毎月28日に食す小豆粥 ──失われた行事食のひとつ──
はじめに
「毎月28日に食す小豆粥」を行事食として取り上げる。行事食とは伝統的な祭事や行事、或いは季節の節目に食される特別な料理と食材を指し、無病息災と幸せを願う意味がある(1)。
本研究では、主に明治から昭和初期にかけて大阪・泉州地方で不動明王の縁日である28日に信徒が小豆粥を食していた記録が現在ほとんど残されていないことから、消滅に至る様子を記録し失われた行事食の価値と変わりゆくさまを確認する。
1.①基本データと背景
小豆の赤い色が邪気を払うという思想に基づいている行事食だ。仏事とも関わりが深く、地域によっては盆関連行事や葬儀にさえ赤飯が用いられる(2)こともある上、高価で経済的価値の高い小豆(3)は供物として適切だった。
「毎月28日に食す小豆粥」は特別な作り方をするものではない。通常と同じく米の粥に小豆を混ぜて焚いたもので(4)、信徒の家で不動明王の縁日である28日にだけ食す。泉州地方にあった筆者の家で平成15年(2003年)頃まで実施しており、現在は断続的となる。
これは全国的に不動明王の信仰のある地域で行われていた可能性がある。大阪から遠く離れた茨城県の小豆洗不動尊の名前の由来を伝える日立の民話にも「お不動さんの縁日の小豆(5)」の記述が見られる。
②現状
現在、地元で小豆粥を食べている家はなく(6)、記憶がある家は一軒のみだ。そこで泉州で不動明王を祀る犬鳴山七宝瀧寺(7)へ尋ねた。犬鳴山では初不動の1月28日に参拝客にぜんざいを振る舞うという(8)。小豆粥ではないがぜんざいは小豆を用いている。
関東の三大不動では28日に小豆粥を食す風習はなかった(9)。供物や行事食はその土地の農産物に由来していることが多い為、これは小豆の産地特有の行事食であった可能性が高い。戦争などを経て古い行事食や供物の記録も失われ手がかりが少ない。
③衰退に至る経緯
筆者の家において「28日に食す小豆粥」は、明治20年の生まれの曽祖母が明治41年に結婚した時点で行事食として毎月行われていたという。伯母の証言では「第二次世界大戦が始まるまで毎月28日の縁日に近くの不動明王の祠へ小豆を備えに行き、家では朝食として小豆粥を食べた(10)」とのことだった。
戦時による不動明王の祠の焼失や食糧難、戦後泉州で小豆を栽培しなくなったこと等で28日に小豆粥を食す風習は急速に廃れた。
④筆者の家で継続された理由
戦後、曽祖母たちは再び28日には小豆粥を食すようになった。
生活様式や価値観の変化があり年中行事が簡素化・淘汰・刷新されていく中(11)、不動明王信仰を続けた理由を推察する。筆者の祖父の兄弟が幼少期に死亡していることから、曽祖母には特別に子の健康長寿を祈る気持ちがあったとみる。曽祖母の子である祖父は明治42年の酉年生まれで、酉年の守本尊は不動明王である。このため他家と異なり不動明王信仰の小豆粥をやめることに躊躇いがあったと推測してよい。曽祖母の死後、祖母から母へ受け継がれ平成15年に祖父が死去するまで厳格に続いた。
2.積極的に評価できる点
よく知られている七草粥などの行事食に比べ、毎月28日に行う為より頻繁に邪気を祓える。毎月こなす定型業務のような信仰であり、縁起担ぎの一つである。また、戦前の泉州は小豆の産地(12)で、高価で「土地を選ぶ作物」の小豆の入手が比較的容易だった。
小豆の下拵えなどの準備作業の煩わしさを乗り越えて、この行事食を毎月実施することは熱心な信徒であることの表明と同時に、家族の健康長寿への強い期待が込められている。
3.他事例と比較し判明すること
次の三つの事例と比較する。①朔日餅 ②土用の鰻 ③十八日粥 だ。
①赤福が販売する朔日餅は、伊勢神宮に一日参りする参拝客を対象にした月替わりの小豆餡の菓子(13)だ。むしろこれを目当てに毎月一日に訪れる参拝客もいる。昭和53年から販売が始まったもので歴史は浅く販売促進を目的とした商法ではあるが、小豆が邪気を払うというコンセプトを気に入って購入する客がないとは言えない。手軽な現代的信仰のスタイルだろう。
②土用の鰻は、知名度が高く実施率の高い行事食だ(14)。夏場に、売れ行きの悪い鰻の蒲焼きを売るために、年に数回ある土用の丑の日に「う」のつくものを食べると精がつくという言い伝えに絡めて鰻を食べることにしたのが始まりとされ(15)、年に一回(年によっては二回)行う。どこでも販売されており特別な準備がなく、年に一回だけなので実行しやすい。だがウナギの漁獲高は年々減少し(16)価格上昇(17)していることが今後の継続の懸念材料である。
