手仕事の合間に語られた物語 ーマレーシア・サラワク地方の民間説話の収集・継承におけるハイディ・ムーナン氏の取組みー
本稿は、ハイディ・ムーナン著「サラワクの民間説話」(Heidi Munan ”SARAWAK FOLKTALES”)(註1)とムーナン氏へのインタビューをもとに、マレーシア・サラワク地方の民間説話の収集・継承におけるムーナン氏の取組みについて評価したい。
はじめに
サラワク州はボルネオ島にあるマレーシア最大の州である。30を超える先住民族(註2)が居住し多彩な文化を持つが、近年の近代化に伴い、伝統文化が失われつつある。
こうした中、サラワク州在住の文筆家でありアート・ディレクターであるムーナン氏は、40年以上にわたる先住民族の伝統工芸の調査の傍ら、彼らの民間説話を収集し「サラワクの民間説話」を出版するに至った。
2019年9月16日(月)10時より二時間にわたり、ブルネイの拙宅にてムーナン氏の取組みについてインタビューを行った。
1.基本データ
1.1 サラワク州の地理
マレーシアは13の州からなり、11の州がマレー半島、サラワク州とサバ州がボルネオ島にある。ボルネオ島は、北西にサラワク州、南にインドネシア、北東にブルネイ、サバ州があり、マレーシア、ブルネイ、インドネシアの三国で構成されている。
1.2 サラワク州の歴史
16世紀頃よりブルネイ王国の保護下にあったサラワク地方は、19世紀初頭にマレー人とビダユ族の反乱により独立を宣言する。ブルネイのサルタンは、英国人ジェームズ・ブルック(註3)に鎮圧を依頼。その報酬としてサラワク地方を割譲されたブルックは、白人の藩主として領地を拡大しながらサラワク王国を樹立、1841年から日本軍の占領が始まる1941年まで統治した。
大戦後、マレー半島に成立したマラヤ連邦がイギリスから独立した際、サラワク地方はサバ地方とともに連邦に参加、1963年のマレーシア成立と共にサラワク州となる。以前はサラワク州に入る場合、同国人であってもパスポートが必要だったほど独立性の高い州である。
1.3 サラワク州の先住民族とその現状
サラワク州の民族構成は、マレー人を含む先住民族が7割強、以下、中華系、インド系となっている。先住民族では、イバン族が最大の4割を占める。先住民族の多くは定住地を持たず半猟半農が主体の生活を行っていた。一族でロングハウスを建設し、焼き畑農業を行う傍ら男性が猟を女性が手工業を担当し、農地が枯れると移住を繰り返していた。近代以降、多くは移住地に定住し、プランテーション農園や石油会社で職を得ている。
2. ムーナン氏による民間説話の収集
2.1 著者について
ハイディ・ム―ナン(Heidi Munan、78歳、女性)は、マレーシア・サラワク州在住の文筆家でありアート・ディレクターである。
1941年スイスに生まれドイツで初等教育を受けた後、ニュージーランドの大学で美学を専攻した。ニュージーランドにてボルネオ島の先住民族イバン族の男性と結婚した後、マレーシア・サラワク州に移住、伝統工芸のリサーチを行ってきた。
現在は、サラワク州立ジャバタン美術館(Jabatan Muzium Sarawak)のキュレーターの傍ら、サラワク州の後援のもと、熱帯雨林国際音楽祭(Rain forest World Music Festival)やボルネオ国際ビーズカンファレンス(Borneo International Beads Conference)等の運営に携わっている。
2.2 民間説話の収集
ムーナン氏の民間説話の収集は、偶然から始まっている。先住民族の伝統工芸であるビーズの調査を行っていたムーナン氏は、手仕事をする女性達からビーズのデザインの由来とともに、部族の民間説話を聞くことになった。
『私は、ビーズを使った工芸品のデザインや作り方を調べに行ったのですが、あるビーズは村の宝であったり、あるデザインは魔よけであったり、一つ一つのビーズやデザインに、それぞれ物語があったのです。そこで、手仕事の合間に彼女たちが語ってくれた物語を書き留めていきました。』
また、当時のサラワク州では先住民族の言語によるラジオ番組があり、民話のプログラムなども放送されていた。先住民族の義母による子供たちへの語り聞かせも日常的であり、現地語による学校も存在した。ムーナン氏のフィールドワークに加え、時代的・環境的にも民間説話の収集には事欠かない状況であった。
しかし、時代を経るに連れ、国によるマレー語優先の施策(註4)によりラジオ・テレビ・学校から現地語がなくなると共に、近代化によるライフスタイルの変化により民間説話は語られなくなっていった。これに危機感をもったムーナン氏は積極的に民間説話を収集し、1980年代に小冊子として出版。その後、今まで出版したものを纏める形で本書の出版に至った。
2.3 民間説話の喪失・変容
