浜松まつりのお囃子について

加藤 昌行

はじめに
私の住む静岡県浜松市では、毎年5月3日から5日の3日間、浜松まつりが開催される。浜松まつりは、昼の大凧合戦、夜の御殿屋台引き回しの二つの顔を持つ市内最大の催しである。本レポートでは、地域の文化資産として、夜の部の御殿屋台で演奏される「お囃子」を取り上げ報告する。

1.基本データと歴史的背景
1)浜松まつりの概要、歴史
浜松まつりの特徴のひとつは、特定の神社仏閣の祭礼ではなく都市まつりであるという点である。浜松まつりが現在の姿になったのは、昭和25年(1950)の「第一回浜松まつり」からであるが、中心行事である凧揚げの起原については、浜松市は、信憑性に乏しい(1)としながらも、永禄年間(1558~69)に当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って凧を揚げたことがはじまり(2)という説を採用している。
凧合戦は、もとは町ごとに近くの広場など随所で行われていたが、明治43年(1910)以降、一つの会場に全町が集まって行われるようになる。これにより、会場との距離が遠くなった各町が、弁当や湯茶の運搬に荷車を使用するようになり、これに凧を積んだのが屋台のはじまりといわれている(3)。大正期になると、長方形に組んだ木の枠に四本の柱を立て、それに凧をのせて屋根とし、造花や提灯を飾り付けた「底抜け屋台」(資料1)が作られ、昭和に入ると多くの彫刻で装飾した「御殿屋台」(資料2)が登場する(4)。しかし、昭和20年(1945)の浜松大空襲により屋台の大半が焼失し、現在の屋台はほとんどが戦後に再建・新造されたものである。
2)お囃子について
浜松まつりのお囃子の始まりは、明治末に浜松市内の芝居小屋(若松座)で専属的に興行していた役者、森三之助(1874~1940)が、一座を引き連れて凧合戦に参加した帰り、屋台が会場から引き揚げる際に、笛や太鼓を演奏しながら賑やかに帰ったのがきっかけとされる(5)。そして、これに刺激された各町の若衆連が、地元の芸達者の人々と協力して、道囃子を町々で競うようになったのである。
お囃子は、戦前は青年若衆が演奏していたが、戦後になると子どもたちが担当するようになる(6)。楽器の編成は、四拍子(太鼓、大鼓、小鼓、笛)と、鉦、三味線で、笛と三味線を大人が担当し、それ以外は小学校高学年の女子児童が中心となっている。
演奏曲は『小鍛冶』『鞍馬山』『四丁目』『楠公』『四季の山姥』『越後獅子』『花見踊』などの歌舞伎音楽が中心で、曲中の「合方(あいかた)」と呼ばれる舞台効果を高めるための部分が演奏される。町によっては、民謡やオリジナル曲なども演奏されているが、全体的には歌舞伎囃子が主体となっている(資料3)。
浜松のお囃子は、鍛冶町(資料4、5)、千歳町(資料6、7)といった、市の中心部で始まり、演奏曲もこれらの町に関連するものが選ばれたと考えられる。例えば、鍛冶町の主な演奏曲は、町名が示す通り『小鍛冶』である。また、御殿屋台の引き回しが行われる会場が「鍛冶町通り」であることも、多くの町がこの曲を演奏する理由であると考えられる。

2.浜松まつりのお囃子の評価ポイント
浜松まつりのお囃子の特徴は、小学生が歌舞伎音楽を演奏することである。各町の屋台(2024年は85基)には10人程度の小学生のお囃子が乗る。囃子方は交代もあるため、毎年千人程度の小学生が、屋台の上での演奏を体験することになる。演奏するのは曲全体の一部ではあるが、歌舞伎音楽をそのまま演奏するので、日本の伝統音楽に直接触れることができる。屋台に乗るのは高学年だが、練習は低学年から行うので、それも含めれば浜松市では、数千人の小学生が本格的な和楽器の演奏を体験していることになる。
文部科学省は「我が国や郷土の音楽に親しみ、よさを一層味わうことができるよう、和楽器を含む我が国や郷土の音楽の学習の充実を図る」(7)など、小学生への伝統音楽の教育について明記しているが、浜松では戦後から、お囃子によってこれを実践していることになる。
また、屋台に乗ることのできない男子児童はラッパ隊としてまつりに参加する。お囃子やラッパ隊に参加することで、普段交流のない町の大人や、学年・学校が違う子との交流を持つことができ、コミュニケーション力がつくことも期待できる。

