
子供たちに音楽のミルクを!24万都市に根付いたクラシック文化 ―山形から世界へ届ける 食と温泉の国のオーケストラ 山形交響楽団―
はじめに
高度成長期の1970年代でも大都市に比べ地方は交通網も情報も文化も大きく遅れていた。そんな時代に東北で初めてプロオーケストラが山形に誕生した意味は大きい。いつ潰れてもおかしくない程の長い財政難や人員不足に悩まされながら、2022年に50周年を迎えた山形交響楽団。なぜたった24万人の小さな都市で西洋の音楽文化が受け入れられ、ここまで続けられたのかを考察する。
1 基本データ(1)
本拠地は山形県 山形市 。日本オーケストラ連盟 正会員(人口24万人は会員の中では一番少ない)。 運営法人名は、 公益社団法人山形交響楽協会。 創立名誉指揮者である 村川千秋の「子供たちに音楽のミルクを」という情熱の下に 1972年 1月に発足。団員は客演奏者を入れて51名。事務局13名(他二人)(2)。事務局はやまぎん県民ホール1F。メイン会場は山形テルサ(806人)、庄内では鶴岡市の庄銀タクト(1120人)㉑と酒田市の希望ホール(1287名)㉒である。主な練習場は文翔館議場ホール(資3)。演奏形態は2管8型で交響楽団としては最小の部類。常任指揮者は村川千秋から渡部勝彦、黒岩英臣、飯森範親、現在は阪哲郎。創立からのべ5400回300万人の子供達が生の演奏を聞く等音楽教育に力を注いでいる。映画やテレビにも出演(3)。日本初のCD自主レーベル「YSO-live」を立ち上げた。8年間でモーツァルト交響曲全曲を演奏する「アマデウスの旅」を開催。東京・大阪コンサートを成功させる等、次第に広く認知されるようになった。
2 歴史的背景 (1)
村川が高2の時に山形に来た東宝楽団の生演奏を聞いて感激、音楽家を志し東京芸術大学に進学するも、岩城宏之(4)や山本直純(5)らの首都圏の学生を見て、文化、情報の格差や、地方では本物の音楽に触れる機会が少ない事を実感。留学したアメリカでは(6)、どんなに小さな街にもオーケストラがある事に衝撃を受けた経験から、故郷の子供達に本物の音楽を聞かせたい「地方にこそオーケストラが必要」との強い思いを持つに至った。帰国後東京や札幌で研鑽を積み、12,000字にも及ぶ趣意書5,000部を関係各所に送付(7)。その熱意に共感した演奏家、地元の人々の努力によって1972年39才の時に東北初のプロオーケストラ山形交響楽団を設立した。しかしエキストラに頼らざるを得なかった事で経費がかかり長い間財政難、人員不足に悩まされ、幾度もピンチを迎えた。(資1-2,*1)その度、村川を慕って集まった演奏家や事務局の努力、市・県の議員有志の会、「山形のオーケストラをつぶすな!」という群響(8)始め他のオーケストラの助け、自治体からの助成金の上乗せ、個人の寄付、地元企業のメセナ活動に助けられ現在に至る。
3 山響の評価点
困窮していた山響は飯森氏の就任によって大きく躍進することになる。それまでは前述したように団員の犠牲と地域等の助けで何とか持ち続けていたが、ロゴマークの公募、配信や世界的演奏家との共演、パンフレットのカラー化等、飯森氏が出した多くのマニュフェストによって改革が行われ、経営を正常化し、演奏やブランドイメージが向上した事で ⑤、2019年の音楽雑誌のオーケストラランキングでは日本で6位、世界で45位に選ばれた(9)。これは山響の演奏のポテンシャルの高さを、県民も再認識した点でもある。
現在は情操教育の一環として多くのオーケストラで子供達への音楽教育が行われているが(資2)、山響は創立時からずっとスクールコンサートを数多く行っていて、アンサンブルではなく経費のかかるフルオーケストラで学校を訪れたり、山形市では小学生は市民会館で午前、午後に分けて3日間計6回。(低、中、高学年と分けて)生徒の負担は数百円程度 ㉘。市からの補助金1/3 ㉙で、中、高校生も行っていて、財政難の時にも東北各県を回った。コロナ禍では、生演奏を聴くことが出来ない子供達に、ヴェートーベンの交響曲を収録したDVD(阪指揮)を県内全校に寄付するなど、途切れない活動も行っている(10)。
現在、オーケストラの発展の為には基盤である山形県の経済成長が重要であるとの考えの元、『山響VISION2023-2025』(11)や西濱氏のインタビューでは(12)
next100に向けて、子供達への音楽教育、『文化創造都市』を掲げて『観光立国山形』を目指す山形の魅力発信等による地域活性化、全ての人に向けた聴衆拡大、世界を舞台に目指す
と明確に示してある。県内を4つの文化圏とし、庄内定期演奏会、ユアタウンコンサート(13)を開催。地元サッカーチームとの共演、観光地での演奏動画の配信、山辺町の棚田再生事業への参加協力等様々な取り組みを行っている。(資6)
