ネパールの新文化資産
【はじめに】
1897年6月26日、川口慧海は仏経典原典を求めて神戸港からチベットへ旅立った。
この旅の記録「チベット旅行記」は1200ページに及び、ヒマラヤの風景や詩情、民族の特徴や歴史、国境でのサスペンス等が鮮やかに描かれている。
図1
ルートは、神戸港から、香港、シンガポール、インド・コルカタに入り、チャンドラ・ボーズに面会後、ガヤ、ダージリン、ネパールに入り、カトマンズ、ムスタングを経て、チベット入りを果たしている。この記録は最終目的を忘れるくらい奇想天外である。
旅のゴールは「チベット旅行記」の153回「ようやく目的を達す」というくだりに出てくる。ネパールの国王より梵文仏教典を貰うシーン。場所はネパールのカトマンズである。
川口慧海の最終目的である梵文仏経典を入手した場所はチベットではなくネパール・カトマンズであった。
ということは「仏経典が多く存在するのはネパール・カトマンズということになるのか?」そんな問いが宙に浮かんだまま「チベット旅行記」を読み終えた。
【NGMPPが解明したネパールの写本資産】
「NGMPP」とは、「Nepal-German Manuscript Preservation Project」の略、ネパールとドイツが、ネパールのサンスクリット語写本をマイクロフィルム化し、保存しようとするプロジェクトである。
この保存活動は1970年から2001年まで31年に及び。マイクロフィルム化された複製は約18万点、膨大な量の写本を集め複製した。
このNGMPPによってマイクロフィルム化された複製の中には、ヴェーダのテキストの最も古い写本(11世紀)、最も古いパーリ語の写本、最も古いスカンダプラーナの写本(西暦810年)
さらにインドではもはや存在しないタントラのテキスト、断片的な形でのみ存在していた哲学的テキストの完全なもの、珍しいチベット仏教の正典、様々な言語で書かれた貴重な資料は、ヒンドゥー教や仏教のさまざまな分野を網羅し「ネパールの境界をはるかに超える資産として重要視されている」とNGMPPは伝える。
図2
【歴史的・地形的背景】
何故「ネパールの境界をはるかに超える」写本文化資産がネパールに保存されていたのであろうか。
北インドの平原とチベット高原の間に位置するネパールは、何世紀にもわたって近隣諸国の回廊として利用された歴史を持つ。
活発な貿易活動の仲介役を務め、政情不安やイスラムによるインドでの仏教破壊の激動の時代にも貴重品の避難場所としての役割を果たしてきた。
ネパール丘陵地帯の地形はインドとチベットに挟まれ、北は8000m級のヒマラヤ山脈に守られ、南のインドからも1000m以上の山に保護されている。この地理的優位性と夏でも涼しく好ましい気候条件により、ネパール丘陵地帯は今日、南アジアと中央アジアで『最も古く、最もユニークな書物文化の資産を所有』することになったとNGMPPは伝えている。
【梵文仏教典が保存される民族的背景】
NGMPPが伝える「ネパールの境界をはるかに超える写本資産」にとどまらず、東京外語大名誉教授・石井溥氏は「仏教のサンスクリット写本に関しては、カトマンズ盆地は世界最大の【書庫】となってきた」と述べ、カトマンズを「ヒマラヤの正倉院」と名付けている。
何故、梵文仏教典がカトマンズ盆地に集められたのか。
ネパール仏教の主要な担い手となったネワール族はカトマンズ盆地の先住民族である。釈迦の子孫と言われるシャカ族もネワール族とされている。つまり、ネワール族の釈迦に対する強い信仰心によって、梵文仏教典は、彼らの本拠地カトマンズ盆地に集中して保存されたのである。
以上の歴史的、地理的、気候的、民族的特性から、川口慧海は仏経典の入手をチベットではなくネパール・カトマンズで成功させることができたのである。
図3
図4
【ネパール系梵文仏教写本の文化資産評価】
(1)川口慧海の持ち帰った梵文仏経典は「法華経」の原典研究に活用されることになる。持ち帰った当時、釈迦の悟りの頂点「法華経」の研究熱が世界的に盛り上がり、そのスタンダードとなる「ケルン南条校訂本」の書籍化が進められていた。この研究底本として川口慧海の持ち帰った仏経典も活用されることとなった。
しかし、この「ケルン南条校訂本」は問題をはらんでいたと東洋哲学研究所の小槻晴明氏は述べている。それは ケルン南条が底本として使用した写本の「読み」を校訂本の本文として採用する際の基準が曖昧なまま、ネパール系、中央アジア系の写本を混在させた校訂本を編纂してしまった。そのことによって写本グループの持つ違いがわからなくなってしまった。
近年、この問題を解決することが、梵文法華経研究の主要課題になっていた。この問題を解決する鍵を徳島大の故・戸田宏文氏が発見する。 それは「ネパール系写本のグループ分け」の研究である。この「ネパール系写本のグループ分け」を成功させた鍵は『読みの違い』の発見であるという、さらに『読みの違い』が発見できた一番重要な条件は、ネパールで保存された法華経の写本が『完本』であり、『数が桁外れて多い』ことであったという。
小槻氏は2007年に出版した梵文法華経写本の中で、戸田宏文氏が開拓した「ネパール系写本のグループ分け」の研究について
