
守口大根―伝統の復活と継承
はじめに
守口市の名産品に「守口大根」という伝統野菜が存在する。しかし私は守口市に30年以上住んでいるが、そんなものは見たことがない。守口大根の存在を知ったのも、市が毎月発行する「広報もりぐち」に載っている「守口大根コンクール」開催のお知らせや、守口のシンボルキャラクター「もり吉」が首に巻いているから、ということによる。守口市は大阪市に隣接する衛星都市であり(1)、生活圏内に農地を見かけることがない(2)。それなのになぜ名産品(3)なのか、なぜ伝統野菜となっているのか、その謎を解き明かし、歴史と伝統の文化資産価値を考察する。
1. 基本データと歴史的背景
1-1基本データ
守口大根(図1)とは幅3cm、長さ1mにもなる細長い大根である。その長さ故、柔らかく肥沃な砂質土壌が必要であり、河川改修以前の旧淀川付近で栽培されていた(図2)。当時は大阪天満宮付近が主たる栽培地であり、「宮前大根」と呼ばれていた(4)。守口付近でも栽培されていたが、後に守口での知名度が上がったために、守口大根と呼ばれるようになる。主に粕漬にして香の物として食されていた。
1-2歴史的背景
この大根が守口の名産品となったのは1585年からである。大阪と京とを往還していた豊臣秀吉が、守口村で休息をとった際、この地域特産の香の物を献上された。その際に秀吉は漬物の風味を賞賛し、「守口漬」と命名した(5)。そしてその材料である大根も「守口大根」と呼ばれるようになったのである。
1-3守口と守口大根の変遷
1594年に豊臣秀吉の命により淀川の改修工事がなされ、文禄堤(6)と呼ばれる街道が出来上がった。この堤は大阪と京都を結ぶ交通の要所となり、後に東海道に編入される(7)。守口は東海道57次の守口宿として賑わい(8)、守口漬は守口の名産物として名声を挙げるのであった。しかし、1889年に東海道線が守口宿の淀川向かい、高槻・吹田に開通したことにより守口宿は衰退してく(9)。さらに、1896年から始まった淀川の改修、1910年の京阪電車の開通などにより、守口大根の栽培に適した土地が消滅した(10)。時代とともに守口漬は忘れ去られてゆき、守口で守口大根を生産する農家はなくなってしまったのだ(11)。
2. 事例のどんな点について評価しているのか
2-1伝統野菜としての復活
2005年に地域復興の機運が高まり、大阪府から守口市に伝統野菜復活の要請が下りた。市内農家の協力により守口大根復活プロジェクトに取り組み、2007年に「なにわの伝統野菜」に認定されることとなる(12)。近年は1畝(図3)に作付けを行っており、約200本安定して収穫されるようになった。歴史から忘れ去られた守口大根は、再び守口史の表舞台に立ったのだ。
2-2守口大根の周知活動
2-2-1料理コンクール
収穫された後はその利用法である。守口大根とは本来、守口漬けの材料とされるものだが、現在守口市には守口漬けを作る業者が存在しない。そのため、守口漬け以外の食べ方を模索するために2009年に「守口大根料理コンクール」(13)を開催することとなった。地元の小学校や幼稚園、一般家庭や各種団体などが様々なアイディアを駆使して守口大根の新たな可能性を模索した。この活動を通じて「お料理レシピ」の開発や製品化の模索、飲食店のメニューの考案などが行われ、市内の料亭やホテル、大手企業のレストラン部門などのメニュー化がみられることとなった(14)。守口大根は漬物だけではなく、新たな料理素材としての価値を見出されたのだ(図4)。
2-2-2長さコンクール
守口市では2012年から「守口大根長さコンクール」(図5)を行っている。毎年9月に希望者に無料で配布される守口大根の種を使い、1月下旬に収穫された自前の大根の長さを競い合うイベントだ。小学校や公民館、個人や団体など誰でも出場可能であり(図6)、現在では守口市の恒例行事となっている。守口市の広報にも毎年掲載されることから、守口大根の周知・定着に貢献し、守口大根の復活と伝承活動を担っている。
2-2-3イメージキャラクター「もり吉」
もり吉とは守口市のイメージキャラクターである(図7)。元気な柴犬の男の子であり、守口漬けが入ったポシェットを肩にかけ、守口大根を首に巻きつけている。守口市の様々なイベントに出場しており、守口大根が守口市のシンボルであることを周知させている。活動は市内だけに留まらず市外でのイベントにも参加しており、各地域に守口大根をアピールしている。
2-3評価のまとめ
かつて守口の名産品だった守口大根は時代の流れとともに人々の記憶から忘れ去られてしまった。しかし地域の伝統を取り戻すために、市と市内農家が協力して守口大根を復活させ、市民と共に各イベントを通じて伝統野菜として周知させてきた。市のイメージキャラクターにも守口大根の要素を加え、守口市と守口大根の関りを強調している。市と地域住民やコミュニティが協力して伝統を復活させ、維持、継承していくこの活動は守口市の文化資産として十分に評価出来ることであろう。
3. 国内の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
守口大根は守口では廃れてしまったが、岐阜・愛知では現在特産品となっている。なぜ守口の名産品がはるか離れた地域で特産品となっているのであろうか。
3-1岐阜県に至る経緯
