茶の湯と現代教養についての分析 〜リスキリングから見直される茶室空間のリベラルアーツ〜

小林 和香子

はじめに
水戸市中央部にある千波湖を眺める偕楽園内に位置する、歴史的建築物の一つである好文亭[1]。水戸藩第九代藩主、徳川斉昭[2]によって設計された武士の風格漂う素朴で清雅な建物である。その一方、自然と調和し、四季折々の美しさを堪能できる優美な場所でもある。好文亭内に在る茶室何陋庵(かろうあん)では、初代頼房公、二代光圀公(水戸黄門)以来代々茶道を好まれ、茶道を教養の一助とされた。本稿では、戦国大名や近代の実業家たちが嗜んだ茶道を、現代社会の教養として見直し、今後の社会生活の活用法を考察する。

1.基本データ
名 称:偕楽園 好文亭(一部、カフェ「樂」CAFE “RAKU"として営業中 )
住 所:水戸市常磐町1−3−3 偕楽園本園内
建築年:1842(天保13)年
設 計:水戸藩第九代藩主徳川斉昭
所有者:茨城県
建物構造:木造3階建て一部平屋建て茅葺屋根
建物面積:約381.05㎡
敷地面積:偕楽園全体で300 ha [3]

2.歴史的背景
金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられる『偕楽園』。江戸時代天保13年(1842年)7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園された。造園に際し、斉昭公は自らその構想を練り、藩校弘道館を勉学・修行の場、偕楽園を休息の場として、互いに対をなす一体の施設として設計したとされている。
また、園内に別邸として建てられた「好文亭」も、その建設位置から意匠に至るまで、斉昭公が自ら定めたと伝えられている。好文亭には、茶道が華美に流れず、まごころを以て修業することを論して、斉昭公が「何陋庵」と命名した茶室がある。その好文亭は、1945年(昭和20年)8月2日に水戸市内米軍機の空襲を受け全焼するも、1958年(昭和33年)3月31日に復元工事竣工。しかし、1969年(昭和44年)9月2日に落雷、奥御殿[4] を焼失、1972年(昭和47年)2月14日に復元工事竣工。二度の不幸に見舞われるも、今では全国的にも珍しい腰掛待合[5]も昔のままに復元され現在に至る。
誰でも参加可能な偕楽園のお茶会は、2005年(平成17年)4月から開始され、地域の文化活動として茶道で繋ぐコミニュティで賑わいを見せていた。現在は、約20年続いた好文亭月釜も、新型コロナウイルス感染症の蔓延により途絶えたが、その西塗縁広間は、カフェ「樂」CAFE “RAKU" [6]として再出発を果たしている。

3.評価
3−1 数寄屋風造り
「好文亭」は、斉昭公の別荘 兼 領民と楽しみの場として利用する目的で建設された施設である。
千波湖を臨む七面山を切り開き造園された園内には、約百品種・三千本の梅 [7] が植えられた。室内から四季折々の季節を満喫できる数寄屋造りは、「侘び・寂び」の精神を持つ斉昭公の思いやりの構造設計と感じられる。
また、借景を眺望できる3階・楽寿楼[8] の座敷には、質素な数寄屋風造りでありながら、当時では珍しい滑車式の配膳昇降機 [9] が設備されており、無駄を省き合理的に造られた優れた建築と言える。(写真2)
その建物内には、派手な装飾品も彫刻や絵画を置かず、淡々とした清楚で優雅な趣を徹底しており、開放感を意識した空間の造形には、見学者に当時の斉昭公の思いを馳せる効果もある。

3−2 襖絵
10部屋から成る各部屋には見事な襖絵が描かれており、控え室とは思えない芸術作品の館のようである。その襖絵は、1969年(昭和44年)9月2日に落雷後、二人の日本画家(写真3)により、復元時に描かれたものである。好文亭の説明によると、襖絵制作の基本方針は、描く部屋名を画題として、作家の自由な発想で描くものだったという。今私たちが目にしている絵画とは、このように修復を繰り返されてきたものである。襖絵もまた同様に、細かな補修を繰り返されて状態を長く保たれている。当時の好文亭の庭との調和を直接感じることができるため、建物と同じく、文化的資産として今後も守り継承される価値があると考えられる。