③十八日粥という行事食は、ほとんど知られていないことと、小豆粥であるという二つの点、で本研究の「28日に食す小豆粥」と共通する。1月15日に小豆粥を食べて邪気を払う、ということは広く知られている(18)。十八日粥は、この時の十五日の粥を10分の1ほど残しておき、それを十八日に食すと1年間害虫にやられないという俗信である(19)。だが、わざわざ少量残すという行為は面倒な上に衛生面での懸念もあり、昭和30年代にすでに廃れている風習であることがわかる(20)。
一つ目の朔日餅は伊勢参りの土産として愛好されることはあれども、一企業の販売する商品であるため、行事食というより嗜好品に近い。二つ目の土用の鰻は定着した行事食だが、このまま鰻が獲れなくなり価格が高騰し続ければ淘汰される可能性がある。三つ目の十八日粥は、完全に行事食から姿を消した。
つまり行事食は面倒であったり、入手困難になったり、価値観にそぐわなくなると切り捨てられる傾向にある。
4.今後の展望
28日に食す小豆粥は、現在では行事食として認知されていない。同様にして消えた十八日粥もある。重陽は、行事食として菊酒をふるまい不老長寿を祈るが、認知度が低く家庭での実施率は10%以下(21)だ。
行事食は、家庭で守り継がれるものだが、ただ闇雲に次世代に押しつけても継承されるわけではない。
行事食は伝統のひとつである。伝統について、西山松之助は「伝統は、伝達され保存されるためには、新鮮な現代人の意識によって再体験、再評価されるものである(22)」と述べている。現代人にとって行事として魅力がなければなれないが、それは単純な食の価値を指すだけではない。行事食の由来や受け継がれてきた気持ちを知ることがあれば、継承されるのではないだろうか。
一度失われた伝統を再び取り戻すことは極めて困難だが、記録に残されていれば、どこか別の場所でその伝統を続けていた者に、由来と価値を伝えることができる。
野村は「単に墨守されてきた形を守るだけではなく、どのように変容してきたのかを理解することに伝統の意味がある(23)」と説く。28日に小豆粥を食していた家庭が、その行事食を廃止してしまった理由には、材料入手がしづらくなったことや現代人の価値観や生活様式にそぐわなくなってきたということだけではなく、同時にその行事食の持つ意味や、どのようにして継承されてきたのかを知ることがなかったためであると考えられる。
そして古典的な信仰に基づく行事食が、現代の中で価値を持つためには、古典的な形式を持ちつつも変容を受け入れなければならない。
5.まとめ
28日に小豆粥を食すという行為は不動明王信仰に基づいていた。
その価値は、小豆が邪気を払うという考えをもとに、衛生状態が悪く健康を保ちにくかった時代、毎月穢れを祓い健康長寿を祈念できることにあった。しかし戦争中の食糧難と戦後の生活の向上および価値観の変化に伴って、急速に廃れた。
現在は不動明王を祀る寺院でぜんざいなど小豆のものが初不動の日に振る舞われることはあるが、信者の家庭で縁日に小豆粥を食することは無くなった。
この行事食は、現代人から見れば簡素で味気ない料理である小豆粥から、ぜんざいという甘味を備えたより好ましい料理に変容したと見ることもできる。
さらに2で述べたように小豆粥を作るには手間がかかる。現代人の視点では、頻繁で面倒な小豆粥という家庭での行事食の代わりに、年に一回の初不動の日に参拝し美味なぜんざいを食することで1年間同様の効果が得られるなら、当然そちらが受け入れられるであろう。
「毎月28日の小豆粥」から「初不動の日(1月28日)のぜんざい」へ。これもまた、伝統の変容であると受け止め、失われた行事食「毎月28日に食す小豆粥」は、「初不動のぜんざい」というより望ましい形で受け継がれてゆくまでの経過であったとみる。
- 写真① (脚註4)小豆粥 2022年12月28日筆者撮影
- 写真②(脚註4)小豆粥の作り方 その1 全写真2023年1月26日筆者撮影、2023年1月26日筆者作成。
- 写真③(脚註4)小豆粥の作り方 その2 全写真2023年1月26日筆者撮影、2023年1月26日筆者作成。
- 写真④(脚註8)ぜんざい 2023年1月28日筆者撮影。
- 写真⑥ (脚註18)1月15日小正月に食べる小豆粥。粥の中に餅が入っており、この餅を粥柱という。2023年1月15日筆者撮影。
- 写真⑦(脚註19)十八日粥。十八粥ともいう。小正月に食べた粥を少量残し、18日に団子を入れて食べるとムカデなどの害虫から逃れることができるという俗信。2023年1月18日筆者撮影。
参考文献
註
(1)農林水産省ホームページ「行事食」 https://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/learn/event.html (2023年1月22日閲覧)
