レンガのまち深谷 ~郷土の偉人の顕彰と新しいまちなみの形成をめざして~
1 はじめに
埼玉県深谷市は、郷土の偉人渋沢栄一らによって日本で最初の機械式レンガ工場が設立されたまちである。このような深谷とレンガの歴史的な関係性から、深谷市では渋沢栄一の顕彰とレンガを活かしたまちづくりが推進されることになった。こうして始まったレンガを活かしたまちづくりに関し、評価すべき点、また課題や展望などについて考察する。
2 深谷市の基本データ
2-1 深谷市の概要
深谷市は埼玉県北西部に位置し、人口は141419人(2024年1月1日現在)である。面積は138,41㎢で、田畑が全市域の約半分を占めている。北部の低地と南部の扇状台地によって構成される地形は平坦である。ネギなどの野菜生産を中心に花卉栽培も盛んで、県下でも農業生産額はトップクラスの地域である。
2-2 深谷市レンガのまちづくり条例について
この条例は2006年に制定され、2016年の改正で現在のような内容になった。条例の目的は、「レンガを活かしたまちづくりを推進し、もって市の歴史的背景を踏まえた個性と魅力のあるまちづくりに資すること」(1)である。
2-3 渋沢栄一の顕彰について
渋沢栄一は現在の深谷市に生まれて、株式会社組織による企業の創設や育成に力を注ぎ、日本の近代化の基礎をつくった人物である。そこで、彼にゆかりのある施設を一般公開したり、渋沢栄一記念館をつくって多くの資料を展示している。
3 深谷市とレンガを繋ぐ歴史的背景
そもそも深谷市とレンガが深い関係性を持つに至った歴史的背景とは、どのようなものだったのか。もともと深谷は奈良時代のころより、利根川の運んだ良質の粘土に恵まれていたことから、瓦が生産されていた。この瓦の原料となっていた良質の粘土を使って、レンガの生産を行うことを積極的に推し進めたのが渋沢栄一である。明治政府は欧米列強に並ぶため、首都東京に近代建築の官庁街をつくる必要性に迫られていた。当時の近代建築はレンガ造りが主で、官庁街の近代化のためには大量のレンガが必要となった。そのために、政府は機械式のレンガ工場の設立を経済界の重鎮であった渋沢栄一らに要請した。こうして、彼らは深谷に1887年に日本で最初の機械式レンガ工場をつくり、日本煉瓦製造会社(後の日本煉瓦製造株式会社)を設立したのである。工場建設にあたって、ドイツ人レンガ技師のチーゼが雇われ、設計にあたった。工場には、当時最新のホフマン式輪窯(写真1)が取り入れられ、レンガ製造のための機械がドイツから輸入された。さらに、この工場で生産されたレンガを輸送するため、工場から深谷駅までの4kmあまりに鉄道引き込み線も敷設された。
こうして生産されたレンガは、明治から大正期の代表的なレンガ建築である東京駅や日本銀行などの建設に使われることになった。しかし、時代が進み、レンガから鉄筋コンクリートへ建築の主流が代わっていくなかで、この工場も2006年に約120年間の歴史に幕をおろし閉鎖された。また現在、深谷市内にはレンガ製造を行っている事業所はない。
4 深谷市における評価すべきレンガを活かしたまちづくりとは
4-1 歴史的遺構の保存と活用
日本煉瓦製造株式会社の工場の一部として「ホフマン輪窯6号窯、旧事務所、旧変電室が残り、専用線であった備前梁鉄橋とともに平成9年に国重要文化財に指定された。」(2)(写真2)これらの施設は工場の閉鎖にともなって、2007年に深谷市に寄贈された。現在は深谷市が所有、管理してその保存と活用を進め、一般公開してレンガのまち深谷を広く社会にアピールしていこうとしている。あわせて深谷市は、渋沢栄一の顕彰を目的に渋沢栄一記念館をつくり、彼の業績に関わる歴史的資料を展示している。また、東京都にあった彼にゆかりの深い大正時代を代表する2棟の建物を深谷に移築復元し、2000年から誠之堂、清風亭(写真3)として一般公開している。いずれの建造物も、日本の近代化に貢献した遺構として大切に保存、活用していくことで、深谷のまちづくりの歴史的な基盤として位置づけている。
4-2 条例によるレンガを活かしたまちづくり
