域を地区や市内に拡げることも考える。
【参考文献】
・吉井良隆編『えびす信仰辞典』、戎光祥出版、1999年
・中村ひろ子「民俗歳時記シリーズ10月 えびす講とえびす信仰」文化庁編『文化庁月報』、1979年
・野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐもの―コミュニティ・旅・学びの歴史』、藝術学舎、2014年
・宮田登著者代表『日本民俗文化大系 第9巻 暦と祭事=日本人の季節感覚=』、小学館、1989年
・小川直之著『日本の歳時伝承』、KADOKAWA、2018年
・井上忠司+サントリー不易流行研究所著『現代家庭の年中行事』、講談社、1993年
・真部真理子,橋本慶子「年齢層による年中行事の認知と実施状況の相異」『日本家政学会誌 Vol.53』、日本家政学会、2002年
・千葉県立房総のむら提供リーフレット「恵比須講」
・昭和産業株式会社HP「~天ぷらの歴史~」
https://www.showa-sangyo.co.jp/enjoy/encyclopedia/01/
・大網白里町史
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/1223905100/topg/choushi_index.html
・大網白里市公式HP「平成29年版データ大網白里」
http://www.city.oamishirasato.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/354/H29datesaisinban.pdf
・合同会社西友HP「恵方巻予約チラシ画像」
https://www.seiyu.co.jp/campaign/ehoumaki/
【調査協力】
・千葉県立房総のむら職員 平山誠一氏
・千葉県大網白里市教育委員会生涯学習課
・千葉県千葉市若葉区金親地区在住 S.M.さん(男性70歳)
・千葉県大網白里市池田上谷津地区在住 A.H.さん(女性51歳)
・千葉県大網白里市池田上谷津地区在住 K.S.さん(女性77歳)