
日本最古のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部のヴォーリズ建築に関する考察 ~バランス窓の設計着想はいかにして生まれたか
はじめに
1903年開場の神戸ゴルフ倶楽部。日本最古のゴルフ場であり、六甲山山頂に位置している。そのクラブハウスは、1931年にアメリカの建築家W・M・ヴォ―リズ(1880~1964)*1(以下同氏)により設計され、1932年に建てられたものだ。特に、ハウスの「吊り下げ窓(バランス窓)」*2は非常に珍しく、現存する同氏設計のものでは唯一無二だろう。様々なヴォ―リズ建築を調査するも同様の窓は他に見つからない。
以上を踏まえ、なぜそのような窓を同氏が設計したのかという「問い」を明らかにすべく、同氏が関わった「場所」「年代」「環境」「既存から」という4つの観点から調査し考察するものである。
1.神戸ゴルフ倶楽部の概要と歴史的背景
「六甲の開祖」と称されるイギリス人、A・H・グルーム(1846~1918)*3が、仲間との団欒の中で発した言葉「ここにコースを造ろうじゃないか」という一言が発端とされている。
1903年2月27日に神戸商工会議所で「神戸ゴルフ倶楽部」創立総会が開かれた。9ホールで当初開場された日本最古のゴルフ場である。開場時のクラブハウスの設計者は不明である。幾度かの増改築を経て、それらすべてを取り壊し、1931年にヴォ―リズ氏によって現在のクラブハウスが設計された。
名称:一般社団法人神戸ゴルフ倶楽部 クラブハウス
登録有形文化財 第28-0373号
所在:兵庫県神戸市灘区六甲山町一ケ谷1-3
敷地:約660㎡
設計:ウィリアム・メレル・ヴォ―リズ
施行:藤田工務店*4
完成:1932年7月末
2.積極的に評価すべき点
同氏設計による物件を調べてみたが、ゴルフ場のクラブハウスは唯一無二*5だろう。本稿では、特にその窓に注目したい。「吊り下げ窓(バランス窓)」といい、完全開放時は2枚の窓両方を下の戸袋に落とし込む形のものだ。一枚はガラス窓で、もう一枚は木製の雨戸である。つまり、六甲山頂は気象条件が過酷なため、ゴルフ場が閉鎖される冬季は木製の雨戸を戸袋から引き上げ出して閉め、クラブハウス内を風雪から守る。秋季は、肌寒くガラス窓のみを閉める。季節のよい春夏には2枚の窓すべてを戸袋にしまい、完全オープンな解放感あふれるクラブハウスを演出するのだ。
これは、単なるデザインの問題で、数多のヴォーリズ建築から類似した窓が存在するのだろうと当初は予想していたが、全く同様の窓は見つからないのである。
3.比較と考察
「場所」「年代」「環境」「既存から」という4つの観点から仮説をたて、バランス窓の設計着想ルーツを考えたい。
3-1 「場所」
六甲山頂には3つのヴォーリズ建築が確認される。1つは1932年建築の当該クラブハウス、次に1934年建築のヴォーリズ六甲山荘(旧小寺山荘)、最後は現存しない1931年建築の旧アーウィン邸である。これら3つ*6を比較し、バランス窓の着想ルーツを考えたい。
まず、3つを比較する妥当性である。いずれもヴォ―リズ建築であり、かつ同じ六甲山頂という「場所」に建てられたものであり比較するに妥当と思料される。
次に比較する視点だ。特に窓に着目する。同じ「場所」に建築されており、バランス窓のデザイン着想が「場所」によるものなら、当該クラブハウスと同様のバランス窓が採用されても不思議ではないからだ。
しかし、窓を比較するも同様のバランス窓は採用されていないことは明らかだ。つまり同じ「場所」であることが、同様の窓のデザイン着想にいたった理由ではないと推察される。
3-2「年代」
1930年頃、ヴォーリズの活動において最も実りの多い最盛期*7だという。当該クラブハウスと同じ1932年の建築物件は5つ存在する。同じくそれらの「窓」に着目し比較したい。同じ年の建築物を比較することは、その設計にかかる着想ルーツを探る上でひとつの切り口であり、妥当である。
旧ハミルトン別荘(長野県軽井沢)、同志社大学アーモスト館(京都市上京区)、旧クラップ邸(京都市上京区)、大丸ヴィラ旧下村邸(京都市中京区)、関西学院聖和キャンパス4号館(兵庫県西宮市)の5つ*8が該当する。
しかし、同様のバランス窓は確認できない。つまり、同じ「年代」に設計したことも、着想の契機ではなかったと推察される。
3-3「環境」
