エルププロムナードの歩行空間におけるデザインの有用性について
はじめに
ドイツ・ハンブルグ市は都市州であり、正式名称は自由ハンザ都市ハンブルグ(Freie und Hansestadt Hamburg)である(1)。ドイツ北部に位置するハンブルグ州は、北海の河口からエルベ川を100Km上流に位置するドイツ最大物流拠点の港湾都市である〔資1〕。このエルベ川に面したハンブルグ港のニーダーハーフェン(Niederhafen)に防潮堤が2019年5月に完成した(2)〔資2〕。この防潮堤のデザインは、エルベ川の高潮から市街地を守るための防壁としての機能と多目的な遊歩道を作ること。そして、景観との調和や水辺へのアプローチをいくつもの階段を設け、市街地と水辺の両方を開放する事で防壁であることを感じさせないデザインを試みたと説いている(3)。本稿ではこの防潮堤天端のエルププロムナードに視点をおき、歩行者主体の空間の有用性について考察する。
1. エルププロムナードの基本データ(4),(5)
正式名称:ニーダーハーフェン洪水防御システム(Der Hochwasserschutzanlage Niederhafen)
所在地:ドイツ・ハンブルグ州ハンブルグ市ニーダーハーフェン( Niederhafen, Hamburg Germany, Koordinaten: 53° 32' 38.09" N 9° 58' 48.75" E)
防潮堤:全長625m、道幅約10m、海抜8,9m
敷地面積:920平方メートル
意匠設計:ザハ・ハディド(Zaha Hadid, 1950-2016)、ザハ・ハディド・アーキテクツ(Zaha Hadid Architects London)
総工費:1億3600万ユーロ(約177億円)
2. 歴史的背景
1962年2月に北海で発達した低気圧と暴風の影響により大規模な洪水被害を受けた。その水害で約300人のハンブルグ市民の命を奪った。その後、1964年から4年間かけて海抜7mの防潮堤を建設した。既存の防潮堤では水圧に耐える構造に満たさなかったために、海抜9mの新しい防潮堤を2000年以降に建設したが、2002年8月のエルベ川の氾濫による大規模な被害が起こった。その3年後に、水管理法における洪水抑制の改革が実施され、市街地を守るべき防潮堤は103kmにおよぶ距離に建設された。そして、歴史的建造物が建ち並ぶ倉庫街や観光地域の要衝となるニーダーハーフェン区域が最後に残されたプロジェクトであった(6)。
3. 事例の評価
エルププロムナードにおける歩行空間の価値と意識について、隣接の新開発都市ハーフェンシティの歩行空間の構成と比較することで歩行者の視点を明確にする。知覚的要素や実際の空間デザインと機能にどのように反映されているか考察していく。
3-1. エルププロムナードにおける歩行空間
エルププロムナードの歩行空間は防潮堤の上を歩いている意識がない。移動のために、また、さまざまな人々がこの空間でゆったりとした時間を過ごしていることが観察できた。しかし、このエルププロムナードには植栽が見当たらない。夏場は日陰もなく太陽が照りつける。冬場はエルベ川からの冷たい風が吹き抜ける。それでも多くの人が歩いているのだ。この空間の特徴は、遊歩道と不規則に存在するすり鉢状の白くて大きな階段である。唯一、この空間に存在する小さなカフェテリアがある。空間造形の関係性としてのバランスを考えると、アーティフィシャルな空間を占めていて、ナチュラルな部分はエルベ川に広がる空間である。しかし、何の違和感も感じずに、それでいて非日常的な空間としての錯覚も覚えた。真っすぐに伸びたこの歩行空間では空と川が視野に広がりカモメが飛んでいた。それでいて、エルププロムナードの側道には自転車専用道路や車道、高架橋の上では電車も行き交い人々の営みが近くに感じられた〔資3-1から3-4〕。
3-2. ハーフェンシティにおける歩行空間
2001年よりハンブルグ港湾地区157haを再開発するために着工され、2025年完成を目標としている欧州最大規模の都市開発プロジェクトである。住宅、商業地域、また大学も移転。さらに地下鉄も開通した。建築物はデザイン重視でありながらも、エルベ川からの水害にも対応した積土上に建設されている。この地区の歩行空間は、自動車道路の2.5倍となる34.8Kmも歩道がある(7)。また、生活感がありながらビジネス街でもある。カフェや商店が点在し、広場や公園といった公共空間も多いことに気づく。スタイリッシュな建築物の合間の歩行者専用道路がいくつも交差し、道路を隔てた場所に世界遺産の倉庫街を眺める事もできる。
この地区はいくつもの運河が存在し、歩いていると人々を水辺に向かわせるようになだらかな坂になっていることに気づく。そして、ウォーターフロントにどの場所からでもアクセスしやすいように、商業地やオフィス街の1階は自由に出入りできる公共空間となっていた〔資4〕。
