梅野記念絵画館・ふれあい館  - 己の美を発見する場所 -

遠山 牧人

1.はじめに
北御牧村(現東御市)における「ふるさと創造の森構想」は昭和63年(1988)に策定された。これは明神池とその周囲の自然環境を守り、それを後の世代に伝えていきたいという地域住民の意向を受けて作られた。翌年の平成元年(1989)には、「芸術むら公園」の整備が「ふるさとづくり特別対策事業」に指定され、面積約18haの公園整備が開始された。公園には明神池を中心として、宿泊施設である「アートヴィレッジ明神館」や地元特産物を販売する「憩いの家」、竹紙すきによる和紙作りを体験できる「竹紙工房」といった施設やキャンプ場などが併設されており、「梅野記念絵画館・ふれあい館」はその一つである(註1)。

2.基本的データ
「芸術むら公園」は北東側に浅間山、南側には蓼科山を望む八重原台地に整備され、「梅野記念絵画館・ふれあい館」(所在地:長野県東御市八重原935-1)はその公園内の施設のひとつである。館所蔵品精選展や企画展などの展覧会は二つの展示室(大展示室および小展示室)とふれあい館を用いて行われる。そして、ふれあい館は市民ギャラリーとして貸し出しが行われ、創作活動や発表の場ともなっている(註2)。2023年度には「館所蔵品精選展」「第22回私の愛する一点展」「特別展All is vanity. 虚無と孤独の画家-山本弘の芸術」「上田クロニクル 上田小県洋画史100年の系譜」「Replicant -食卓のかたち- 」「東信濃工芸作家展」などが開催され、他にもナイトミュージアム、コンサート、ワークショップといったイベントも行われた(註3)。

3.歴史的背景
「梅野記念絵画館・ふれあい館」は梅野隆(1926~2011)からコレクションの寄贈を受け、平成10年(1998年)に開館した。梅野は福岡県八女市に生まれ、父の満雄は洋画家の青木繁(1882~1911)や坂本繁二郎(1882~1969)らと交友があった。そのため、梅野は幼少期より青木や坂本の絵画、書画、骨董に囲まれて過ごすこととなった。長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)を卒業後、梅野はブリヂストン株式会社に入社し、会社員生活を送るが、父満雄の死をきっかけにして絵画などの収集を開始する。そして、1985年、ブリヂストン大阪販売株式会社を退社した梅野は東京の京橋に「美術研究 藝林」を開設し、蒐集作家の顕彰や展示、物故作家の発掘やその研究を始めた(註4)。1998年に開館した北御牧村立梅野記念絵画館の収蔵作品はこの時代に収集された430点におよぶ梅野コレクションが基になっている。梅野は梅野コレクションを同館に寄贈し、同年その館長に就任した(註3)。

4.本事例に対し評価している点
梅野コレクションは「特異な業績を上げながら忘却されている作家や、不遇な生涯を終えた作家で、現在は埋もれているが忘れ去られるには惜しい作家を顕彰する(註2)」という理念のもとに収集されたものである。そして、「美術研究 藝林」の舎是は「蒐集作家の顕彰展示」「物故作家の発掘研究」および「藝林月報、図録の刊行」であった(註6)。梅野記念絵画館・ふれあい館は「近代美術史上、忘却されつつある画家の研究と展示を中心に、地元作家の展示や教育普及活動(註3)」を行っており、コレクションのみならず梅野が生涯貫いた「美の探求」の精神をも引き継いでいる。青木繁、今西中通(1908~1947)、菅野圭介(1909~1963)、伊藤久三郎(1906~1977)、荘司貴和子(1939~1974)らの作品を収蔵するとともに、埋没してしまった優れた作家を見出し、企画展などを開催することでその顕彰に努めている。

5.他の同様の事例と比較して特筆される点
①収集方針について
個人のコレクションが美術館における収蔵品の基盤をなしている例は少なくない。例えば、1983年に開館した佐久市立近代美術館は美術年鑑社の社長であった油井一二(1909~1992)の優れたコレクションが収蔵品の基盤をなしている。油井は郷土の情操教育向上を目的として佐久市にコレクションを寄贈しており、それらのコレクションには平山郁夫(1930~2009)の『仏教伝来』や『天山南路(夜)』などが含まれている(註7、註8)。この佐久市立近代美術館における事業方針については「美術文化振興のため、収蔵する美術品の保存管理を行って次世代に継承し、いつでも地域住民が美術鑑賞できるように展覧会事業を行う。地域住民が美術に親しみ、美術に関心を高める機会とするため、公募展・講演会・講習会等の事業を行う」としており、油井が求めた郷土の情操教育の向上を担う機関として運用されている(註9)。しかし、梅野記念絵画館・ふれあい館が掲げるような理念(物故作家の顕彰など)は明記されていない。梅野記念絵画館・ふれあい館においては現在、収蔵品収集方針策定に向けて委員会による議論が進められているところであるが、「特異な業績を上げながら忘却されている作家や、不遇な生涯を終えた作家で、現在は埋もれているが忘れ去られるには惜しい作家を顕彰する(註2)」という理念を収集方針として明記しようとしている点は特筆するべき点であると考えられる。
②「私の愛する一点展」について
本展覧会は、初代館長梅野の「己の美を発見する」という活動に共感したコレクター等が自身の愛する作品を出品するという企画であり、梅野の発案で開催された。そして、本展覧会のもつ開催意義は、美術のあるべき姿について語り合うこととされている(註10)。「美を愛するコレクターの表現の場にしたい」「“絵は絵自体の魅力こそすべてである”をモットーに、個人の感性を磨く場にしたい」「特に埋没作家、無名作家、作者不詳の作品の研究、調査の場にしたい」「当館が埋没作家発掘顕彰の発信地としての存在を明らかにしたい」などが開催の趣旨として示されており、当館が掲げる理念に沿ったユニークな企画展である(註10)。しかし、令和6年度は諸般の事情により本展覧会は開催されなかった。開催の支障となる様々な問題が解決し、本展覧会が再開および継続されることが望まれる。

