幕末の開港後、横浜は漆器の特産地であったことの意味を探る。

大和田 勝男

1. はじめに
先ごろ開かれた「近代輸出漆器に関する展覧会」(註1)では、横浜の開港後、静岡(駿河)および会津など各地で作られた漆器家具が横浜から輸出されていたことが示された。そして横浜でも漆器が制作されて当時の特産地であったことを初めて知ることができた。その横浜漆器の歴史を報告し、その意味を探る。

2. 基本的データと歴史的背景
幕末にペリーが浦賀に来航したのちに、日本は外国と交易を開始し、横浜は貿易港として発展した。横浜港からの輸出品は、主に生糸、お茶などであったが、工芸品として漆器も重要な輸出品の一つであった(註2,3)。
現在、日本の漆器産業は会津塗、津軽塗、輪島塗などが伝統工芸として有名であるが、開港後の近代横浜には漆器商が多数集まり、漆器職人も集住して漆器製品の制作・輸出が行われていた(註4,5)。
明治から昭和までの横浜の漆器関連の統計(製造戸数、職工数、製造品価額)を以下に示した(註6,7,8)。
1902年(明治35年) 横浜 230戸 385人 13万3千円(註6)
1908年(明治41年) 横浜 132戸 353人 12万円(註6)
1938年(昭和13年) 横浜 53戸 101人 102万9千円(註7)
1965年(昭和40年) 横浜 商社100軒 問屋3軒 従業員数31人1億4500万円(註8)
横浜が開港した1859年、江戸の漆器商黒江屋六兵衛、萬屋万吉、会津屋徳兵衛等が横浜にきて、漆器の販売が始まった。その後伊豆下田及び静岡の漆器商なども来て漆器の販売に従事した(註3 )。
1913年の農商務省の報告(註9)では、「その他横浜の如きも輸出漆器を製造するもの多く今はその特産地たるに至れり。」とあり、同じく「横浜漆器」の項では、「ついに横浜地物なる一種の漆器を製造するに至れり。」と記載が見られる。その後、昭和13年頃までは生産が行われていたことがわかる。
横浜には外国人居留地が設置され、外国商人を相手にした商売が始まった(註10)。輸出産業の振興育成による外貨の獲得という政府の国策もあり、輸出が奨励された。
輸出を目的にした漆器は、日本的雰囲気を保ちながら西洋人好みで西洋の広い家に馴染むような大型の家具も含まれた(図1)。芝山細工、青貝細工、寄木細工、及び木象嵌などの技法で漆の上に蒔絵や青貝で装飾し、富士山、着物姿、人力車などのモチーフが用いられていた(図2)。

3. 事例のどんな点について積極的に評価しているのか。
日本において漆器はとても歴史が古く、縄文時代の遺跡からも出土品が見つかっている(註11)。古来より日本の生活と密着してきたが、近代輸出漆器の範疇は、生活の什器ばかりではなく、飾り棚、額、屏風、木象嵌、ライティングビューロー、写真アルバムなど小物から大型まで多岐にわたる(註12)。
1980年に発行された『神奈川県史 各論編3』(註13)において、横浜地方での伝統工芸として、芝山漆器と青貝細工が挙げられている。
横浜芝山漆器(註13)とは、安永年間(1772年〜1781年)の頃に下総(現在・千葉県)芝山村の大野木専蔵(18世紀後半)が考案したと伝えられている芝山象嵌の技法を漆器に応用したものである。芝山象嵌は牛骨・貝甲・牙角・珊瑚・琥珀等で模様を作り、これを切り木にはめ込む技法である。明治になると輸出用工芸品として欧米から好評を博し、横浜芝山漆器と呼ばれた(註14,15)。その特色は、下絵師、塗り絵師、芝山師(貝彫刻師)、木地彫り込み師、蒔絵師、指物師等に分業化された異なる多数の高度な専門技術者の手によって完成されるもので、他の漆器産地にはないことが評価される(図3)。
青貝細工とは、横浜芝山漆器とともに横浜を代表する輸出工芸の一つであり、明治初期に始まったと伝えられる(註13)。江戸時代には、長崎で青貝細工が制作されて海外へ輸出されていたが(註16)、明治になって横浜が開港されると横浜に職人が移り住んで制作を始めた。青貝細工は螺鈿の技法のひとつである。屏風やテーブルなどの大型品から飾り額や写真アルバムまでに適用され、伝統的な工芸品を輸出用に海外の仕様として制作していたことは評価される(図4)。
また、各種漆器の額縁や屏風などの枠に適用された「透き絵」(註14)の技法は、横浜漆器の特徴の一つであった(図5)。弁柄と漆を練った絵漆で赤い背景を作り、桜の花型のゴム印で押して金属粉を蒔いて、葉や幹・枝は墨で描き、その上に漆を塗ったものである。時間が経つと透明感が増し、漆の下の絵が浮かび上がる。これが欧米人に好まれて、英語で「チェリーラッカー」と呼ばれていたことは外国からも高い評価が得られたことを物語っており横浜独自の漆器技法として評価できる(図5)。

4. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか。
横浜の漆器と同様に、開港後に栄えた輸出工芸品として陶磁器の真葛焼がある(註17)。初代宮川香山(1842年〜1916年)は京都から横浜に移住し、横浜に窯を開いて、これを真葛焼と命名し創業した。日本政府が海外の万国博覧会に日本の工芸作品を出品したことを契機に、「真葛焼」が海外にも認められ輸出された。特徴的な「高浮彫り」の技法で製作された真葛焼は、その後三代宮川香山(~ 1945年)まで引き継がれたが、太平洋戦争の横浜空襲によって工場が失われ、陶芸技術を伝える人間も資料も全て失われてしまった(図6)。
一方、横浜芝山漆器は社会情勢の変化と廉価品との競争の結果、産業的には衰退したが、技術保存や継承のための活動はいまだに引き続き行われている。芝山漆器の技術保存を目的に1970年に神奈川県が制作依頼したものとして、宮崎輝生氏(1936年〜)とその関係した技術者たちによる共同制作した花鳥図屏風が残されている(註18)(図7)。このように芝山漆器のほか、青貝細工、挽物細工、鎌倉彫、寄木細工、組木細工、小田原漆器などの各種工芸技能による芸術品を後世へ継承しようとしていることは特筆される。

5. 今後の展望について
1907年(明治40年)創業の井上漆器店(註19)は、現在でも横浜伊勢佐木町で漆器専門店を続けている。3代目店主である井上氏にお尋ねすると、輸出用に作られた芝山漆器を扱ったことはないとのことだった。関東大震災と米軍の空襲で店も完全に焼失したが、その都度再建してきたそうである。幕末に横浜に漆器商が集まってきたが、現在では輸出関連の漆器商はなくなり、横浜で唯一の漆器専門店として生き残っている(註20)。横浜漆器はなくなったけど、今後も人々に漆器の良さを届けていくと思われる。
横浜市では漆器のみならず、各種技能職において後継者不足、技能技術の継承などの問題がある。1990年に、「技能職振興に関する提言」(註21)が出された。それは基本的な課題とその解決に向けての提言である。
横浜市は、工芸技術の継承を行うために、1996年から「横浜マイスター制度」の創設をして宮崎輝生氏を「漆器工芸師」として第1期横浜マイスターの認定を行い(註22)、技能の継承活動にも力を入れている。彼は今でも現役で作品を作り続け、指導、教育の面でも活動を行っていて、将来への新たな光である。

まとめ:
横浜漆器の実態は、輸出によって作品自体が残されていないため不明な部分が多い。輸出漆器コレクターである金子皓彦氏(1941年〜)の活動によって、明治から昭和にかけて横浜で制作されて輸出された漆器類が海外から蒐集された。その一部が博物館での特別展(註23)で公開され、人々の目の前に現れた。我々は里帰りした貴重な作品に出会うことができた。漆器工芸の職人の減少という問題はあるものの技能継承の対策は取られている。今後は、さらに博物館や美術館での展示・講演会活動を活発に行うことによって、横浜の漆器制作の歴史を市民に伝え、そして横浜の遺産ともいえる素晴らしい作品を将来の世代に引き継ぐことができる。