非常に難しいとされる古来楽器の演奏を得意とする等、山響独自のサウンドを作り上げている点も評価に値する⑤。
4 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
同じ東北の仙台フィルと比較する。演奏会場のキャパはほぼ同じ (14)。仙台は依頼公演が多く、チケット収入、自治体からの補助金、予算が多い。それは自治体の大きさが違う事や、スクールコンサートのチケットが安い事が理由として考えられるが、演奏収入、民間支援等割合は山響の方が多い。例えば演奏収入は58.52%,民間支援は9.36%、仙台は47.8%、4.57%である。反対に公的支援は28.7%で45.86%の仙台は地方自治体からの補助金に多く頼っていることがわかる(2022年)(資5)。これは1985年に方向性が変わった事によるものであろう(15)。
山響の入場率はコロナ前で57%から90%、依頼公演も2倍以上に増加 ⑲。定期会員数(庄内地区も含め)は毎年1000人を超え⑬仙台の倍近くで、人口を考えれば特筆点と言える。
山形は京都に次いで老舗企業が多い(16)。忍耐強いと言われる県民性と、身内等の狭いコミュニティでの助け合いが大きいと言われている(17)が、ピンチを迎えると行政、身内だけではなく県民も立ち上がり、街頭募金で目標の2倍の金額を集め支えた(資1-2)。そのような活動は他のオーケストラには見られない。それは山形の文化の重要な役割を担ってる事の証明でもあるし、山形市役所の駐車場壁面に楽団員一人一人の写真が掲示される等、市内あちこちで山響の写真を見る事が出来る事は、「おらが街の」という意識が高いとも言える。移動バスが新しく購入される際にはクラウドファンディング、一部寄付できる自販機もあり(資6画7,5,6)、コロナ禍には定期会員の半数以上が返金を辞退。今も寄付や県の事業支援、ガバメントクラウドファウンディンング等コミュニティで守り続けている。
しかし、一番の特筆点は村川の存在である。創立指揮者が90才過ぎてタクトを振っている例は現在世界的にも見当たらない(18)、しかも今なお介護施設での音楽療法や子供の音楽教室を行っている等 ㉜、彼の音楽教育に掛ける変わらない情熱こそが,県民をも動かし山響の躍進につながっていると言える。
5 今後の展望
コロナ禍に一早く行った配信では、世界中で約3万人もの人が視聴。さくらんぼコンサートが成功する等、山響が目指す『YAMAGATAと世界を結ぶHubとなる山響』という地方から発信できる交響楽団となっている。またプログラムや演奏家によってチケットの売れ行きが変わる等(19)、耳の超えた聴衆も育ってきているし、プログラムの充実で県外客も増加した。また現役高校生がSNSでの発信を認められ公式広報としてTVに出演する等(20)、今までにない感性と新しいツールで山形の小さなクラシック文化が、グローバルに広がっていくのではないだろうか。
6 まとめ
地元の良さや文化は県外から来た人に教えられることが多い。西濱氏が
「全ての子供達がオーケストラを体験できる山形教育の魅力」また「山響を聞いたというのが山形の文化の共通言語」
と言っているように(21)、山形のクラシック文化は=山響と言っても過言ではない。それは様々な困難がありながら、終始一貫「子供達にこそ本物の音楽を」というmissionを曲げなかったからだ。地域コミュニティに守られてきた山響が、山形の広告塔の役割を担ったり、ランキングで上位となる等攻めに転じた結果、山形のクラシック文化を新しくデザインし、「愛される存在」から「誇れる存在」となった事が、中央崇拝ではなく地方でも十分やれるという自信を県民にも与えた。この先山響がどう進化していくのか目が離せない。
参考文献
註・参考文献
(1) 山響20年史①、山響40年史②、山響50年史③、定期演奏会パンフレット④、日本オーケス
トラ連盟年鑑 ⑬等から引用し、筆者加筆
(2) ステージマネージャー1人、ライブリアン1人
(3) 映画は『野獣死すべし』に村川千秋が指揮者役で出演。監督は実弟の村川透。昭和55年8月
5日の河北新報によれば、設立時等の協力に対するお礼の意味での出演と言われている。
2008年には『おくりびと』に山響が出演。監督は滝田洋二郎。第81回アカデミー賞外国映
画賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞等を受賞し、山響の名が全国に知られるようになっ
た。 テレビ、ラジオ等は多数あるが、中でもフジテレビの『トレビの泉』の収録で、2005
年1月22日161回定期演奏会で現代ドイツの作曲家カーデルの室内アンサンブル作品を演
奏。それは曲の後半に指揮者が苦しみだして倒れるというもので、飯森範親の演技が非常
にリアリティのあるものだった。②49Pより引用