6.今後の展望について
前述の梅野記念絵画館・ふれあい館における理念は、他の美術館には見られない独特の理念である。各種の企画展や収蔵品展なども当館の理念を基に企画されている。しかし、従来の物故作家の作品を中心する展示のみでは来館者も伸び悩み、将来的に館の運営が難しくなるとの指摘もある。このような課題に対して東御市総合交流促進施設運営委員会では、条件さえあえば物故作家だけでなく現役の中堅、若手作家の作品を収集、展示して、館の魅力を高めていく必要があることを意見として挙げている。また、収蔵庫の不足も大きな課題となっている(註11)。現在、検討中の収集方針と合わせて、館としてどのような作家、作品を収集、顕彰していくかが今後の課題である。しかし、いずれにしても自らの美を自らの眼で見出すという梅野隆の視点を欠くことはできないであろう。そして、より魅力的な展示企画と活発な広報活動により、当館の理念に共感する来館者を増やしていくことが重要である。

7.おわりに
文化芸術の振興を考えた場合、鑑賞者の育成は芸術家の育成と同様に重要である。なぜなら、文化芸術を支えるためにはその受け手となる優れた鑑賞者が必要であるからだ(註12)。梅野は「私自身の美が判る」ということを生涯追い続けた鑑賞者、美の探求者であった。そして、梅野記念絵画館・ふれあい館は我々来館者に対して、「あなたにとっての美とは何か」について常に問いかけてくるのである。私たちは芸術家やコレクターにはなれないかもしれない。しかし、作品、作家の名声や批評家による評価や作品の時価などにとらわれることなく、自らの美を自らの眼で見出す鑑賞者にはなれるのではないか。芸術家やコレクターだけにとどまらず、我々鑑賞者もまた美の探求者であり、表現者なのである。

  • 81191_011_32283094_1_1_写真1.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年4月14日 著者撮影) 写真1.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年4月14日 著者撮影)
  • 81191_011_32283094_1_2_写真2.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年3月2日 著者撮影) 写真2.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年3月2日 著者撮影)
  • 81191_011_32283094_1_3_写真3.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年4月14日 著者撮影) 写真3.梅野記念絵画館・ふれあい館 外観(2024年4月14日 著者撮影)
  • 81191_011_32283094_1_4_写真4.梅野記念絵画館・ふれあい館 ホール(2024年10月19日 著者撮影) 写真4.梅野記念絵画館・ふれあい館 ホール(2024年10月19日 著者撮影)
  • 81191_011_32283094_1_5_写真5.明神池から浅間山を望む(2024年4月14日 著者撮影) 写真5.明神池から浅間山を望む(2024年4月14日 著者撮影)

参考文献

参考文献
註1 東御市 パンフレット「芸術むら公園」
註2東御市梅野記念絵画館・ふれあい館ホームページ https://www.umenokinen.com/ [2024年3月24日閲覧]
註3 東御市梅野記念絵画館・ふれあい館 パンフレット「東御市梅野記念絵画館・ふれあい館2023-2024」
註4 梅野隆「私の美を語る」、梅野記念絵画館、2008年(初版1998年)。
註5 『梅野隆の眼』刊行委員会編「梅野隆の眼」、弘文社、2017年。
註6 梅野隆「美の狩人」、西田書店、2006年(初版1986年)
註7 佐久市佐久の先人検討委員会編「佐久の先人」、佐久市、2017年。
註8 佐久市近代美術館ホームページ https://www.city.saku.nagano.jp/museum/archives/001-history.html [2024年4月29日閲覧]
註9 令和4年度第1回佐久市立近代美術館協議会会議次第 https://www.city.saku.nagano.jp/shisei/johokokai_hogo/shingikai_kaigi/r04result.files/040728bijutsukan-siryo.pdf [2024年4月29日閲覧]
註10 梅野記念絵画館友の会「第21回私の愛する一点展」図録、梅野記念絵画館友の会、2022年。
註11 令和5年度東御市総合交流促進施設運営委員会 議事録
東御市ホームページ https://www.city.tomi.nagano.jp/file/147872.pdf [2024年6月2日閲覧]
註12 神林恒道「「美術教育」とは何か―鑑賞教育の視点からの問い直し―」、『美術教育』2005巻、pp.4-7.2005年。

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