3-3. 歩行空間の構成要素と比較
エルププロムナードとハーフェンシティでは、歩行空間の知覚的要素としての利便性・安全性・快適性の目的はともに果たされている。ハーフェンシティでは左右に囲まれた建設物の合間を抜けて行く空間、お店とお店の距離も近く人々が留まる姿が多く見られた。また、レストランやカフェもオープンスペースに作られており、狭い空間が逆に心地よい場となり人々の活気や生活感を感じた。
川添善行は、空間のあり方に対し建物と自然環境における融合を「全体性」の本質として、視覚的な全体性と体験による全体性の捉え方を通して、方向性を持つ空間と領域の空間の違いを説いている(8)。また、イー=フー・トゥアン(Yi-Fu Tuan,1930-)は『Space and Place, The Perspective of Experience』にて、「経験とは視覚、感情、思考を意味している」と説き、視覚経験による空間の広がりと密集度合いの認識や立体知覚能力に対して、経験した空間領域を「場所とは安全であり、空間は自由である」(9)と述べている。しかし、エルププロムナードにおける空間では、左右に囲む建設物はなくエルベ川と空が広がり、生活感が一気に消えシークエンスデザインが目立つ。グレーの石畳と白い石の階段のコントラストが歩行者の視界に入るだけである。
ジェフ・スペック(Jeff Speck, c.1964-)は、「歩きやすい道」をさまざまな視点から研究し歩行空間の歩きやすさの概念を定義した(10)。しかし、この定義からみてもエルププロムナードは、どの場所からでもアクセスしやすく、実際の物理的要素としての歩き易さ、動線の連続性に優れている。また、隣接している駅などや観光名所からのアプローチやアクセス性を見てもこの歩行空間は機能されていた。都市デザインを説いたケヴィン・リンチ(Kevin Lynch, 1918-1984)の「ストラクチャー」である物理的特性や機能性をデザインすることで「アイデンティティ」を上手に形成できていることも認められた(11)〔資5〕。
4. 今後の展望
エルベ川の高潮からハンブルグ市街地の重要文化財や歴史的建造物を守るために、エルププロムナードは100年先のエルベ川の水域調査の結果より80cmも高く堤防を設定した(12)、(13)。その一方で、市街地や観光名所をつなぐ役割として、人々が無意識に水辺に近づくような空間を作り上げた。その結果、多くの観光客が移動のための空間として利用している。また、市民が憩いを求め訪れていたことも確認できた。無機質なエルププロムナードだからこそ、国籍、年齢に関係なく歩行者に受け入れられた。歩行者主体の経験をここで重ねるたびに、若い家族が住みたいと思うような街として変化していくであろう。将来的な歩行空間の有用性が高い事がわかった。
まとめ
空間デザインは多様性があり、いくつもの評価軸でデザインされている事がわかった。だからこそ、場所と人の関係についての生活空間や公共空間の理論も存在する(14)。地域が持つ特性と融合したエルベプロムナードのデザインは防潮堤を感じさせないアイデンティティの空間であり、早川克美が説いた「領域間をつなぐデザイン」(15)が人にとって歩きやすい空間から歩きたくなる空間への物理的要素以外の人の意識へとつながる空間デザインが評価できた事例であった。
-
資料1
( OpenStreetMapを使用して筆者作成) -
資料2
(2022年1月15日、筆者撮影) -
資料3-1
( OpenStreetMapを使用して筆者作成) -
資料3-2
(写真提供:„Niederhafen River Promenade, Hamburg“ von den Architekten „Zaha Hadid Architects, London“ und Photo: „courtesy of Piet Niemann“,本人の許可を経て使用) -
資料3-3
( OpenStreetMapを使用して筆者作成) -
資料3-4
(2022年1月15日、筆者撮影) -
資料4
( OpenStreetMapを使用して筆者作成、2022年1月15日筆者撮影) -
資料5:補足
エルププロムナードでは、歩行者主体の歩行空間がデザインされている。どこからでもアクセスでき、移動、滞留のしやすさが特筆される。一本道のために案内板など必要とせず、誰でも迷わずに往来が可能である。また、開放的な遊歩道には日陰など暑さをしのぐモノはない。これは夏場が過ごしやすいヨーロッパの風土に関係してくる。あえて何もないプロムナードなデザインでありながら、体験することで理解できる空間領域となっている。人として五感を最大に活用できる歩きやすいデザインである。
( OpenStreetMapを使用して筆者作成)