3.神田囃子との比較
神田囃子は、東京の神田祭りにおいて神田明神に奉納されるお囃子である。楽器は、大太鼓、締太鼓2台、篠笛、鉦の編成である。神田囃子の演奏曲は、組曲形式で、神輿の出発の際の『屋台』、宮入を告げる『昇殿』、渡御の際の『鎌倉』、宮入を喜ぶ『四丁目』、神輿の帰還の際の『上がり屋台』と続く構成になっている。神田囃子が神社への奉納が目的で、曲目や演奏の順番に決まりがあるのに対して、浜松のお囃子は、余興として始まったものであるため、演奏曲は自由で町ごとに特徴がある。
神田祭の囃子方になるには、年齢制限はなく、神田囃子保存会に参加して各楽器を順番に覚えていく。現在は、囃子方が減少しているため、保存会は神田の外も含めて広く募集している。また、神田囃子は神田祭の他にも、初詣の三が日、豆撒き、桜祭、大祓、七五三などで演奏する機会がある(8)。
浜松まつりの囃子方は、屋台を持つ各町が町内の小学生に参加を募り、低学年から練習を始めて、高学年の女子児童が屋台に乗る。凧揚げやお囃子といった、まつり行事の継承は各町が行っており、神田囃子保存会のような保持団体がない。また、浜松のお囃子は、まつりが終われば演奏機会はなく、小学校を卒業すれば練習の機会もなくなる。

4.今後の展望について
浜松まつりのお囃子は、小学生が和楽器の演奏をするという人生儀礼と考えることができ、芸能としての独自性は少ない。小学校卒業までという期間限定のため気軽に始められるが、その反面、卒業後も続けたいと考える子どもの受け皿がない。また、少子化の影響と近年のコロナ禍によるまつりの中止により、参加する子どもが減っている問題がある。これには、今まで女子児童中心だったお囃子に男子児童も募集したり、屋台のない町の子どもを募集するなどの動きが見られる。これは、今まで参加したくてもできなかった子どもたちには良い傾向といえる。
さらに問題なのは、各町の指導者の不足である。浜松まつりには、神田囃子保存会のような保持団体がなく、お囃子の指導は各町内会に任されており、活動期間も、まつり前の2か月間程度である。そして、主な演奏曲である歌舞伎音楽について、正しく指導できる専門家がいる町は少ない。現在は、まつりが近づくと各町がそれぞれ専門家を招いて指導を仰いだりしているが、今後は、市などが中心になって育成の場を設けるなどの工夫が必要と考える。
また、まつりに伴う問題として騒音がある。新聞社の調査によれば「浜松まつりを好きではない」と答えた浜松市民が3割近くおり、その主な理由は「夜遅くまでうるさい」であった(9)。まつりに参加しない市民にとっては、お囃子やラッパは騒音とされる。まつりの存続のためには、演奏や練習の際の場所や時間帯など、より厳しい規制が求められる可能性がある。

5.まとめ
浜松まつりのお囃子は、凧揚げ会場からの帰り道の道囃子を起源とし、戦後になって歌舞伎音楽を小学生が演奏するという形になった。これにより、浜松では毎年子どもたちが日本の代表的伝統芸能である歌舞伎のお囃子を演奏する機会ができた。つまり、浜松まつりのお囃子は、郷土芸能としてではなく、小学生が演奏するという行事の風習に、地域の文化資産としての価値があるといえる。この伝統を継続していくためには、少子化による子どもの減少や指導者の不足、あるいは、騒音問題といった、環境や社会の変化への対応力が問われることになる。

