教育参考館の価値と課題について
1: 基本データと歴史的背景
教育参考館とは日本海軍の歴史と伝統保存、自己修養と学術研鑽の資とすることを目的として昭和11年に海軍士官や財界等の寄付によって建てられた施設である。
所在地:〒737-2100 広島県江田島市江田島町国有無番地 海上自衛隊第1術科学校内
建築物データ:鉄筋コンクリート造り2階建(一部3階建)、近世古典様式、延4,481平方メートル(1,358坪)
終戦により一度閉鎖されたが、昭和31年に海上自衛隊員の心の勉強をするための場所として復活した。現在は海上自衛隊の第1術科学校、幹部候補生学校と併設して運営されており、特に自衛隊幹部が心の勉強をする場所となっている。なお、施設は一般の人も見学ができ、年間約7万人が来館をしている。
本館の展示内容はおおむね以下のとおりである。各々の場所で重要なエピソード及び幹部の言動も解説されている。
1. 東郷平八郎の遺髪室
2. 幕末~第二次世界大戦 提督たちの書、遺品
3. 横山大観画伯の「正気放光」
4. 特殊潜航艇、回天に乗組んだ士官の遺品、遺書
5. 特攻隊員の遺品、遺書
6. 陸奥の引き上げ品
7. 第二次世界大戦時の提督の書、遺品
8. 海軍兵学校の歴史
また、本館の周囲には、特殊潜航艇や戦艦「大和」の主砲弾などが展示されている。
2: 教育参考館を評価したい点
以下の2つの観点から本館を評価したい。
① 国内の同様の施設と比較した場合、「リーダーシップ」及び「部下育成」並びに「人間性の尊重」という観点から、情報が編集され展示されており、平和学習のみならず、現代の企業や組織運営においても参考になる情報を提供する施設であること
② 周辺施設の「広島平和記念資料館」や「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」とあわせてみることによって、より多様な観点からの平和学習が可能になること
3: 国内の他の同様の施設と比べた特徴
本館の展示を、同様の軍事関連の博物館である靖国神社の遊就館及び特攻隊の展示を行っている知覧特高平和会館と比較することによってその特徴を考えたい。
まず、遊就館との比較である。遊就館は、幕末維新期の動乱から太平洋戦争に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年に開館した日本における最初で最古の軍事博物館であり、靖国神社の祭神の霊を慰め、その徳を頌するため絵馬堂を兼ねて祭神の遺物を陳列するところである。展示の特徴としては、戦争の歴史を網羅的にかつ詳細に解説している点があげられ、情報は充実しており日本の戦争の歴史や当時の事情を学ぶのにも適している
遊就館と比較した場合の本館の特徴は、海軍の幹部の言動等に展示が集中して編集されている点である。具体的には、東郷平八郎元帥の「勝って兜の緒をしめろ」や山本五十六元帥の「苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。」などの海軍の幹部が有事や困難に際して、リーダーとしてどのような言動を行ったのか、また、どのようなことに苦悩したのか、すなわちリーダーシップについて重点が置かれた展示が行われている。
また山本元帥の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」は部下育成の要諦を見事に表している。
次に特攻隊の展示について知覧特高平和会館と比較をしたい。知覧特高平和会館は第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示する施設であり、写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。遺影、遺品のほとんどは、元特攻隊員で知覧特攻平和会館初代館長である板津忠正氏が集めたものである。
一方、教育参考館の展示では、知覧特高平和会館に比べて展示量は少ないが、最も大きな違いは展示されている遺書等の内容が検閲がおこなわれたと思われるような模範的な内容になっているように見える点である。情報整理の目線はあくまで組織=幹部の目線であると考えられるが、特攻作戦を決して肯定するものではなく、むしろ幹部としてこのようなことを決して行ってはならないという戒めを感じさせる展示内容となっている。従って、幹部の目線から見た人間性の尊重という観点から情報が編集されていると考える。
このように本館は、「リーダーシップ」及び「部下育成」並びに「人間性の尊重」という観点から、情報が編集され展示されており、軍隊幹部のあるべき姿勢を伝えるだけではなく、現代の企業や組織運営においても参考になる施設となっている。
