開園150周年を迎えた上野恩賜公園 ~これからの存在意義と継承への発展性~

池田 佳南子

はじめに
上野恩賜公園(名称:上野公園)は昨年、開園150周年を迎え、長い歴史の中では戦争や自然災害など、様々な出来事を通し我々と共に存在し続けてきた。
上野公園は幼少時から上野動物園をはじめ、美術館や博物館に足を運ぶ身近な公園であり、常に人であふれ賑わう公園の姿しか知らない。しかし、ここ数年世界を襲ったコロナ渦中に上野公園に訪れると、そこには今まで見たことがない厳粛な上野公園の姿を目の当たりに見た。数ある歴史建造物と溢れる木々、そして鳥のさえずりやすがすがしい空気とが一体となった公園が今まで以上に身近に感じられたことで、改めて上野公園の歴史的存在意義と次世代への継承の発展性の必要性につき考察することにした。

1.基本情報
・上野恩賜公園(上野公園)は日本で初めて公園に指定され、明治6年(1867年)に開園
・東京都台東区にあり、東京駅から約4㎞圏内、最寄り駅はJR・地下鉄共に上野駅
・公園の広さは約54万㎡、東京ドーム11個分の広さ
・公園内には世界遺産に登録されたル・コルビジェ設計による建物のひとつの国立西洋美術館や、東京国立博物館、上野動物園など数多くの日本を代表する文化施設が点在している

2.歴史的背景
上野公園は、明治6年(1867年)に太政官布達によって日本で初めて指定された全国24ヵ所の公園のうちの一つである。上野公園は江戸時代に東叡山寛永寺の境内地で明治維新後官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いた。
公園となった経緯は、寛永寺の伽藍の多くは、明治元年の戊辰戦争(上野戦争)の際に多くが焼失し、その後は徳川幕府の名残を一掃する目的で、寛永寺や増上寺の建物が取り壊しの対象とされ、上野の山の大仏殿も壊され多くの建物が危機に直面した。そして明治3年に寛永寺中堂跡地に大学東校(現在の東京大学医学部)の病院建設が決まっていたが、翌年に上野の山を視察に来たオランダの軍医ボードワンの提案により日本初の公園として蘇えったのである。ボードワンは上野公園だけでなく、日本に公園を誕生させた “公園の生みの親”である。
150年前の文明開化の日本は、何でも新しく造り替えをしていた明治初年のその時期に、あえて空間スペース、すなわち緑地帯を残すことこそが将来の国際都市にふさわしい。とボードワンは説いたのである。彼の卓見こそ、明治政府を動かし日本に公園を誕生させた。もし、上野の山に予定通り大学東校の付属病院ができていたら、現在のような上野の発展はありえなかった。

3.上野公園の評価点
①日本を代表する桜の名所
誰もが桜の名称として上野公園は知られている。四季を通じて多くの自然に触れられ、桜の名所としてその歴史も江戸初期からで最も古く、約1200本の桜の木を広い園内を歩きながら鑑賞を楽しめるところである。

②日本を代表する文化施設が集結
東京ドームが約12個も入る広大な敷地と園内には、子供から大人まで楽しめる文化施設が数多く点在している。国立西洋美術館、東京国立博物館、文化会館、動物園、図書館、記念球場など、観て回るにも1日ではとても足りない。ここには世界にも知れわたる絵画や貴重な資料が集結しており、海外、また日本各地から文化施設に目的を持って多くの人が訪れてくる、日本が誇れる文化の森である。

③アクセスの利便性の良さによる集客
主要路線が集まる上野駅を出ると、そこはすでに上野公園である。上野公園を拠点にして浅草やアメ横、秋葉原、皇居など、観光客には日本文化の一面を近隣で体験、垣間見ることが出来る。また上野公園からは楽に短時間でアクセスできる銀座や丸の内などで、最新の流行やショッピングも楽しめる。