六甲山頂に位置する当該物件と同様の「環境」にある物件を考えたい。3-1の物件の他、同氏が関係するルーツをたどると軽井沢の山荘があげられる。というのも、同氏は1905年来日以来、毎年軽井沢へ出かけており、1912年にヴォーリズ合名会社夏事務所を設け、6月後半から7月、8月いっぱいの3か月間は軽井沢に滞在していたという。
同氏が設計した軽井沢の物件は、現在10か所確認される。そのうち当該クラブハウスを建築した1932年以前の8物件*9を考察する。なぜなら、1932年以前に同様の「窓」を設計していれば、そのアイデアを流用したと考えても不思議ではないからだ。
1918年建築の軽井沢ユニオンチャーチと亜武巣山荘、1922年建築の浮田山荘、1926年建築の軽井沢集会堂、1929年建築の軽井沢教会、1930年建築の軽井沢会テニスコートクラブハウス、1930年建築の旧西川家住宅、1931年建築の旧朝吹別荘(睡鳩荘)である。
しかし、同様のバランス窓は確認されない。ただ、六甲山頂のような山荘建築という類似性の観点から観察すると、壁は下見板であり色彩も茶・エンジ色という共通点が確認される。
よって、当該クラブハウスは、同氏による山荘建築の思想が反映されてはいるが、これらにもバランス窓の着想の端緒は確認されない。
3-4「既存から」
幾度も増改築を経た元クラブハウスからの着想はないだろうか。改築回数、設計者含めすべて不明である。よって、現在のクラブハウスと過去の写真*10を比較し、「窓」の考察を試みたい。既存物件からの着想が、同氏が設計する上で最もイメージが湧きやすいと推察されるため、それらを比較することは妥当だろう。
1903年写真のクラブハウスからは同様の窓は確認されない。
1907年写真はどうだろう。ガラス窓は下には収納されないが、上部へ引き上げる格好でクラブメンバーが顔を覗かせる姿が確認される。さらに、一番手前の窓の下に木製の戸袋のような木枠が見てとれる。それはきっと冬場をしのぐ木製の雨戸を収納するものではないだろうか。
つまり、同氏設計時にこの戸袋から着想を得て、窓の下框のさらに下に収納するスペースを造るデザインへと変更したのかもしれない。
1913年写真時点では、木製戸袋は確認されないが、同氏が設計した他物件の窓にも度々採用される2枚重ねタイプのガラス窓が、グルーム氏の背後に確認される。2枚重ね窓ではメンバー同士が室内と室外を跨いで団欒するには、窓の解放部分が狭く不自由だろう。よって、ガラス窓を1枚にし、下框のさらに下部へ収納するデザインへと同氏が変更したのかもしれない。
あくまで推察だが、1931年設計当時、それらの過去の写真を同氏も見たのではないだろうか。また数多くのクラブメンバーとも対話を重ねたのだろう。そしてメンバーの団欒や六甲山頂の見晴らしや風通しなど含めたクラブライフ全般をきっとデザインしたに違いない。現在のバランス窓の着想のルーツは、きっと現場から生まれたのだ。
同氏は『吾家の設計』という著書で、住宅建築の5つの根本問題*11に触れ、住宅に光と空気を取り入れることによる健康増進や、そこに集う人種の発展に言及している。きっと現在まで存続する神戸ゴルフ倶楽部の発展までも視野にいれていたのではないだろうか。
4.今後の展望とまとめ
本稿では、クラブハウスのバランス窓の設計着想ルーツを調査したが、神戸ゴルフ倶楽部へのインタビューや現存する資料だけでは、完全に解明するにはいたらなかった*12。しかし、一定の成果は得られただろう。
ゴルフ倶楽部とは、元来限られた一部のメンバーのみが共有できる「場」であり、ある意味排他的なコミュニティであるともいえる。それらが極上の時間をメンバー同士が共に共有できる長所でもあり、本稿のように100年近く前の登録有形文化財にかかる情報を追跡する上では短所でもあるのだろう。
数多あるヴォーリズ建築には当該クラブハウスのバランス窓の他に、いまだ解明されていない事象がきっと山積しているはずだ。本研究をきっかけとし、様々なヴォーリズの設計思想に触れてみたい好奇心は強まるばかりである。
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註*2 【資料1】「吊り下げ窓(バランス窓)」の説明。
2024年11月6日筆者撮影写真及び筆者作成図など。 - 註*5 【資料2】(株)一粒社ヴォーリズ建築事務所、山形政昭教授のメール内容。(非掲載)