次に周辺施設の「広島平和記念資料館」や「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」との違いについて整理をしたい。
広島平和記念資料館は広島原爆の惨状を後世に伝えるための施設であり、原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景、広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われている。誤解を恐れずにいえば、戦争における一般市民の犠牲がいかに悲惨なものかという観点から情報が整理されている施設である。
一方、呉市海事歴史科学館は、戦前・戦後の呉市における製鋼や造船などの科学技術を主たる展示内容としており、旧日本海軍の「大和」の建造と軍事活動がその中心となっている。すなわち、戦争が産業技術や地域に与える影響という観点から情報が整理され展示されていると整理できる。
このように戦争について異なった視点から情報が整理されている施設(「教育参考館」「広島平和記念資料館」「呉市海事歴史科学館」)が、2日もあれば十分に訪問できる比較的近い地域に集中していることは意義深いことである。特に本館が提供する戦争遂行者である軍隊幹部の苦悩や特攻隊の悲劇についての情報を知ることは、戦争の抑止のためには重要な要素であり、よってこの3つの施設の見学を連携させれば、多様な観点からの、より充実した平和教育をデザインすることが可能になると考える。
4: 課題と解決案
このような価値を持つ本館であるが、広島平和記念資料館の年間入場者数が149万人、呉市海事歴史科学館の年間入場者数が101万人(いずれも2015年)であるのに対して、教育参考館の入場者数は年間7万人と著しく少ない状態にある。
来館料が無料なのにもかかわらず、このような状態になっている理由としては、海上自衛隊の教育機関の敷地内にあるため自由な見学ができず、一日3回(土日は4回)の定時見学のみであること、江田島には呉からフェリーに乗っていく必要があるが、呉からの便は昼間は1時間に1便程度しかないこと、自衛隊幹部が心の勉強をする場所という位置づけから積極的な宣伝を行っておらず、実際に訪問しないとその価値が伝わりにくいことなどがあげられる。
これらの問題を解決するためにはどうしたらいいだろうか。
まず、フェリーの便数>定時見学の回数のため、制約条件は定時見学の回数となっている。そこでまず見学の方法について検討を加えたい。最も望ましいのは自由見学への変更であるが、海上自衛隊の教育機関の敷地内にあるという点から自由見学は難しいと思われるので、可能な改善策としては定時見学の回数を増やすことが考えられる。例えば、フェリーの便数に合わせて、1日6回(10時から16時まで1時間ごと)に定時見学回数を増やせば、より訪問がしやすく、他の施設の見学を勘案した計画も立てやすい施設になろう。この場合、案内人の増員が必要となる。
次に、実際に訪問しないとその価値が伝わりにくい点については、他施設の事例が参考になる。比較事例とした遊就館のホームページでは、「拝観者の声」として、知覧特攻平和会館のホームページでは「来館者の声」として、訪問者の感想をホームページに掲載されている。これは施設の展示内容を伝えるためには極めて有効な手法であるとが考えられるので本館においても採用すべきであると考える。
以上のような変更を行えば、本館の来館者数は増加し、周辺施設との情報提供の補完性もあって、より充実した平和教育が進展するものと考える。
参考文献
海上自衛隊第一術科学校ホームページ
http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/about/facility/index-sankou.html
教育参考館パンフレット
軍事史学 29号、 1993年12月 錦正社
広島平和記念資料館ホームページ
http://hpmmuseum.jp/
呉市海事歴史科学館ホームページ
http://yamato-museum.com/
呉市海事歴史科学館 パンフレット
知覧特攻平和会館ホームページ
http://www.chiran-tokkou.jp/index.html
遊就館ホームページ
http://yusyukan.yasukuni.jp/
瀬戸内海汽船ホームページ
http://setonaikaikisen.co.jp/kouro/highspeedship3/