山形県金山町「街並み100年運動」~自然風景に溶け込む家並みづくりの展開~
1 本稿の目的
金山町では、地産の杉を使い地元大工が建てる在来工法住宅の普及を通じて、半世紀に亘り街並みづくりが行われてきた。明治11年英国人イザベラ・バードが当地を訪れ賞賛した風景の中に、風土・文化を反映した家並みが連なる【資料1】。この取組の意義、今後の課題と展望について評価・考察する。
2 街並みづくりの歩み
金山町は県北東部、秋田との県境に位置し、山形新幹線終点の新庄駅から車で30分、鉄道が通っていない人口約5千人の山あいの町である。江戸時代は羽州街道沿いの宿場町として発展、町の約8割が森林で数百年に亘る林業の歴史を持ち、樹齢80年以上の銘木「金山杉」[1]の産地として知られる。
街並みづくりの原点は1963年に当時の町長が提唱した「全町美化運動」である。大量生産・大量消費で安価な輸入材が出回り林業に陰りが見え、藩政時代から引き継がれてきた金山杉の伝統が失われかけていた。この危機を乗り越えようと町長が欧米の森林行政等を視察し、訪問先で街並みの美しさに感銘したことが発端となる。
1978年、切妻屋根と白漆喰の真壁造、雪で傷みやすい外壁腰下を杉板張りで保護した伝統工法を顕彰し「住宅建築コンクール」を開始する。良質の杉材と金山大工の高い技量が見直され、全町美化運動と相まって町全体で美しさを追求する機運が醸成された。1983年から「街並み(景観)づくり100年運動」(以下「街並み100年運動」)として、100年かけて風景と調和した街並みをつくり、併せて地場産業の振興、人と自然との共生が町の一貫した目標となる。
この取組に、金山に地縁を持つ建築家ら[2]が加わり行政と町民をつないでいく。1984年にコンクールの事例を踏まえ、「金山町地域住宅(HOPE)計画」[3]を策定し「金山型住宅」モデル【資料2】を提示、地域固有の建築様式を守った家並みの誘導が明確となる。1986年、運動の発展と継続のため「金山町街並み景観条例」を制定(現在「金山町の風景と調和した街並み景観条例」に改正)、景観基準に合致する金山型住宅への助成を始めた[4]。1992年から「全町公園化構想」の下に町を挙げての取組が今も続いている。
3 街並み100年運動の評価
3-1 全町民と金山杉が主役
金山町の街並みづくりは文化財保全や観光地化が目的ではない。常に町民が主役である。特産の杉の利用拡大と金山型住宅の普及を図る取組に、材料生産(林業)、加工(建設)従事者を含め全町民が参加し、町中から周辺集落まで民家、公共施設から銀行や店舗、寺などに金山杉が使われた家並みが広がっている【資料3】。
林業の活性化への期待、辺鄙な地域ゆえの結束力[5]、全国初の情報公開条例を制定した開かれた行政[6]。金山型住宅が気候風土に適ったという合理性もある。地場産業の振興と地域固有の文化が一つになった街並みは住民の暮らしと結びつき、文字通り運動となって町全体の質的向上が図られている。
3-2 街並みが際立つ地のデザイン
金山では街並みが注目される。だがその美しさは目線下の地味な道路と水路が支えている【資料4】。外部の専門家が自己主張しすぎず、地域構造から道路網を段階的に捉えて整備方針を提示し、表通りや裏の生活道路、通学路や路地が、花崗岩やピンコロ石、砂利敷き込みなど自然素材で丁寧に造られている(七日町など骨格道路は電線地中化に併せて今後整備)。町内を隈なく走る水路際は自然石を積み、舗装との隙間の植栽が裏道の風合いを出す。道路と水路の地色と、深い茶と漆喰の白が基調の民家の対比が鮮やかである。脇役(道路)が手を抜かないので主役(家並み)が生きる景観が創出されている。
3-3 空き家・空地を放置せず町の姿を継承
過疎地域の金山町は、空き家対策として旧家や土蔵などを公共施設に改装し、宅地跡は水と緑を抱き合わせて回遊性のある遊歩道を造ることで、街並みの繋がりを維持し快適な空間に変えている。
「マルコの蔵」は町の要に在った旧家の2棟の蔵を街づくり資料館とカフェ・展示ギャラリーに改修し、敷地の一部は町の中心広場に蘇えらせた。「蔵史館」は明治30年代と大正中期の土蔵を商工会事務所と多目的(音楽・講演・展示)小ホールに再構築した施設である。その通り向かいに生じた空地には、市や祭りを開く「交流広場」を設えた。蔵史館から交流広場を抜ける小径が農業用水を引く「八幡公園」に繋がる。鯉が泳ぐ石堤の農業用水路近くに残った3つの宅地跡も歯抜け状態にせず、芝生と水辺を介して小学校と町中心をつなぐ「大堰公園」【資料5】に整備している。