4. 他公園と比較しての特徴(役割の違い)
都内に数多くある公園の中で、上野公園と同等の広さで東京駅から4㎞圏内の代々木公園と新宿公園の2公園で、上野公園と比較してみた。
代々木公園はオリンピックの選手村を経て公園になった経緯からスポーツ施設が充実している。スポーツ施設は公園とエリアが分かれており、イベント等もそこで行われるため、園内は都内とは思えないないほど静寂で、自然のままの森林に囲まれてのどかである。広大な芝生広場は、都内で空が一番大きく見える場所とも呼ばれている。(資料2・3参照)
一方、新宿御苑は江戸時代の大名屋敷がルーツで、明治維新後に国営の農場試験場、宮内省の御料地、皇室庭園を経て現在の庭園として開放されている。そのため、非常にきれいに整備されており、園内では歴史の重みが感じられてくる。(資料2・3参照)
以上のように2園とも都内でありながら、簡単に広大な自然と芝生でくつろぎ、遊び、そして四季の木々や花の鑑賞を目的に公園は造られ、多くの人が訪ねてくる。
このように公園としてそれぞれの役割に違いがあり、各公園共、それぞれの歴史が継承されて現在の公園に至っている。そして2園に対して上野公園は、多くの木々に囲まれた園内に、集結して点在する日本を代表する各文化施設を目的に各国から訪れる人がほとんどである。

5. 今後の展望
①公園としての公共空間の検討、提案
上野公園のシンボルと言ってもいい、歴史的建造物である東京国立博物館と噴水前広場では、早朝にはラジオ体操や散歩をしている人、日中は修学旅行の学生やベンチでくつろいでいる、公園らしい姿が見られる。しかし、ここでイベントが開催されると、一辺して騒々しい場所に変わり、本来の上野公園のシンボルの姿はテントや看板で見えなくなる。初めてここを訪れる人達には、この騒々しい空間が日々の上野公園の姿だと思われたくない。
平成20年(2008年)の上野公園グランドデザイン検討会では、「文化の森」として多くの人々が集いにぎわっていること。を提言されているが、賑わいの内容、公園の公共施設の活用を今一度見極める必要があるのではないか。(8)
公共空間の活用として、歴史ある公園内では子どもから大人、そして多くの観光客が訪れる広場にふさわしい活用、イベントの検討が必要と考える。(資料4参照)

②公共空間での子供の向け広場(公園)の存在意義
開園150周年記念に募集した、都内在住の小中学生対象の「あなたが行ってみたい将来の都立公園」絵画コンクール学年別優秀作品を見ると、予想に反して緑の自然の中で家族や友達と遊んでいる、のどかな空間の公園の絵が目についた。(9)
現在公園内にある子供向け公園は本当に狭く、せっかく公園に来たのに思いっきり子どもたちが遊べる空間がない。それぞれの文化施設を目的に来たとしても、子供たちが楽しんで遊べ、親たちが安心してくつろげる空間が上野公園内にあってもいいのではないか。(資料5参照)

③上野公園をもっと知ってもらう、情報発信基地の提案
上野公園は多くの多国籍の人が集まるところである。園内には多数の案内看板があり、また各施設ごとの最新情報はIT機器の進化により簡単に何でも検索して調べることができる。しかし、SNS上以外にもっとホットな上野公園について知りたい、伝えたい、そして今日の公園内のトピックスなどを、人と人とのコミュニケーションによってもっと膨らませたいと思っている人もいるであろう。これこそが日本のおもてなしではないであろうか。
情報発信基地を通じて、日本のおもてなしを発揮し、更に楽しく園内を回遊してもらいたい。

5. まとめ
長い時をかけて守られてきた上野公園はこれからも日本、世界を代表する誇れる公園として継承していく必要がある。しかし、それはうわべだけの美しい景観や賑いだけでの上野公園では、本来の上野公園としての存在意義を伝えられてもいないし、これからも伝えることもできない。
そのためにも将来を担う今の子どもたちには、幼少の時から上野公園で遊び親しんでもらい、その子たちが成長していく過程の中で、上野公園の生い立ちや歴史を知り、そして美術館や博物館を訪れる様になって欲しい。
子供たちには上野動物園もそうだが、「上野公園に遊びに行きたい。」と言ってもらえる公園作りを目標として欲しい。その為にも、今の我々が「文化の森」を大切に継承していくことに意義があることを、みんなの共通認識として持つことが大切で必要であると考える。