江戸時代、現在の岐阜市にあたる長良川付近の土壌は、改修前の淀川と同じく柔らかい砂壌土が堆積していた。そのため守口大根と類似した細長い大根「長良大根」が栽培されていた(15)。この大根は切り干し大根にして販売され、岐阜の名産品となっていた。当時同じように細長い守口大根が粕漬になっているのを知った漬物業者は、長良大根で粕漬を作り守口漬けとして販売したのだ。そのため守口漬けの材料となった長良大根も守口大根と名を変え現在まで残っている(16)。戦前までは岐阜が守口漬の最大の生産地であり、1916年には守口大根生産者組合を結成し(17)、岐阜・名古屋や関西方面の漬物製造業者に卸していた。
3-2愛知県での守口大根
1882年、名古屋の漬物店「喜多福」が岐阜から取り寄せた長良大根で
「守口大根味醂粕漬」(18)を販売して以来、守口漬けの需要は伸び続け、岐阜・愛知共に名産・特産として販売していた。1950年愛知国体の際に、「国体土産」として守口漬けを販売し、守口漬けは「名古屋の名産」として全国に広まった。これを機に愛知県でも守口大根の栽培が始まることとなる。愛知県扶桑町の木曽川付近では砂壌土が堆積している土地があり、ここで新たに守口大根を栽培することとなったのだ。扶桑町でも生産者組合が結成され、地方振興事業として県からの支援を受け、農地改革や品種改良を行い、1967年には岐阜の生産量を上回るようになった。現在でも扶桑町は日本一の生産地である(19)。
3-3守口市と岐阜市・扶桑町を比較して守口市の守口大根は何が特筆されるのか
岐阜市と扶桑町は共同して協議会を作り、収穫した守口大根はすべて守口漬けにして全国で販売している(20)。地元農家が中心となり、高品質な守口大根を維持するために伝統的な栽培法を守りながら生産し、守口漬けを現在まで存続させている。守口市では一度は生産地がなくなり途絶えてしまったが、再び甦らせ、新たな可能性を見出し、守口大根発祥の地としての伝統を継承するために活動をしている。守口市での特筆されるところは、発祥地としての伝統を復活させ、過去にとらわれずに新しいことに挑戦し、市と民が共にその伝統を継承していくという点にある。
4・今後の展望について
岐阜・愛知での守口大根は契約栽培ゆえに、守口漬けの需要によって生産数が左右される。若者の漬物離れなどにより、漬物の消費減少が懸念されるが(21)、岐阜・愛知での名産品としてのブランドを維持できるように期待したい。守口での守口大根は、発祥の地としての伝統を普及させ、定着させることが必要である。地元の飲食店では守口大根を使ったメニューが考案されているが、いまだ普及には遠い。今後も市と協力して周知活動をしていくことが必要であろう。
5・まとめ
江戸時代、豊臣秀吉の一言から始まった守口大根の歴史は、守口市と岐阜市・扶桑町での伝統野菜として現在でも存続している。守口では発祥の地としての伝統を、岐阜市・扶桑町では生産地としての伝統を、守口大根が作りだした伝統は、これからも細く長く(22)継承されていくことだろう。
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図1 守口大根 守口市史編纂委員会 「守口市史 本文編第一巻」 昭和38年 守口市役所 399頁
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図2 現代の地図に淀川旧流路を重ねてある。旧淀川の左岸、上から順に外島、狼島、葭島。この3つの中州が守口大根の主要な産地であった。 守口市役所 郷土資料展示室にて撮影 令和6年12月12日 出典:『平成四・五年度有形文化財無形文化財総合調査報告書』大阪府教育委員会 平成6年
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図3 令和6年度は2畝で栽培することとなった。守口大根の歴史はわずかこの面積だけで賄われている。 令和6年11月28日撮影
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図4 八雲東コミュニティセンター(旧八雲東公民館)で収穫した守口大根の調理例。漬物だけじゃない新たな可能性が見出される。 守口大根レシピ 守口市八雲東コミュニティセンターホームページ https://moriguchi-comm.jp/yagumohigashi/未分類/守口大根レシピ/
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図5 令和6年度の長さコンクール。桜小学校が181センチで1位に輝いた。 令和6年度の長さコンクール 守口市ホームページ https://www.city.moriguchi.osaka.jp/kakukanoannai/shiminseikatsubu/chiikishinkoka/eventjoho/15835.html ちなみに歴代最長は令和2年の団体の部「特別養護老人ホーム梅香苑」による244メートルである。 守口大根長さコンクールに出品 JA北河内ホームページ https://www.ja-kitakawachi.or.jp/blog/2020/01/post-90.html
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図6 八雲東コミュニティセンター内で育てている守口大根。1月に行われる守口大根長さコンクールに向けて生育中である。 令和6年12月13日撮影