「(戸田宏文氏の研究は)この経典(法華経)のネパール系写本の数が、他の経典と比較して、類例を見ないほど多数存在するという特別な条件によって成立している」と述べている。
(2)これに対し、同研究所の故・辛嶋静志教授は、2019年の論文「『法華経』写本研究の重要性」の中で大乗仏典成立の過程について
「第一段階は、口語・口承だけの時代(紀元前)
第二段階は、口語・口承と並行して口語・書写(カローシュティー文字)の時代(紀元後1~3世紀)
第三段階は、口語まじりのブロークンな梵語時代(紀元後2~3世紀)
第四段階は、(仏教)梵語・筆写(ブラーフミー文字)時代(紀元後3/4世紀以降)」
であるとし「初期大乗仏教経典は本来、口語で伝承されていて、後に、徐々に、梵語に翻訳されていたのであり、古くて7世紀多くは 17 世紀以降に書かれた梵語写本(ネパール系梵文写本)があたかも〝原典〟かのように思いこんではならない」と注意を促している。
ユネスコの統計では、現在世界中で使用されている言語は6700、世界民族百科事典には無文字言語について「文字化された言語は、世界におそらく数%しかないのではないか。実際的に世界のほとんどの文字が無文字言語なのである」と述べている。
釈迦も口承説法のみで文字化していない、弟子達が「我はこのように聞いた(如是我聞)」と紀元後1~3世紀から口語・口承の文字化を始めたのであり、先の四段階に注意して研究をすすめる必要性はある。
(3)いずれにせよ、ネパール・カトマンズに保存されてきた法華経梵文写本は比較的新しい年代の写本である。しかしギルギッド、中央アジアの欠本した梵文仏典と比較して『完本』であることが、世界の法華経梵文研究の基盤となっていることに変わりはない。
【基本データ】
National ArchivesのResearch Officer・Raju Rimal氏に法華経写本の存在を訪ねた。
検索システムで「SaddharmaPundarikaSutra」とタイプし以下のような基本データリストを出力してくれた。
図5
<基本データの項目>
Lang:サンスクリット パーリ チベット等
Script :デバナガリ ネワリ チベタン等
Date:日付
Material:貝葉・紙等の素材
Folios:枚数
Size: 大きさ(縦×横)
State:不完全・破損の状態
Access:保管管理番号
Reel No. :リール番号
Subject :仏教・法律・ヨガ等のテーマ
図6
【特筆する点】
(1)ネパールといえば釈迦が誕生したルンビニが有名である、しかしネパールは釈迦が誕生した場所であるだけでなく、釈迦の梵文仏教典が保存される世界最大の場所であった。
(2)法華経はインドの霊鷲山で説かれ、釈迦滅後、バイシャリ、パトナ等で経典結集が行われ文字化されたが、その経典はインドでは散逸した。梵文法華経はガンダーラ・ギルギッド、中央アジアに伝わり、漢訳された法華経は中国、日本へと伝わった。
ネパールに伝わった法華経はカトマンズに集められ、世界で唯一『完本』で保存されていることが2000年以降あきらかになっている。
【今後の展望とまとめ】
ネパール・カトマンズは、釈迦活動の聖地、ルンビニ、ブッダガヤ、サルナート、ラージギル、クシナガラとは違う、釈迦の経典の新聖地として認識されつつある。
釈迦の悟りは2000年以上の時間をかけて自分が生まれたネパールのカトマンズに集まり守られ、ネパールの新文化資産を形成している。
図7
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図2 ①NGMPPの写本仕分け作業(NGMPPサイト借用未許可 2022年5月)
<出典情報>
作者名:NGMCP
記事名:「Scenes from an Expedition」
URL:https://www.aai.uni-hamburg.de/en/forschung/ngmcp/history/scenes.html
閲覧年月日:2021年12月1日 -
図2 ②NGMPPのマイクロフィルム化作業(NGMPPサイト借用未許可 2022年5月)
<出典情報>
作者名:NGMCP
記事名:「Scenes from an Expedition」
URL:https://www.aai.uni-hamburg.de/en/forschung/ngmcp/history/scenes.html
閲覧年月日:2021年12月1日 -
図3 カトマンズの地形 Tribhuvan AirPort内の立体地図 (筆者撮影加工 2021年6月)
著作権を保有するインド・ネパール・中央アジアの簡略地図にKathmanduの文字を追加し、Tribhuvan International Airport、チェックインカウンターの待合の壁に設置されたネパールの立体図を撮影、さらにKathmanduの地形が分かる部分をクローズアップして画像を切り取り、合成させた。
追加文字は「Kathmandu」のみ - 図4 梵文仏経典保存の担い手・ネワール族の特徴的な芸術造形物 (2022年7月 筆者著作権保有動画加工)
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図5 基本データ① 法華経梵文写本項目リスト(SaddharmaPundarikaSutra)(筆者加工制作 2021年7月)