  • E8B387E69699EFBC91_page-0001
  • E8B387E69699EFBC92_page-0001
  • E8B387E69699EFBC93_page-0001
  • E8B387E69699EFBC94_page-0001
  • E8B387E69699EFBC95_page-0001
  • E8B387E69699EFBC96_page-0001
  • E8B387E69699EFBC97_page-0001 開園150周年を迎えた上野恩賜公園 ~これからの存在意義と継承への発展性~

参考文献

(1) 渡邊靜夫編集・『日本大百科全書・8』・小学館発行・1986年より抜粋
(2) 東京都建設局HP参照 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/
  https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/toubuk/ueno/index_top.html
(3) 東京都公園協会HP参照   https://www.tokyo-park.or.jp/park/yoyogi/index.html
(4) 一般財団法人国民公園協会HP参照  https://www.fng.or.jp/shinjuku/
(5) 小林安茂著・『上野公園』・財団法人東京都公園協会・1980年 下記より資料参照、抜粋
第一章 上野のむかし 
(一)ナウマン象の歩いた時代(二)古墳時代から文化のあけぼの(三)江戸開府と上野
(四)花の上野山
第二章 太政官布達による公園撰定
(一)上野公園の生れるまで(三)宗門の森から文化の森へ(四)博覧会と上野
第四章 戦後の上野公園 (一)戦後処理のかずかず
第六章 園内の樹木
第七章 災害時の避難場所として
(6) 相川貞晴・布施六郎著・『代々木公園』・郷学舎・1981年  下記より資料参照、抜粋
第一章 代々木の原のむかし
第二章 代々木練兵場時代 (一)わが国最初の飛行(三)春の小川と大震災
第四章 代々木公園ができるまで 
第五章 森林公園の誕生
(一)世の熱いまなざしを受けて (二)森の設計と造成(五)公園へのアプローチ 
第六章 変わりゆく代々木公園 (一)若者の街、原宿・渋谷
(7) 今井利彦著・『新宿御苑』・財団法人東京都公園協会・1980年  下記より資料参照・抜粋
 第二章 文明開化の頃(一)近代農業技術のあけぼの 
 第三章 新宿植物園御苑(一)そのあゆみ 
 第四章 大庭園への脱皮(四)日比谷公園のこと
 第五章 皇室の御苑(四)東京都民と新宿御苑
(8) 上野公園グランドデザイン https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/park/tokyo_kouen/grand_design/houkoku/ueno_houkoku.html 参照
(9) 募集企画 東京都都市公園制度制定150周年特設サイト(tokyo-parku.or.j) 参照

(参照資料)
・令和3年台東区観光統計分析 報告書  https://www.city.taito.lg.jp/bunka_kanko/anzentaisaku/keikaku/tyousatoukei/marketing/kankoutoukei.files/r3houkokusyo.pdf
・太政官公園の成立とその実態 ja (jst.go.jp) 参照
・上野の杜事典編集会議編集・『上野のお山を読む』・谷根千工房・1995年
・林丈二、丹尾安典著・『こんなに面白い上野公園』・新潮社・1994年
・坂上正一著・『発掘写真で訪ねる 千代田区・中央区・台東区 古地図散歩~明治・大正・昭
 和の街角~』・フォト・パブリッシング発行・2023年
・末松四郎著・『東京の公園通誌 上』・財団法人東京都公園協会・1981年 
・末松四郎著・「東京の公園通誌 下」・財団法人東京都公園協会・1981年 
・田中幸太郎編集・『上野公園とその周辺 目で見る百年の歩み』・上野観光連盟発行・1973年
・須賀一著・『上野公園』・東京図書刊行会・1993年
・内山正雄、蓑茂寿太郎著・『代々木の森』・郷学舎・1981年
・進士五十八著・『日比谷公園』・鹿島出版会発行・2011年

年月と地域
タグ: