「子ども造形パラダイス」―記憶財産に込められた可能性
はじめに
「子ども造形パラダイス(以下「造パラ」と表記)」は、愛知県豊橋市で開催される、造形作品の野外展示の名称である。多くの豊橋出身者は、小中学生の時に作品を制作し出品した経験をもつ。その日は会場の豊橋公園〔1〕がカラフルに彩られ、たくさんの家族連れなどで賑わう。市民に長く親しまれている造パラには、毎年の恒例行事としてだけではない他の可能性もあるのではないか。本稿では造パラを豊橋市民の文化資産として評価し、今後の展望について考察する。
1.基本データと歴史的背景
造パラは、毎年10月の豊橋まつり〔2〕と同じ日程で行われる。豊橋公園には、市内全小中学校(小52・中22校)の子どもたちのつくった作品が展示され、その数は約1万7000以上にのぼる〔3〕。一部の幼稚園・保育園・高校が参加する「交流広場」や、自由に作品をつくることができる「つくる・あそぶコーナー」などもあり、運営は豊橋市図工美術研究部〔4〕が行う。【資料1】
造パラが始まったのは、1958(昭和33)年。当時は戦後の民主化に伴い、美術教育においても自由創造主義が一般化していた〔5〕。H・リード〔6〕の教育理念をモデルとし、子どもの創造性や個性が重要視される。また県内では、メキシコから帰国した北川民次〔7〕が瀬戸市に住み、創作活動とともに新しいメソッドで児童への指導を行っていた。
そのような時代を背景とし、1956年豊橋市の山口孝雄教諭が教材開発したトーテンポールが教科書に載ると新聞で報じられる〔8〕。翌年、そのトーテンポールを子どもたちがつくり、戦後復興記念行事として始まった豊橋まつりに参加して評判となる〔9〕。全市民的なものとして子どもの参加を求めていたまつり側と、新たな野外造形展の企画をあたためていた山口教諭をはじめとする教員たちの願いが合致し、子どもの作品の催しが検討された。その結果、まつりの協賛行事として「子ども造形パラダイス」が誕生する〔10〕。以降、造パラは毎年行われ、2023年で66回目を迎えた。その間何度かInSEA(国際美術教育協会)の会議で報告され、評価を受けている〔11〕。【資料2】
2.評価点
2−1.野外での展示
教室で制作した作品が公園に展示され、家族や知人らと訪れた子どもたちは、学校内を超えた経験をする。作品は緑の中で自然光を受け、生き生きと命が吹き込まれたような輝きを増す。また、広い空間でそれらを活かすために、大きさや高さを意識して展示される。長年の間に、風雨に耐えるための素材や展示方法の工夫もなされてきた〔12〕。天候に左右される困難を克服しつつ、今日まで野外で続けられているのは評価すべき点である。
2−2.教育活動として継続
造パラは始まりと終わりの時間が限定された「イベント」ではなく、前後の時間を含んだ螺旋状に続く「教育活動」という位置付けである〔13〕。優劣をつけるコンクール形式にせず、全員の作品が平等に展示される。個々の作品に記名がないのは、公園全体を一つの作品と捉えているためである。これは、創成期の立案〔14〕を今日まで継承している造パラを特徴づけるものであり、子どもを中心に考えた教育的な活動としての普遍性がある。
また大人たちも、造パラの経験で子どもの作品や成長を大切にする心が育まれる。豊橋市図工美術研究部の他に、学校用務員や図工美術教員OB・OG、各種企業、愛知大学生など多くの人たちが応援・協力している〔15〕。市民が支える教育活動として、造パラは長く継続している。
2−3.市民の特別な場
会場を訪れる市民の多くは、それぞれの造パラ体験を持っている〔16〕。かつて親と来ていた人が、今は子や孫と来る場合もある。目の前の作品と自分の思い出とを重ね合わせ、今日の光景もまた一つ心の中に蓄積される。それは、豊橋市民が共有している記憶財産である。様々な世代の多元的な記憶財産が集約された豊橋公園は、その日、市民の一体感を伴った特別な意味のある場所「トポス」となっているのではないか〔17〕。それはこのまちを自分の居場所だと穏やかに感じとることであり、地域への愛着を深めることでもある。積み重ねられた時間と記憶は、造パラが継続してきた意味となる。毎年同じ場所・同じ時期に行われる造パラは、豊橋市民であることが確認できる拠り所として存在している。
3.特筆点
造パラの誕生以降それに続いて、周辺各地でも同様の子どもの野外造形展が行われ始めた。しかし、現在は中止に至っているケースが少なくない〔18〕。その中で、継続的に開催されている愛知県岡崎市の「造形おかざきっ子展(以下「おかざきっ子展」と表記)」と比較して、造パラの空間における特筆点をみる。