4 他事例との比較で特筆すべき点
4-1 比較する長野県小布施町[7]の修景
小布施町は人口1万人強、県内で面積最小の自治体である。景観まちづくりの契機は1976年、葛飾北斎の作品を展示する「北斎館」の開館である。町は1981年に「まちづくり基本構想」を策定し、「北斎館」や「高井鴻山翛然楼」など歴史的資源周辺を対象に景観形成を展開してきた。1986年に「環境デザイン協力基準」を定めてほぼ全町を景観づくりの対象とする。2005年東京理科大学と協働で役場内に「小布施町まちづくり研究所」を開設した【資料6】。
4-2 「街並み100年運動」にみる町民の誇り
小布施町では、歴史・文化的施設周辺の関係住民と老舗和栗菓子店舗、町を含む計6者が組合を設立し、曳家、解体移築、新築などを駆使した修景[8]が行なわれた。建物の完成度は高く、1.1万人の人口に対し年間100万人以上の観光客が訪れる[9]。まちづくりの成功例だが、修景計画が一般住宅を対象とするHOPE計画と関係づけられておらず、修景地区と民家との景観落差が大きい。
金山町は観光の目玉となる歴史的資源が少なく、却って普通の街並みを息長く整える運動に取り組み成果を上げた。町の散策中にすれ違う学童から元気に挨拶される。大人もお薦めの眺望点を教えてくれる。全町美化運動、全町公園化構想に象徴されるように、先人が築いた町をより良くしようという町民の想いと誇りが伝わってくる。
4-3 風景と一体となった金山の街並み
小布施町では、修景地区や公共施設は著名建築家の設計[10]で個々のデザインは確かに優れている。ただ街並みと共有する景観要素がなく町全体に広がっていない。修景地区の意匠は緻密だが、映画撮影のセットのような印象である。
金山町も無名の職人が手掛けた建物が並ぶだけであれば箱庭的な景観に陥ったかもしれない。だが統一感のある道路・水路に沿って杉と白壁の意匠を持つ民家、公共施設が連なることで、点が線、面へと広がり、街並みという群になった。さらに、空き家、空き地を活用・再生した公共空間は、表通りに面する部分は人工的に、裏や奥へいくに従い自然に近く造形されて、町中から背景の山並みまで風景が見事に繋がっている。
5 金山杉の街並みで町の活性化を
街並みづくりは成果をあげたが課題は地域の活性化である。1960年に1万人あった人口が現在は5割、林家数も減少、大工は後継者難である。金山型住宅は2000年始めまで毎年20軒近く新築され、建設費の8割が地元大工・工務店を介して町に落ちていた[11]。近年は新築ゼロの年もある【資料7】。自治体や学生を中心に県外から視察者が多いが、消費や体験を楽しめる場が少なく滞在時間が短い。民家や蔵を再生した住宅や起業の場の斡旋など長期滞在者向けの環境を充実させて、一過性の観光ではなく継続的に町と関われる「関係人口」[12]の拡大が必要である。
昨年と今年「クラシックカー」と「金山の街並み」双方の魅力を掛け合わせたイベントが開催された。ロールスロイスやポルシェなど歴史的名車40台の鮮やかな赤や青がモノトーンの街並みに映え、夜間は車両をライトアップ、世界のどこにもなかった景色に多く人が集まった【資料8】。実行委員長は地元で150年の歴史をもつ林業会社代表で「今後も継続したい」という[13]。
6 「つくる」から「いかす」時代へ
ネットが発達し生活拠点を複数持つ人も珍しくない時代。人口減と高齢化の町にとって観光客の多寡よりも、若い世代で自身の役割、居場所を見つけ能動的に関与する人材が重要である。美しい街並みを多様な交流イベントと繋げて町外から人を招く取組を継続すれば、そこから街並みとともに金山の暮らしや働き方を維持する人々の心に触れて、地域づくりの新たな担い手が育ってくる。100年先も持続する町の姿を今後も追求していくことが望まれる。
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【資料1】イザベラ・バードが絶賛した金山の風景と現在の街並み
※(写真はいずれも筆者撮影(2019年6月5日、2023年5月20日、同年10月19日)) -
【資料2】金山町地域住宅(HOPE)計画に示す「金山型住宅」