参考文献
【参考文献・註】
註(1)hamburg.de,HP. https://www.hamburg.de/geschichte/ ,(2021年12月31日閲覧)
註(2)hamburg.de,HP. https://www.hamburg.de/contentblob/2043750/88b6f0c6bd3ec0308ce339419be40809/data/dl-uebersicht.pdfHamburg.de: Übersicht Niederhafen , abgerufen am 30. Dezember 2011.(2021年12月30日閲覧)
註(3)伊藤みろ、「土木のチカラ:川と街に開いた“壁”のない防潮堤:エルベプロムナード(ドイツ・ハンブルク市)」、『日経コンストラクション』、日経BP、2021年2月22日号、p.8-15。
註(4)Zaha Hadid Architects HP.
https://www.zaha-hadid.com/architecture/hamburg-river-promenade/, (2021年12月31日閲覧)
註(5)Jan Hübener Architekt HP.
https://www.janhuebener.de/uesr, (2021年12月31日閲覧)
註(6)Hamburger Abendblatt, Hamburg HistorischeNr3, Hamburg: Funk Medien Hamburg GmbH,2020, p.60-62.
註(7)五十嵐敏郎、「ハンブルグ市の挑戦・ハーフェンシティ計画」、『安寧の都市研究』、京都大学大学院工学研究所・医学研究科安寧の都市ユニット、第4号、2013年、p.47-51。
註(8)川添善行、『芸術教養シリーズ19、私たちのデザイン3、空間にこめられた意思をたどる』第2刷、京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2020年、p.15-25。
註(9)Yi-Fu Tuan, Space and Place The Perspective of Experience, Minneapolis: University of Minnesota Press, 2018, p.3, 8-18.
註(10)Jeff Speck, Walkable City, How downtown can save America, one step at a time,
New York: North Point Press, 2012, p.71-72, 75-261.
註(11)Kevin Lynch, Das Bild der Stadt, Gütersloh, Berlin, Bauverlag BV GmbH, 2013, p.318-20.
ケヴィン・リンチの「ストラクチャーとアイデンティティ」:環境のイメージを形成する概念で、この中に「ミーニング」も含まれる。色や形、マテリアルや配置など視覚的に受け入れることができるのが「ストラクチャー」であり、空間の構成要素となる。街や歩行空間の「アイデンティティ」形成には、周りの環境にも影響を及ぼすが、「ストラクチャー」をうまく利用する事で歩行空間を多様化する事が可能となる。
註(12)伊藤みろ、「土木のチカラ:川と街に開いた“壁”のない防潮堤:エルベプロムナード(ドイツ・ハンブルク市)」、『日経コンストラクション』、日経BP、2021年2月22日号、p.8-15。
註(13)hamburg.de,HP. Hochwasserschutz für die Hamburger Binnengewässer
https://lsbg.hamburg.de/contentblob/3876388/b740570024fcfb20d6ca6409db9be1c3/data/hochwasserschutz-hamburger-binnengewaesser.pdf, (2022年1月20日閲覧)
註(14)松田純子、「イーフー・トゥアンの『場所』理論について」、『文化女子大学紀要. 服装学・生活造形学研究』、1999年30号、p.139-148。
註(15)早川克美、『芸術教養シリーズ17、私たちのデザイン1、デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』第2刷、京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2020年、p.81-87、p.184-186。
【参考文献・書籍】
・Kevin Lynch, Das Bild der Stadt, Gütersloh, Berlin, Bauverlag BV GmbH, 2013.