おかざきっ子展は、造パラと同じく毎年10月の土日に行われる。1964年に第一回が始まってから、展示スペースや駐車場の問題から4回会場が変わり、2019年からは岡崎中央総合公園で開催している〔19〕。ここは、広大な敷地内にスポーツ施設や美術館などがあり、ハイキングも楽しめる。作品が展示されるのは小高い丘の上なので、車で訪れる人が多い〔20〕。目的地までの上り坂では、特別な非日常の場に向かうようなワクワク感が高まる。一方、造パラが行われる豊橋公園にも同様の施設はあるが、まちの中心地で市役所の隣に位置しており、路面電車や自転車でも行くことができる。日常から地続きの公園で、散歩の途中でふらりと展示を見物することも可能だ。
どちらも、小中学校が混在したブロックごとに展示される。両者の展示空間をみると【資料3】、おかざきっ子展はプロムナードの両側に作品が展示されており、端から端まで直線的に歩きながら鑑賞をする。記名された作品にはコメントがついているものもあり、一つ一つが独立して際立っている。また学校・ブロックごとの世界観が明確で、展覧会のような整然さがある。それに対して造パラはブロックごとの境界が曖昧で、木や芝生の緑に囲まれた場所におおらかに展示されており、作品が森に溶け込んでいるようだ。周辺の自然を含めた空間が、「パラダイス」をつくる。鑑賞者の動線は方向性を持たず、曲線的・回遊的である。おかざきっ子展は「軸線」、造パラは「点在」という概念の展示から全体性を導く空間がデザインされている〔21〕。それによって造パラは、アトラクションが点在する遊園地のように、全方向的な広がりがありながら一つの面的なまとまりを有する。それは、親しみやすく寛いだ雰囲気と、緩やかな連帯感をもたらす。立ち寄りやすい豊橋公園と作品が調和した空間によって、記憶財産を呼び起こす作用にもつながる。その展示空間の性質は、造パラの特筆点といえる。
4.今後の展望
長らく続いている造パラだが、その間には社会の移り変わりとともに変化もあった。初期の頃主流だった自然素材や地域の廃材などの利用は、最近では少なくなった。大型の共同制作の作品も減っている。また授業時間や予算の減少のため、2012年から、それまで全学年参加だったのが隔学年(小学2・4・6年、中学1・3年)へと半減した〔22〕。縮小傾向を否めない造パラだが、市民が今一度その価値や存在意義を認めて評価すれば、まちの元気につながる可能性があるのではないか。共有する記憶財産は、市民同士をつなぐ原動力になり得る〔23〕。造パラを核とした新たな働きかけが、豊橋市民としてのアイデンティティを創出できるのではないかと考える。
そのためには、当日の訪問を促すPRだけではなく、市民が造パラと積極的に関わるきっかけの種を蒔くことが望まれる。ボランティアやPTAなどが、設営・片付けに参加できる仕組みをつくったり、造パラと関連づけたイベント〔24〕などの充実を期待したい。それらをまちなか図書館〔25〕や豊橋市美術博物館〔26〕と連携して取り組むことも、幅広い年代へのアプローチ、生涯学習の一環として有効だろう。子どもが主役であることを踏まえながら、造パラへの関心を改めて高め盛り上げていくことでまちを活気付かせる。そうして育った種が市民の誇りを生み、豊橋が魅力ある「造形のまち」として実る。その可能性が造パラにはあるのではないかと考える。
5.まとめ
造パラは、豊橋という一地方で行われる、ある意味内輪の催しかもしれない。しかし、子どもの作品には未来を予感させるパワーがみなぎっており、市民はそこで過ごした時間の記憶を蓄えている。地域に対する愛着は、しあわせに生きるためには必要なことである〔27〕。魅力的なまちづくりと、人びとのしあわせにつながる可能性を秘めた「子ども造形パラダイス」は、豊橋市民のかけがえのない宝だといえる。
参考文献
【註】
〔1〕豊橋公園
豊橋市民のシンボル的公園で吉田城址、美術博物館、三の丸会館と文化施設に富む都会のオアシス的存在。軟硬式テニスコート、陸上競技場、野球場、武道会館等のスポーツ施設も多数あり、広く市民に親しまれている。
・豊橋市HP
https://www.city.toyohashi.lg.jp/4011.htm(2024年1月6日最終閲覧)
〔2〕豊橋まつり
毎年10月第3週の土・日曜日に豊橋市中心部を主会場に開催される市民参加型のまつり。土曜の夜には市民2万人が参加する総踊り、日曜は多くの市民や企業、団体によるパレードが、まちなかで繰り広げられる。
・豊橋観光コンベンション協会「ええじゃないか豊橋」HP
https://www.honokuni.or.jp/toyohashi/festival/000022.html(2024年1月6日最終閲覧)