  • 81191_011_32086017_1_1_図1 寄木細工飾り棚 図1 寄木細工飾り棚(木、漆、寄木細工、蒔絵)
     イギリスから里帰りした飾り棚。違棚、表から裏まで全面に乱寄木が施され、その中に麻の葉や、青海波、市松紋などに組んだ寄木細工が象嵌されており、全体は透き漆を塗って仕上げられている。金の高蒔絵で舞鶴や山水図、菊に鶴の図が描かれている。
    出典:(註23) 特別展図録 『近代輸出漆器のダイナミズム』、p.88,神奈川県立歴史博物館、2024年
  • 81191_011_32086017_1_2_図2 青貝細工 アルバム 図2 青貝細工 人物図写真帖 (横浜、明治時代)  
     これはロンドンの骨董店で売っていたもの。日本に訪れた外国人が買い求めた。中には日本の風景写真を貼ったものも販売されていた。
    出典:(註15)金子皓彦『西洋を魅了した「和モダン」の世界』p.125,三樹書房、2017年
  • 81191_011_32086017_1_3_図3 柴山細工 図3 芝山細工梅に鷹図飾り図(木、漆、芝山細工、透き絵)
     梅の木と鷹が大きく立体的に表された。梅や小鳥は、牛骨と貝をそれぞれの形に加工して梅や小鳥を黒漆面に象嵌する「平模様」の技法でつくられる。さまざまな色合いの貝や牛骨を木材に貼り合わせ、土台ごと器面に埋め込む「寄貝」という技法でできている。ロシアからの里帰り品である。
    出典:(註23) 特別展図録 『近代輸出漆器のダイナミズム』p.37,神奈川県立歴史博物館、2024年
  • 81191_011_32086017_1_4_図4青貝細工 図4 青貝細工 花鳥図額(一対) 横浜、明治時代(木、漆、青貝細工、透き絵、蒔絵)
     尾長鶏が右は桜の木、左は梅の木に休んでいる。長崎や静岡から移り住んだ青貝職人が横浜で作ったもの。鶏に用いられている貝片は、裏から墨で顔や羽が描かれ色彩が施されている。額縁には「透き絵」がある。
    出典:(註15)金子皓彦『西洋を魅了した「和モダン」の世界』p.125,三樹書房、2017年
  • 81191_011_32086017_1_5_図5 透き絵 図5 青貝細工 日本名勝図屏風 横浜(大正から昭和時代初期、透き絵)
     富士山、城郭、人力車、着物姿の女性などが青貝細工であらわされ、外国人がイメージする日本の風景と風俗を取り入れた屏風である。大きな枠が「透き絵」である。
    出典:(註15)『西洋を魅了した「和モダン」の世界』p.124,金子皓彦、三樹書房、2017年
  • 81191_011_32086017_1_6_図6 真葛 蟹付き花瓶 図6 琅玕釉蟹付花瓶 真葛焼 1916年頃
     初代宮川香山(1842年〜1916年)は、1896年陶芸界で二人目となる帝室技芸員に任命され、明治の日本陶芸界で活躍した。1893年(明治26年)シカゴ市のコロンブス世界大博覧会に真葛焼を出品したところ非常な賞賛を博した。初代宮川香山の真葛焼の主な販路は海外であり、国内に現存する作品は少ない、
    出典:(註17)山本博士編著『初代宮川香山 真葛焼』p.84,宮川香山、真葛ミュージアム発行 2018年
  • 81191_011_32086017_1_7_図7 4曲屏風 図7 四曲屏風 芝山細工花鳥図屏風 (木、漆、芝山細工、青貝細工、透き絵、木彫、蒔絵)、1979年、神奈川県産業労働局中小企業部中小企業支援課小田原駐在事務所(工芸技術所)蔵
     四曲一双の屏風で、屏風を閉じても各々の芝山細工がぶつからないように内側で互い違いになるように工夫されている。芝山漆器のほか、挽物細工、鎌倉彫、寄木細工、組木細工、小田原漆器などの工芸が総合的に表現されたとても貴重な作品である。
    出典:(註23) 特別展図録 『近代輸出漆器のダイナミズム』p.214,神奈川県立歴史博物館、2024年
  • 81191_011_32086017_1_8_図8 井上漆器店IMG_7234 図8 戦前の昭和時代の井上漆器店、店内掲示写真 (1930年(昭和5年)撮影)
     現在、横浜市で唯一残っている漆器の専門店、井上漆器店。1907年(明治40年)創業。初代が県内の日吉から横浜に出てきて店を開いて現在は3代目である。当時の店名は井上深吉商店、取り扱いは「日用品世帯道具一式」となっていた。店内に残された1930年(昭和5年)の当時の写真(撮影許可済み)。
    (インタビュー、筆者撮影2024年7月7日)