深谷市レンガのまちづくり条例で、「市の建築物を新築、改築、増築又は模様替えをする場合は、その壁面、外構等にレンガを使用するよう努める」(3)とされた。これによって、JR深谷駅前から市役所新庁舎までの道路の歩道などを、レンガ舗装(写真4)へ整備することが進められている。また、深谷駅舎(写真5)、総合体育館(通称ビッグタートル)などの公共施設ではレンガタイルが壁面に使用されている。さらに、2020年に建て替えられた深谷市役所新庁舎は、約16万個のレンガが使用されて建てられている。「その外観は、レンガのもつ独特の色彩や質感で非常に印象的な建物となった。」(4)特に庁舎正面の外壁のレンガは、透かし積みが採用されていて、高いデザイン性をそなえている(写真6)。
またこの条例では、レンガを活かしたまちづくりを重点的に進める地域として、深谷駅から市役所新庁舎を中心とした約100ヘクタールの区域を対象区域に定めた。(図1)そして、この条例の施行規則で、対象区域内の店舗や事業所、専用住宅の外壁や外構などにレンガを使用した場合、その規模に応じて補助金を交付する制度(2017年から施行)が設けられた。補助額は、店舗などで最大200万円、専用住宅などで30万円となっていて、こうしたレンガに関わる補助金制度は、全国的にみてもあまり例がない。
5 舞鶴市と比べて深谷市の取り組みで特筆されることとは
京都府舞鶴市は軍港として発展した歴史があることから、赤レンガの建造物が多く残っている。この赤レンガ建造物群を再生してまちづくりに繋げようと、市職員有志らの取り組みが始まった。その後、市民と市職員が協働してまちづくりに取り組む組織として、『赤煉瓦倶楽部・舞鶴』が設立された。さらには、一流のクリエーターが招かれ、赤レンガ倉庫群の中につくられていた「赤レンガパークのブランド力強化に向けた仕かけ」(5)が整えられていった。こうした取り組みで、赤レンガ倉庫群は地元の人たちが誇れる場所になり、市内外から多くの来訪者を招き入れることになった。また、「住民の間で、地域資源としての赤レンガ建造物の認識が芽生え」(6)ていった。
舞鶴市のまちづくりは、市民など民間の力を活かして生まれたさまざまなアイデアを行政が具現化していく、いわばボトムアップ的な取り組みである。それに対して深谷市のまちづくりは、行政のトップダウン的な色合いが強い。深谷市内のさまざまなレンガに関わる歴史的遺構の保存やレンガを使用した公共施設の整備などは、行政主導で進めらたからこそ目に見える成果として達成できた。さらには、歴史的な背景を踏まえてまちづくりを進めていこうとする深谷市の基本的な方針が背景にあることも、特筆すべき点である。
6 深谷市が取り組むレンガのまちづくりの課題と今後の展望
課題としては、深谷市レンガのまちづくり条例で設けられた補助金制度の利用実績が、あまり伸びていないことがあげられる。(7)この制度が利用できる区域が限定されていることや、市民に対する周知が十分とはいえないことなどが原因として考えられる。また、市民を巻き込み、市民の力を活かしたまちづくりに繋がっていない点も課題である。こうした課題を克服して新たなまちづくりの段階に進んでいくためには、「多様な主体の無理のない連携や協働が新しい地域社会の価値を生む可能性を秘めている」(8)という視点が必要である。市内でまちづくりについて地道に活動してきた市民団体(9)などと行政が連携していくことで、今後レンガを活かした新しい発想のまちづくりが期待できる。
7 まとめ
深谷市のレンガを活かしたまちづくりは、深谷市とレンガを繋げた渋沢栄一という人物の歴史的背景を踏まえた顕彰と、レンガのまち深谷という特色ある新しいまちなみの形成を図るという二つの取り組みを同時並行的に進めてきた。こうした取り組みに市民の力を活かすことでまた新たな発想が活かされ、新しい価値が生み出されていくことになる。そうしたまちづくりのモデルとなる潜在的な付加価値が深谷市にはある。
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写真1 ホフマン輪窯6号窯
https://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344387985.html
(2024年1月18日閲覧)
ドイツ人技師のホフマンが考案した煉瓦焼成窯で、1907年(明治40年)につくられ、1968年(昭和43年)に操業停止となるまで大量のレンガを生産した。この輪窯では月産65万個のレンガがつくられ、東京駅をはじめとする日本を代表するレンガ建造物に使用された。 -