(4) NHK交響楽団の終身正指揮者。メルボルン交響楽団の終身桂冠指揮者、オーケストラ・ア
ンサンブル金沢の音楽監督等数々の要職を務めた日本を代表する指揮者。1932-2006。⑮
(5) 指揮者で作曲家。新日本フィルハーモニー交響楽団顧問。オズ・ミュージック代表取締
役。テレビに多数出演しクラシックの普及に務めた。山響の定期演奏会でも何度かタクト
を振った。1932-2002。⑯
(6) アメリカのオーケストラは「芸術文化は民間の手で」という原則の下、市民の要請によっ
て誕生したもので、非営利団体である。もっとも古いオーケストラはウィーンフィルと同
じ1842年にニューヨーク・フィル・ハーモニック管弦楽団が設立されたが、小規模なもの
は1970年代に設立された。⑨147P
(7) ②121P~128P
(8) 群馬交響楽団HP⑭より。1945年11月、戦後の荒廃の中で文化を通した復興を目指して「高
崎 市民オーケストラが創設され、翌年「群馬フィルハーモニーオーケストラ」、1963年に
「財団法人群馬交響楽団」、2013年「公益財団法人群馬交響楽団」と改称して現在に至る。
1947年5月から始めた移動音楽教室は、2022年度までに延べ646万人を超える児童・生徒が
鑑賞し1982年からは高校音楽教室も開催された。1955年「群響」をモデルに制作された
『ここに泉あり』が公開され、全国的に注目を集め、翌年には文部省により群馬県が全国初
の「音楽モデル県」に指定された。更に1961年高崎市が群馬音楽センターを建設、これを
拠点に幅広い活動が展開された。
(9) 『音楽の友』2019年3月号で行った46人の音楽評論家・ジャーナリストによる世界のオー
ケストラランキング。⑦60P
(10) 2020年県内の小学校226校、中学校96校、高校62校、特別支援学校19校の計403校のコロ
ナ禍でスクールコンサートが出来なかった子供達や36の図書館施設(35市町村)、にベー
トーヴェン交響曲集(第6番&第7番収録)」DVDを送る“Music Library Project”を創設し
た。第1弾は2021年3月に山形県総合文化芸術館オープニング事業実行委員会主催事業とし
てベートーヴェン交響曲第1,2,4,5,8を収録したDVDを同じく県内の学校、図書館、市町村
に寄贈した。⑫より
(11) 講演会でもらった山響の団体のミッション、3年間の活動指針・目標などが示してある資
料。⑪
(12) 山響の専務理事の西濱さんのメールでのインタビューを引用し筆者加筆。2024年12月3
日。㉗
(13) ユアタウンコンサートは村山市、南陽市、米沢市で行われている。
(14) 日立システムズホール仙台は最大収容人数802人。⑳
(15) (資料1-2)より。1984年文化庁が推し進める「2管10型(55人)編成を求められ、一度は
宮響(現仙台フィル)と合同で東北交響楽団を組織するが、様々な違いから山響は補助金
を辞退し、その後19年間補助金を受ける事ができなかった。一方宮響は自治体からの公的
支援で55人体制を目指す等両楽団は違う路線に分かれる事となった。
(16) 信用調査会社帝国データバンク山形支社によると、2024年9月時点で、県内に本社を置く企
業で創業100年を超える「老舗企業」の数が921社、5.34%は京都に次いで2番目。業種別で
は旅館が57社と最も多く、次いで清酒製造業が40社、菓子小売業が39社。㉓より引用。
(17) 参考文献⑱東北人の県民性という論文にあった山形の県民性を参考にした。
(18) 第300回記念定期演奏会の西濱氏と阪氏のMCより。
(19) ピアニストの藤田真央が出演した第305回定期演奏会では前売りチケットが即日完売とな
り、若干枚数を追加販売した。
(20) 2022年11月1日初回放送のNHK『沼にハマって聞いてみた』に山形の高校生が地元のオー
ケストラにハマった人で出演。山響に認められて公式広報としてSNSで団員一人一人のイ
ンタビューをしたり、同級生を演奏会に誘う等山響愛に満ち溢れた活動を取り上げられて
いた。現在は大学生になり終了。㉚
(21) ⑰より引用
参考文献
① 『山響20年史』 1992年 山響20周年記念事業実行委員会 公益社団法人 山形交響学協
会
② 『山響40年史』 2012年 山響40周年史編集委員会 公益社団法人 山形交響学協会
③ 『山響50年史』 2024年(配布された年)「山形交響楽団クロニカル~50年の軌跡」編集
委員会 公益社団法人 山形交響学協会
④ 『創立50周年記念シリーズ 山形交響楽団 第300回記念定期演奏会パンフレット』
2022年 公益社団法人 山形交響学協会
⑤ 『マエストロ それはムリですよ』 松井信幸 2009年 (株)ヤマハミュージックメデ
ィア