参考文献

参考文献・資料
(註1)神奈川県立歴史博物館ホームページ「特別展 近代輸出漆器のダイナミズム―金子皓彦コレクションの世界―」
https://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/9492 (閲覧日:2024年7月19日)
(註2)横浜市総務局市史編集室編『横浜市史 第2巻(下)』横浜市、2000年
(註3)横浜市編集『横浜市史 資料編2 (1)増訂版』横浜市、1980年
(註4)沢口吾一『日本漆工の研究』美術出版社、1933年
(註5)沢口吾一『日本漆工の研究』美術出版社、1966年
(註6)『神奈川県統計書』 神奈川県 明治35年、明治41年
(註7)神奈川県総務部統計調査課編『神奈川県統計書』神奈川県 昭和13年、
(註8)日本漆工協会編『現代日本漆工総覧』日本漆工協会、1976年
(註9)農商務省商務局編『第6回商品改良会報告』農商務省商務局、1913年
(註10)「企画展 異国の面影 横浜外国人居留地」 横浜開港資料館
URL: http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/128/index.html,(閲覧日:2024年7月13日)
(註11)「日本における漆の文化と歴史」日高薫 国立歴史民俗博物館
URL: https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202205/202205_01_jp.html
(閲覧日:2024年7月13日)
(註12)金子皓彦共著『海を渡ったニッポンの家具』 LIXIL出版、2018年
(註13)神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 各論編3』神奈川県、1980年、
(註14)たばこと塩の博物館編『華麗なる日本の輸出工芸 世界を驚かせた精美の技』たばこと塩の博物館、2011年
(註15)金子皓彦『西洋を魅了した「和モダン」の世界』三樹書房、2017年
(註16)「長崎の工芸品 江戸時代の長崎土産」
URL:https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken1209/index.html(閲覧日:2024年7月13日)
(註17)山本博士編著『初代宮川香山 真葛焼』p.84,宮川香山、1916(大正5)年頃、真葛ミュージアム発行 2018年
(註18)宮崎輝生『貝と漆』神奈川新聞社、2023年
(註19)井上漆器店ホームページ URL:http://www.isezakicho.or.jp/~inoue/(閲覧日:2024年7月3日)
(註20)井上漆器店インタビュー 2024年7月7日)
(註21)横浜市市民局勤労福祉部勤労福祉課編『横浜市における技能職振興施策に関する提言』横浜市市民局勤労福祉部勤労福祉課、1991年
(註22)横浜マイスター「宮崎輝生マイスター(漆器工芸師)」横浜市、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/business/kigyoshien/ginou/mystar/007miyazaki.html
(閲覧日:2024年7月13日)
(註23)神奈川県立歴史博物館編『特別展図録 近代輸出漆器のダイナミズム』神奈川県立歴史博物館、2024年

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