「桐林館喫茶室・筆談カフェ」(三重県いなべ市)―表現の多様性とダイバーシティを体感できる空間―

金子 文絵

1.基本データと歴史的背景
<桐林館(旧阿下喜(あげき)小学校校舎)沿革>
昭和12年3月:阿下喜町立尋常小学校校舎として建設
昭和56年:新校舎完成、阿下喜小学校の移転、建物保存の要望を受け、正面の第一線校舎のみ移築保存
昭和59年2月:文化資料保存施設「桐林館」としてに開館
平成26年:いなべ市で初の国登録有形文化財として登録

<文化財登録後の活用>
平成29年7月:前任の地域おこし協力隊がいなべ市商工観光課と共同しカフェをオープン
令和元年4月:地域おこし協力隊の任期満了と新型コロナの流行により休業
令和元年6月:一般社団法人kinari(代表理事:金子文絵)設立、カフェの事業継続を請負う
令和元年8月:「桐林館喫茶室・筆談カフェ」(以下、筆談カフェ)として、再開
令和元年10月:代表金子が地域おこし協力隊に任用、障害者地域活動推進事業支援に取り組む

2.本事例で評価すべき点
<「筆談カフェ」の概要>
先述の通り「筆談カフェ」はコロナ禍でのスタートした。一般のカフェとの決定的な違いは“音声オフ”をルールとしている点である。筆談、手話、ジェスチャー…音声以外のコミュニケーションを楽しむ、体験型カフェとして展開している。ルール上“黙食”となるため「コロナだから音声オフなのか?」という問いも寄せられるが、その理由は感染対策ではない。聞こえない・(声で)話せない世界のコミュニケーションを体験的に落とし込むために、“音声オフ・声以外の会話”に特化している。そこには、聞こえない(話せない)ことが“誰かの障害”ではなく“ジブンゴト”として体感してもらいたい、という意図も含んでいる。
また、筆談カフェ内の展示物または物販は全て、障害を持つ作家やデザイナーが関与している。オリジナル商品である「ドリップアート」は、ドリップパックコーヒーのパッケージデザインに作品を採用し販売している。アート作品(アール・ブリュット)は福祉的な視点だけでなく芸術的観点でセレクトされており、作品としての魅力とそのプロセス、ナラティブな要素を大切にしている。

<なぜ「筆談カフェ」なのか>
これらの発想は代表である金子が、看護師及び手話通訳者としての経験に起因する。医療福祉(病気や障害)にはネガティブなイメージが先行しがちであるが、その白い箱の中には意外にもポジティブな側面、オモシロイ世界が存在する。その一つが障害者の表現活動(手話や筆談を含む)であり、そこから生み出されたアート作品である。それらのオモシロさに気づいてもらうためには、日々の暮らしと医療・福祉の乖離をなくし、間をつなぐ“ハブのような場や人”が必要である。それは、障害者への無意識の偏見やバイアスをなくすことにも繋がるのではないかと考えた。
昨今、多様性やダイバーシティといった単語をよく見聞きするが、言葉だけが一人歩きしている印象もある。反面、「筆談カフェ」は障害者の表現活動やアートを通じ、多様性を体現的にデザインした空間とも言える。

3.同様の事例との比較で特筆すべき点
<非音声コミュニケーション(手話・筆談)の事例>
先行事例として、令和元年6月にスターバックスコーヒーが東京・国立に日本初(世界では5番目)の手話を公用語とした「サイニングストア」(*註1)をオープンしている。スタッフの約8割が聴覚障害者であり、聴者のスタッフも手話が使える。筆談用のボードもあり、メニューは指差し等でやり取りができる工夫もされている。
他にも、当事者が店主の手話カフェ(コーヒーハウスcoda・滋賀県)や単発的なイベントでの筆談カフェ、静かな環境(音声会話を控える)を推奨するというブックカフェなどは散見される。しかし、音声オフのコミュニケーションを常時のルールとした場は、現時点(2023年1月末)では存在せず、「筆談カフェ」は唯一無二の価値提供をしている。

<廃校活用×障害者アートの事例>
栃木県にある「もうひとつの美術館」(*註2)は廃校を利用し、障害者アート(アール・ブリュット)の展示をメインとした私設美術館である。定期的に企画展が実施され、全国の作家たちの作品が展示されている。館内にはミュージアムショップもあり、各地の施設等で作られた、作品や福祉プロダクトが並べられている。ただ“福祉施設で作られた”という商品ではなく、それぞれアートやデザインとしてのクオリティが高いものを扱っており、福祉の面白さや斬新さを感じられる。廃校という公共性の高い場所を拠点としていること、アートやデザイン性の高い作品や福祉プロダクトを扱っている点など、「筆談カフェ」と共通項も多い。
他に、るんびいに美術館(岩手県)やNOMA(滋賀県)、はじまりの美術館(福島県)など、アール・ブリュット中心の美術館はいくつかあり、国内外からも注目度の高い展示している。「筆談カフェ」はこれほど大規模な展示は困難であるが、筆談や手話といった「非言語コミュニケーション」の体験ができることは特筆すべき点である。作品鑑賞だけでなく、表現活動を体験し、ジブンゴトにできるアート空間なのである。