〔3〕「ミカワSDGs」中日新聞朝刊、2023年10月21日、19面。
〔4〕豊橋市図工美術研究部
市内の公立小中学校の図工美術の主任および図工美術を専門教科とする教師を中心に構成されている。
・子ども造形パラダイスHP
http://www.zoupara.toyohashi.ed.jp/gaiyou.html(2024年1月6日最終閲覧)
〔5〕津田浩二「図工・美術教育の役割と方法についての一考察」、『高松大学研究紀要』第68号、2017年、4頁。
〔6〕ハーバート・リード(1893〜1968)
イギリスの詩人、芸術評論家。
著書『芸術による教育』の中で、美術教育の最大の意義を子どもの創造においている。戦後の日本ではリードの教育理念が受け入れられ、表現能力の向上を目指しつつ、創造性や個性、情操という面に力点を置くものとして、今日まで継承されている。
(津田浩二「図工・美術教育の役割と方法についての一考察」、『高松大学研究紀要』第68号、2017年、1・4頁。)
〔7〕北川民次(1894〜1989)
ニューヨークで絵画を学んだ後メキシコに渡り、メキシコ壁画運動の影響を受けながら、国立野外美術学校教師として子どもの絵の指導にもあたった。15年の滞在後に帰国してからも、メキシコでの経験を生かして児童画教育を実践した。
〔8〕「新川小生徒が作ったトーテンポール 鬼まつりの絵と共に教科書へ」、『不二タイムス』、1956年3月9日、2面。
記事によると、トーテンポールは「トーテン(偶像をつくって守り神にしたもの)」を「ポール(柱)」に彫刻したもので、アメリカインディアンやアフリカの原住民たちのシンボルとのこと。また、山口教諭は「トーテンポールのよさは子供たちの夢が創造されるということ、それが社会科や国語科にも関連があること、共同の制作態度を学ぶこと、図画と工作を兼ねていることなどにあると思います。」と談話しており、子どもの創造活動を大切にしていたことがうかがえる。
〔9〕当時の様子のインタビュー:【資料4】〔取材1〕参照。
〔10〕ふじえみつる、大塚英之「子ども野外造形作品展の歴史と意義」、『愛知教育大学教育実践総合センター紀要』第3号、2000年、168頁。
〔11〕InSEA(International Society for Education through Art=国際美術教育協会)は、1951年にユネスコの諮問機関として発足した非政府組織。各国の美術・工芸による創造的教育を奨励し発展させること、国際理解に向けた美術教育に関する研究と実績を促進することを目的としている。
・美術科教育学会HP
https://www.arteduv.jp/consortium/insea(2024年1月6日最終閲覧)
マニラ(1959年)、モントリオール(1963年)、東京(1968、1998年)、ニューヨーク(1968年)で開催されたInSEAの会議で、大学関係者らが参加して造パラについて発表。1998年の東京では、「美術教育の奇跡だ」「市が全面的に支援して、全校が参加するなんて信じられない」など、多大な評価を得る。
(大竹良夫「発言」、『東愛知新聞』、2022年11月27日、1面。)
〔12〕インタビューより:【資料4】〔取材2〕参照。
〔13〕インタビューより:【資料4】〔取材3〕参照。
〔14〕造パラ前夜に山口教諭が考えた立案は、次のようなものだった。
①従来のコンクール形式を止めること。
②室内展ではなく、野外展にすること、会場全体がひとつの作品で、個々の作品には氏名をつけないこと。
③従来のつくったり、描いたりしたものを見るコーナーだけではなく(受身的)、参加した人々がつくったり、つくったもので楽しく遊べる場とすること(能動的)。
④お金はいただくが、指導作品の内容、展示についての企画構成はすべて図工・美術の研究部がやること。
⑤従来の学童展も何らかの形で継続していくこと。
(豊橋市立小中学校図工美術研究部『今年もトーテム・ポールが立つ』、豊橋市立小中学校図工美術研究部、1988年、15頁。)
〔15〕インタビューより:【資料4】〔取材2・3・4〕参照。
〔16〕アンケートより:【資料5】参照。
このアンケートは、Googleフォームで作成したものを2023年10・11月に実施した。筆者の知り合いとそこからの拡散によって、37名の豊橋市民から回答を得た。限られた人数ではあるが、それぞれに造パラの思い出があり大切な価値あるものと捉えていることがうかがえる。
また、インタビュー:【資料4】〔取材1・2・3・4・6・7〕からも、それぞれの思い出を知ることができる。
〔17〕トポス