出典:Napal Archivesのプリンター出力のSaddharmaPundarikaSutra(妙法蓮華教)リスト -
図6 基本データ② ネパール国立公文書館所蔵梵文法華経貝葉写本-東大赤門前 大山堂(許可取得済 2021年7月)
<出典情報>
URL:https://books-taizando.com/2018/04/26/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E6%89%80%E8%94%B5%E6%A2%B5%E6%96%87%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E5%86%99%E6%9C%AC/"
閲覧年月日:2021年10月1日 -
図7 釈迦の聖地と世界最大の梵文仏経典保存場所(GoogleMap筆者加工制作 2022年4月)
権利帰属(地図下)↓
Google Landsat/Copernicus Data SIO,NOAA,U.S.Navy,NGA,GEBCO (IBCAO SK telcom)
上記Google著作権画像に以下「文字追加」して加工した。
1.Lunbini 誕生①赤•
2.Buddha Gaya 赤• 成道・初転法輪②
3.Sarnath 赤• 阿含経説法③
4.Rajgil 法華経説法-霊鷲山 赤•
5.赤• Kushinagar 入滅⑤
6.赤•大 Kathmandu 世界最大の梵文仏経典保存場所
参考文献
【参照文献】
◇「チベット旅行記」1904年 川口慧海
◇「NGMPP」Nepal-German Manuscript Preservation Project(1970年~2001年)
https://www.aai.uni-hamburg.de/en/forschung/ngmcp/history/about-ngmpp.html
◇ヒマラヤの正倉院 2003年 石井溥
◇『英国・アイルランド王立アジア協会所蔵 梵文法華経写本(No.6)―ローマ字版』 2007年 小槻晴明
◇『法華経』写本研究の重要性 2019年 辛嶋静志
◇『ギルギット・ネパール系梵文法華経写本校訂本(C31)校訂本)』に至る道 2019年 小槻晴明
◇「法華経写本シリーズ」の概説 東洋哲学研究所
◇ネパールのサンスクリット語仏教文献研究(1) 田中公明 1990年
◇ネパールカトマンズの仏教写本の保存場所
(1)National Archives http://narchives.gov.np/home.aspx
(2)Kaisar Library
(3)Kaisar Library
(4)National Library
(5)Tribhuvan University
(6)Asha saphu kuthi
◇National Archives
National Archivesにはインターネット検索システムも構築されており、同様のリストを見ることができる。 (一定の手続きを踏めばマイクロフィルを見せてもらうこともできる) http://narchives.gov.np/List.aspx
◇東京大学付属図書館 http://utlsktms.ioc.u-tokyo.ac.jp/
リストだけではなくSaddharmaPundarikaSutraの梵文写本がどのようなものか、見たい方は、東京大学付属図書館の以下のサイトから閲覧することができる。これは本論で述べた川口慧海がネパール・カトマンズより持ち帰ったサンスクリット写本である。
◇ユネスコ https://www.unesco.org/en
Languages in education
https://www.unesco.org/en/education/languages
https://www.unesco.org/en/education/languages/need-know
◇世界民族百科事典 – 国立民族学博物館編 丸善出版 (2014/7/5)
◇釈迦初転法輪の場所
インドでは初転法輪はサルナートと認識しているが、経典が整備される日本では釈迦の初転法輪は成道直後、場所はBohhdaGayaになる。
(1)華厳経「仏、摩訶陀国寂滅道場(※寂滅道場とは悟りを開いた場所の意で、釈尊が悟達した菩提樹下をさす)に在りて始めて正覚を成ず」とあり、まず釈尊が初めて悟りを開き、その場で華厳経の教えが説かれたことが述べられる: 国訳一切経 印度 華厳部-大方広仏華厳経(新訳)(1)大東出版社
(2)法華経方便品第二「我始め道場に坐し 樹を観じ亦經行して 三七日の中に於て 是の如き事を思惟しき我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり 衆生の諸根鈍にして 楽に著し癡に盲いられたり 斯の如きの等類 云何にして度すべきと 爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釋 護世四天王 及び大自在天 幷びに余の諸の天衆 眷属百千萬 恭敬合掌し禮して 我に転法輪を請ず」:成道後に初転法輪を行った模様が説かれる:国訳一切経 印度 法華部-法華経 大東出版社