~地方のまちづくり~ 「擬洋風建築」は芸術品
1,はじめに
青森県平川市には、国指定名勝の盛美園がある。
住宅街に現存しており、地域住民には、空気のような存在であるため、街に溶け込んでいる。
また、「盛美園」の中にある「盛美館」が静かに時とともにある。
街中に、日本庭園の中に洋風建築が佇んでいる、「盛美館」について考察していく。
2,盛美園基本データについて
2-1盛美園構成について
「庭園」「盛美館」「御宝殿」の三つで構成されている。
その三つを合わせて「盛美園」と呼ぶ。
2-2盛美園情報
1)所在地
青森県平川市(旧尾上町)猿賀石林1 (青森県弘前市に隣接)
2)庭園の広さ 3,600坪
3)平川市の人口は約3万1千人である。(総務省 住民基本台帳令和2年1月1日)
4)その他
「平川市」は、平成18年1月1日に市町村合併によって新設された市である。
合併されたのは、碇ヶ関町、平賀町、尾上町の三つであった。
3,盛美園の歴史と評価について
3-1 盛美園の歴史
清藤家が盛美園を造営した。その清藤家のルーツは、鎌倉時代に遡る。
清藤盛秀は、鎌倉幕府5代目執権北条時頼の家臣であった。時頼は、大切な女性を盛秀に預けたのである。その女性と共に盛秀は、現在の青森県藤崎市に居住地を移した。
しかし、ある時、時頼が鎌倉から藤崎に来訪し、その女性に会いに来ることを知った女性は、鎌倉で生活していた時と現在の自身の身なりが大きく変わったことに悲観し、自ら命を落とした。
それを機に盛秀は、責任を感じ鎌倉には戻らず、現平川市で暮らすこととなったことが、清藤家の歴史の始まりとされている。
その清藤家は、地元で農業、商売などで成功し、現平川市の名家として地域の人々に大きな影響を与えた。
そして、明治時代の富裕層は大規模な庭園を造ることがステータスだった。清藤家もそのような時代に「盛美園」を造営したのである。
3-2「庭園」の歴史
庭園は、明治44年24代目清藤盛美の依頼により弘前地区に多く残されている大石武学流 宗家の小幡亭樹によって造園された。
庭園を眺めることができる、自宅を建てることが、この時代の富裕層の流行りだったのであろう。
3-3「御宝殿」の歴史
大正6年25代目清藤辨吉の依頼で建てられた。
御宝殿内には前述した時頼の寵愛を受けていた女性を祀っており、本尊には鎌倉時代の彫刻金剛界大日如来が安置されている。
そして、その本尊の両壁面には蒔絵がある。作者は、河面冬山である。
ちなみに河面冬山は、宮内省御用品や大正天皇の即位の礼にも関わっている。
富裕層な清藤家であったと想像ができる。
3-4「盛美館」の歴史
盛美館も明治44年24代目清藤盛美の依頼のもとで建てられた。
株式会社エクスナレッジ発行の「死ぬまでに見たい洋館の最高傑作」の一つに、盛美館が選ばれている。選ばれるには、理由がある。
それは、この時代の建物は和洋折衷を取り入れている建物が多い。洋館と和館を横に並べる手法はあったが、盛美館のように和館が下、洋館が上と、上下に積むというのは珍しいと紹介されている。
また、清藤家は、盛美館の設計と施工を担当した棟梁の西谷市助に、「庭園になじむ洋館を設計してほしい」という依頼をした。その依頼に応えるために庭園を眺められるような建物にしようと考え、和館を1階にしたのである。
ちなみに西谷市助はあの斜陽館を設計した堀江佐吉の弟子である。
4、擬洋風建築について
4-1 洋風建築の「擬」の評価
堀江佐吉や西谷市助は本格的な近代建築の教育を受けていない。見よう見まねで建築に携わっていた。
同時期の近代建築を学んだ代表的な建築家とされている、東京駅を誕生させた辰野金吾がいる。
建築を学んだ彼の建築物は「洋風建築」と呼ばれ、無学の堀江佐吉たちの建築物は、「擬洋風建築」と言われていた。
4-2「擬洋風建築」と「洋風建築」の結びつき
学問を行った有無以外で、「擬洋風建築」と「洋風建築」の接点はないのかと考えた。そこでヒントが得られないかと、辰野金吾の建築家となるまでの生い立ちを調査した。辰野金吾は、1845年に唐津市生まれた。明治維新を機に新しい時代が始まった。唐津藩も時代に遅れぬよう、英語教育に力を入れ、辰野金吾もその教育を受け、英語の勉学に励んだ。その影響もあり現東京大学へ進学した。辰野金吾の卒業試験の論文では「日本の将来の建築」や製図では「和洋折衷の学校建物」を研究し、主席で卒業したとされている。
のちにヨーロッパ風のルネッサンス様式であった辰野金吾の建物を「辰野式建物」と称するようになった
「擬洋風建築」と揶揄されていた堀江や西谷たちの建物の特徴としては、明治という年代だったということもあるが、「和洋折衷」「ルネッサンス」と言われる技法が反映されている。
これは、言い換えれば、「洋風建築」と「擬洋風建築」の共通点は「和洋折衷」と「ルネッサンス」であると言えるのである。
要は、堀江たちのような自己流的な「擬洋風建築」は、東京駅と言う偉大は建物と同じような特徴がある。現に「擬洋風建築」と揶揄された「盛美館」は東京に現存する「東京駅」とも接点やつながりがあったのである。
それは「擬洋風建築」ではなく、堀江たち出身の青森県オリジナルの「青森洋風建築」と呼びたいものだ。
4-3 擬洋風建築の展望
「盛美館」は、歴史に触れることができる空間があり、一部の書籍では評価もされている。「盛美館」のような素晴らしい建物は、全国にも存在しているのである。
「地方に暮らしてみようか」と思えるきっかけがあれば「地方で暮らそう」と決断する人々が出現する可能性もある。現在、面白いことに、その兆しが表れているのである。
それは、どのようなことかというと次の通りである。
今、我々人類は、ウイルスと闘っている時代の最中で生きている。それは言い換えれば、危機的時代なのである。
危機的でも地方にとってはチャンスに変えられる岐路に立っているとも言える。
なぜならば、新型ウイルスコロナ禍の影響で、テレワークという言葉が定着し、コミュニケーションの手段にも変化が現れ、我々の生活スタイルが大きく変化しているのである。