3−3 茶室何陋庵と待合の空間
早くから茶の湯を始めた斉昭公により詩歌や茶会、宴が催された好文亭の外には、露地・腰掛待合を抜けた先に茶室何陋庵がある。水屋付き四畳半の小さな部屋に、ツツジの古木を使った床柱と蹲があり、造りは質素だが別世界のように静かな空間である。その手前には、茶席に招かれた客の控え場所である腰掛待合がある。ここには、斉昭公の茶道観を自筆で書かれた三つの掛け物(写真4)が掲げられている。その言葉通り、斉昭公が、慎ましく地味ながらも嘘偽りのないものを好んでいたことがわかる。禅の精神性に深い関わりのある茶室の空間は、人としての教養や自己成長を感じる「場」であり、日本の総合芸術としての価値を国内外へ広めているのである。
4. 特筆
茶道人口が減少する中、近年、ビジネスパーソンの茶道人口は増加傾向にある。茶道は日本の伝統文化として、多くの教養的要素を持ち、現代社会においても様々な点で優れていると再評価されている。その、茶道一つから禅(マインドフルネス)・掛け軸(書道)・お花(華道)・お香(香道)・着物・和食・茶室・茶道具(焼物・漆器)など複数の分野が学べる点は、特筆すべきところである。茶道のように、一つの「道(どう)」が幅広い知識に派生していく「文化」は、他に例がない。日本の総合芸術と言われるその茶事から得る教養を、茶室の空間から汲み取り、現代の社会生活に取り入れる国内外のビジネスパーソンが増えていることは特筆すべき点と考えられる。

4−1 自国の文化の理解
海外の学校教育では、自国の文化について学ぶという。そのため、いつでも自国の文化について語ることができる。一方、日本人は茶道について聞かれて答えられる人は、そう多くはない。
他国の喫茶文化は、お茶(=紅茶 , Tea)にミルクや砂糖を入れて「飲む習慣」と「交流会」としての文化がある。他方、日本の喫茶文化は、茶葉を粉末にして飲む。そのための専用部屋を用意し、亭主と正客の「非言語コミュニケーションというお茶と心」の文化と言える。今でいうリベラルアーツを茶道からアプローチしたのが日本人だと考えられる。様々な学問分野を包括的に学び、幅広い視野を持つ人間形成の提供をいち早く取り入れたと言えるだろう。日本の代表的な伝統文化を、おもてなし作法だけではなく「自国の教養」として改めて学び直し、理解すべきと思われる。

4−2 茶の湯とビジネスの関係性
茶の湯とは、自然や環境と調和することを重んじ、人々がお互いを尊重すること。利休の教えである。ビジネス社会に於いても、良好な人間関係の構築は重要なことではあるが、簡単ではない。現代は、『VUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity= 曖昧性)』と言われ、生きにくい時代。この時代の変化に対応する力こそ、ビジネスパーソンに求められている。利休の茶道のように、儀式や礼儀を重んじる心があれば、強固な信頼関係が築け、ビジネスの成功にも繋がる。茶道の精神である「 和敬清寂」は、ビジネスツールとして活かせるものであり、人としての成長を促す効果があると考えられる。

5. まとめと展望
「渇きを医するに止(とど)まる」は、利休の言葉である。この思想を日常生活に取り入れることが、この先、茶道を継承していく理由になるだろう。そして「今日の教養としての茶道」に結び付くものと考えられる。その昔、戦国時代の武将たちが、殺伐とした日々の中、茶の湯で心身ともに癒していた。状況は違えど、現代人も日々の仕事に忙殺され、心に余裕の無い生活に追われていることに通ずるところだろう。日々の心の安らぎを得るには、茶道の精神が必要である。現実の世界からかけ離れた四畳半の異空間で、一椀のお抹茶に集中することが、平常心を保ち自分を見つめ直すことにも繋がっている。茶道は、頂く側の作法にばかり目が行きがちだが、本来は、もてなす側の「心」が主なのである。ビジネスパーソンがなぜ茶道に向かうのか。それは「心」を大事にしているからだろう。ビジネスでは「相手の気持ちを汲み取る」ことが重要なのである。この日本独特の文化が、海外のビジネスパーソンに受け入れられ、今また見直されてきている。現代人の目指すところは、茶道の原点回帰。雑念を持たず、シンプルに生きるということに尽きるだろう。

  • 81191_011_32086079_1_1_資料1_page-0001 偕楽園 好文亭 見取り図
  • 81191_011_32086079_1_2_資料1?1_page-0001 好文亭 利用目的
  • 81191_011_32086079_1_3_資料1?2_page-0001 奥御殿・楽寿楼 利用目的
  • 81191_011_32086079_1_4_写真1_page-0001 茶室周り
  • 81191_011_32086079_1_5_写真2_page-0001 楽寿楼からの景色と工夫
  • E4BA8CE4BABAE381AEE794BBE5AEB6E381ABE38288E3828BE8A596E7B5B5_page-0001 二人の画家による襖絵
  • 81191_011_32086079_1_7_写真4_page-0001 待合の三つの掛け物

参考文献

<註>

[1] 「好文」とは梅の異名。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事にもとづいて斉昭が名づけた。https://ibaraki-kairakuen.jp/kobuntei/(偕楽園HP 2024.07.17 最終閲覧)