写真2 日本煉瓦製造会社の旧事務所と旧変電室(2024年1月19日 筆者撮影)
写真右側の建物が旧変電室で、左側の建物が旧事務所である。これらの建物は、国の重要文化財に指定されている。 -
写真3 誠之堂と清風亭(2024年1月19日 筆者撮影)
写真右側が誠之堂で、左側が清風亭である。東京都世田谷区にあった渋沢栄一ゆかりの建物で1999年(平成11年)に深谷市に移築された。誠之堂は2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定され、清風亭は2004年(平成16年)に埼玉県指定有形文化財にそれぞれ指定された。 -
写真4 歩道のレンガ舗装(2024年1月11日 筆者撮影)
JR深谷駅から深谷市役所新庁舎までの通りで整備されているレンガ舗装された歩道 -
写真5 JR深谷駅舎(2023年11月24日 筆者撮影)
壁面をレンガタイルで覆っている駅舎である。人目を惹く斬新なデザインで、東京駅を彷彿とさせる。 -
写真6 深谷市役所新庁舎正面エントランス(2024年1月11日 筆者撮影)
深谷市役所新庁舎の正面玄関である。外壁はレンガの透かし積みがとり入れられ、そのデザインは斬新である。 -
図1 深谷市レンガのまちづくり条例補助対象区域 https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/toshiseibi/toshikeikaku/tanto/renga/1485216749255.html(2024年1月20日閲覧)
太線で囲まれた地域が、補助対象となる約100ヘクタールの対象区域である。
参考文献
註
(1)「深谷市レンガのまちづくり条例 第1条」平成28年9月30日条例第27号
https://www.city.fukaya.saitama.jp/material/files/group/41/rengajyorei.pdf
(2024年1月20日閲覧)
(2)「レンガのまち深谷」
https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/hisho/hisho/tanto/1420793218349.html
(2024年1月20日閲覧)
(3)「深谷市レンガのまちづくり条例 第3条」平成28年9月30日条例第27号
https://www.city.fukaya.saitama.jp/material/files/group/41/rengajyorei.pdf
(2024年1月20日閲覧)
(4)「芸術教養演習2レポート『レンガを活かした深谷のまちづくりの活性化』」筆者作成
(2023年11月24日提出)
(5)舞鶴市の依頼により、クリエーターの佐藤としひろ、玉田泉の両氏が赤レンガ倉庫群をま
ちの新たな観光拠点となるようプロデュースした。
土橋健司 『地域ブランドのつくり方と働き方』枻出版社、2017年、P59
(6)「赤れんが建造物群を再生し暮らしの舞台に」
https://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data3/maizuru_akarenga.pdf
(2024年1月21日閲覧)
(7)深谷市役所都市計画課への聞き取り調査(期日:令和6年1月11日 場所:深谷市役所
都市計画課窓口)
この聞き取り調査で確認したところ、補助金制度の利用実績は2017年度から年に数件
程度で、まったくない年度もあった。
(8)板垣勝彦 他『市民がまちを育む 現場に学ぶ「住まいまちづくり」』建築資料研究社、
2022年、P66
(9)深谷市内で、地元に残されている歴史的建造物などを保存、活用していこうとする代表的
な市民組織として「一般社団法人 まち遺し深谷」と「こよみ会」がある。
「一般社団法人 まち遺し深谷」は、300年の歴史をもつ蔵元の酒造跡などの運営や管理
を通して、歴史的建造物の保存や市街地活性化に取り組んでいる。
「こよみ会」は、深谷商店街連合会の中の有志で結成された組織で、歴史的な中山道沿い
の商店街の魅力をSNSなどを通して発信している。
他の参考文献
山﨑朗・鍋山徹『地域創生のプレミアム戦略 稼ぐ力で上質なマーケットをつくり出す』
中央経済社、2018年