・Olaf Preuß, Hafen Hamburg Geschichte-Zahlen-Menschen, Kiel/Hamburg: Wachholtz Verlag, 2016.
・Yi-Fu Tuan, Space and Place The Perspective of Experience, Minneapolis: University of Minnesota Press, 2018.
・Jeff Speck, Walkable City, How downtown can save America, one step at a time,
New York: North Point Press, 2012.
・Hermann Hipp, Freie und Hansestadt Hamburg Geschichte, Kultur und Stadtbaukunst an Elbe und Alster, Köln: DuMont Buvhverlag, 1996.
・Hamburger Abendblatt, Hamburg HistorischeNr3, Hamburg: Funk Medien Hamburg GmbH, 2020.
・Ralf Lange, Architektur in Hamburg Der große Architekturführer Über 1000 bauten in Einzeldarstellungen, Hamburg: Junius Verlag GmbH, 2008.
・Philip Jodidio, ZAHA HADID, Köln: TASCHEN GmbH, 2016.
・Don Norman, The design of everyday things – Revised and expanded edition, New York: BASIC BOOK, 2013.
・武田史郎、山崎亮、長濱伸貴『テキスト ランドスケープデザインの歴史』第4刷、学芸出版、2020年。
・牧野良三、『モノと空間のデザインを考える』、武蔵野美術大学出版局、2021年。
・早川克美、『芸術教養シリーズ17、私たちのデザイン1、デザインへのまなざし - 豊かに生きるための思考術』第2刷、京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2020年。
・中西紹一、早川克美、『芸術教養シリーズ18、私たちのデザイン2、時間のデザイン - 経験に埋め込まれた構造を読み解く』、京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年。
・川添善行、早川克美、『芸術教養シリーズ19、私たちのデザイン3、空間にこめられた意思をたどる』第2刷、京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2020年。
【参考文献・論文】
・中村一樹、紀伊雅敦、「歩行行動の要求段階に基づく歩行空間の質の知覚的評価手法の構築」、『土木学会論文集D3(土木計画学)』第33巻、2016年、p.I_861-I_870。
・岡本耕平、「ケヴィン=リンチの都市論」、『名古屋大学文学部研究論集』第170号、1990年、p.187-199。
・諏訪淑也、山口敬太、川崎雅史、「近年の欧州におけるインフラ空間の再編 - 歩行空間化による都市デザイン -」、『景観・デザイン研究講演集』第13号、2017年、p.24-31。
・中村一樹、森文香、森田紘圭、紀伊雅敦、「歩行空間の機能別デザインが包括的な知覚的評価に与える影響」、『土木学会論文集D3(土木計画学)』Vol.73(5)第34巻、2017年、p.I_683-I_692。
・守田賢司、中村一樹、「歩道境界空間デザインを考慮したVR歩行空間評価」、『土木学会論文集D3(土木計画学)』Vol.75(6)第37巻、2020年、p.I_137-I_144。
・濱元優、篠原修、「近代街路におけるプロムナードの成立と展開に関する研究」、『『景観・デザイン研究講演集』第2号、2006年、p.77-84。
・尹在男、若林直子、宗方淳、平手小太郎、「都市生活者の地域環境評価における認知の空間的な分布に関する研究」、『日本建築学会環境系論文集』第574号、2003年、p.51-57。
【Web閲覧】
・Jeff Speck HP,
https://www.jeffspeck.com,(2022年1月20日閲覧)
・TYPISCH HAMBURCH HP, 「10 Dinge über die neue Elbpromenade in Hamburg」,
https://typisch-hamburch.de/10-dinge-ueber-die-neue-elbpromenade-in-hamburg/,
(2022年1月20日閲覧)
・PIETNIEMANN HP,
https://www.pietniemann.de,
https://www.pietniemann.de/portfolio#/niederhafen-river-promenade,(2022年1月20日閲覧)
・Ingenierbüro Dr.Binnewies HP,
https://www.dr-ing-binnewies.de/projekt/elbpromenade-hws-niederhafen/
(2022年1月20日閲覧)