4.今後の展望
<アール・ブリュットの発信基地として>
マルツナガル fuco:氏(*註3)は佐賀県在住、知的障害を伴う自閉症の作家である。金子とはSNSをきっかけに、コロナ禍を縫うように交流を重ね、筆談カフェのオープン当初から、メインビジュアルとして作品を展示している。先述した、ドリップアートの定番デザインにもなっており、令和4年9月には桐林館で個展も開催し、今後も定期的な実施を見込んでいる。
また、地元いなべ市に住む作家の発掘にも力を入れている。創作活動をしている当事者とつながり、家族や特別支援学校の教員らの協力も受け、カフェの一部スペースを利用して個展も実施している。アートを取り入れたオリジナル商品も計画しており、今後はふるさと納税の返礼品に採用する動きも出ている。

<筆談を推す場所として>
「筆談カフェ」がきっかけとなった、仲間との出会い。バリスタ兼焙煎士の柴田、イラストレーターのカトウは両者とも聴覚障害を持つ当事者である。令和2年2月、この二人と金子でユニットを組み“筆談Labo”として活動を開始。職業も年代も性別もバラバラな異色ユニットは、活動開始から約半年後、令和2年6月に”筆談を推す“会社として合同会社mojiccaを設立。現在、出張筆談カフェや筆談体験、講演や研修などの活動をしている。
今後も「筆談カフェ」を拠点としたイベントを始め、エンターテイメント性を持って、筆談を広げる活動を推進していくことが期待される。

<コミュニティナースの拠点として>
代表の金子はコミュニティナース(*註4 以下、コミナス)であり、その概念は「筆談カフェ」を含むすべての活動の基盤となっている。デザインとアートの違いとして、デザインは見る側に何らかの目的を持たせるもの、アートは目的には左右されない自由度の高いもの、という考え方がある。いわゆる医療機関や施設で働く医療職は、治療や症状の緩和という目的を持った動きがメインだとすれば“デザイン”的である。一方で、活動内容が千差万別、アプローチの自由度が高いという点において、コミナスは“アート”的な働き方だと言える。
その活動の具体例として、kinari marketがある。“ゆるくつながる小さなマルシェ”というコンセプトで、毎月第三金曜日に桐林館で開催している。飲食や物販だけでなく、健康相談や子育てフォローのブース、記念写真の撮影、“ヨムクスリ”という文字作品を提供など、多様なコミナスがそれぞれの得意を持ち寄っている。これからもアートな専門職であるコミナスたちが、人や場をゆるく繋げる役割を担っていくだろう。

5.まとめ
<古き良きと新奇性の融合>
以前、筆談カフェそのものが「作品」(*註5,6)として扱われた経緯がある。昭和の木造校舎という、時が止まったような場とは相反して、中では筆談カフェやアール・ブリュット、コミナスの活動など日々変わりゆく取り組みがされている。ある意味、建物丸ごとインスタレーション的な作品なのかもしれない。
桐林館という歴史的価値あるものをただ残すだけではなく、“新奇性”が加わることで、人々の興味関心を引く作品(場)になる。文化財の中に息づくこのアートな空間は、福祉的な観点からも、文化芸術の視点からも非常に大切な存在であり、今後も面白く進化していくことが期待される。

  • 81191_011_31683269_1_1_81915fd3-4e61-4258-bc60-d3f69dbbffcf 桐林館正面(筆者撮影 2022.4.8)
  • 219312_2 筆談カフェ入口(筆者撮影 2021.7.18)
  • 81191_011_31683269_1_3_658f6be4-c49a-4683-9438-1e3470bda5bc ドリップアート(マルツナガル fuco:)(筆者撮影 2020.11.29)
  • 81191_011_31683269_1_5_img_9801 筆談Labo(mojicca)左から:金子・加藤・柴田(撮影:栗田一歩 2021.3.19)
  • 81191_011_31683269_1_6_miku%e5%b1%95 店内作品(筆者撮影 2022.6.18)
  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA 筆談ノート(筆者撮影 2021.6.12)
  • 81191_011_31683269_1_8_0a3a2e95-d413-415d-b54a-585f46e88f01 kinari market(筆者撮影 2022.11.18)

参考文献

*註4 矢田明子著『コミュニティナースーまちを元気にするおせっかい焼きの看護師』木楽社,2019
西智弘、他著『ケアとまちづくり、ときどきアート』中外医学者、2020
若宮和男著『ハウ・トゥ アート・シンキング 閉塞感を打ち破る自分起点の思考法』実業之日本社,2019
新山直広・坂本大祐著編『おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる:地域×デザインの実践』学芸出版社,2022文化遺産オンライン「桐林館(旧阿下喜小学校校舎)」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/288019

*註1 スターバックス「サイニングストア」プレスリリース https://www.starbucks.co.jp/press_release/pr2020-3511.php
*註2 もうひとつの美術館 http://www.mobmuseum.org/
*註3 マルツナガル https://maru-tsunagaru.net/blog/
*註4 コミュニティナースカンパニー(株)HP https://community-nurse.jp/
*註5 MYOJOWARAKU CREATIVE AWARD 勝手にクリエイティブ大賞2021 https://creativeaward2021.myojowaraku.net/
*註6「筆談×カフェ×廃校」桐林館喫茶室 勝手にクリエイティブ大賞2021インタビュー https://myojowaraku.net/article/12860

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