下村 泰史 (准教授)2016年3月卒業時の講評

年月 2016年3月
卒業研究、お疲れさまでした。
最初に一般論としてこの「卒業研究」という科目について考えたいと思います。この科目の要求は「文化資産評価報告書」を作るというものです。地域との関わりの観点も示唆されていますから「地域」「文化資産」の「評価」を行う、ということになるでしょう。問題は、この「地域」「文化資産」というのが必ずしも自明ではないところでしょう。これは課題の瑕疵なのではなくて、まさにこのことが考えて欲しいテーマとなっているのです。
この「卒業研究」と、これに直接接続してくる「芸術教養演習1」「同2」は自身で事例を見つけ、それを論じる切り口を見つけて考察・評価を加えることとなります。「演習」を受講することでそのあたりの勘所はわかってくることになるのですが、ここで復習しておきましょう。
「演習2」シラバスで上村先生はこう書かれています。

制作と書きましたが、もちろんそれは絵画制作やピアノ演奏などを指してはいません。むしろモノや情報をどう見せるのか、場や出来事をどのように構成するのか、といった活動です。

ここではまず、現時点で公に「芸術」とされているものだけが相手なのではないことがわかります。むしろそこに分類されていないものの含めた「表現物」全般を取り扱うことができるということです。もう一つは「活動」ということばに現れているプロセス的な性格です。作品そのものの質の問題はもちろん避けて通れませんが、それがどのような人々や仕組みによって、生まれ支えられ届けられるのかといった全体を見て欲しいのです。こうした視点は、何もこの学科のこの科目だけで求められるものではありません。クリストファー・スモールの「ミュージックング」の考え方は、それまでの「音楽」に対してそのような広がりを持つものです。そうした研究においてだけでなく、なによりも皆さんが表現と関わるアクションをなにか起こそうとしたときに、なによりも実践的な知恵として活きることになると思います。
「演習」を経ているとこのあたりのものの見方考え方が鍛えられるのですが、いきなり「卒業研究」に挑戦した場合には、幅の狭いいわゆる作品論や作家論に終始してしまうこともあるのです。このあたり自分がどうであったか、個別講評をもう一度振り返ってみていただきたいと思います。またこれから卒業研究に挑戦しようと考えている在学生の方も頭においておいていただければと思います。
さてこのままだと前置きだけで終わってしまいますので、私が担当したレポートについて触れておきたいと思います。私が担当したものには、景観的なあらわれや地域系アートプロジェクトなど、地域性が色濃くあらわれたものが多くあったように思います。こうしたものの評価はなかなか難しいものです。例えばアートプロジェクトの成否をどう考えるかといったことは、一筋縄ではいかない問題です。集客や経済効果から論じるのものもちろん一つの方法なのですが、その地域におけるアートのセッティングがどのように地域内外の人々に受容されたか/されなかったか、地域の人々とアーティストの間にどのような相互作用が起きたか、そういったことも、私たちの視点からは問われることになるでしょう。そういったところまで観察することができているかどうか。観察の視点を獲得することができているかどうか。その辺りが決定的に重要になってきます。世間で流布されているような、ありがちなものの見方を無反省に取り入れ、それを研究対象に投げかけることは、研究に取り組む上では避けるべきでしょう。自身の拠って立つところが、自身によって問い尋ねられ確かめられていること、そこから比較考察が方法的に行われていることが大事です。
今回のレポート、いずれも興味深く読ませていただきました。「千住いえまちプロジェクト」についての松浦さんのレポートは、客観的な価値づけがなされにくい昭和期のふつうの住宅街に価値を見出していこうという、楽しくも困難な活動を活写していました。「愛岐トンネル群」についての寺田さんのレポートは、類まれな近代産業遺産であるトンネル群を巡る、市民団体や行政の一言ではあらわせないような葛藤も含んだ関わりについて明晰に捉えた、明晰で深みのあるものでした。「気仙沼のベビーモスリン」について書かれた脇田さんのものは、海を越えた市民間の技術移転であることもさることながら、ものづくりの中での女性の就労環境といったことについても論じられ、丁寧な観察が感じられるものでした。黒田さんの「近江八幡での地域資産の活用と協働」についてレポートは、土地利用とさまざまな人々の創意工夫が景観として立ち現れるようすが捉えられたトータルなものでした。いずれも優れたレポートです。今紹介した中では、黒田さんと脇田さん以外のお二人は公開を希望されなかったため、今回のweb卒業制作展でご紹介できなかったのは少々残念に思われますが、今触れた以外の方も含め、いずれの方においても今後も芸術教養的な視点とアイディアをもって、地域や表現を観察し、関わっていっていただきたいと思います。この「卒業研究」の経験が、そうした今後の活動や生き方における、立脚点をつくる一つのキーになれば、なによりも嬉しく思います。