市民広場の空間デザインとしての騎馬像が果たす役割について

櫨川 久美子

私の住んでいる菊池市では、35年前ふるさと創生一億円事業の一環として、市民広場の整備と共に騎馬像を設置した。これは菊池一族の象徴ともいえる、15代菊池武光公の騎馬像である。現在この騎馬像は歴史的観光スポットとしてだけではなく、菊池市民のいこいの場所として、四季を通して楽しませてくれる。(図1、図2)今回、ふるさと創生事業をきっかけに、当時どのような思いで騎馬像が設置され、市民広場が整備されたのかを調査した。本来銅像が持つ役割や実例をたどりながら、この騎馬像がまちづくりにどのような役割を期待することができるのかを考察してみた。

1. 市民広場の整備と構想
1989年、竹下内閣の時、全国の自治体に一律に一億円が交付された。この目的は、自ら考え、自ら行う地域創生事業である。そこで、菊池市はこの交付金の使いみちを広報誌でよびかけ、市政モニター、菊池の明日を考える会にアンケートを依頼した。結果、49件、市職員から26件の回答を得た。各部若手職員20名からなる「ふるさと創生一億円事業検討委員会」で検討した結果、菊池公園と中央グラウンド一体を含めた2.3ヘクタールの市民広場の整備を図るというものだった。
内容としては、菊池一族をイメージしたシンボル像の設置と観光物産館、市営駐車場の設置、スポーツグラウンドの整備などである。菊池公園、中央グラウンド一体の整備には予算3億円かかるが、まずは起爆剤として、一億円事業の騎馬像設置をして、長期的なまちづくりを進める計画をたてた。(図3)

2. シンボル像決定の経緯
市民広場に設置される武将は市議会で武重公(13代)、武光公(15代)、重明公(21代)の3人に絞られる。平成元年8月7日市議会全員協議会で、区長(111区)にアンケートを依頼し、市民3分の2以上の多数決により、武光公に決まった。
15代武光公は最も勢力を広めただけでなく、13代武重公鎮西探題出兵のおり、武光の幼少期に、臨済宗聖徳寺にかくまわれた恩義を忘れず、菊池に同寺の住職を招いて正観寺を建立した。また、鎌倉にならい、領内の文教を盛んにするため、菊池五山を定め、学問や文化の発展にも力を注いだ、菊池一族の中でも、菊池のシンボルにふさわしい人物であるとした。

3. 制作依頼
当時の菊池市長が、日本彫刻界の第一人者中村晋也氏(日本芸術院会員)に依頼し、8240万円で制作計画が始まった。
<制作者中村晋也氏の談話より>【註1】
銅像というものは、あるひとつの場面、ひとつのポーズでその人の全生涯を表現しなければならないものである。例えそうはいかなくても、その人のおもだった事柄、事績、そして思い、感情、そういうものを全て表現しなければならない。そこで、この像を造る時に一番最初に考えたのは、この人が戦いに明け暮れた本当の武将だったということであろう。武光公を騎乗姿で表現することは市長の依頼であったが、馬が停止直前の姿勢をとる皇居前広場の楠木正成像のような騎馬像を望んだ。しかし、私は人馬が躍動する前傾姿勢の騎馬像を提案した。折り合いがつかず、一年経過し、最終的に制作者の望むものとなった。馬の鼻面は戦の先の太宰府の方角を向いている。そして、武光公も本来なら軍配の方角をむいていないといけないけれど、ここでは、家来達に向かって、「行くぞっ!ついて来い!」と激励している姿だと思ってほしい。細部では、当時このようなサラブレットの馬はいなかったが、今の人達になじみのある現代化された馬で表している。馬の蹄鉄も当時はなく、かぶと、甲冑の細部にまで資料と照らし合わせてこだわっている。(図4)

このような思いで描いた中村氏の三点のデザインから、「市の未来の平穏を祈りたい」という市長の願いで、刀の代わりに軍配を手にもった動と静の中間のデザインに決まった。

4. 騎馬像設置
騎馬像は、鹿児島・伊集院町のアトリエで制作が進み、実物大の粘土像が完成。石膏や樹脂取りを経て、富山県の鋳造施設でブロンズ像に仕上げられる。
像が設置される市民広場は23465平方メートル。像の高さ5メートル、台座を含めて10メートルに及ぶ。
1992年3月29日市民広場の落成式が開催される。騎馬像では日本一大きい菊池武光公像を子供達50人と市長、制作者の中村晋也氏が除幕式に臨んだ。
<有識者より>【註2】
崇城大学芸術学部美術学科教授の関根浩子氏は熊本にある近現代の屋外肖像彫刻名作六選に次のように紹介している。
騎馬像の人馬の姿勢や造形性に注目すれば、この武光公の身体を捻ったダイナミックな動きは古代ギリシャやルネッサンス期の名作を思わせ、振り返った視線の先には、後続する味方の軍勢を想起せずにはおかない。又、馬像の姿勢が後脚立ちで物理的に構成不可能な型を舞い上がる砂塵や雲を支持体として巧みに利用して実現している。
<地方議会の一般質問より>【註3】
1992年、地方会議で共産党甲斐議員から騎馬像が設置されたことで、「戦争のシンボルを何故、市の中央に作ったのか。市政運営に精神主義が強調されすぎて、経済の観点が欠ける。」と追求した。市長は「菊池武光公は菊池精神の魂を築いた人で、戦争のシンボルとは思わない。政治も経済もすべての基礎は倫理、道徳の精神であり、精神主義が間違っているとは思わない。」と答えた。