先住民族はそれぞれ固有の言語を持つが文字は持たない。民間説話の継承は、「語り」によるものである。「語り」は、語り手、語る相手、場所、時代により、物語に微妙な変化を与えていると言う。
ここでは、ムーナン氏が説話を収集する際に直面した「物語」の喪失・変容などについて記す。
(1)男性の物語の喪失
ムーナン氏が収集した話は、手作業の傍ら女性たちが話す物語であり、外で働く男性の話をムーナン氏が聞く機会はなかった。男性の話の主なものは、伝統的な闘鶏のルールや首狩りの方法、セクシャルな話だという。これらは一族の男性のみで共有され、外部に向かって発信されることもなく、収集・保存の対象から遠い位置にあった。(註5)
(2)宗教による排除
マレーシアはイスラム国であるが、先住民族は改宗しても生活の中にアニミズムが根付いている。しかし、イスラム色の強い地域においては、男女に係わる説話など宗教上望ましくないと判断された話は排除されていった。
(3)学校による改変
教科書への採用において、読者である生徒への配慮として説話の意図的な改変・選択が行われている。
(4)出版による翻訳
ムーナン氏は、出版に際し話の内容を編集することがあったと言う。氏の著書は子供向けの本であり、暴力的な描写や性的な描写は省かれている。(註6)また、本書は英語で出版されており、翻訳により文化的ニュアンスが抜け落ちる反面、誰にでも理解でき、語学教育にも活用できる利点を持っている。
このような民間説話の喪失・変容について、ムーナン氏はこう語る。
『外来者の訪問や事件によって物語が変わることもあります。それは、当時の語り手や聴き手の興味を引くものだったからです。物語は変化します。文化と同じです。』
3. 民間説話の継承
『本さえ読まなくなった若者たちに、どのように説話を継承していけるでしょう?』
ムーナン氏は自ら問いつつ、様々な過程を経て収集された民間説話の継承にあたり積極的な試みを行っていた。
一つは、民間説話を題材とした音楽劇の創作である。また、教育省に働きかけ、英語で地元の昔話を学ぶプログラムを中学生の授業に入れることも進めている。熱帯雨林国際音楽祭の期間中には、音楽だけでなく工芸品や民間説話の紹介も行っている。
4. 民間説話をめぐる状況
民間説話の変容は世界の至る所で起きている。
例えば、壁画として描かれたオーストラリアの先住民族の民間説話は、アボリジナルアートとして観光や新たな芸術活動に活用されている。
インドのタラブックスは、先住民の説話とゴンドアートによる絵本の出版で知られている。
このように民間説話は形を変えて、娯楽、教育、ツーリズム、アートの素材として活用され生き残りつつある。
5. 今後の展望
サラワクの民間説話は、変化しながらも次世代に受け継がれてきた。
近代化が進み先住民族の伝統的生活が変化する今日、「自分が何者か」を説明するための「言語」や「居住地域」等の意義が薄れる中、「民間説話」という「継承すべき物語を共有する」ことは、今後、民族のアイデンティティを保つ役割も果たすだろう。
ビーズの調査に始まったムーナン氏の活動が、民間説話の収集、出版にとどまらず伝統文化の継承へと繋がり、未来の継承者への積極的な情報発信となることを期待したい。
- ハイディ・ムーナン氏 2019年9月6日 筆者撮影
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ハイディ・ムーナン著「サラワクの民間説話」
Heidi Munan "SARAWAK FOLKTALES", 2017 - サラワク州はボルネオ島の北西部に位置する。筆者作成
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ビーズワークをする先住民族の女性。
民間説話は、このような手仕事の合間に語られていた。
出典:Heidi Munan "BEADS of BORNEO" 2005 -
民間説話を原作にしたミュージカル(ムーナン氏提供)
Heidi Munan, Julia Chong "LIFE IN THE JUNGLE" 1984 -
【非掲載】Rainforest World Music Festival 2019
先住民の楽器と各国の民族楽器が集まるステージ。(RWMFのアルバムより)
期間中、各サイトでは伝統的なアートや武道のワークショップ、フード、工芸など多彩な民族文化に触れることができる。
参考文献
Heidi Munan, "SARAWAK FOLKTALES", Mucow books company, Malaysia, 2017
Heidi Munan, "BEADS of BORNEO", Editions Didier Millet Pte Ltd. Singapore, 2005
佐久間 香 子
「ボルネオ内陸部の交易拠点としてのロングハウス ― 19 世紀末のサラワクにおける河川交易からの考察 ―」