※令和7年1月17日に開催された守口大根長さコンクールでは、194cmでこの大根が優勝した。 -
図7 平成27年に守口市のシンボルキャラクターを作ることが決まり、一般募集により20体のキャラクターが候補に選ばれた。守口大根をイメージしたキャラクターが多くある中、このキャラクターが選ばれたのである。もり吉という名前も市民投票により選ばれた。 もり吉の部屋 守口市ホームページ https://www.city.moriguchi.osaka.jp/kakukanoannai/kikakuzaiseibu/miryokusouzouhasshin/cityp/morikichi/3318.html
参考文献
〈註釈〉
(1)守口市は、北は淀川、西は大阪市に隣接する衛星都市である。大阪市中心部まで約15分の大阪メトロや京阪電車、大阪空港まで約35分のモノレールが縦横に走り、国道1号線、阪神高速道路、近畿自動車道が整備され、交通の要所となっている。 守口市の紹介 守口市ホームページ https://www.city.moriguchi.osaka.jp/gyoseijoho/moriguchishinogaiyo/8767.html
(2)守口の総農家数は67戸であり、総世帯数の0.3%になる。大阪市の総農家数が348戸で総世帯数の1.7%であることから、都会である大阪市内よりもさらに農地を見かける機会がない。 グラフと統計でみる農林水産省 農林水産省ホームページ
守口市 https://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/27/209/index.html
大阪市 https://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/27/100/index.html
(3)名産品とはその地域で作られていることが全国的に知られているもの、特産品とはその地域でしか作れないもの。守口大根は現在では守口で生産されていないが、出生地として知られているので名産品と記す。 特産品と名産品の違い 全国観光特産士会ホームページ https://jtmm.jp/特産品と名産品の違い/
(4)他にも淀川沿いの長柄、橋寺付近にも点在していたので、長柄大根、橋寺大根などとも呼ばれていた。 田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 13頁
(5)秀吉は築城したばかりの大阪城と京とを往還する折に淀川沿いの寒村守口で休憩をとった。その時に守口村の庄屋源兵衛は、家伝の「香の物」を献上した。田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 15頁
(6)文禄3(1594)年、秀吉が毛利三家(毛利・小早川・吉川)に命じて長さ約27キロの堤防を築堤させた。現在では守口宿があった約720メートルが現存している。 岸田 護 「京街道」 守口門真歴史街道推進協議会 2010 2頁 35頁
(7)豊臣氏が伏見城と大阪城を結ぶ街道として使っていたが、秀吉の死後、徳川氏が大阪に拠点を置くために東海道を延長し、元和2年(1616)守口は東海道57番目の宿場となった。 岸田 護 「京街道」 守口門真歴史街道推進協議会 2010 34頁
(8)守口宿は東海道と奈良街道の分岐点という要衝であり、問屋場、本陣、多数の旅籠や茶屋が立ち並んで賑わったとされている。いい旅ニッポン見聞録 自治労連ホームページ https://www.jichiroren.jp/issue/nakama/202105-570s-kenbunroku/ 2021年5月10日更新
(9)明治22年(1889)に東海道線が守口宿の淀川向かい、高槻・吹田に開通したことにより、守口宿は衰退していく。田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 19頁
(10) 明治29年(1896)から始まった淀川の改修、明治43年(1910)の京阪電車の開通などにより、栽培に適した土地が消滅した。 守口市史編纂委員会 「守口市史 本文編第一巻」 昭和38年 守口市役所 402頁
(11) 商業としての生産はされていないが、有志により栽培を続けている世帯もある。守口市史編纂委員の菊田氏は実家の畑での栽培を続けている。このような個人での栽培は数件残っているだろう。守口市史編纂委員会 「守口市史 本文編第一巻」 昭和38年 守口市役所 402頁
(12) なにわの伝統野菜制度は、大阪独自の野菜の復活・保存・振興を目的として、大阪府が平成17年度に開始した制度である。 なにわの伝統野菜 大阪府ホームページ https://www.pref.osaka.lg.jp/o120090/nosei/naniwanonousanbutu/dentou.html
(13) 平成21年、22年とに開催された。守口大根のジャムや、葉っぱのスムージー、衣をつけて揚げる、大根を細切りにしてパスタにする。マドレーヌ、マッシュポテトと混ぜる、サーモンとのマリネ、春巻きの中に入れる、パンと混ぜる等、様々な料理が考案された。 守口市役所地域振興課から情報提供 令和6年11月28日