  • 81191_011_32086158_1_1_底抜け屋台 【資料1】底抜け屋台(2024年5月1日、筆者撮影、浜松まつり会館)
     大正4年(1915)頃、車輪のついた木枠の上に屋根がわりに凧を取り付けた「底抜け屋台」が登場する。枠だけで床や底がないので「底抜け」といわれた。その後、枠には季節の藤や菖蒲の花々が飾られ、人の目を楽しませようと工夫がされていく。さらに、屋台のなかに笛や太鼓を奏でる「お囃子連」も登場し華やかさを増していった。
  • 81191_011_32086158_1_2_浜松市屋台2 【資料2】浜松市制八十周年記念屋台(2024年5月1日、筆者撮影、浜松まつり会館)
     平成3年(1991)建造。棟梁:小池清(1929~2010)、彫刻師:早瀬宏(1933~)・鈴木嘉一(1912~2003)。
     大正10年(1921)頃、底のついた屋台、すなわち人が乗れる構造の屋台が作られ、昭和4年(1929)頃、屋台に多くの彫り物が施された「御殿屋台」が登場する。その後、昭和10年(1935)頃にかけて、30台近くの御殿屋台が建造されたが、昭和20年(1945)の大空襲のため、これら戦前の屋台のほとんどは焼失した。
  • 81191_011_32086158_1_3_浜松市舌代 【資料3】お囃子の舌代(2024年5月1日、筆者撮影、浜松まつり会館)
     各町の御殿屋台の正面には舌代として演奏曲の一覧が掲げられている。写真は浜松市の御殿屋台(展示用)の例で、浜松まつりの代表的な演奏曲が記載されている。
     平成5年(1993)の調査では、お囃子に参加した71町のうち、『四丁目』54町、『小鍛冶』32町、『鞍馬山』19町の順に多く演奏されている(10)。『元禄花見踊り』は、歌詞の中に「手先そろえてざざんざの、音は浜松よいやさ」と、浜松の地名が唄われているため人気の曲である。
     『四丁目』の原曲は雅楽の『仕丁舞』で、平安時代に貴族に仕えた下男(仕丁)たちの舞のことである。これを俗楽の祭囃子として伝承した『四丁目』が、神田祭など、他の祭礼では演奏されることが多いが、浜松まつりで演奏されるのは、それをさらに歌舞伎音楽に翻案したものである。この曲は歌舞伎でも祭の場面で使用され、また、シンプルで覚えやすいため、早くから多くの町で演奏されていたと思われる。
  • 81191_011_32086158_1_4_鍛冶町屋台 【資料4】鍛冶町の御殿屋台(2024年5月3日、筆者撮影)
     昭和25年(1950)建造。棟梁:小池佐太郎(1895~1974)、彫刻師:江坂鐘平(1899~1982)・江坂兵衛(1928~)。
     鍛冶町は、江戸時代の職業別集住制により鍛冶職人が多く住んだことが町名の由来である。町名が示す通り、主な演奏曲は『小鍛冶』である。
  • 81191_011_32086158_1_5_鍛冶町屋台鬼板《小鍛冶》 【資料5】鍛冶町の御殿屋台の彫刻《小鍛冶》(2024年5月3日、筆者撮影)
     鍛冶町の御殿屋台の鬼板には《小鍛冶》の彫刻が施されている。 
     長唄『小鍛冶』は、天保三年(1832)二代・杵屋勝五郎(生年不詳~1853)作曲。能『小鍛冶』を素材としている所作事(踊りの地)で、平安時代の刀工、小鍛冶こと三条宗近が稲荷明神の化身とともに作刀するという内容である。浜松まつりで演奏されるのは、主人公、三条宗近が、「セリ」と呼ばれる昇降機構に乗って、舞台床下から登場する場面で演奏される「セリの合方」の部分である。
  • 【資料6】千歳町の御殿屋台(11)
     昭和27年(1952)建造。棟梁:高塚房太郎(生没年情報なし)、彫刻師:江坂鐘平・江坂兵衛。
     鍛冶町の隣町である千歳町は、今も芸妓検番が残る花街である。この町の凧の図柄である「凧印」は、猿田彦命を表した「天狗」であることから、主な演奏曲は『鞍馬山』である。(非掲載)
  • 【資料7】千歳町の御殿屋台の彫刻《鞍馬山》(12)
     千歳町の御殿屋台の鬼板には、牛若丸が天狗と修行する《鞍馬山》の彫刻が施されている。彫刻師は、鍛冶町と同じ江坂鐘平、兵衛親子である。
     長唄『鞍馬山』は、安政三年(1856)二代・杵屋勝三郎(1820~96)作曲。能(謡曲)『鞍馬天狗』の翻案である。浜松まつりで演奏されるのは、牛若丸が身体を横たえ肘枕をしたまま、舞台床下から登場する場面で演奏される「セリの合方」の部分である。(非掲載)