『東南アジア研究 54巻2号』 京都大学東南アジア地域研究研究所 2017年 1月
Naiura, "Tales of my Grandmother's DREAMTIME" Bartel Publications, Australia, 2010
Bhajju Shyam, Durga Bai, Ram Singh Urveti, "The Night Life of TREES", TARA BOOKS, India, 2016
The Official Portal of Sarawak Government
https://www.sarawak.gov.my/
閲覧日:2019.09.18
e-Sarawak Gazette
https://www.pustaka-sarawak.com/gazette/home.php
閲覧日:2019.09.18
"Year book of Statistics SARAWAK 2015"
Department of statistics Malaysia Sarawak
閲覧日:2019.10.07
mapping ethnic group
https://www.peoplegroups.org/Explore/Explore.aspx#topmenu
閲覧日:2019.10.07
Rainforest World Music Festival
https://rwmf.net/
閲覧日:2019.09.18
BORNEO International Beads Conference 2019
https://crafthub.com.my/bibco2019-2/
閲覧日:2019.10.07
(註1)
"SARAWAK FOLKTALES" Mucow books company, Malaysia, 2017
ムーナン氏が2017年に出版したサラワク州の先住民族の民間説話。氏がそれ以前に出版していた小冊子を一つの本にまとめたもの。
日本では、「民話」「昔話」「伝説」と細かい分類があるが、ここでは一括して「民間で伝承された物語」として「民間説話」とする。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000141452
(註2)
2014年の統計では、先住民族の人口は約186万人で、サラワク州の人口約260万人の約7割を占める。
主な先住民族は、Bidayu, Bisayah, Bukitan, Iban, Kadayan, Kajang, Kanowit, Kayan, Kejaman, Kalabit, Kenyah, Lahanan, Lisum, Lugat, Murut, Melanau, Penan, Punan, Sabup, Sekapan, Sian, Sipeng, Tabun, Tagal, Tanjong, Ukit, Lain, Negrito, Senoi, Melayu Asli, Melayu, Melayu Brunei等である。(Year book of Statistics SARAWAK 2015)
(註3)
ジェームズ・ブルック(James Brooke, 1803-1868)
イギリスの冒険家。若いころにイギリス東インド会社の兵士であった。ブルネイ王国よりサラワク地方を割譲され、サラワク王国を建国。以後、三世代にわたり同地を支配した。(The Brooke Era, The Official Portal of Sarawak Government)
(註4)
従来、昔話はそれぞれの言語で話され、ガバメントスクールでは教科書にも採用されていた。
マラヤ連合としてサラワク州が併合されると、学校ではマレー語を公用語として学び、ローカルの言語は追いやられた。第二外国語としては、有用な中国語や英語が選択されている。ローカルの言語は地方で暮らすための話ことばとしてのみ残っている。
また、1970年頃までは、サラワク独自のラジオ番組やテレビ番組があったが、徐々にマレー半島(首都のある半東側)中心のプログラムになり、地元の話題やプログラムがなくなっていった。(ムーナン氏談)
(註5)
ブルック王は、サラワク王国内に官吏を置き、部族間・村落間の揉め事や些細な話題も収集させていた。それらは、1900年初頭から「年報」としてまとめられており、民族学の著書としても出版されている。
(https://www.pustaka-sarawak.com/gazette/gazette_uploaded/1370829654.pdf)
(註6)
例えば「マジック・ライス」の話では、20通りものバージョンがあるという。一つは、女を何等分にも切り刻んで畑に蒔くと稲が実った、という説話である。他にも、地面を均すために女を転がし、女の血が地面に吸い込まれて稲が実るなど、いずれも、女性の血が大地の養分になる話となっている。(ムーナン氏談)