[2] 藩政改革の一環として、弘道館(藩の学校)を水戸城内の三の丸に建立した。総合大学のような施設で、藩士の子弟が文学・地理・数学・兵学などの学問や、剣術・槍術・水泳などの武芸を習得する場として開設され、多く優秀な人材を輩出した。その構内には医学館も設け、医者の研修の場とした。また、弘道館で学ぶ藩士の休息の場として偕楽園が造られた。偕楽とは「民と偕に楽しむ <身分にとらわれず、一緒に楽しむ>」という意味で、藩士ばかりでなく、一般庶民も毎月の定められた日には入園を許された。また、藩内の各郡には郷校を作り、庶民のための教育にも力を注いだ。
https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2018/10/senjin22.pdf(いばらき文化情報ネット 2024.07.17 最終閲覧)

[3] 都市公園では、NYのセントラルパークについで世界第2位の広さ。
https://ibanavi.net/shop/7531/(いばナビ 2024.07.17 最終閲覧)

[4] 藩主婦人の休養の場。平屋作りで10室ある各部屋の襖絵が見事である。昭和20年(1945)の大空襲でどちらも焼失したが、再建時には、奥御殿の襖絵は日本画家の須田珙中(1908年~1964年)と田中青坪(1903年~1994年)両画伯が植物に因んだ部屋名に合わせて描いたものである。
https://ibaraki-kairakuen.jp/kobuntei/(偕楽園HP 2024.07.17 最終閲覧)

[5] 茶室何陋庵の露地の西側にある。茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所。間口9尺(2.7m)、奥行6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き。総体くぬぎの丸太作りで、三方は壁、内側に腰掛けがある。壁に四角と丸の額が計三つ掲げられている。http://www.kairakuen.u-888.com/kobuntei/ (速報偕楽園 2024.07.17 最終閲覧)

[6] 文化と触れ合い休息を取るという、斉昭公の想いを引継ぎ、多くのお客様が集い、楽しむ場所として好文亭の西塗縁で営業中。https://r.goope.jp/caferaku/(カフェ樂 HP 2024.07.17 最終閲覧)

[7] 斉昭公の時代は、梅の株は七千株とも一万株とも言われた。現在は、だいぶ減少したとは言え、関東随一の梅の名所となった。名越時正編者代表(水戸史学会会長)『改訂新版 水戸の道しるべ』展転社、1933年、p.90

[8] 楽寿楼とは、論語「雍也」『知者楽水・仁者楽山・知者動・仁者静・知者楽・仁者寿』の知者楽・仁者寿から名付けられた。「楽」は水を「寿」は山を意味し、千波の水と筑波の山を差し、山水双宜の楼。
関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1970年、227-228

[9] 現存の日本最古の手動式エレベーターは、斉昭公考案の配膳用昇降機
名越時正編者代表(水戸史学会会長)『改訂新版 水戸の道しるべ』展転社、1933年、p.93

[10] 今から三百数十年前に七面祠があった頃から信仰の水とされ眼疾を治すと伝えられてきた。
関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1970年、P.190-19

[11] 意味;山に入ってもなお落ち着かなかったら、静かなここ好文亭においで下さい。
関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1970年、P.222-223

<参考文献>

名越時正編者代表(水戸史学会会長)『改訂新版 水戸の道しるべ』展転社、1933年
海野実著『「偕楽園公園」附水戸近郊』水戸觀光同好会 海野実、1956年
関孤円著『弘道館と偕楽園』茨城県観光協会、1962年
関孤圓著『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1970年
谷端昭夫著『茶の湯の文化史 近世の茶人たち』吉川弘文館、1999年
安見隆雄著『水戸斉昭の『偕楽園記』碑文』水戸史学会、2006年
田中秀隆著『近代茶道の歴史社会学』思文閣出版、2007年
谷端昭夫著『よくわかる茶道の歴史』淡交社、2007年
ヘルベルト・プルチョウ著『茶道と天下統一 ニッポンの政治文化と「茶の湯」』日本経済新聞出版社、2010年
竹本千鶴著『歴史上の人物たちがガイド役!古典で旅する茶の湯八〇〇年史』淡交社、2020年
竹田理絵著『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』自由国民社、2021年
石川雅俊著『大切なことはすべて茶道が教えてくれる。』クロスメディア・パブリッシング、2022年
佃一輝著『基礎から身につく「大人の教養」茶と日本人 二つの茶文化とこの国のかたち』世界文化社、2022年
竹田理絵著『「お茶」を学ぶ人だけが知っている「凛とした人」になる和の教養手帖』実務教育出版、2023年

<参考ウェブサイト>

偕楽園HP
https://ibaraki-kairakuen.jp/kobuntei/
2024.07.17 最終閲覧

いばらき文化情報ネット
https://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/2018/10/senjin22.pdf
2024.07.17 最終閲覧

いばナビ
https://ibanavi.net/shop/7531/
2024.07.17 最終閲覧

速報偕楽園
http://www.kairakuen.u-888.com/kobuntei/
2024.07.17 最終閲覧

カフェ樂 HP
https://r.goope.jp/caferaku/
2024.07.17 最終閲覧

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