5. 33年経過した現在の市民広場の活用状況
*観光客が立ち寄る場所となっている。
*騎馬像の台座を舞台として利用しているイベントが多くみられる。(図5)
(戦国肥後まつり、白龍まつり、菊まつり、秋まつり、高校文化祭など)
*騎馬像の周りの芝生でのんびり過ごすスローデイ菊池の開催(癒やしの場の提供)

このように、現在、市民広場でイベントの開催が多くなっている。櫓を組む必要がないので、広くて高さのある、騎馬像台座は有効に利用されている。また、季節おりおりの写真撮影会では、騎馬像を入れたアングルが多く展示されている。

今回の調査で、ふるさと創生一億円事業が丁度、菊池市の整備のきっかけになったように思われる。これを機会に、地元にとって、どのようなまちづくりが必要か、市民へのアンケートでこれからの市政を考え、整備の方向性を決めることができた功績は大きい。また、市民広場の整備において、中央に大きな騎馬像を設置することで、菊池公園とその下方に広がる市民広場が一体化され、騎馬像が空間的デザインの中核となっている点は評価される。菊池氏居城跡のある菊池公園の緑地がいっそう戦国時代の勇姿を連想させ、景色と騎馬像の躍動感の相乗効果を出している。また、福岡県大刀洗町にも緒方敏雄氏による、騎馬像がある。これは、馬から下りた立像で筑後川合戦で、敵陣を追い込みこの地で血で汚れた刀を洗ったとする故事が地名となったことを表わす碑と共に設置されている。このように、銅像にはメッセージ性をもつこともある。(図6)
菊池の騎馬像のポーズは、当時の市長が議会の答弁で言っているように、戦いの姿勢というより、視線の先は引いている軍勢にある。菊池武光公は菊池精神の魂を築いた人であり、軍勢の先頭に立つ勇姿のあるべき姿をあらわしており、これからの困難にたちむかう指導者と重ねあわせることもできる。さらに、歴史ある空間で、躍動している瞬間を切り取った姿勢はまさに、古代ギリシャやルネッサンス期の名作を思わせると評されているように、彫刻芸術がまちの景観に大きく影響を与えている。
最後に中村氏の阪神淡路大震災に触発され制作が始まった「ミゼレーレ」シリーズや奈良薬師寺に奉納された「釈迦十大弟子」像など、深い魂の叫びにふれる彫刻をみると、それにも通じる騎馬像の勇姿に熱い情熱を感じる。(図7)そして、市民の憩いの場所になり、そのふるさとの景観が市民の心に誇りとして刻み込まれるのであろう。現在、まちづくりに使われている銅像には、その時代を生きた人々の情熱や思考を感じ取ることができる。それは歴史をつなぎ止めるだけではなく、アメリカの象徴とされる自由の女神のように、その時の魂の存在を作品から受け止めるものとすれば、その価値は未来へと繋がる。
今、ふるさと創生事業のその名のとおり、ふるさとの環境が整備され、歴史あるまちづくりに騎馬像が中核となり、存在感を放っている。今後もこの美しい景観が壊されることのないよう見守りたい。

  • 663609_1 図1 菊池武光公騎馬像 (2025年6月10日 本人撮影)
  • 663609_2 図2 菊池武光公騎馬像(2026年11月25日 著者撮影)
  • 663609_3 図3 菊池広報「未来のきくち構想」広報きくち平成2年3月号より
  • 663609_5 図4.菊池武光公騎馬像 ~ポーズと軍配~ 2026年4月26日 著者撮影
  • 663609_6 画図5.イベントチラシ「DISCOVER Northern Kumamoto 」と「第35回菊人形・菊まつり」
  • 663609_7 図6.緒方敏雄 十三位菊池武光 太刀洗公園 (2026年7月14日) 著者撮影
  • 7_542570_1 図7.中村晋也作 ミゼレーレシリーズ 中村晋也美術館 (2026年4月26日) 著者撮影

参考文献

【註】
【註1】「歴史研究」549巻、吉成勇、平成19年3月
    菊池秀夫著、日本一高い菊池武光公の騎馬像 p24下段5行目~p25下段18行目
【註2】総合文化誌KUMAMOTO22号、NPO法人
    関根浩子著、中村晋也作《菊池武光公》p167~p168
【註3】熊本日日新聞 1992,3,19朝刊27ページ
 
【参考文献】
 参考文献 
菊池市役所市長室篇、広報きくち 縮刷版 昭和54年1月~平成元年12月、1990年、12月 
菊池市役所政策推進課篇、広報きくち 縮刷版 平成2年1月~平成12年12月、2001年、2月
太刀洗町郷土史編纂委員会、『太刀洗町史』、太刀洗町、 1981年
中村晋也、『中村晋也 人間を奏でる』、世界文化社、1996年
木下直之、『銅像時代 もうひとつの日本彫刻史』、岩波書店、2014年  

【参考資料】
 参考資料   公益財団法人中村晋也美術館 鹿児島市石谷町2366番地
                      TEL(099)246-7070
 チラシ    「DISCOVER Northern Kumamoto,Kumamoto tourist guidebook」
熊本県県北観光協議会/2017年3月  
        「第35回菊人形・菊まつり」、菊池市菊まつり推進委員会/2025年9月 

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