国立西洋美術館の意義再認識
1.基本データと歴史的背景
国立西洋美術館(以下“西美“)は、東京都台東区上野公園7−7にある日本の国立美術館計6館の
うちの一つである。
JR上野駅の公園口から徒歩1分の至近距離にあり、建物は地上3階、地下1階、塔屋1階の鉄筋
コンクリート造りであり、1958年3月に着工し、1959年3月に竣工している。
建築面積は、1,587平方メートル、延床面積4,399平方メートル、展示室1,533平方メートルで
ある。(注1)
西美は、他の美術館と異なり、その建設に際し独特の歴史を持っている。
まずは、西美が建設される由来となったコレクションの来歴である。
これらは、大正5年頃から昭和3年頃までの間、当時(株)川崎造船所の社長であった
故松方幸次郎がヨーロッパ各地で集めた絵画、彫刻等であり、いわゆる「松方コレクション」
と呼ばれているものである(注1)
彼は、「日本に何千人の油絵描きがいながら、その人たちはみんな本物のお手本を見る
ことも出来ずに、油絵を一生懸命に描いて展覧会に出している。それが気の毒なので、一つ
私がヨーロッパの油絵の本物を集めて、日本に送って見せてやろうと思っている」(注2)
という気概を持っていた。
彼が購入した絵画等(以下コレクション)はフランスに保管されていたが、その後第二次世界
大戦が勃発し、結果として日本は敗戦国となったことにより、コレクションは、
サンフランシスコ平和条約により、連合国の管理下にある日本国民の財産として、フランス
政府の所有となった。
しかし同条約調印の際、日本国全権吉田首相は、フランス国全権シューマン外相に対し同
コレクションの返還方を考慮されたい旨申し入れ、以後この交渉は日仏両国政府間の交渉に
移される(注1)。
最終的に、一部の作品を除き(その中には現在パリのルーブル美術館の目玉となっているもの
もある)(注3)、同コレクションは日本側に返還されることとなるが、フランス側は
コレクションが散逸することを恐れ、日本側に同コレクションを所蔵出来る美術館を建設する
ことを返還の条件とした。(注1)
西美の建築設計者としてフランスのル・コルビュジエ(スイス人でのちにフランスに帰化)、
また日本側の協力者として坂倉準三氏、前川國男氏、吉阪隆正氏が決定される。
上記協力者は、パリのル・コルビュジエのアトリエに弟子として勤務していた建築家である。
最終的に一部を除きコレクションは日本に返還され、西美はそのコレクションを基に1959年
に開館され、以来現在に至るまで同美術館のコレクションとして展示されている。
2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
日本が欧米列強に追いつこうとしていた決して豊かかとは言えない時代に、当時気概を持って
日本人に対し文化面の支援をしようとする一私人がいたことは驚きである。
豊かになった現在の日本においてさえ、そのような人物は思い当たらないことを考えても、
その素晴らしさは特筆される。
一方で、第二次世界大戦後没収されたこのコレクションが、文化を重んじるフランス政府の
所有になったことは幸運であったと言えよう。
又、コレクションを保管するため美術館を作ることが条件とされたことは、美術品の散逸を
免れたという点で的確であったと考える。
そのための建築家として、フランスのル・コルビュジエが選ばれたことも特記されることで
ある。
日本の偉大な建築家の一人、安藤忠雄は彼を次のように評価している。
「20世紀の遺跡として遠い未来に残るものは何だろう?ときどきそんなことを空想します。
それはたぶん、ミース・ファン・デル・ローエでもなくフランク・ ロイド・ライトでも
なく、建築を通じて人間の存在そのものを問いつづけたル・コルビュジエの仕事だろうと
思います。」(注4)
又、その他の例を挙げれば、建築家 磯崎新も、彼を「千年に一人の芸術家=建築家」と評
している(注5)
更にル・コルビュジエが設計した美術館は世界に2カ国しかないということも特筆される。
その特徴は、「無限成長理論」と呼ばれるもので、渦巻きが回るように回廊が設計されて
おり、コレクションが増えるにつれて増築にも対応出来る発想となっている。(注6)
西美以外にはインドにあるが、治安等の問題もあり、誰でも簡単に行ける場所ではない。
一方、西美は東京のど真ん中にあり、日本人のみならず、外国人にとっても訪問しやすい。
現代の一流建築家が別格と指摘するル・コルビュジエが考えた美術館を、治安も交通の便も良い
東京で見ることができるのである。
西美は、2016年にル・コルビュジエが設計した他の建築群を含め、世界遺産に登録されて
いる。
3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
有名な建築家が設計をした美術館という観点から、六本木にある国立新美術館を例に挙げて
みよう。(注7)
これはメタボリスム建築で有名な建築家 黒川紀章が設計したものであるが、この美術館は
自らのコレクションを持たない。
いわば単なる箱である。
これは決して否定的な観点から言っているわけではなく、建築のコンセプトそのものがそうで
あるというだけである。
ここで言いたいのは、美術館を作るに際し、黒川紀章が選ばれ、素晴らしい美術館が建設された
という以外に、歴史になる深みがないということである。
一方で、西美は、まず偉大な気概を持つ人間による膨大なコレクションがあり、それらは