ギリシャ語で「場所」を指す語で、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが重視した概念。「自分が意味ある存在として感じ取れる場所」を指す用語として用いられる。「地域や社会、文化における多元的な時間の営みを背景に形成された、私たちの存在根拠となる場所、私たちの言葉やイメージを形成する原点となる場所ということができます。」
(中西紹一・早川克美編『時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』、藝術学舎、2014年、131頁。)
豊橋公園で造パラが開催される二日間は、市民の記憶財産が呼び起こされる時間である。そこから時空を超えた一体感が生まれ、トポスが創出されるといえよう。
〔18〕豊橋で造パラが1958年に始まってから、その影響を受けた近隣の地域でも野外造形展が行われるようになった。岡崎(1964年)や刈谷(1963年)、蒲郡(1967年)などは野外造形展それ自体を始め、豊川(1965年)や安城(1960年)などはすでにあった展覧会に野外展示も行うようになった。
(ふじえみつる、大塚英之「子ども野外造形作品展の歴史と意義」、『愛知教育大学教育実践総合センター紀要』第3号、2000年、170頁。)(上記の開始年についての参照は「岡崎の美術教育」編集委員会、『岡崎の美術教育―その歩みと実績―』、岡崎市現職教育委員会図工・美術部、1993年、153〜154頁。)
しかし、野外造形展を継続していくのには困難があり、中止したり課題を抱えているところが多い。
(大塚英之「野外における子どもの作品展」、『美術家教育学会誌』22巻、2001年、68頁。)
〔19〕インタビューより:【資料4】〔取材5〕参照。
おかざきっ子展のこれまでの開催会場は次の通りである。
第1回〜9回(1964年〜1972年):篭田公園
第10回〜14回(1973年〜1977年):東公園
第15回〜21回(1978年〜1984年):菅生川河川敷
第22回〜55回(1985年〜2018年):おかざき世界子ども美術博物館
第56回〜(2019年〜):岡崎中央総合公園
(第57回、58回は、新型コロナの影響でWeb開催)
・岡崎市教育委員会HP
https://cms.oklab.ed.jp/gensyokukensyu/index.cfm/1,859,25,182,html(2024年1月6日最終閲覧)
〔20〕岡崎中央総合公園へのアクセスは、公共交通機関として最寄駅からバスがあるが便数は少ない。また広い駐車場がいくつも完備されているので、車の利用がほとんどとされる。
〔21〕「全体性」をどう捉えるかについて
(川添善行著、早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』、藝術学舎、2014年、22〜25頁。)
〔22〕インタビューより:【資料4】〔取材2〕参照。
〔23〕地域住民が場所の記憶を共有することで、その地域への親しみが向上したという研究もある。
(松村暢彦、尾田洋平、來田成弘、楠田勇輝、平井祐太郎「場所の記憶の共有化による地域のなじみに及ぼす影響」、「土木学会論文集D3(土木計画学)」67巻5号(土木計画学研究・論文集第28巻)、2011年。)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/67/5/67_67_I_417/_pdf/-char/ja(2024年1月6日最終閲覧)
〔24〕2017年に造パラ60周年を記念して、「とよはし都市型アートイベントsebone」が、造パラ関連のイベントを行った。このようなイベントの継続的な開催は、造パラの存在意義を広く再認識する機会となるだろう。seboneは、中心市街地に建つ水上ビルを中心に、アートの力で人と街を元気にする活動を2004年から行なっている。
イベントの様子のインタビュー:【資料4】〔取材6〕参照。
〔25〕まちなか図書館
2021年に豊橋駅前に開館した図書館。「世界を広げ、まちづくりに繋げる『知と創造の交流拠点』」をコンセプトに、いくつかの特徴的なゾーンに分かれ、テーマに沿った配架をしている。トークイベントや上映会ができる中央ステップ、パフォーマンススペース、カフェなどがあり、「出会いと交流を生み出し、新しいコミュニティを育む場所」として来館者を増やしている。
・豊橋市まちなか図書館利用案内
https://www.library.toyohashi.aichi.jp/facility/machinaka/uploads/2021/11/b0942263e1811b9727d0775dfcedaef0.pdf(2024年1月6日最終閲覧)