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註*6 【資料3】ヴォ―リス六甲山荘(旧小寺山荘)の写真など。
2024年10月6日、11月6日 筆者撮影写真など。 -
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註*6 【資料4】旧アーウイン邸の説明。
2024年11月6日筆者撮影写真など。 -
註*8 【資料5】旧ハミルトン別荘、同志社大学アーモスト館、旧クラップ邸、大丸ヴィラ旧下村邸、関西学院大学聖和キャンパス4号館の写真。
2024年12月3日、12月27日筆者撮影写真など。 -
註*9 【資料6】軽井沢ユニオンチャーチ、亜武巣山荘、浮田山荘、軽井沢集会堂、軽井沢教会、軽井沢テニスコートクラブハウス、旧西川家住宅、旧朝吹別荘(睡鳩荘)の写真。
2024年12月17日筆者撮影写真など。 -
註*10 【資料7】『神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み』書籍p.109,p.129,p.139 掲載の過去の写真を引用し説明した資料。
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註*12 【資料8】昭和59年当時の神戸ゴルフ倶楽部クラブハウス改築図面と説明。
2024年11月6日筆者撮影写真など。
参考文献
【註】
*1 W・M・ヴォ―リズ(1880-1964)
ウィリアム・メレル・ヴォ―リズ。1905年に英語科教師として来日。1941年に日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。のちのヴォーリズ建築事務所を設立し、滋賀県の近江八幡を拠点に、日本各地で数多くの西洋建築を手がける。
W・M・ヴォーリズ『ヴォーリズ著作集Ⅰ 吾家の設計』、株式会社創元社、2017年の巻末著者略歴引用。
*2 【資料1】吊り下げ窓(バランス窓)の説明
*3 A・H・グルーム(1846~1918)
アーサー・ヘスケス・グルーム。幕末から明治にかけて日本で活躍したイングランド出身の実業家。六甲山の観光開発と景観保護に力を注ぎ、神戸ゴルフ倶楽部を創設するなどの功績により「六甲の開祖」と称された。1912年にはその功績を讃える「六甲開祖之碑」、また1994年には「グルーム胸像」が六甲記念碑台に建てられている。
神戸ゴルフ倶楽部100年史編集委員会編『神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み』、社団法人神戸ゴルフ倶楽部、2003年、p.99-p.101
*4 2015年11月29日(土)に神戸ゴルフ倶楽部にて行われた山形政昭教授の講演録より引用。藤田工務店は現在廃業しており存在しない旨、2024年10月23日(水)関西学院大学三田キャンパス内ヴォーリズ研究所にて、山形教授にインタビュー実施し確認。
*5【資料2】参照。ヴォーリズ建築事務所や山形政昭教授(工学博士・一級建築士・大阪芸術大学名誉教授。主な研究分野は、日本の近代建築および和洋の住宅建築、とくにウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築)へのインタビューやヒアリング実施。結果、神戸ゴルフ倶楽部のバランス窓は唯一無二のものと思料される。
*6ヴォーリズ六甲山荘【資料3】。1934年建築。関西学院大学高等商学部教授 小寺敬一(1894~1951)の別荘としてヴォーリズが設計。同氏は、神戸ゴルフ倶楽部の理事を務め、また1926年には同クラブのクラブチャンピンにも輝く。山荘の窓はすべて引き戸。木製雨戸も窓横の戸袋から引き戸式になっていることが確認できる。
旧アーウィン邸。【資料4】。1931年建築。アメリカ人アーウィン(生没不詳)の別荘としてヴォ―リズが設計。アーウィンは永らく神戸ゴルフ倶楽部の名誉書記を務める。この山荘はヴォーリズ作品の中でも、稀にみる日本趣味を表す特異なものである。現存しないが、図面や当時の写真から推察するにバランス窓は確認できない。ヴオーリズ建築事務所 作、 中村勝哉編『ヴォーリズ建築事務所作品集』城南書院、1937年、p.167-p.170引用。