第二次世界対戦でフランスに没収されたものの、政治家も動き返還交渉にあたり、相手が
フランスであるが故に成功したこと。
返還に際しフランス側が美術館の建設を条件付けそれに日本が了承し、ル・コルビュジエと言う
偉大な建築家に設計を依頼し、彼の日本人の弟子が協力して建設に当たり、世界でも例が
少ない彼の設計による美術館が作られたこと。
そして、ル・コルビュジエとその弟子たちが、言わばその後の日本の偉大な建築家の師と
なって、現代に続く日本建築家の世界中での活躍の流れの基本となっていることが挙げられる。
つまり、西美は単に美術品の保管や一建築というだけでなく一連の歴史の産物であり、
いまでも日本の現代建築家の一つの手本となっている。
ル・コルビュジエ並びに上述の彼の弟子たちの影響を受けた建築家は枚挙にいとわないが、数名
を挙げるとすれば、世界的に有名な安藤忠雄、磯崎新、代々木体育館や東京都庁の設計で
有名な丹下健三がいる。
丹下健三事務所のホームページには、彼がル・コルビュジエに傾倒したことが記載されている。
そして彼の事務所からも牧冬彦、黒川紀章、谷口吉生等そうそうたる建築家が育っている
のである(注8)
以上から、現代に至る日本の著名建築家が全て、ル・コルビュジエの影響を直接、間接的に
得ていると言っても過言ではないだろう。
すなわち、この西美は、絵画コレクションは言うまでもないが、ル・コルビュジエという偉大な
建築家による設計で稀有な美術館を日本に有すこととなり、又彼の考えを師とし、現在も
活躍する日本の多くの建築家が育って行ったきっかけにもなったのである。
4.今後の展望について
このような歴史があるにもかかわらず、西美の全体的な評価というものは、同館のホームページ
を見ても非常に抑えがちである。
松方が第二次世界大戦当時軍部に協力していた(注9)とか、ル・コルビュジエが同大戦時
ナチスに近いフランスのヴィシー政権に協力していた(注10)というようなこともあるのかも
知れない。
しかし両者とも政治的な意図があるとは考えられず、自らが求める信念を突き進めた結果だと
考える。
つまり、一つのことで、全ての偉業を否定してはならないと考えるのである。
従い、この美術館の稀有な歴史をもっと認知させて行くべきであろう。
また、西美は当初の基本設計からその後いろいろ手を加えられている。
特に、一階部分をガラスで囲い、中には土産物屋、喫茶店、本屋、コインロッカーなどが
設置されている。(注11)
これらは当然ル・コルビュジエの当初の設計にはなかったものである。
海外の彼の建築遺産を訪問しても、このようなケースは少ない。
これら日本的とも言える意匠変更は、上述の建築家 磯崎新も否定的に指摘している所である。
(注12)
オリジナルの意匠の保持に対するより強い信念と意志を望むところである。
5.まとめ
西美が持つコレクションの由来、そしてそのコレクションは第二次世界大戦の結果として、
一旦はフランス政府に没収されたものの、交渉によりフランス政府から一部を除き日本に
返却され、その返却の条件に当該コレクションを保管する美術館の建設を条件付け、その
設計には高名な建築家であるル・コルビュジエが選ばれ、彼の日本人の弟子の協力により
日本を含め世界でも2カ国にしかしかない彼のデザインによる美術館が建設されたと言う
この一連の流れは、「奇跡」としか言いようがないものである。
更には、ル・コルビュジエの考えを師として、上述したキラ星のような日本人建築家が
育って行き、そして今でも育っているのである。
私はコレクション、建物としての西美、建築家ル・コルビュジエ、世界遺産登録など
それぞれを点として評価するのではなく、西美のコレクション並びにその建築の意味と
その後の日本の建築家に与えた大きな影響と言う現在に至る一連の大きな歴史の流れの中で、
この国立西洋美術館の意義を再認識すべきと確信する次第である。
以上
参考文献
(注1)国立西洋美術館ホームページ 美術館の歴史 https://www.nmwa.go.jp/jp/about/index.html
(注2)石田修大『幻の美術館』 平成7年12月20日初版 丸善株式会社 P37
(注3)同上 P147
(注4)安藤忠雄『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 2004年9月25日 新潮社 P88
(注5)磯崎新『ル・コルビュジエとはだれか』2000年2月29日初版 王国社 P9
(注6)藤木忠善『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』2011年8月20日 鹿島出版会 P10−11
(注7)国立新美術館ホームページ 建築 https://www.nmwa.go.jp/jp/about/index.html
(注8)丹下都市設計事務所ホームページ https://www.tangeweb.com/company/kenzo/
(注9)石田修大『幻の美術館』平成7年12月20日初版 丸善株式会社 P65
(注10)『ル・コルビュジエの教科書』2009年 マガジンハウスP89
(注11)藤木忠善『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』2011年8月20日 鹿島出版会 P44
(注12)磯崎新『ル・コルビュジエとはだれか』2000年2月29日初版 王国社 P36