(14) 地元のそば屋「理(ことはり)」や「ホテルアゴーラ大阪守口」、その他地域の飲食店で守口大根を使った料理が試みられている。 守口市区所地域振興課から情報提供 令和6年11月28日
(15) 長良大根の他に、美濃大根、細根大根、干大根、ホソリ大根、美濃干大根等、他の呼び名もある。 田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 26頁
(16) 守口の守口大根も元は宮前大根だったことから、守口漬けに使われる細長い大根は守口大根に改名する歴史がある。
(17) 当時は個々の栽培農家が集荷業者との個人取引であったことから、価格および集金の面でのトラブルが多かった。これを解消するために栽培農家100名がそれぞれ5円の出資で守口大根生産者組合を結成した。 田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 28頁
(18) 守口漬けは酒粕だけで漬けていたが、「喜多福」創設者山田才吉(1852~1937)はそこに味醂粕を使った独自の漬け方によって「守口大根味醂粕漬」を創作した。後に「守口漬」に略称されるようになる。田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 28頁 36頁
(19) 2023年度は扶桑町で3名が123トン、岐阜県では4名が65トン生産している。 農研機構 「在来品種データベース 守口大根」 農業生物資源ジーンバンク https://www.gene.affrc.go.jp/databases-traditional_varieties_detail.php?id=21005 大豊作の年、昭和46(1971)年は1056トンだった。田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月 46頁
(20) 守口大根は守口漬けのための契約栽培であり、大根単体での販売はしていない。 守口大根と守口漬 愛知県漬物協会ホームページ www.tsukemono.sakura.ne.jp
(21) 1980年からの統計で、1世帯当たりの漬物年間購入金額は、1980年では9178円、1992年が一番多く12641円。そこから徐々に減少していき、2013年では7929円。現在ではもっと減少していることが予想される。(社)食品需給研究センター「食品製造業の生産動向調査より漬物生産量」(年次) 漬物ポータルサイト 全日本漬物協同組合連合会 https://www.tsukemono-japan.org/statistics/documents/kakeityousa-nenpou.pdf
(22) 守口大根なだけに……。この細長さゆえに地方銀行のCMに使われたことがある。「ながーいお付き合い、京都銀行」守口大根を知った今、一度このコマーシャルを見ていただきたい。【京都銀行】「大根」篇 15秒 https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=京都銀行CM%20守口大&mid=647DCAA399A3C3FD25CD647DCAA399A3C3FD25CD&ajaxhist=0 京都フィナンシャルグループ公式チャンネル 2024年6月5日更新
〈参考文献〉
・田中彰吾 「守口漬け物語」 中日出版社 平成14年11月
・岸田 護 「京街道」 守口門真歴史街道推進協議会 2010
・守口市史編纂委員会 「守口市史 本文編第一巻」 昭和38年 守口市役所
〈参照webページ〉(いずれも最終閲覧日2025.1.22)
・守口市ホームページ https://www.city.moriguchi.osaka.jp
・グラフと統計でみる農林水産省 農林水産省ホームページ 守口市https://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/27/209/index.html
大阪市https://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/27/100/index.html
・なにわの伝統野菜 大阪府ホームページhttps://www.pref.osaka.lg.jp/o120090/nosei/naniwanonousanbutu/dentou.html
・農研機構 「在来品種データベース 守口大根」 農業生物資源ジーンバンク https://www.gene.affrc.go.jp/databases-traditional_varieties_detail.php?id=21005
・守口大根と守口漬 愛知県漬物協会ホームページ www.tsukemono.sakura.ne.jp
・(社)食品需給研究センター「食品製造業の生産動向調査より漬物生産量」(年次) 漬物ポータルサイト 全日本漬物協同組合連合会 https://www.tsukemono-japan.org/statistics/documents/kakeityousa-nenpou.pdf
・いい旅ニッポン見聞録 自治労連ホームページ https://www.jichiroren.jp/issue/nakama/202105-570s-kenbunroku/ 2021年5月10日更新
〈情報提供〉
・守口市役所地域振興課