那須烏山市の「山あげ祭り」についての考察
はじめに
栃木県には様々な祭りが存在する。その中でも共に世界遺産に登録されている那須烏山市の山あげ祭りと、日光二社一寺の行事を取り上げる。これらは人々により受け継がれ長い歴史を持つ行事であるが文化的重要性や歴史的価値、信仰、精神性など多岐にわたり必要性があったからである。この二つを比べて考察してみる。
基本データ
場所 栃木県那須烏山市(旧烏山町)
開催日 毎年7月第4土曜日を含む 金、土、日、開催
山あげ祭りとは那須烏山市にある八雲神社の例祭の付け祭りの事で、日本一と言われる野外劇で那須烏山市の旧町内で行われる。山あげ祭りの名前の由来は烏山鎮守八雲社の付け祭りの際に竹と和紙で作った山を建てるからである。移動式の舞台を設置しその上で常磐津節〔註1〕に合わせて歌舞伎芝居を演じる。その時に舞台の背景となる山、川、岩、館などが100mにわたり封鎖した道路に建てられるのである。特に山は大きく3つあり大きいもので幅7ⅿ、高さ10ⅿにもなる。出来上がった空間は壮大で他に類を見ない。
歴史
永禄三年(1560)に地域に疫病が流行し当時の城主であった那須資胤が、疫病除けの神である牛頭天王を烏山大桶地域より烏山仲町十文字に勧進、疫病除け、天下泰平、五穀豊穣を願い始まった。明治三年の神仏分離令により、それまでの天王社から八雲神社へと変わりご祭神も素戔嗚命になった。当初は相撲、神楽、獅子舞が毎年交代で行われており現在の形式とは大きく違う。社会的変化が大きかった明治の頃は山あげ祭りは年々盛んになり全町で競うように行われるようになった。〔註2〕
特筆
山あげ祭りの最大の特徴は道路上で歌舞伎芝居をし、その舞台が次々と違う場所へ移動していくことである。主な道具は大きく3つ背景の山、舞台となる地車、山車である。山は大・中・小あり特産の和紙でできており毎年当番町が作り直す消耗品である。公演のたびに一部の道路を通行止めにし、仮設舞台を設置し歌舞伎を行うがその舞台になるのが山車と地車である。山車はだだ練り歩くものではなく、舞台の一部となるため可動式になっている。山車の顔となる前方部分は(御拝)は彫刻が施されていて、芝居の時は切り離されソロバンといわれる装置で横にずらされ囃子方の乗る場所となる〔図1〕。地車は移動式台車兼舞台であり、移動時には道具、セット類を載せ素早く次の会場へ移動設置し舞台、花道になる。祭りの名前になっている山は背景である。作り直すのには時間がかかり7月の祭りに間に合うように作業行程を考え3ヶ月ほど前から制作に入る。山は分解可能で、各パーツは真竹を割り裂いたものを網代に編み、編んだ竹の上に烏山特産の和紙を何重にも小麦粉の糊で貼っていく。竹や和紙などの材料は地元で生産されたもので、特に大量に使われる和紙は和紙が特産の烏山でしか成り立たないものである。山の表面には絵の具で演目に合った山水の風景を描いていく。幾重にも貼り作られた山は貼りか山とも呼ばれ、過去には祭りで使った貼りか山を家の裏板に使うと落雷除けになるという呪力を持ったものとして神聖視する風習もあった。舞台セットは立体感を考えて配置される。これらの大掛かりな移動設置はほとんどが人力である事と、場所を移動することが町を上げての祭りになっている理由でもある。一般的な祭りの踊りなどは毎年同じ場所で行われることが多いが、山あげ祭りは一公演ごとに移動・組み立て・解体を1日5~7公演、3日間行う。真夏の7月に朝から夜の部まで町内を移動公演していくのは多大な人手を必要とする〔図2〕。また移動公演は当番の町内だけではなく、他の地区にも公演を行うので町全体にお祭りの雰囲気が出て多くの人に見て感じてもらえる工夫でもある。移動公演を可能にしているのは手際のよい作業であり、連携のとれた作業はしっかりとした宮座組織があるからで若衆が中心となっている。過去には若衆に入れるのは長男のみ、家柄・格式・人柄によって役が付いたり、付かなかったりしたが現在では間口が広がりその制度はない。現在宮座組織が存在することは珍しい事であり重要無形民俗文化財指定の根幹でもあった。歌舞伎芝居だけではなく若衆による勢いのいい組み立て、解体も見どころの一つとなっている。
日光市の二社一寺〔註3〕には一年を通して祭礼、行事がある。春と秋に行われる日光東照宮例大祭は大きな祭りである、がその前に行われる「栗石返し」といわれる行事がある。これは東照宮と輪王寺の周りに敷き詰められている10㎝前後の栗石と呼ばれる石の間に溜まった杉の葉などのゴミの清掃作業で約380年続けられている。石は約460万個あり水分を含みにくい性質で雨が降っても乾きが早く木造建築物を湿気から守る、雑草を生えにくくする役割がある。二社一寺は山中に建っているので杉が多くゴミが溜まりやすい箒や熊手では取り除くことはできず、一つひとつ手でどかしゴミを取り除きまた石を戻すこれが栗石返しの行事である。栗石敷面積3000㎡(910坪)を清掃する作業は地元の住民の協力が欠かせない。今では一般の人からボランティアとして「世界遺産での栗石返し体験」〔図3〕として募集している。文化や建造物を守っているという特別感が得られるのである。