今はテレワークという手段が定着しはじめ、都市部にいなくても仕事ができ、地方にいても不便さを感じないライフスタイルを手にしている人々が増加している。都市部から地方へ移住者が現れているのである。
例としては、2019年と2020年の東京都の人口の転入と転出が逆転し、転出が増加傾向となっているのである。
そして東京都から転出した人々は地方へ居住区を移動しているのである。
その中で、2020年は青森県も転入者が増加している県となっているのである。
都市部から地方への移住者の増加が進めば、「盛美園」のような建物を認知する人々が増加することであろう。そうなれば、地方に点在する建築物に脚光があたり、それぞれの長い歴史を知り、見えていなかった過去の地区とのつながりも見えてくるであろう。
現に「擬洋風建築」と揶揄された「盛美館」は東京に現存する「東京駅」とも歴史上の接点や芸術的なつながりがあったのである。
5、最後に
「盛美園」のような作品は、苦難な時代を乗り越え、この時代に存在しているのである。「擬洋風建築」に関わった堀江たちのような一芸を手段として建造した「盛美園」は、言い換えれば、地方で存在している芸術品でもある。新型コロナウイルスの影響で都市部から地方へ移住している人々に堪能してもらいたいものの一つである。
これは地方にとっては、まちづくりの再編成をする上で手段として活用できる芸術品とも言える。大きな岐路にありチャンスの到来でもある。
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【資料1】
総務省 住民基本台帳 (閲覧月日 2021年1月15日)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/daityo/jinkou_jinkoudoutai-setaisuu.html
盛美園ホームページ (閲覧月日 2021年1月15日)
http://www.seibien.jp/seibikan/
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【資料1】
青森県平川市・盛美園 地図
参照先 平川市観光協会 (閲覧月日 2021年1月5日)
https://hirakawa-kankou.com/
https://hirakawa-kankou.com/access/
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【資料2】
盛美園 著者撮影
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【資料3】
歴史建築データ 参照書籍
① プレモダン建築巡礼 明治・大正・昭和(戦前)の名建築50 日経BP社
② 死ぬまでに見たい洋館の最高傑作 株式会社エクスナレッジ
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【資料4】
東京駅 著者撮影 -
【資料5】
コロナ禍での社会情勢 著者集約
総務省「住民基本台帳人口移動報告書」 舞田敏彦氏(教育社会学者)
閲覧月日 2021年1月5日
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/12/post-95110.php
JIJI.COM 時事通信社 閲覧月日 2021年1月30日
東京一極集中、変化の兆し コロナで地方に関心―20年人口移動報告:時事ドットコム (jiji.com)
日本経済新聞 電子版 閲覧月日 2021年1月27日
ワーケーション、コロナで脚光 自治体の誘致合戦激化: 日本経済新聞 (nikkei.com)
参考文献
筆者 内田青蔵(監修)伊藤隆之(写真)後藤聡(文)
『死ぬまでに見たい洋館の最高傑作Ⅱ』 株式会社エクスナレッジ
筆者 磯達雄(文)宮沢洋(イラスト)
『プレモダン建築巡礼』 日経BP社
青森県庁ウェブサイト
https://www.pref.aomori.lg.jp/k-kensei/jinkou.html
・平川市観光協会 閲覧月日2021年1月5日
https://hirakawa-kankou.com/access/
・盛美園ホームページ 閲覧月日2021年1月15日
http://www.seibien.jp/seibikan/
・広報ひろさき 特集大石武学流庭園を味わう 閲覧月日2021年1月15日
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/koho/kouhou/r020501_all.pdf
・総務省 青森県市町村合併 閲覧月日2021年1月5日
https://www.soumu.go.jp/gapei/hensen_aomori.html
・太宰ミュージアム 閲覧月日2021年1月15日
https://dazai.or.jp/modules/contents/index.php?content_id=29
・旧弘前市立図書館 閲覧月日2021年1月15日
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/shisetsu/kyuutosyo.html
・旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館) 閲覧月日2021年1月15日
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000022.html
・庭園ガイド 閲覧月日2021年1月20日
https://garden-guide.jp/cert.php?s=cs
・河面冬山 東京文化財研究所 閲覧月日2021年1月5日
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8779.html
・唐津市 辰野金吾 閲覧月日2020年12月20日
https://www.city.karatsu.lg.jp/kankou/tanbo/jinbutsu/tatsuno.html