〔26〕豊橋市美術博物館
1979年に豊橋公園の一角に開館。空調等改修工事のため、2022年10月から2024年2月まで休館。造パラの展示と同じ場所に位置するので、関連イベントは効果的だと考える。
・豊橋市美術博物館HP
https://toyohashi-bihaku.jp/(2024年1月6日最終閲覧)
〔27〕福武總一郎(1945〜、ベネッセホールディングス名誉顧問)の言葉。
(北川フラム『アートの地殻変動』、美術出版社、2013年、35頁。)
福武氏は、直島や犬島、豊島といった瀬戸内海の地域で現代美術のプロジェクトを展開。地元の人との積極的な協働によって、島に変化がもたらされる。アートと場所の関係が大切だと強調する。
【参考文献】
中西紹一・早川克美編『時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を読み解く』、藝術学舎、2014年。
川添善行著、早川克美編『空間にこめられた意思をたどる』、藝術学舎、2014年。
豊橋市立小中学校図工美術研究部『今年もトーテム・ポールが立つ』、豊橋市立小中学校図工美術研究部、1988年。
豊橋市立小中学校図工美術研究部『子ども造形パラダイス』、豊橋市教育委員会・豊橋市立小中学校図工研究部、1968年。
豊橋市立小中学校図工美術研究部『太陽と子どもの造形―子ども造形パラダイス』、豊橋市教育委員会・豊橋市立小中学校図工美術研究部、1977年。
豊橋市立小中学校図工美術研究部『30周年記念出版 つくる みる あそぶ―子ども造形パラダイス―』、豊橋市立小中学校図工美術研究部、1989年。
豊橋市立小中学校図工美術研究部『40周年記念出版 わくわくドキドキ―子ども造形パラダイス―』、豊橋市立小中学校図工美術研究部、1998年。
「岡崎の美術教育」編集委員会、『岡崎の美術教育―その歩みと実績―』、岡崎市現職教育委員会図工・美術部、1993年。
北川民次『絵を描く子供たち』、岩波新書、1952年。
北川フラム『アートの地殻変動』、美術出版社、2013年。
福武總一郎、安藤忠雄他『直島 瀬戸内アートの楽園』、新潮社、2011年。
「新川小生徒が作ったトーテンポール 鬼まつりの絵と共に教科書へ」、『不二タイムス』、1956年3月9日、2面。
大竹良夫「発言」、『東愛知新聞』、2022年11月27日、1面。
「ええじゃないか豊橋まつり」ガイドブック、2023年版。
「造形おかざきっ子展」チラシ、2023年版。
「とよはし都市型アートイベント」ガイドブック、2017年版。
【参考論文】
ふじえみつる・大塚英之「子ども野外造形作品展の歴史と意義」、『愛知教育大学教育実践総合センター紀要』第3号、2000年。
津田浩二「図工・美術教育の役割と方法についての一考察」、『高松大学研究紀要』第68号、2017年。
大塚英之「野外における子どもの作品展」、『美術科教育学会誌』22巻、2001年。
山口孝雄「自然の遊びは子どもをどのように育てるか」、『美術科教育学会誌』10巻、1989年。
松村暢彦、尾田洋平、來田成弘、楠田勇輝、平井祐太郎「場所の記憶の共有化による地域のなじみに及ぼす影響」、「土木学会論文集D3(土木計画学)」67巻5号(土木計画学研究・論文集第28巻)、2011年。
【参考ウェブサイト】
豊橋市
https://www.city.toyohashi.lg.jp/4011.htm(2024年1月6日最終閲覧)
豊橋観光コンベンション協会「ええじゃないか豊橋」
https://www.honokuni.or.jp/toyohashi/festival/000022.html(2024年1月6日最終閲覧)
子ども造形パラダイス
http://www.zoupara.toyohashi.ed.jp/gaiyou.html(2024年1月6日最終閲覧)
美術科教育学会
https://www.arteduv.jp/consortium/insea(2024年1月6日最終閲覧)
岡崎市教育委員会
https://cms.oklab.ed.jp/gensyokukensyu/index.cfm/1,859,25,182,html(2024年1月6日最終閲覧)
豊橋市まちなか図書館
https://www.library.toyohashi.aichi.jp/facility/machinaka/(2024年1月6日最終閲覧)
豊橋市美術博物館
https://toyohashi-bihaku.jp/(2024年1月6日最終閲覧)
【引用】
阿部佳代筆、芸術教養演習2、「『子ども造形パラダイス』―未来へつながる、市民の記憶財産」、2023年度秋期。