*7 2015年11月29日(土)に神戸ゴルフ倶楽部にて行われた山形政昭教授の講演録より引用。ヴォーリズの活動において最も実りの多い最盛期であり、現存する建築物の主だったものは、この時期に建てられたものと言及。
*8【資料5】旧ハミルトン別荘(長野県軽井沢)、同志社大学アーモスト館(京都市上京区)、旧クラップ邸(京都市上京区)、大丸ヴィラ旧下村邸(京都市中京区)、関西学院聖和キャンパス4号館(兵庫県西宮市)の5つの写真より、バランス窓は採用されていない。山形政昭・神谷悠実監修「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築マップ」、ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク、2020年から物件抽出。
*9【資料6】 1918年建築の軽井沢ユニオンチャーチと亜武巣山荘、1922年建築の浮田山荘、1926年建築の軽井沢集会堂、1929年建築の軽井沢教会、1930年建築の軽井沢会テニスコート・クラブハウス、1930年建築の旧西川家住宅、1931年建築の旧朝吹別荘(睡鳩荘)の8つの写真より、バランス窓は採用されていない。
山形政昭・神谷悠実監修「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築マップ」、ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク、2020年から物件抽出。
*10【資料7】『神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み』書籍p.109、p.129、p.139に掲載されている過去の写真の考察を実施。結果、1907年当時のクラブハウスの写真に着想のルーツが確認できる。
*11 W・M・ヴォーリズ『ヴォーリズ著作集Ⅰ 吾家の設計』、株式会社創元社、2017年、p.22-p.28に建築に関する5つの根本問題が記されている。第一は「保護」、第二は「安楽」、第三は「プライバシー」、第四は「健康」、第五は「人種の発展」である。
*12 【資料8】神戸ゴルフ倶楽部に協力を得て、ヴォーリズ氏設計の図面が残されているか調査するも、現存せず。昭和59年当時の改築の図面のみ筆者撮影。
【参考文献】
W・M・ヴォーリズ『ヴォーリズ著作集Ⅰ 吾家の設計』、株式会社創元社、2017年
神戸ゴルフ倶楽部100年史編集委員会編『神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み』、社団法人神戸ゴルフ倶楽部、2003年
神戸ゴルフ倶楽部九十年誌出版委員岡橋泰一郎他『神戸ゴルフ倶楽部九十年誌―二十世紀から二十一世紀への贈りもの』、社団法人神戸ゴルフ倶楽部、1991年
山形政昭・神谷悠実監修「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築マップ」、ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク、2020年
ヴオーリズ建築事務所 作、 中村勝哉編『ヴォーリズ建築事務所作品集』城南書院、1937年
山形政昭・上田均「第14回神戸建築物語『六甲山開化物語』講演会」、神戸ゴルフ倶楽部、2015年
一般社団法人神戸ゴルフ倶楽部HP、https://kobegc.or.jp/ 、2024年11月8日確認
学校法人関西学院HP、https://ef.kwansei.ac.jp/ 、2024年11月23日確認
文化遺産オンラインHP、https://bunka.nii.ac.jp/ 、2024年11月28日確認
軽井澤銀座商店街HP、http://karuizawa-ginza.org/ 、2024年11月28日確認
一粒社ヴォーリズ建築事務所HP、http://www.vories.co.jp/index.html 、2024年11月28日確認
軽井沢町HP、https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/index.html 、2024年11月28日確認
一般財団法人軽井沢会HP、https://www.karuizawa-kai.org/ 、2024年11月28日確認