※(図は「金山町景観アクションプログラム」(令和2年3月山形県金山町)より転載) -
【資料3】町中から周辺集落まで金山杉を使用した民家、公共施設、商業施設などが広がる
※(図は林寛治、片山和俊、住吉洋二著『まちづくり解剖図鑑』(2019年11月(株)エクスナレッジ)、グラフは国土交通省「景観向上効果化調査事例集」(https://www.milt.go.jp˃keikan-jigohyouka-sankou1)より転載、写真はいずれも筆者撮影(2019年6月5日、2023年5月20日、同年10月19日)) -
資料4】「くらしのみちづくり整備計画」(1995年山形県金山町)と「道路舗装におけるパターン」
※(図は前掲「金山町景観アクションプログラム」、林寛治・片山和俊・(協力・住吉洋二)『金山町―中心地区-街並みづくり100年計画』求龍社、2020年より転載、写真はいずれも筆者撮影(2023年5月20日、同年10月19日、同11月12日) -
【資料5】水と緑の歩行者ネットワーク
※(図は「マルコの蔵」資料館の資料を基に筆者作成、写真はいずれも筆者撮影(2023年5月20日、同年10月19日、同11月12日)) -
【資料6】「小布施町並修景計画」と「町並修景事業」
※(国土交通省「小布施のまちづくり」(http://www.milt.go/common/00158330.pdf))より転載) -
【資料7】人口・林家数等の推移と景観助成金の交付状況
※(図表は前掲「金山町景観アクションプログラム」より転載)) -
【資料8】クラシック・カー イベント「ノスタルジック・金山( 2023年11月12日・13日)」
※(写真はいずれも筆者撮影( 2023年11月13日))
参考文献
[1]金山杉:秋田杉と並ぶ銘木で長伐期大径木が特徴。金山盆地の寒暖差が激しく高温多湿で雪も多い金山の気候が杉の生育に適している。寒さでゆっくり育ち、年数を経るごとに新聞紙を重ねたような細かい年輪を重ね、美しい木肌と粘り強さを持つ杉は、狂いの少ない建材として古くから高値で取引されてきた。杉巨木の森の一部は「大美輪の杉」として公開されており、樹齢250年を超えても尚、真っすぐ天を目指す堂々とした姿に圧倒される。金山の豊かな森林資源は、この町ならではの大工、左官、建具職など金山職人の技術の発達を促した。
平山友子「森と人が育てる、金山の杉と街」
https://www.kinoie.ne.jp/w/wp-content/uploads/2017/10/
Magazine_kurasu7.pdf(2023年12月26日閲覧)
[2]金山に地縁を持つ建築家ら:母親が金山町出身で東京藝術大学卒の建築家・林寛治氏、林氏に誘われた大学後輩の建築家・片山和俊氏と都市計画家・住吉洋二氏の3人。現在同大学卒の建築家(秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科在籍)・岸健太氏が加わっている(東京都市大学名誉教授・住吉洋二氏へのインタビュー 2023年5月20日)。
[3]HOPE計画:「地域に根ざした住まい・まちづくり」を進めるために、1983年建設省(現国土交通省)において創設された制度。Housing with Proper Environmentの頭文字をとったもので、それぞれの地域の気候・風土、伝統、文化、地場産業などを大切にしながら、地域の発意と創意により住まいづくり・まちづくりを推進することを目的とする。2001年までに493市町村で計画が策定され、現在は1994年に創設された「住宅マスタープラン」の中で「地域の住文化等に関わる住宅供給に関する事項」として継承されている。
https://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0151pdf/ks0151005.pdf(2024年1月6日閲覧)
[4]金山型住宅への助成:景観条例に基づく景観基準に合致した住宅に対し最高80万円を支給。良質の杉を使うことによる建築コストの負担軽減、金山型住宅の普及拡大が目的。屋根の塗り替えや切妻への改築、接道部分の生垣も対象とし、できるだけ金山型住宅となるように配慮している。
https://www.town.kaneyama.yamagata.jp/machinami_koryu/machinamizukuri100nenundo/1577.html(2023年12月26日閲覧)