参考文献

註(本文)
(1)「浜松の凧揚げ」、『浜松市史 二』、浜松市役所、1971年、p609。
(2)鈴木肇「浜松凧揚げ起源考」、土のいろ集成刊行会編『土のいろ集成 第ニ巻』、ひくまの出版、1981年、p44-45。
(3)山崎源一著『浜松 凧・屋台 凧の生みの親 椿姫観音』、浜松凧揚げ祭保存会、1983年、p52。
(4)前掲、p54。
(5)山崎源一著『椿姫観音堂の由来 浜松凧揚祭の起源と変遷』、椿姫観音堂、1975年、p44。 
(6)山田有一著『浜松まつり 鍛冶町(か組)屋台と練り』、2003年、P123。
(7)「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 音楽編」、文部科学省、平成29年、p6、文部科学省WEBサイト、https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1387014.htm(2024年5月13日閲覧)。
(8)「神田囃子」、2017年、江戸美学研究会WEBサイト、 https://edodesignlab.jp/syunjyu_kandahayashi/(2024年5月13日閲覧)。
(9)「浜松まつり、賛否両論」、中日新聞、2024年5月1日、中日新聞しずおかWeb、https://www.chunichi.co.jp/article/892547(2024年5月2日閲覧)。

註(添付資料)
(10)富田雅之著『浜松祭りのお囃子指導』、興誠論集第31号抜刷、1998年、p82-83。
(11)「まつりの1コマ R5年度」、2023年、千歳町凧揚会・天狗連公認サイト、http://jh2xva.g2.xrea.com/titose.html(2024年5月3日閲覧)。
(12)「千歳町」、2019年、浜松まつりの屋台と彫刻HP、https://asdk.sakura.ne.jp/hamamatsu/chitose/02.html(2024年5月3日閲覧)。

参考文献
・「明治後期の凧揚げ」、『浜松市史 三』、浜松市役所、1980年、p565。
・「連合凧揚会 屋台の出現」、前掲、p566-567。
・「浜松まつりの開始」、『浜松市史 四』、浜松市役所、2012年、p183。
・荒川章二 他著『浜松まつり 学際的分析と比較の視点から』、岩田書院、2006年。
・『2024浜松まつり公式ガイドブック』、浜松まつり組織委員会、2024年。
・『浜松まつり会館10周年記念誌 浜松まつり』、浜松市観光コンベンション課、1996年。
・「浜松まつりの歴史」、浜松まつり公式WEBサイト、https://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/introduction/history.html(2024年5月13日閲覧)。
・「浜松まつりとは」、浜松まつり会館WEBサイト、https://matsuri.entetsuassist-dms.com/about/(2024年5月13日閲覧)。
・「彫刻師名鑑」、2019年、浜松まつりの屋台と彫刻HP、https://asdk.sakura.ne.jp/fukude/shokunin/h/01.html(2024年5月13日閲覧)。
・配川美加著『歌舞伎の音楽・音』、音楽之友社、2016年。
・中村篤彦著『こんなによくわかる長唄 江戸の歌謡曲シリーズ第1巻 義経弁慶ものがたり』、邦楽ジャーナル、2014年、p23「鞍馬山」。
・中村篤彦著『こんなによくわかる長唄 江戸の歌謡曲シリーズ第2巻 妖怪変化編』、邦楽ジャーナル、2015年、p361「小鍛冶」。
・西園寺由利著『長唄を読む① 古代~安土桃山時代編』、小学館スクウェア、2014年、p126「小鍛冶」、p161「鞍馬山」。
・「神田祭の歴史」、神田明神、神田祭特設サイト、https://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/about/(2024年5月13日閲覧)。

参考映像・音源資料
・「浜松祭りお囃子曲」、2020年、福原鶴十郎Youtubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=SlH_ZLMxkm0(2024年5月3日視聴)。
・「邦楽囃子方による浜松まつりのお囃子、浜松市楽器博物館サロンコンサート」、2021年、福原鶴十郎Youtubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=9P6_whV37-w&t=2030s(2024年5月3日視聴)。
・「小鍛冶 松永和風【長唄レコード】、1931年、コロムビア」、2022年、01:47~02:40(セリの合方)、日本伝統芸能Youtubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=NcMRWI9TzB8(2024年5月15日視聴)。
・「長唄『鞍馬山』 麹町邦楽ライブ Vol.Ⅲ」、2015年、04:25~05:43(セリの合方)、machihitoYoutubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=H7jZyS_b4Es(2024年5月15日視聴)。
・「江戸祭囃子(打込、屋台、昇殿、鎌倉、四丁目、玉打)、1986年、Victor Entertainment」、2018年、Release-TopicYoutubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=Dc3qXfrozw0(2024年5月15日視聴)。
・「【祭囃子音源】東京の祭囃子」、2022年、祭囃子壱奏連Youtubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=0q4IVwooMko(2024年5月15日視聴)。
・「神田囃子保存会【神田祭】」、 2024年、祭囃子Youtubeチャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=Vy8JI2jT_ag(2024年5月15日視聴)。

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