(2)今田節子「行事食としての小豆の食習慣の意味を考える ──正月および盆関連行事を中心に──」『生活文化研究所年報 第20輯』ノートルダム清心女子大学生活文化研究所、2007年、63頁。
(3)今田節子「行事食としての小豆の食習慣の意味を考える ──正月および盆関連行事を中心に──」『生活文化研究所年報 第20輯』ノートルダム清心女子大学生活文化研究所、2007年、59頁。
(4)写真①②③参照。
(5)伊藤正夫、大越斉「小豆洗の怪談」『ひたちの民話』2009年、8頁。
(6)筆者出身地町内を調査。夜疑神社 2022年11月28日聞き取り。2022年11月28日聞き取り。2022年11月28日聞き取り。
(7)真言宗犬鳴派大本山犬鳴山七宝瀧寺 https://inunakisan.jp/about?tab=1(2022年11月12日閲覧)
(8)2022年11月12日犬鳴山七宝瀧寺へ質問メール送信 2022年11月15日犬鳴山七宝瀧寺よりメールにて回答取得。写真④参照。
(9)2022年10月27日高幡不動尊(写真⑤ 参照)より聞き取り。2023年1月24日成田山新勝寺より聞き取り。2024年1月24日金乗院平間寺より聞き取り。
(10)2022年11月28日山下一代(1939年生まれ)様より聞き取り。
(11)山村涼子、山下浩子、眞谷智美、高松幸子「行事食に関する調査研究 第1報 Survey of Foods for Special Events and Rites」『久留米親愛女学院短期大学研究紀要』第34号、2011年、59〜67頁。
(12)橋爪貫一「和泉 四郡」『日本物産字引』稲田佐兵衛等、1875年、17頁。
(13)伊勢名物赤福「 商品のご案内」https://www.akafuku.co.jp/product/ (2023年1月23日閲覧)
伊勢名物赤福「赤福の歴史」https://www.akafuku.co.jp/ise/history/ (2023年1月23日閲覧)
(14)古俣智江「行事食に関する研究 Studies on Ceremonial Foods」『国際学院埼玉短期大学研究紀要』 第30号、2009年、110〜111頁。
坂本裕子「特別研究「調理文化の地域性と調理科学──行事食・儀礼食──」近畿支部『日本調理科学会誌』Vol.45,No.3、2012年、231〜233頁。
(15)堀秀彦編「奥様手帖──栄養と料理の巻──」石崎書店、1959年、39頁。
(16)水産庁 水産研究・教育機構 https://kokushi.fra.go.jp/R01/R01_77S_ELJ.pdf
(17)日経新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC302LX0Q2A630C2000000/ (2023年1月23日閲覧)
東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/206296?page=2(2023年1月23日閲覧)
(18)写真⑥参照。日置昌一「ものしり事典 醫薬篇」『事物起源選集』13、河出書房、1954年、10頁。
(19)写真⑦参照。黒河内平編「国文学 解釈と鑑賞」28、至文堂、1963年、32頁。
(20)黒河内平編「国文学 解釈と鑑賞」28、至文堂、1963年、32頁。
(21)坂本裕子「特別研究「調理文化の地域性と調理科学──行事食・儀礼食──」近畿支部『日本調理科学会誌』Vol.45,No.3、2012年、232頁。
(22)西山松之助「伝統論」『藝道と伝統』吉川弘文館、1984、452〜457頁。
(23)野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2014年、51頁。
参考文献
野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2014年。
小川直之・服部比呂美・野村朋弘編『伝統を読みなおす2 暮しに息づく伝承文化』、藝術学舎、2014年。
柳田國男『定本柳田國男全集』第14巻、筑摩書房、1962年。
鈴木昶「くすりと民俗 37 疫病除けに小豆粥」『漢方臨床のための 月刊漢方医療』Vol.15 No.10 たにぐち書店、2012年。
森田潤司「季節を祝う食べ物(1)新年を祝う七草粥と小豆粥」『同志社女子大学生活科学』Vol.44、同志社女子大学生活科学会、2011年。
吉川泰長「私の体験記」吉川泰長、1985年。