[5]辺鄙な地域ゆえの結束力:金山町は明治22(1889)年町村制の施行により金山村、大正14(1925)年の町制で金山町となり、以来一度も合併することなく今日に至る。盆地の奥に小さくまとまり、政治的に安定した地域である(篠原修・内藤廣・他『このまちに生きる 成功するまちづくりと地域再生力』彰国社、2013年、p13)。
[6]開かれた行政:「昭和57(1982)年、金山町は公文書公開条例を公布し、日本の情報公開制度の先頭に立った。以後、全国の自治体はこれに習い、ついに平成11(1999)年、情報公開法が国会で成立し、金山町が示した理念は日本国民全てのものとなった」(金山町立八幡公園内「公文書公開条例記念碑」より引用)。
[7]金山町と小布施町:両町は盆地にある小さな町で景観まちづくりの歴史はともに半世紀に及ぶ。金山町は東京藝術大学、小布施町は東京理科大学が協力している。HOPE計画を策定して全町を景観まちづくりの対象とし、数多くのデザイン賞を受賞している点も共通する。但し、小布施町は民間活動が行政を動かしたのに対し、金山町では町長のリーダシップによる行政主導から徐々に民間活動主体の取組に移行している。両町の活動は共通点が多いが、活動経緯、HOPE計画の扱い方の違いなどが街並み形成にどう現れているかを比較する意味がある。
[8]修景:景観に欠けたところがあれば補い、不要のものは取り除き、乱れたところは整えて、一つのまとまりのある景観、一つの世界をつくりあげること。これに対して町並み保存は、配置・形態・向き・高さ・仕上げのいずれも、歴史上のある状態に復元保存する。その後の変更は難しい(川向正人著『小布施まちづくりの軌跡』2010年、新潮社、p5)。
[9]観光客:「現在(2010年:筆者註)では毎年、まちの人口の100倍に当たる120万人もの観光客が訪れて・・・」(前掲『小布施まちづくりの軌跡』p4)、「人口1万人強というコンパクトな自治体ながら、年間100万人の観光客が訪れる町」やまとごころjp「年間100万人の観光客が訪れる長野県小布施町の「ファン」を巻き込む持続可能な地域づくり」
https://yamatogokoro.jp/report/45745(2023年12月26日閲覧)
[10]著名建築家の設計:小布施街並み修景事業に関わる一連の建築は宮本忠長氏、小布施町立図書館「まちとしょテラソ」は古谷誠章氏
[11]助成金80万円/件で総額2千五百万円の金山型住宅が年間15~20軒建つと、助成金総額は1千2百万~1千6百万円、建設費は4~5億円になる。これを公共事業とみなすと、33年間で累計2億5千万円の助成金が95億円以上の経済効果をもたらしたことになる。なお令和5年度当初の金山町一般会計予算は約44億円である(前掲『このまちに生きる成功する まちづくりと地域再生力」』p27の記述を基に筆者が試算)。
[12]関係人口:「ある特定の地域に対して継続的に関わっている人たちを指す言葉。観光で訪れるように一過性で関われば「交流人口」、その場所に住めば「定住人口」となり、関係人口はそのどちらでもない形。「地域の課題を解決したい」と願う地元の人とともに、古民家の改修や登山道の補修にボランティアとして取り組むなど、その地域の具体的な課題の解決に定期的に関わる人も関係人口である」(毎日新聞「なるほどり「関係人口」って何?」2023年11月10日掲載の記事より引用)。
[13]林業家・川崎俊一氏へのインビュー 2023年10月19日聴取
■金山町関係
『第五次金山町総合発展計画』金山町役場、2021年
『美しい風景と街並みをつくる案内書』金山町役場、2020年
『金山町景観アクションプログラムー金山町街並み(景観)づくり100年運動・ステージⅡ』金山町役場、2019年
林寛治・片山和俊・(協力・住吉洋二)『金山町―中心地区-街並みづくり100年計画』求龍社、2020年
片山和俊・林寛治・住吉洋二『まちづくり解剖図鑑』エクスナレッジ、2019年
小野寺康『広場のデザイン 「にぎわい」の都市設計5原則』彰国社、2014年
篠原修・内藤廣・他『このまちに生きる 成功するまちづくりと地域再生力』彰国社、2013年
金坂清則『完訳 日本奥地紀行 2』平凡社、2012年
池内 紀『なぜかいい町一泊旅行』光文社、2006年
小松隆二『公益とまちづくり文化』慶應義塾大学出版会、2003年
西田徹「「金山町街並み景観条例」における取り組み」『住宅金融月報』通号572、1999年
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I4844221(2024年1月6日閲覧)
関 純一「グリーン・ツーリズムによる地域資源の再確認」
https://www.jcrd.jp/seminar/d8d72a405e15c7426b24b7c76731ef267d10b4eb.pdf(2023年12月26日閲覧)
村松 真「農山村における景観形成施策の特色」、『農業経営研究報告』第33号、2001年
http://hdl.handle.net/10097/33426(2023年12月26日閲覧)
国土交通省「居心地がよく歩きたくなるグランドレベルデザイン」2021年
https://www.mlit.go.jp/toshi/file/useful/g-level2.pdf(2023年12月26日閲覧)
国土交通省「景観向上効果化調査」2009年
https://www.mlit.go.jp/tec/kankyou/keikan/pdf/keikan-jigohyouka-sankou1.pdf(2023年12月26日閲覧)
斎尾直子・栗原豪平「山形県金山町おける地域材を活用した「金山住宅」の変遷と持続性」、『農村計画学会誌』、2019年代38巻
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp/38/Special_Issue/38_230/_article/-char/ja/(2024年1月6日閲覧)
■小布施町関係
寺沢弘樹・他『個人・民間企業・自治体の協力でできた質の高い公共空間整備』学芸出版社、2019年
宮本忠長設計事務所『宮本忠長の世界』建築画報社、2017年
神山典士『成功する里山ビジネス』KADOKAWA、2017年
川向正人『まちに大学が、まちを大学に』小布施まちづくり研究所、2014年
川向正人『小布施町 まちづくりの軌跡』新潮社、2010年
福永武彦『秋風日記 随筆集(小布施の秋)』新潮社、1978年
国土交通省「小布施のまちづくり」
https://www.mlit.go.jp/common/001058330.pdf(2023年12月26日閲覧)
■景観まちづくり関係
国土交通省都市総合事業推進室『「元気なまちづくり」のすすめ』ぎょうせい、2004年
都市環境デザイン会議「地場産業と景観」『JUDI』No81、2004年
http://www.judi.gr.jp/archives/news/vol_081.pdf(https://www.mlit.go.jp/common/001058330.pdf(2023年12月26日閲覧)
■HOPE計画関係
三井所清典「地域からのまちづくりーHOPE計画が起こした大きな波」『すまいろん』第54号、2000年
水流潤太郎「地域に根ざした住まい・まちづくり「HOPE計画」」、『環境技術』、vol.20、No7、1991年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jriet1972/20/7/20_7_418/_pdf/-char/ja(2023年12月26日閲覧)
■林業関係
杉井範之「長伐期経営によって受け継がれる金山杉の森林づくりとまちづくり」https://www.fir.co.jp/fs_bk/200710/14-15.pdf(2023年12月26日閲覧)
林野庁「林業で地方創生」、『林野-RINYA-』、No110、2016年
https://www.rinya.maff.go.jp/j/kouhou/kouhousitu/jouhoushi/attach/pdf/2805-6.pdf(2023年12月26日閲覧)
奥田裕規・久保山裕史・鹿又秀聡・安村直樹・村松 真「金山町における「住宅用木材の自給構造」の成立要因」日本林學會誌、2004年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjfs1953/86/2/86_2_144/_pdf(2024年1月6日閲覧)