⑥ 『オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交
響楽団の挑戦』 潮博恵 2012年 (株)アルテスパブリッシング
⑦ 『音楽の友』2019年3月号 音楽の友社
⑧ 『オーケストラの経営学』 大木裕子 2008年 東洋経済新報社
⑨ 『オーケストラのマネージメント』大木裕子 2004年 文眞堂
⑩ 『MOSTRY CLASSIC』2023年4月 42~47P
⑪ 『山響VISION 2023-2025』
『ブルー・アイランド版 オーケストラまるかじり』著者 青島広志 2014年7月 中央
公論新社
『オーケストラ興亡記』 2022年3月 音楽の友 音楽の友社
『私のオーケストラ史』 著者 草刈津三 2004年12月 音楽の友社
『古都のオーケストラ 世界へ』 潮博恵 2014 年 (株)アルテスパブリッシング
web参考文献
⑫ 『山形交響楽団HP』 https://www.yamakyo.or.jp 最終閲覧日2024年12月5日
⑬ 日本オーケストラ連盟 https://www.orchestra.or.jp 最終閲覧日2024年12月5日
⑭ 『群馬交響楽団HP』https://www.gunkyo.com 最終閲覧日2024年12月5日
⑮ 『imidas』時事用語辞典「岩城宏之」https://imidas.jp/hotkeyperson/detail/p-00-102-06-
06.html 最終閲覧日2025年1月4日
⑯ 『HISTORY OF MUSIC 山本直純』https://history-of-music.com/naozumi-yamamoto
最終閲覧日2024/12/27
⑰ 『山形会議』https://yamagata-kaigi.org/work/210507.html 最終閲覧日2024年12月5日
西濱山響専務理事インタビュー記事
⑱ J-STAGE『日本パーソナリティ心理学会発表論文集P4-6東北人はどんな性格か:渡邉徹
『旧新人国記』刊行60年を記念して』より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/amjspp/14/0/14_79/_article/-char/ja/
大村政男、浮谷秀一 2005年 最終閲覧日2024年12月6日
⑲ 『弥七のかわら版』 https://mag.kimonokinenbi.com/2021/04/03/403prof/ 最終閲覧日
2024年12月5日
⑳ 『日立システムズホールキャパ』 https://zaseki.music-mdate.com/detail/9524/1 最終閲覧
日2024年12月10日
㉑ 『荘銀タクトキャパ』https://zaseki.music-mdata.com/detail/25585/1 最終閲覧日2024年
12月10日
㉒ 『希望ホールキャパ』https://10fmusic.net/kibou-hall-capacity/ 最終閲覧日2024年12月10
日
㉓ 『帝国データバンク』20241107山形県「老舗企業分析調査(2024) PDF」
https://www.tdb.co.jp/report/economic/20241107-shinise-yamagata/ 最終閲覧日 2024年
12月27日
㉔ 『CLASSICNAVI』https://classicnavi.jp/hiccho/post-4571/ 最終閲覧日2025年1月12日
講演会
㉕ 山形県立図書館『村川千秋,山形県文化芸術協会 鈴木義孝対談講演』2022年3月25日
㉖ 東北芸工大「夏芸大2024」山響専務理事 西濱秀樹氏講習会 『山形交響楽団の謎に迫る
オーケストラの物語』2024年9月1日
メールでのインタビュー
㉗ 西濱専務理事 2024年12月3日 お忙しい中 とても丁寧にご回答いただき,引用、参考に
させていただきました。
㉘ 元山形市教諭の高橋さん 2024年11月13日
㉙ 元教育委員会の草苅さん 2024年12月10日 現在の担当者にも聞いて回答いただきました。
映画
『ここに泉あり』Youtube 2024年12月21日
『パリの小さなオーケストラ』 2024年9月25日
テレビ
㉚ NHK 『沼にハマってきいてみた』 初回放送2022年11月1日
㉛ NHK 『クラシック音楽館』 2022年7月19日
㉜ YBCテレビ『ピヨ卵』 2024年7月9日
新聞記事
朝日新聞 1985年5月25日、1986年5月4日
読売新聞 1976年12月21日、 1977年5月26日
産経新聞 1884年6月7日
山形新聞 2003年2月25日
河北新報 1979年5月31日、 1979年6月20日、 1980年8月5日