評価
山あげ祭りは場所を移動しながら公演する。それは同じ公演はないということであり、一回きりの空間をそれだけ多く作っていることである。意図的に移動することは多くの人に見てもらえることでもあるし、一人ひとり違った特別感が得られる。またやる側も同じで一度きりの世界を作っているのである。彫刻屋台や歌舞伎芝居、貼りか山も立派ではあるがそのモノ自体の価値ではなく、移動し場所を変えながら特別な空間を数多く作り出している事が重要なのである。すべての道具は空間を作り出すセットであり、いつもとは違う場所となったその空間に人々は浸ることで楽しんでいるのである。
栗石返しは大きな祭りの前に行われる清掃作業で、目立つことは少ないが大切な行事である。神職、僧侶でもない一般人が参加できる数少ない行事で、それに係われる事は非日常であり、特別な場所や普段は立ちれない所に入れたり、文化財を守る一端を担っているという体験が重要である〔図4〕。
この二つは同じ世界遺産であり、同じように人々が特別な空間に浸ることで楽しみ、満足感を得ることで長く続けられてきたモノである。だが山あげ祭りはその空間を作り出し提供するだけではなく移動を繰り返し、一度しか味わえない空間を数多く作り続けていることが他にない点であり評価できる〔図5〕。その空間を感じるということは見えづらく意識しづらい。しかし写真や映像などでは伝わらない本物が持つ空間をデザインし、人々に与えることが出来る事は重要である。
今後の展望
山あげ祭りは多くの人が係わり人手が必要な祭りである〔註4〕。高齢化、縮小の時代になりつつあるので人手を集める事に苦労している〔註5〕。一般公道で行うため道路の拡張、電柱・電線の地中化、規制の緩和など急激な変化は難しいが、時間とお金がかかる行政の協力など社会の変化も避けては通れない。世界遺産や伝統となっているモノなどは、良い方向へでも変化が難しく手続きなど複雑になっている。続けていくためには守る部分と意識的に変化をしなくてはいけない部分の相反する問題も見えてくる。祭りを見るだけではなく参加したいと思う人もいるはずで、一般人、女性、外国人にも門戸を広げる制度の工夫も必要である。また立場を変え、見る側であるお客様の事を考えつつ、経済的効果を考慮することは永続するには大切である。多角的に見て、続けられてきたモノを生かし、いかに新しい価値を創造し付加することが出来るかが今後の重要な課題になってくる。
参考文献
註1
浄瑠璃の一流派。宮古路豊後掾の豊後節が江戸幕府により禁止されたとき江戸にいた宮古文字太夫が延享四年(1747)常磐津文字大夫と名のり独立したのが始まり。舞踏の伴奏に適してり、歌う部分と語る部分のバランスがとれており発声も自然で無理がなく二挺三枚(太夫三人、三味線二人)が原則
註2
現在では旧烏山城下の泉町・鍛治町・日野町・金井町・仲町の六町が担い、一年交代の輪番制になっている
註3
東照宮 徳川家康を祀った神社。遺言で死後下野国日光山に小さい堂を建て勧進するよう言われた。元和二年十月着工、寛永十年(1636年)完成。家光による大造営により豪華な社殿なった。費用 金五十六万八千両、銀百貫目、米千石、すべて幕府支出。神仏分離令を乗り越え神仏習合の様相をとどめる希有の例となっている。
大猷院 家光を祀っている。遺言により建てられた。
二荒山神社 栃木県日光市にある神社。宇都宮市にある二荒山神社と区別するため日光二荒山神社と呼ばれ区別されている。
東照宮・輪王寺・二荒山神社の三つをまとめて二社一寺と呼ばれる。
註4
当番町によってはかなりの戸数、担い手、人口差があり地元の高校生や大学生をアルバイト料を出しお手伝いをしてもらっている町もある。
註5
高齢世帯では当番の時の寄付金も大きな負担になっている
『 国史大辞典10』 国史大辞典編集委員会 吉川弘文館 1989年
『山あげ祭』 八雲神社編集 烏山教育委員会 1964年
『栃木の祭りと芸能』 尾島利雄 下野民俗研究会 栃の葉書房 1980年
『二百年前の山あげ祭り』 作者不明 地方資料文庫 第一集 1978年
『からすやま山あげ祭り』 からすやま山あげ祭編纂委員会 烏山町教育委員会 1992年
『若鮎と山あげ祭の那須烏山へ』 那須烏山市観光復興ビジョン 那須烏山市 2010年
『栃木の祭り』 柏村裕司 随想舎 2012
『山あげ祭 楽観方~たのしみかた~』 那須烏山市観光協会編 那須烏山市観光協会 2015年
『仲町 山あげ記録 明治・大正・昭和・平成』 仲町自治会 2016年
『日光輪王寺』萩原貞興 輪王寺教化部編 日光山輪王寺門跡執事局 2011年
『千人武者行列・日光東照宮神輿渡御祭のすべて 東照宮四百年式年大祭記念出版』
高藤晴俊 下野新聞社 2015年
www.nasukara-yamaage.jp
pon-f.mage.coocan.jp
www.nikko-nsm,co.jp
www.tochigikenshakyo.jp